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愚王と呼ばれておりますが、だいたい予定通りです  作者: 綾城式部
第四章 捨てられた愚王

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宰相家の愚息

宰相シルバーは、王国で最も忙しい男だった。


少なくとも、三年前までは。


「……またか」


執務室に届いた書類を見て、シルバーは眉間に皺を寄せた。


地方行政官の登用に関する報告書。


その末尾には、見慣れた筆跡があった。


国王の承認である。


「陛下は、また平民を登用なされたのか」


「はい。北部の徴税官に、商人組合出身の者が任命されました」


補佐官が答える。


「従来の慣例では、あの職は地方貴族の推薦によって決められておりましたが……」


「成果は?」


「……は?」


「その者の成果を聞いている」


補佐官は慌てて書類をめくった。


「試験的に任された二つの郡では、徴税に要する日数が三割ほど短縮され、不正な徴収も減少しております」


「ならば、問題あるまい」


「しかし、貴族たちからは不満が……」


「不満で税が集まるなら、いくらでも聞いてやる」


補佐官は口を閉じた。


シルバーは報告書に署名する。


判断に迷いはなかった。


能力のある者を登用する。


成果を上げた者を評価する。


それは、行政を預かる者として当然のことだった。


そして、それこそが。


今の王が進めている改革だった。


◇


シルバー家は、代々アストリア王国の宰相を務めてきた。


王が代わっても、宰相はシルバー家から選ばれる。


その伝統は、幾世代にもわたって続いていた。


王は国の象徴。


宰相は国を動かす者。


先王の時代も、その関係は変わらなかった。


しかし、今の王は違う。


「シルバーよ」


ある日の御前会議。


王は、提出された人事案を眺めながら尋ねた。


「この者は、なぜ候補から外れておる?」


「家格が不足しております」


「家格?」


「はい。慣例上、この官職には一定以上の家柄が求められます」


「ふむ」


王は候補者の経歴を見た。


「しかし、この者が最も仕事ができそうじゃが」


「……そのとおりでございます」


「ならば、この者でよかろう」


「陛下」


シルバーは静かに進言した。


「官職には、実務能力だけでなく、周囲の信頼も必要でございます」


「そうじゃな」


王は頷く。


「では、仕事をさせて信頼を得てもらおう」


「……」


「家柄は仕事をしてくれぬからのう」


王は笑った。


御前会議にいた者たちも、つられて笑う。


シルバーも微笑んだ。


実際、王の判断は正しかった。


その人物は期待以上の成果を上げ、地方行政の改善に貢献した。


だが、シルバーの胸には、小さな棘が残った。


家柄は仕事をしてくれぬ。


それは、確かに正しい。


ならば。


シルバー家という家柄にも、意味はないのだろうか。


◇


「父上」


夕刻。


屋敷へ戻ったシルバーを、一人の少年が迎えた。


ルシアン・シルバー。


十六歳。


シルバー家の嫡男であり、唯一の子である。


「……何をしている」


「本を読んでいました」


「それは見れば分かる」


少年の手には、古びた書物があった。


「今日は家庭教師が来ていたはずだな」


「はい」


「どうだった」


「……普通でした」


シルバーは眉をひそめた。


「普通とは何だ」


「いつもと同じです」


「何を学んだ」


「歴史です」


「何についてだ」


「王朝の交代について」


「ならば、説明してみよ」


ルシアンは少し考えた。


「……何をでしょう」


「授業の内容に決まっている!」


少年は口を閉じた。


シルバーは額を押さえる。


「もうよい。下がれ」


「はい」


ルシアンは頭を下げ、部屋を出ていった。


その背中を見送りながら、シルバーは深く息を吐いた。


◇


翌日。


家庭教師が、シルバーのもとを訪れた。


「ご子息のことで、ご相談がございます」


「またか」


「……申し訳ございません」


家庭教師は困り果てた顔をしていた。


「知識がないわけではないのです」


「では、何が問題なのだ」


「質問に、まともに答えてくださらないのです」


「具体的には?」


「昨日、先の王朝が滅びた理由を尋ねました」


「それで?」


「ご子息は、『滅びたというのは誰の記録ですか』と……」


シルバーは眉をひそめた。


「意味が分からん」


「私もそう申し上げました。すると、『王が替わっただけなら、そこで暮らす者たちにとっては同じ国ではありませんか』と」


「……」


「さらに、正統な王家が滅びたのだと説明しますと、『正統かどうかは、次の王が決めるのでは』と」


家庭教師は肩を落とした。


「議論になりません。問いに答えず、問いそのものを変えてしまうのです」


シルバーは黙って聞いていた。


「歴史の知識はあるのでしょう。しかし、あれでは宮廷での議論に参加できません」


「……そうか」


「社交の場でも同じです。相手が求める答えを返せない。貴族の子弟として、少々問題が……」


「分かった」


シルバーは話を遮った。


「指導を続けてくれ」


家庭教師が退出すると、シルバーは椅子に深く腰掛けた。


王朝の交代。


正統性。


勝者が書き残す歴史。


どれも、宰相家の嫡男が学ぶべき事柄だった。


しかし、問われたことに答えられないのでは意味がない。


宮廷とは、正しい知識を持つだけで務まる場所ではない。


相手の意図を読み、必要な言葉を選び、時には答えを伏せる。


そうした振る舞いができなければ、どれほど本を読んでも政治家にはなれない。


シルバーは、そう考えていた。


◇


その夜。


屋敷では、小さな晩餐会が開かれていた。


招かれたのは、シルバー家と長く付き合いのある貴族たちである。


ルシアンも同席していた。


「ルシアン殿は、将来どのようなお仕事を?」


客の一人が、穏やかに尋ねた。


少年は答えない。


「もちろん、父君のように宰相を目指されるのでしょうな」


別の客が笑う。


「シルバー家のご嫡男ですからな」


ルシアンは、しばらく黙っていた。


やがて、小さく答える。


「……分かりません」


場が静まった。


「ははは。まだお若いですからな」


客は笑って取り繕った。


しかし、シルバーの表情は硬かった。


「ルシアン」


「はい」


「皆様に失礼だろう」


「……申し訳ありません」


「将来のことくらい、考えておきなさい」


「はい」


少年は、それ以上何も言わなかった。


晩餐会が終わる頃には、シルバーの機嫌はすっかり悪くなっていた。


◇


深夜。


シルバーは、屋敷の廊下を歩いていた。


壁には、歴代当主の肖像画が並んでいる。


王国を支えた宰相たち。


戦乱を収めた者。


財政を立て直した者。


外交によって領土を守った者。


彼らは皆、シルバー家の名を次代へつないできた。


シルバーは、足を止めた。


自分の代で、この歴史が終わるのだろうか。


いや。


家がなくなるわけではない。


財産も領地も残る。


しかし、宰相家としてのシルバー家は終わるかもしれない。


そして、それは王国にとって、何の問題でもないのかもしれない。


王は、有能な者を登用する。


貴族であろうと平民であろうと関係ない。


ならば、ルシアンが宰相になれないのは当然だ。


それどころか。


自分が宰相であり続ける理由すら、いつか失われる。


「……陛下」


シルバーは、誰もいない廊下で呟いた。


王は間違っていない。


それが、何よりも恐ろしかった。


◇


廊下の奥から、かすかな灯りが漏れていた。


ルシアンの部屋だった。


シルバーは扉を叩く。


「起きているか」


「はい」


部屋に入ると、少年は机に向かっていた。


積み上がった書物。


広げられた地図。


書きかけの紙。


「また本か」


「はい」


「明日も家庭教師が来るのだろう」


「はい」


「ならば、早く寝なさい」


「……はい」


シルバーは机の上に目をやった。


古い戦史。


王朝の系譜。


国境の変遷を記した地図。


そして、擦り切れた革表紙の一冊。


亡き妻が、かつて愛読していた本だった。


シルバーは、その本を手に取った。


「……まだ読んでいるのか」


「はい」


「もう何度も読んだだろう」


「はい」


「ならば、別の本を読めばよい」


ルシアンは少し考えた。


「……同じ本でも、読むたびに違いますので」


「何が違う」


「読む私が、前とは違います」


シルバーは息子を見た。


少年は、いつもと変わらない表情で座っていた。


何を考えているのか、分からない。


シルバーは本を机に戻した。


「……明日は、もう少し家庭教師の質問に答えるように」


「はい」


「お前は、シルバー家の嫡男なのだから」


「……はい」


シルバーは部屋を出た。


扉が閉まる。


ルシアンは、机の上の本を開いた。


◇


執務室へ戻ったシルバーは、一通の書状を取り出した。


西方の諸侯から届いたものだった。


王の改革によって、地方貴族の権限が次々に縮小されている。


長年王国に尽くしてきた家々が、正当な評価を受けていない。


このままでは、アストリアの伝統が失われる。


そのような訴えが、丁寧な文面で記されていた。


シルバーは、書状を机に置いた。


改革は成果を上げている。


民の暮らしは改善している。


王国の財政も安定しつつある。


それは、宰相である自分が誰よりも理解していた。


しかし。


その王国に、シルバー家の居場所はあるのだろうか。


シルバーは、廊下の向こうにある息子の部屋を思い浮かべた。


ルシアンは、父の後を継げないかもしれない。


自分が死ねば、あの子を守る者はいなくなるかもしれない。


そして、王は。


そのことを、少しも問題だと思わないのだろう。


シルバーは書状を折りたたんだ。


まだ返事を書くつもりはなかった。


ただ、引き出しの奥へしまうこともできなかった。


机の上に置かれたままの書状を、長い間見つめていた。


【人物紹介】

挿絵(By みてみん)

ルシアン・シルバー。宰相の嫡男・16歳

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