変わっていく国
変わった。
そう言われれば、変わったのだろう。
だが。
毎朝同じ道を歩いている者には、
国が変わる音など聞こえなかった。
◇
ノアは今日も王宮へ出勤した。
門を通る。
衛兵が顔を上げる。
「おはよう」
「おはようございます」
もう止められない。
最初の頃は毎朝止められた。
前科持ち。
元文書偽造犯。
王宮勤務。
どう考えても怪しい。
今では顔を覚えられた。
自分の机へ行く。
書類の山。
「ノア」
上司が呼ぶ。
「はい」
「昨日の地方官吏試験で、不正の疑いがある」
「どれです?」
答案を見る。
「これ、筆跡違いますね」
「分かるのか?」
「途中から別人です」
「どういうことだ」
「答案を差し替えたんでしょう」
「できるのか?」
ノアは少し考えた。
「俺ならできます」
上司が嫌な顔をした。
「やるなよ」
「やりませんよ」
「本当だな?」
「今やったら自分で調べることになるじゃないですか」
上司は納得した。
ノアは少し傷ついた。
◇
昼。
食堂へ行く。
以前は端の席だった。
今は適当に座る。
「ノア、これ見てくれ」
同僚が契約書を持ってくる。
「飯くらい食わせてください」
「すぐでいい」
「じゃあ一口」
パンをかじる。
書類を見る。
「本物」
「早いな」
「印が本物です」
「助かった」
同僚が去る。
ノアはスープを飲む。
向かいの役人が言った。
「人気者だな」
「嫌ですよ、こんな人気」
「給料上がったんだろ?」
「少し」
「いいじゃないか」
「犯罪やってた頃の方が稼げました」
向かいの役人が固まる。
ノアは笑った。
「冗談ですよ」
半分くらいは。
◇
同じ頃。
エドは王都の外で新兵を訓練していた。
「遅い!」
「はい!」
「列を崩すな!」
「はい!」
「そこ! 隣を見ろ!」
「はい!」
最近。
エドは怒鳴る側になった。
あまり嬉しくない。
軍務卿に似てきた気がするからだ。
「休憩!」
兵たちが一斉に座り込む。
エドも水を飲む。
若い兵が近づいてきた。
訛りがある。
「エド卿」
「なに?」
「自分も騎士になれますか」
エドは水を吹きそうになった。
「なんで俺に聞くの?」
「外国生まれだからです」
「俺も?」
「はい」
「騎士になりたいの?」
「分かりません」
「じゃあ聞くなよ」
若い兵が笑う。
「でも、なれるのかなって」
エドは少し考えた。
半年前。
自分も似たことを聞いた。
「知らない」
「知らないんですか」
「軍務卿に聞いて」
若い兵の顔が引きつる。
「怖いです」
「分かる」
エドは笑った。
「まあ」
少し考える。
「なれるかどうかは知らないけど」
若い兵を見る。
「外国人だから無理、とは言われないんじゃない?」
若い兵は少しだけ嬉しそうにした。
「はい」
「じゃあ休憩終わり」
「早くないですか!?」
「騎士になりたいんだろ?」
「まだ決めてません!」
兵たちが笑いながら立ち上がった。
◇
王都北区。
外国生まれの者が多く住む一角。
以前より店が増えた。
知らない料理。
知らない服。
知らない歌。
だが。
子供たちはあまり気にしていなかった。
「それ貸して!」
「嫌だ!」
「昨日貸しただろ!」
「これは俺の!」
喧嘩している。
片方はアストリア生まれ。
片方は外国生まれ。
喧嘩の理由は木の剣だった。
国籍ではない。
近くのパン屋では、主人が値札を書き換えていた。
「また上がったのか?」
客が聞く。
「小麦が高い」
「外国人が増えたから?」
「今年は南で不作だ」
「なんだ」
客はパンを買った。
理由など、その程度だった。
◇
地方では。
商家の娘が新しく官吏になった。
最初の日。
役所へ行く。
周囲はほとんど貴族の子弟だった。
視線を感じた。
「平民らしいぞ」
聞こえる。
気にしない。
席へ座る。
仕事を始める。
一ヶ月後。
「この計算、違います」
隣の男に言った。
「何?」
「税率を去年のまま計算してます」
「そんなはずは」
「ここ」
「……本当だ」
二ヶ月後。
「これ、どう計算する?」
同じ男が聞いてきた。
三ヶ月後。
誰も平民とは呼ばなくなった。
代わりに。
「計算の細かい女」
と呼ばれるようになった。
本人は、
そちらの方が少し腹が立った。
◇
国は変わっていた。
だが。
誰も毎朝、
「今日も国が変わった」
とは思わない。
昨日まで入れなかった場所に、
今日は誰かがいる。
昨日までできなかった仕事を、
今日は誰かがしている。
それだけだった。
そして。
それを遠くから見ている者もいた。
◇
夕方。
王宮の回廊。
宰相と軍務卿が並んで歩いていた。
二人とも会議帰りだった。
中庭では、官吏試験に合格した新人たちが説明を受けている。
貴族。
平民。
商家。
地方出身者。
混ざっている。
少し離れた訓練場では、エドが兵を怒鳴っていた。
「最近」
軍務卿が言った。
「何だ」
「多いな」
宰相が中庭を見る。
「何が」
軍務卿は答えなかった。
少し歩く。
王宮の門を通る荷車。
荷を運んでいる男たち。
その中にも外国生まれがいる。
書類を確認している役人の一人は、平民出身。
さらに奥。
王宮の窓際。
ノアが誰かと書類を見ている。
元犯罪者。
軍務卿が言った。
「……全部だ」
宰相は答えなかった。
分かっていた。
◇
二人は宰相の執務室へ入った。
酒が出された。
珍しいことだった。
軍務卿が杯を持つ。
「エドを騎士にした」
「知っている」
「後悔はしていない」
「それも知っている」
「優秀だ」
「そうだな」
「騎士だと思っている」
「うむ」
軍務卿は酒を飲む。
「だが」
宰相は待った。
「次も同じようにできるのか」
「何が」
「百人来たら」
軍務卿が言う。
「千人来たら」
宰相は杯を置いた。
「前にも同じ話をしたな」
「ああ」
「だから制度を作った」
「制度は人を見るか?」
宰相が黙る。
「試験は知識を見る」
「うむ」
「記録は経歴を見る」
「うむ」
「だが」
軍務卿は自分の手を見る。
「私はエドを半年見た」
剣。
馬。
軍法。
指揮。
失敗。
質問。
怒らせた回数。
笑った回数。
全部見た。
だから認めた。
「紙一枚で、同じことができるのか」
宰相は答えなかった。
◇
しばらくして。
宰相が言った。
「教会の件を覚えているか」
「忘れるものか」
「人を買った件は」
「もっと忘れられん」
「犯罪者を王宮に入れた」
「そこにいるな」
「外国人が増えた」
「ああ」
「エドが騎士になった」
軍務卿は杯を見る。
「私がした」
「平民が官吏になった」
「そうだな」
一つずつ。
一つずつなら。
理由は分かる。
人が足りない。
なら人を連れてくる。
教会だけが公益を担う必要はない。
なら商人にも開く。
刑を終えた者に能力がある。
なら使う。
兵士が優秀。
なら教育する。
官吏として必要な能力がある。
なら試験する。
どれも。
一つだけなら。
大した話ではない。
「だが」
宰相が呟いた。
「並べると違う」
軍務卿は何も言わない。
「陛下は」
宰相が窓を見る。
「どこへ向かっている」
答えはなかった。
◇
翌日。
宰相は王へ聞いた。
「陛下」
「なんじゃ?」
王は何か食べていた。
最近、よく食べている。
「最終的に、何をなさりたいのです」
王が止まった。
「何の話じゃ?」
「この国です」
「国?」
「人を買われた」
「うむ」
「教会の公益事業を商人へ開かれた」
「うむ」
「刑を終えた犯罪者を王宮へ入れた」
「使えるからのう」
「外国人へ国民となる道を開いた」
「住むのであろう?」
「平民に官職を開いた」
「優秀ならよいではないか」
「元奴隷を騎士にした」
王が首を傾げた。
「それは軍務卿じゃ」
宰相が一瞬止まる。
「……そうでした」
「うむ」
少し腹が立った。
「陛下」
宰相は言い直す。
「これらの先に、何があるのです」
王はしばらく考えた。
本当に考えていた。
「……何があるのじゃ?」
宰相は王を見た。
「私が聞いているのです」
「我も知らぬ」
「陛下!」
「必要だからやったのであろう?」
「誰がです!」
「我らがじゃ」
宰相は言葉を失った。
王は菓子を食べる。
「人が足りぬから買った」
一つ。
「村が困っておったから橋を直した」
二つ。
「偽物が多いから偽造屋を雇った」
三つ。
「エドが強いから軍務卿が鍛えた」
四つ。
「優秀な者が仕事をしたいから試験を作った」
五つ。
王は首を傾げた。
「何か繋がっておるのか?」
宰相は何も言えなかった。
◇
その日の夜。
宰相は軍務卿の部屋にいた。
「聞いた」
軍務卿が言う。
「何と」
「分からぬそうだ」
「……そうか」
「本当に分かっていないと思うか?」
宰相は答えなかった。
それが一番分からなかった。
もし。
すべて考えているのなら。
どこまで変えるつもりなのか。
もし。
何も考えていないのなら。
もっと恐ろしい。
国の根幹を、
目の前の問題だけを見て、
一つずつ変えていることになる。
軍務卿が言った。
「俺はエドを認めた」
「うむ」
「だが」
杯を置く。
「だからといって、騎士というものが不要だとは思わん」
「私もだ」
「平民に優秀な者がいる」
「いる」
「だからといって、貴族が積み上げてきたものに意味がないとも思わん」
「私もだ」
二人は黙った。
窓の外。
王都の灯りが見える。
以前より増えた。
人が増えたからだ。
外国からも来た。
仕事を求めて。
この国を選んで。
「国は」
軍務卿が言った。
「どこまで変われば、別の国になる」
宰相は答えられなかった。
◇
翌朝。
エドは訓練場にいた。
ノアは王宮で書類を読んでいた。
北区では新しい店が開いた。
地方では平民出身の官吏が出勤した。
教会では祈りが捧げられた。
商人は橋を渡った。
農民は畑へ出た。
誰も。
国が壊れているとは思っていなかった。
むしろ。
昨日より少しだけ暮らしやすくなった者の方が多かった。
だからこそ。
宰相と軍務卿には、
それが怖かった。
壊れているなら止められる。
失敗しているなら諫められる。
民が苦しんでいるなら、
王に突きつけることができる。
だが。
うまくいっている。
人が増えた。
仕事が増えた。
税収も増えた。
道ができた。
橋が架かった。
働けなかった者が働いている。
騎士になれなかった者が騎士になった。
官吏になれなかった者が官吏になった。
一つ一つ。
結果が出ている。
だから。
止める理由を、
二人はまだ持っていなかった。
ただ。
止まる場所も、
見えなかった。




