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愚王と呼ばれておりますが、だいたい予定通りです  作者: 綾城式部
第三章 境界を知らぬ愚王

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血

エドが騎士になった。


それだけなら、例外で済んだ。


外国人。


元奴隷。


それでも軍務卿が半年かけて教育し、自ら推薦した。


珍しい話。


変わった王の、変わった人事。


そう片づけることもできた。


だが。


一人できたことは、


二人目にもできる。


それが問題だった。


◇


王宮の人事局に、一枚の願書が届いた。


地方の商家の次男。


読み書きができる。


計算ができる。


三年間、商会で帳簿を担当。


領地の収穫量や税額の計算にも詳しい。


希望職。


地方行政官。


不採用。


理由。


平民だから。


二枚目。


村長の娘。


読み書き。


計算。


土地台帳の作成経験あり。


希望職。


徴税官補佐。


不採用。


理由。


平民だから。


三枚目。


元兵士。


補給隊で十年勤務。


倉庫管理。


輸送計画。


物資調達。


希望職。


軍需局。


不採用。


理由。


平民だから。


四枚目。


五枚目。


六枚目。


王は途中で読むのをやめた。


「多いのう」


宰相が嫌な予感を覚えた。


「何がでしょう」


「使えそうなのに使っておらぬ者」


嫌な予感が当たった。


「陛下」


「なんじゃ?」


「その者たちは、官職に就く資格を持っておりません」


「なぜ?」


「平民だからです」


王が願書を見る。


「書いてあるのう」


「はい」


「だから、なぜじゃ?」


宰相は少し黙った。


「法で定められているからです」


「誰が決めた?」


「歴代の王です」


「我も王じゃが」


「そういう問題ではありません」


王は首を傾げた。


「ではどういう問題じゃ?」


◇


会議が開かれた。


宰相。


財務卿。


軍務卿。


内務卿。


そして王。


机の上には古い法典が積まれていた。


「官職には、それぞれ資格があります」


宰相が説明する。


「高位官職は原則として貴族。軍の指揮職は騎士階級以上。地方行政も一定以上の家格を必要とします」


「なぜ?」


またそれだった。


宰相は答える。


「教育です」


王が黙る。


「貴族の子は幼い頃から読み書き、歴史、法、外交、統治を学びます」


「うむ」


「領地を持つ家であれば、実際の行政にも触れる」


「うむ」


「騎士の家なら軍事教育を受ける」


軍務卿が頷く。


宰相は続けた。


「国を動かす仕事は、昨日今日覚えればできるものではありません」


王は少し考えた。


「なるほど」


珍しく納得した。


宰相は安心した。


「では試験をせよ」


安心した自分が馬鹿だった。


「……試験?」


「必要なことを知っておるか調べればよい」


「陛下」


「なんじゃ?」


「今申し上げたのは、その知識を得るために貴族制度が機能しているという話です」


「うむ」


「ですから」


「知っておるか調べればよいではないか」


「そういう話では」


「知らぬ貴族はどうする?」


宰相が止まった。


「……教育します」


「知っておる平民は?」


「資格がありません」


「変ではないか?」


誰も答えなかった。


◇


宰相は法典を閉じた。


「陛下」


声は静かだった。


「血統そのものに価値があるのではありません」


王が見る。


「継承されてきた責任に価値があるのです」


王は黙って聞いた。


「貴族には権利があります」


「うむ」


「同時に義務があります」


「うむ」


「戦があれば兵を出す。飢饉があれば領民を養う。治水を行い、道を維持し、争いを裁く」


宰相は法典へ手を置いた。


「そのために土地があり、財産があり、教育がある」


「うむ」


「子は幼い頃から、自分が何を背負うのか教えられます」


王は何も言わない。


「これは単なる特権ではありません」


「分かっておる」


宰相が少し驚いた。


王は続ける。


「なら責任を継げばよかろう」


「……はい?」


「よい仕組みなのじゃろ?」


「はい」


「なら残せばよい」


宰相は王を見る。


「では」


「じゃが」


来た。


「なぜ権利まで必ず一緒に継ぐのじゃ?」


宰相が黙った。


王は法典を指す。


「父親が優秀なら、息子も優秀なのか?」


「そのために教育を」


「教育して駄目なら?」


「……」


「平民が自分で学んで優秀なら?」


「……」


王は本当に分からないようだった。


「責任を負える者に責任を負わせればよいのではないか?」


宰相はしばらく答えなかった。


「それでは」


ようやく言った。


「国の形が変わります」


王は首を傾げた。


「形?」


「誰が国を支えるのかという形です」


「今は誰が支えておる?」


「貴族です」


王が窓の外を見る。


城下。


市場。


工房。


道。


遠くの畑。


「……多くないか?」


「何がです」


「支えておる者」


宰相は窓を見なかった。


◇


数日後。


軍務卿が宰相の執務室を訪れた。


「聞いた」


「何を」


「官職を平民へ開くそうだな」


「まだ決まっていない」


「陛下ならやる」


宰相は否定しなかった。


軍務卿が椅子へ座る。


「騎士も同じになるか」


「既になっているだろう」


軍務卿が黙った。


エド。


自分で教えた。


自分で試した。


自分で推薦した。


「後悔しているか?」


宰相が聞く。


「していない」


即答だった。


「エドは騎士だ」


「なら何が問題だ」


軍務卿はしばらく考えた。


「エドは半年かけた」


「うむ」


「私が教えた」


「うむ」


「試験もした」


「うむ」


「だから認めた」


「それを官吏にもやろうとしている」


「分かっている」


「なら」


軍務卿が遮った。


「一人と制度は違う」


宰相は黙った。


「エド一人なら、私が見られる」


軍務卿は言う。


「百人なら?」


返事はない。


「千人なら?」


宰相が窓を見る。


「だから制度が必要になる」


「そして制度を変えれば、国が変わる」


二人とも黙った。


◇


王宮の一室。


なぜかノアが呼ばれていた。


「試験を作れ」


王に言われた。


「嫌です」


王が驚いた。


「なぜじゃ?」


「俺、試験なんて作ったことないですよ」


「書類には詳しいであろう?」


「偽造にです」


「似たようなものではないか?」


「全然違います」


財務卿が笑った。


王は机に願書を並べる。


「では、不正できぬ試験にせよ」


ノアは止まった。


「そっちですか」


「貴族だから合格、平民だから不合格では意味がないのであろう?」


「まあ」


「金を払ったら合格も困る」


「それはそうですね」


「答えを買うのも困る」


「困りますね」


「偽造した合格証を持ってくる奴もおるかもしれぬ」


ノアは少し考えた。


「それなら得意です」


「ほれ」


王が満足そうに頷いた。


「似たようなものではないか」


「……なんか腹立つな」


「何か言ったか?」


「いいえ」


こうして。


元文書偽造犯が、


国家試験の不正防止に関わることになった。


◇


制度は、思ったより地味だった。


貴族制は廃止されなかった。


爵位も残った。


領地も残った。


財産も残った。


相続もできた。


ただ。


一部の官職から、


「貴族であること」


という条件が消えた。


代わりに。


読み書き。


計算。


法。


行政。


職種ごとの知識。


試験と実務経験が求められた。


貴族も受ける。


平民も受ける。


外国生まれでも、国民となり条件を満たせば受けられる。


元犯罪者については、職種ごとに制限が設けられた。


誰でも何でもできるわけではない。


ただ。


生まれた瞬間に、


できないことが決まる範囲が、


少し減った。


◇


最初の試験の日。


会場には奇妙な人間が集まった。


貴族の三男。


商人の娘。


元兵士。


村長の息子。


職人。


地方役人の助手。


服装も違う。


言葉遣いも違う。


座り方も違う。


試験官が紙を配る。


「開始」


一斉に書き始めた。


数時間後。


結果が出た。


一位。


地方貴族の次男。


二位。


商家の娘。


三位。


伯爵家の三男。


四位。


村長の息子。


五位。


子爵家の長男。


王は結果表を見た。


「貴族、強いではないか」


宰相が答える。


「当然です」


少し誇らしげだった。


「幼い頃から教育を受けています」


「なら問題ないではないか」


宰相は黙った。


王が続ける。


「優秀なのであろう?」


「はい」


「なら受かる」


「はい」


「平民より優秀なら?」


「受かります」


「なら何も奪っておらぬではないか」


宰相の表情が少し変わった。


「陛下」


「なんじゃ?」


「優秀でなければ?」


王は結果表から顔を上げる。


「落ちるのでは?」


あまりにも当然のように言った。


宰相は目を閉じた。


「それが、変わったのです」


王は分からない顔をした。


◇


その夜。


宰相は屋敷へ帰った。


書斎には古い肖像画が並んでいる。


祖父。


曾祖父。


その前。


何代も。


国に仕えた者たち。


戦争で死んだ者。


飢饉の年に私財を放出した者。


外交交渉をまとめた者。


王を諫めて蟄居させられた者。


その家に生まれるということは、


幼い頃から彼らを見上げて育つということだった。


父に言われた。


お前はこの家を継ぐ。


だから学べ。


だから耐えろ。


だから国に仕えろ。


好き嫌いではない。


生まれたからだ。


宰相は、その仕組みを嫌いではなかった。


むしろ。


自分を作ったものだった。


机の上には、新しい試験制度の書類。


二位。


商家の娘。


宰相はその答案も読んでいた。


優秀だった。


法の理解。


計算。


文章。


どれも申し分ない。


落とす理由はなかった。


だから。


余計に困った。


◇


翌日。


王宮。


宰相が王へ尋ねた。


「陛下」


「なんじゃ?」


「もし」


少し間を置く。


「私より優秀な平民が現れたら、どうなさいますか」


王は書類から顔を上げた。


「宰相にする」


即答だった。


宰相は黙った。


王が不思議そうに聞く。


「嫌か?」


「……分かりません」


「そうか」


王はまた書類へ戻った。


「まあ、其方より優秀なら相当じゃのう」


宰相が顔を上げる。


王は普通に書類を読んでいた。


褒めたのか。


馬鹿にしたのか。


分からなかった。


「陛下」


「なんじゃ?」


「私は、宰相家に生まれました」


「うむ」


「幼い頃から、この国に仕えるために育てられました」


「うむ」


「それを誇りに思っています」


王が顔を上げる。


「よいことではないか」


「では」


宰相は少し強く言った。


「それに価値はないのですか」


王は首を傾げた。


「あるであろう?」


宰相が止まる。


「其方が今、役に立っておる理由の一つなのであろう?」


「……はい」


「なら価値がある」


「では、なぜ」


「じゃが」


王が言った。


「其方の息子が役に立つかは、まだ分からぬであろう?」


宰相は何も言えなかった。


王は悪意なく続ける。


「其方の父が立派だったことも」


一枚書類をめくる。


「其方が立派であることも」


もう一枚。


「其方の息子が立派であることも」


そして。


「別の話ではないのか?」


宰相は王を見ていた。


王はもう書類へ戻っている。


それだけだった。


◇


その頃。


軍務卿は訓練場にいた。


エドが若い兵士を怒鳴っている。


「自分で前に出るな!」


「はい!」


「お前が倒れたら誰が指示する!」


「はい!」


「地図見ろ!」


「はい!」


軍務卿は腕を組んで見ていた。


自分が言った言葉だった。


少し腹が立った。


同時に。


少しだけ嬉しかった。


隣の騎士が言う。


「よく育ちましたね」


軍務卿は答えない。


エドがこちらに気づいた。


「軍務卿!」


「なんだ」


「こいつ、指揮官なのに前に出るんですよ!」


「お前も昔やった」


「だから駄目だって分かるんです!」


軍務卿は言葉に詰まった。


周囲が笑う。


エドも笑っていた。


軍務卿は笑わなかった。


その胸には騎士の徽章。


血では渡らなかったものが、


教えたことで、


確かに渡っていた。


◇


その年。


アストリアから貴族は消えなかった。


平民も消えなかった。


爵位も。


家名も。


領地も。


歴史も。


残った。


ただ。


一つだけ。


少し曖昧になった。


生まれた家が、


その人間の最初の場所であることと。


最後の場所であることは、


同じではなくなった。


そして。


それを最も喜んでいたのが誰なのか。


それを最も恐れていたのが誰なのか。


まだ。


誰にも分からなかった。

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