アストリア人
エドが騎士になって、三ヶ月ほど経った。
その頃から。
王都では、妙な言葉をよく聞くようになった。
「最近、外国人が増えたな」
確かに増えていた。
市場。
工房。
建築現場。
食堂。
荷車の御者。
どこへ行っても、少し違う訛りが聞こえる。
理由は単純だった。
仕事があるからだ。
◇
最初に増えたのは、職人だった。
石工。
鍛冶屋。
大工。
織工。
次に荷運び。
商人。
農夫。
家族を連れてくる者も現れた。
そして。
以前は金を払って人を連れてきていたアストリアへ、いつの間にか自分で歩いてくる者が増えていた。
「仕事はあるか」
そう尋ねる人間が、国境の役所に毎日のように現れる。
ある。
だから入ってくる。
それだけだった。
王都の北側には、新しい家が次々と建った。
知らない料理を売る店ができた。
市場では聞いたことのない香辛料が並んだ。
酒場では二つ三つの言葉が飛び交う。
景気は良かった。
だが。
景気が良いことと、全員が喜ぶことは別だった。
◇
「また外国人だよ」
パン屋の主人が言った。
朝。
店の前に職人たちが並んでいる。
その半分ほどは、外国生まれだった。
「うちの隣の部屋も外国人になった」
客が言う。
「家賃上がったろ?」
「上がった」
「俺んとこもだ」
別の客が口を挟む。
「仕事だってそうだ。安い賃金で働かれたら、こっちが困る」
「でも最近、賃金上がってないか?」
「上がってる」
「じゃあいいじゃないか」
「そういう話じゃない」
「どういう話だ?」
「……なんか嫌なんだよ」
パン屋の主人がパンを並べながら言った。
「それは知らん」
話はそこで終わった。
だが。
似たような話は、あちこちで聞かれるようになった。
◇
エドも聞かれた。
「お前はどう思う?」
昼食中。
同僚の騎士が言った。
「何が?」
「外国人」
エドはパンを食べる。
「増えたよな」
「増えたね」
「仕事を取られるって言ってる奴もいる」
「そうなの?」
「お前、興味ないな」
「俺も外国人だから」
相手の手が止まった。
「……そうだった」
「忘れてた?」
「ちょっと」
エドは笑った。
最近、こういうことが増えた。
最初は皆、エドを見るたびに外国人だと思った。
次に元奴隷だと思った。
その次は軍務卿にしごかれている変な兵士。
今は騎士。
どうやら人間は、目の前にいる相手について覚えておけることに限界があるらしい。
「でもお前は別だろ」
同僚が言った。
「何が?」
「騎士だし」
「外国人だけど」
「そうだけど」
「じゃあ一緒じゃん」
「いや……」
同僚が困る。
エドはパンを食べ続けた。
「難しいな」
「何が?」
「お前」
「俺?」
「外国人っぽくない」
エドは首を傾げた。
「外国人っぽいって何?」
今度こそ。
同僚は答えられなかった。
◇
やがて、王宮にも話が届いた。
「陛下」
内務卿が大量の嘆願書を机に置いた。
王が嫌そうな顔をする。
「多いのう」
「外国人流入に関するものです」
「減らせぬか?」
「嘆願書をですか?」
「うむ」
「中身を読んでください」
王は一番上を取った。
読む。
次。
読む。
三枚目で飽きた。
「だいたい同じではないか」
「ですから問題なのです」
宰相が言う。
「王都だけではありません。地方都市でも外国人労働者が増えています」
「よいことではないか」
「限度があります」
内務卿が地図を広げる。
「住居不足が始まっています。一部では家賃が上昇。職種によっては賃金競争も起きています」
「犯罪は?」
「増えております」
王が顔を上げた。
「外国人の?」
「外国人による犯罪件数も増えています」
「割合は?」
内務卿が止まった。
書類を確認する。
「……人口増加分を考慮すると、大きくは変わりません」
「では人が増えたからではないか?」
「それでも件数は増えています」
「人が増えれば増えるであろう」
内務卿が黙る。
宰相が口を開いた。
「問題は感情です」
「感情?」
「民の間に不満が出ています」
「何が不満なのじゃ?」
「アストリア人より外国人が優遇されている、と」
王が首を傾げる。
「優遇しておるのか?」
「しておりません」
「では何が不満なのじゃ?」
宰相は少し困った。
「外国人が増えること自体に、不安を覚える者もおります」
「なぜ?」
「仕事、住居、治安、文化。理由は様々です」
王は考える。
内務卿が言った。
「入国を制限すべきとの声もあります」
「全部か?」
「いえ。一定の条件を設けるべきかと」
「条件?」
「職業、資産、身元、滞在目的などです」
「なるほど」
王は頷いた。
珍しく話が早かった。
「では作れ」
内務卿が少し驚く。
「よろしいのですか?」
「必要なのであろう?」
「はい」
「なら作ればよい」
宰相が少し安心した。
だが。
王が続けた。
「ただし」
嫌な予感がした。
「アストリア人にも同じ条件をつけよ」
沈黙。
「……はい?」
内務卿が聞き返した。
「職業、資産、身元、滞在目的が必要なのであろう?」
「外国人にです」
「なぜじゃ?」
「外国人だからです」
「うむ」
王が頷く。
「だから、外国人とは誰じゃ?」
部屋が静かになった。
◇
「国外で生まれた者です」
内務卿が答えた。
「では国外で生まれ、赤子の頃からアストリアに住む者は?」
「……外国人です」
「アストリアで生まれ、ずっと国外に住んでおる者は?」
「アストリア人です」
「なぜ?」
「血統です」
「では父がアストリア人、母が外国人なら?」
「父系を基準に」
「父が分からぬ場合は?」
内務卿が黙る。
宰相が口を挟む。
「陛下。例外を並べれば、どの制度にも穴はあります」
「そうなのか?」
「そうです」
「では別に穴があってもよいのでは?」
「よくありません」
「難しいのう」
王は本当に困っているようだった。
「では税を払っておる者は?」
「それでは短期滞在者も含まれます」
「長く住んでおる者」
「何年です?」
「知らぬ」
「陛下!」
「其方が聞いたのであろう!」
内務卿が額を押さえた。
財務卿が少し笑っている。
宰相は腕を組んだ。
「国民とは、法律上の身分です」
王が宰相を見る。
「誰が決める?」
「国家です」
「我々か?」
「そうです」
「では決めればよいではないか」
「ですから、その基準を議論しております」
「そうであった」
全員が疲れてきた。
◇
翌日。
なぜかエドが王宮へ呼ばれた。
「またですか」
エドは最近、王宮に呼ばれることに慣れてきた。
部屋には王。
宰相。
内務卿。
軍務卿。
エドは一礼する。
軍務卿が小声で言う。
「肩」
エドは慌てて姿勢を直した。
まだ礼法は可だった。
王が聞く。
「エド」
「はい」
「其方、アストリア人か?」
「違います」
即答だった。
王が少し驚いた。
「そうなのか?」
「はい」
「なぜ?」
「なぜって……」
エドは困った。
「外国で生まれたので」
「なるほど」
「家族も向こうです」
「なるほど」
「国籍も向こうです」
「なるほど」
王は頷く。
「では外国人じゃな」
「はい」
話が終わった。
エドは帰ろうとした。
「待て」
軍務卿に止められた。
「まだだ」
「はい」
王が聞く。
「アストリアは嫌いか?」
「嫌いじゃないです」
「好きか?」
エドは考えた。
「まあ」
「まあ?」
「好きだと思います」
「故郷は?」
「好きです」
「どちらが好きじゃ?」
「比べるんですか?」
王が止まった。
「比べられぬのか?」
「母親と軍務卿のどっちが好きかって聞かれても困ります」
軍務卿がむせた。
内務卿が顔を伏せた。
王は笑った。
「それは困るのう」
「はい」
「では、なぜここにいる?」
またそれだった。
エドはもう慣れた。
「仕事があるので」
王が頷く。
「そうであった」
宰相が尋ねる。
「もしアストリアと故国が戦争になったらどうする」
部屋の空気が変わった。
エドは黙った。
すぐには答えなかった。
「……分かりません」
軍務卿は何も言わない。
「騎士として、それでは困る」
宰相が言う。
「はい」
「お前はアストリア王国の騎士だ」
「はい」
「ならばアストリアのために戦う義務がある」
「はい」
「故国とでもだ」
エドは俯いた。
「はい」
王が口を挟んだ。
「嫌なら辞めればよいではないか」
全員が王を見る。
「陛下」
軍務卿の声が低くなる。
「騎士とは、そのようなものでは」
「そうなのか?」
「そうです!」
エドは思わず笑った。
軍務卿に睨まれた。
「すみません」
王がエドを見る。
「まあ、その時になったら考えよ」
「いいんですか?」
「まだ戦争しておらぬのであろう?」
「はい」
「では今考えても仕方ないではないか」
宰相が深く息を吐いた。
「陛下は、国家というものを何だとお考えなのですか」
王が少し考えた。
「国じゃろ?」
「その国とは何です」
王が窓の外を見る。
城下町が見える。
家。
市場。
煙突。
道を歩く人。
荷車。
遠くの畑。
「……あれではないのか?」
「どれです?」
「全部」
宰相は何も言わなかった。
◇
数週間後。
新しい入国規則が公布された。
無制限ではなくなった。
身元確認。
滞在目的。
一定期間以上の居住者には登録。
働く者には雇用記録。
犯罪歴があれば申告。
家族を連れてくる場合も届け出る。
そして。
長く住み。
税を納め。
法を守り。
一定の条件を満たした者には、
アストリアの国民となる道が作られた。
血だけではなかった。
生まれた場所だけでもなかった。
誰でも即座に、でもなかった。
線は残った。
ただ。
線を越える門ができた。
◇
「これ、俺も?」
エドは書類を見ていた。
国籍取得申請。
同僚の騎士が覗き込む。
「出せば?」
「別に困ってないんだけど」
「じゃあ出さなきゃいい」
「そうなんだよな」
エドは紙を裏返す。
しばらく眺める。
また表にする。
「何を悩んでるんだ?」
「分からない」
「アストリア人になりたいんじゃないのか?」
エドは考えた。
故郷がある。
母がいる。
父がいる。
弟。
妹。
帰ろうと思えば帰れる。
アストリアには仕事がある。
仲間がいる。
軍務卿がいる。
騎士になった。
どちらも、自分の人生だった。
「これ出したら」
エドが聞く。
「故郷の人間じゃなくなるのかな」
同僚が困った。
「知らん」
「だよな」
その日は提出しなかった。
◇
王都では、まだ揉めていた。
「外国人が増えすぎだ」
そう言う者もいた。
「人手が増えて助かる」
そう言う者もいた。
「家賃が高い」
「店が増えた」
「治安が心配だ」
「客が増えた」
「言葉が違う」
「飯はうまい」
誰も完全には納得しなかった。
だから制度ができても、問題は消えなかった。
ただ。
ある日の市場。
一人の男が喧嘩を始めた。
「外国人が!」
相手を殴ろうとする。
周囲が止める。
そこへ巡回中の騎士が来た。
「何をしている」
男が振り返る。
「騎士様! こいつら最近入ってきた外国人で!」
騎士は兜を脱いだ。
エドだった。
男が止まる。
エドが聞く。
「それで?」
「……いや」
「何したの?」
「こいつが俺にぶつかった!」
相手の男が反論する。
「そっちからだ!」
「嘘つけ!」
また掴みかかろうとする。
エドが二人の間に入った。
「じゃあ両方、詰所で話そう」
「俺もですか?」
「うん」
「俺はアストリア人ですよ!」
エドは首を傾げた。
「だから?」
男は言葉を失った。
エドは二人を連れて歩き出した。
市場の人間が、その背中を見る。
誰かが小さく言った。
「あの騎士、外国人じゃなかったか?」
別の誰かが答えた。
「そうだっけ?」
「元奴隷だろ」
「騎士だろ?」
「全部じゃないのか?」
誰も答えを知らなかった。
◇
その夜。
エドは部屋へ戻った。
机の上。
国籍取得申請書が置いてある。
椅子に座る。
しばらく見る。
ペンを取った。
名前。
エド。
出生地。
故国の村。
家族。
書く。
滞在年数。
書く。
職業。
少しだけ笑った。
騎士。
最後。
申請理由。
手が止まった。
仕事があるから。
最初に思いついた。
だが。
それだけでもない気がした。
考える。
長く考える。
結局。
何も書かなかった。
翌朝。
申請書を持って役所へ行った。
窓口の役人が確認する。
「申請理由が空欄ですが」
「必要ですか?」
「必須ではありません」
「じゃあ、そのままで」
「分かりました」
役人が受け取る。
それだけだった。
エドは役所を出た。
昨日までと同じ道。
同じ王都。
同じ空。
何も変わらない。
まだ審査も終わっていない。
それでも少しだけ、不思議な気分だった。
三年前。
鎖をつけられて、この国へ入った。
一年前。
自由になって、この国を出た。
そして。
自分の足で戻ってきた。
今度は。
自分で、この国の人間になろうとしている。
誰にも買われず。
誰にも命じられず。
誰にも連れてこられず。
エドは振り返った。
役所の建物を見る。
そして笑った。
「やっぱり変な国だな」
今度も。
帰ろうとは思わなかった。




