愚王、犯罪者を雇う
ノアは、三日前まで罪人だった。
正確に言えば、三日前に刑期を終えた。
罪状は文書偽造。
借用証書、通行証、倉庫の受領証、商人同士の契約書。
金になる紙なら、だいたい何でも作った。
紙を選び、古い紙なら日に晒し、墨の濃さを合わせ、印章を彫る。
依頼人が本物を一枚持ってくれば、翌日には二枚になった。
腕は良かった。
だから捕まった。
偽物があまりに本物らしく、長く使われすぎたのである。
結果として被害額も増えた。
裁判ではしっかり有罪。
刑もきっちり受けた。
そして三日前。
ノアは刑務所の門から放り出された。
「自由だ」
そう思った。
三日で間違いだと分かった。
◇
「帰れ」
五軒目だった。
「荷運びでいいんです」
「駄目だ」
「読み書きもできます」
「知ってるよ。だから駄目なんだ」
店主が嫌そうにノアを見る。
「うちの帳簿に触られたらたまらん」
「触りませんよ」
「偽造屋が言ってもな」
扉を閉められた。
六軒目。
「犯罪者はちょっと」
七軒目。
「悪いが他を当たってくれ」
八軒目。
「お前、字が書けるんだろ?」
「はい」
「じゃあ余計に嫌だ」
どうやら読み書きができない方が仕事を見つけやすかったらしい。
皮肉な話だった。
夕方。
ノアは安宿の寝台に寝転がり、天井を見ていた。
残った金を数える。
あと四日。
食事を一日一回にすれば七日。
十日は無理だ。
「……また作るか」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
紙ならある。
墨も買える。
印章を彫る道具だけなら、昔の知り合いを頼れば借りられるだろう。
一枚作れば食える。
二枚作れば宿代になる。
三枚作れば。
そこで扉が叩かれた。
「ノアという男はいるか」
「……いません」
「王宮からだ」
ノアは起き上がった。
「今、死にました」
扉が開いた。
衛兵が二人立っていた。
「来い」
「刑期は終わったはずですが」
「知っている」
「じゃあ何で」
「王命だ」
ノアは天井を見上げた。
自由になって三日。
ずいぶん短い自由だった。
◇
王宮へ連れてこられたノアは、妙な部屋に通された。
牢でもない。
取調室でもない。
大きな机。
椅子。
窓。
そして机の向こうには、若い男が座っていた。
王だった。
その隣には宰相。
少し離れて財務卿。
さらに役人が数名。
机の上には一枚の紙が置かれていた。
ノアは見覚えがあった。
ものすごくあった。
「これを作ったのは其方か?」
王が聞いた。
「……違います」
「そうなのか?」
「はい」
王は紙を裏返した。
そこには裁判記録があった。
「其方が作ったと書いてあるぞ」
「俺です」
宰相が額を押さえた。
王は紙を持ち上げた。
「上手いのう」
ノアは黙った。
何を言われているのか分からない。
「これ、本物と見分けがつかぬらしいぞ」
「まあ……それで食ってましたから」
「すごいではないか」
「陛下」
宰相が低い声を出した。
王は気にせず続ける。
「どのくらいで作れる?」
「物によります」
「これは?」
ノアは紙を見る。
昔作った倉庫の受領証だった。
「本物があれば半日」
「印章も?」
「込みで」
「ほう」
王が感心している。
怖い。
ものすごく怖い。
怒鳴られるより怖い。
財務卿が机に別の紙を置いた。
「陛下。本題を」
「そうじゃった」
王がもう一枚の書類をノアへ差し出した。
「見よ」
ノアは恐る恐る受け取った。
商業組合が発行した証書だった。
ざっと見る。
紙。
墨。
署名。
印。
「偽物です」
部屋が静かになった。
財務卿が身を乗り出す。
「分かるのか?」
「はい」
「どこだ」
「印です」
「印?」
「本物を見せてもらえます?」
役人が本物を持ってきた。
二枚並べる。
ほとんど同じだった。
ノアは印章の端を指した。
「ここ」
誰も分からない。
「何が違う?」
「線が一本多い」
財務卿が目を凝らす。
「……どこだ?」
「ここです」
「分からん」
「でしょうね」
「おい」
ノアは慌てて頭を下げた。
「すみません」
王が笑った。
「では、これは?」
別の証書。
「本物」
もう一枚。
「偽物」
もう一枚。
「これも偽物」
「これは?」
「本物です」
役人たちが確認する。
全部合っていた。
王が嬉しそうに頷いた。
「使えるではないか」
「はい?」
「働け」
ノアは王を見た。
宰相も王を見た。
財務卿まで王を見た。
「……どこでです?」
「ここ」
王が机を指した。
「王宮で?」
「うむ」
「何を?」
「偽物を見つける」
ノアはしばらく考えた。
「俺、犯罪者ですよ」
「知っておる」
「文書を偽造して捕まったんですよ」
「それも知っておる」
「金も騙し取りました」
「記録に書いてある」
「じゃあ何で雇うんです?」
王が首を傾げた。
「偽物が分かるからじゃ」
「…………」
あまりにも単純だった。
ノアは助けを求めるように宰相を見る。
宰相はもっと困った顔をしていた。
「陛下」
「なんじゃ?」
「反対です」
「そうか」
「元犯罪者を王宮へ入れるなど、前例がありません」
「では最初になるのう」
「そういう意味ではございません」
「ではどういう意味じゃ?」
宰相は一度、ノアを見た。
「この男の能力を否定しているわけではありません」
ノアには、それだけでも少し意外だった。
「しかし、罪を犯した者を国家が登用するとなれば、被害者はどう思うでしょう」
王がノアを見る。
「被害者は其方を許したのか?」
「……いいえ」
「許してほしいか?」
ノアは少し考えた。
「そりゃ、まあ」
「なぜじゃ?」
「なぜって……」
「許さぬと言われたら?」
ノアは答えられなかった。
王は宰相へ視線を戻した。
「別に許さなくてよいではないか」
「陛下」
「其方、被害者にこやつを許せと命じるつもりなのか?」
「そのようなことは申し上げておりません」
「ならよいではないか」
宰相が黙る。
王はノアを指した。
「こやつは刑を受けた」
「はい」
「刑は終わった」
「はい」
「被害者はこやつを嫌ってよい」
「……はい」
「こやつも働いてよい」
宰相が眉を寄せる。
「それでは民が納得しません」
「そうなのか?」
「当然です」
「では」
王は少し考えた。
そして、実に簡単な解決策を思いついたような顔をした。
「別に言わなければよかろう」
「陛下!」
財務卿が吹き出した。
慌てて咳をする。
宰相はこめかみを押さえた。
「王宮が隠し事をしてどうするのです」
「聞かれたら答えればよい」
「今、言わなければよいと!」
「わざわざ町中を歩いて、『今日から元犯罪者を雇いました』と触れ回る必要があるのか?」
「それは……」
「其方は新しく役人を雇うたびに町で発表しておるのか?」
「しておりません」
「なら同じではないか」
宰相が言葉を失った。
ノアは少しだけ、この王が愚王と呼ばれている理由を理解した。
理屈がおかしい。
いや。
おかしくない。
おかしくないから困るのだ。
「しかし」
宰相はまだ諦めない。
「再び罪を犯したらどうなさるのです」
王はノアを見た。
「捕まえる」
「……それだけですか?」
「他に何をするのじゃ?」
「信用できるのですか」
「知らぬ」
即答だった。
ノアまで驚いた。
王は机の上の偽造証書を指で叩いた。
「じゃが、こやつがこれを見分けられることは分かった」
もう一枚を叩く。
「これも」
さらに一枚。
「これも」
そしてノアを見る。
「其方、働くか?」
ノアは答えられなかった。
三日前。
刑務所を出た。
八軒に断られた。
あと四日で金が尽きる。
昨夜は、また偽造を始めることを考えた。
「……給料は?」
王が財務卿を見た。
「いくらじゃ?」
「そこからですか!?」
財務卿が叫んだ。
◇
翌朝。
ノアは王宮の片隅に机を与えられた。
机の上には、各地から集められた証書が山になっていた。
横には役人。
正面には監視役の衛兵。
信用されているのか、されていないのか分からない待遇だった。
一枚目を手に取る。
偽物。
二枚目。
本物。
三枚目。
偽物。
仕事は簡単だった。
少なくとも、自分で偽物を作るよりは。
昼頃。
役人が恐る恐る尋ねた。
「なあ」
「なんです?」
「お前、本当に偽造犯だったのか?」
ノアは証書から目を上げない。
「元です」
「同じだろ」
ノアの手が止まった。
少し考える。
三日前なら、自分でもそう思っていた。
罪人。
偽造屋。
犯罪者。
どれも間違ってはいない。
だが。
ノアは目の前の証書に印をつけた。
『偽造』
そして次の一枚を取る。
「今は役人ですよ」
言ってから、自分で笑った。
ずいぶん妙な国に来てしまった。
もっとも。
生まれた時から、この国にいるのだけれど。




