神に仕える者
セラム村の教会には、朝から人が集まっていた。
祈りの日ではない。
祭りでもない。
仕事の募集だった。
「街道整備、あと十二人!」
教会の前で男が叫ぶ。
「石を運べる者! 日当は昨日と同じだ!」
何人かが手を上げた。
「縫い物ができる者は?」
今度は女たち。
「食堂の手伝い二人!」
「私、できます!」
「字を書ける者!」
誰も手を上げない。
「……本当に一人もいないのか?」
皆が目を逸らした。
「エルナ!」
遠くからレオンの声が飛んできた。
「嫌です!」
「まだ何も言ってない!」
「どうせ帳簿でしょう!」
「分かってるなら来い!」
最近。
教会の前は、祈る場所なのか、仕事を探す場所なのか。
よく分からなくなっていた。
司祭は最初こそ困った顔をしていたが。
今では諦めている。
「神よ」
朝の祈りを終える。
外から聞こえる。
「荷車はそっちじゃない!」
司祭は目を閉じた。
「……今日も賑やかです」
◇
その日の昼。
王都から教会の一団が到着した。
セラムの小さな教会とは違う。
立派な法衣。
磨かれた聖印。
護衛までいる。
村人たちは道を空けた。
先頭の聖職者が教会へ入る。
「司祭」
「これはこれは」
司祭が深く頭を下げた。
エルナも慌てて続く。
「復興は順調と聞いております」
「神の御加護により」
「素晴らしい」
男は満足そうに頷いた。
「王都でも、この地の救済について注目が集まっております」
「ありがたいことです」
「それで」
男は教会の外を見る。
そこには。
教会の信徒たちがいた。
炊き出し。
病人の世話。
子供の相手。
洗濯。
掃除。
これまでと同じ。
皆。
無償だった。
「人手が必要でしょう」
「はい」
「王都からも信徒を募りましょう」
エルナは顔を上げた。
「本当ですか?」
「もちろんです」
男は微笑む。
「神に仕える喜びを、より多くの者へ」
「それは助かります」
司祭も笑った。
「食事と寝床はこちらで用意いたします」
「それで十分でしょう」
話は簡単にまとまった。
そのはずだった。
◇
「何人来る?」
レオンが聞いた。
「三十人ほどだそうです」
「何ができる?」
「まだ分かりません」
「分かったら教えろ」
「教会のお手伝いに来る方々ですよ」
「知ってる」
「レオン様のところで働くわけではありません」
「知ってる」
「ではなぜ」
「人が三十人増えるんだぞ」
レオンは帳簿を開く。
「飯が要る」
「教会が用意します」
「どこから買う?」
「あ」
「寝る場所も要る」
「教会で」
「三十人寝られるのか?」
「……無理ですね」
「水も使う」
「あ」
「薪も使う」
「はい」
「洗濯も増える」
「はい」
「それから」
「もういいです」
エルナは頭を抱えた。
「人が来るだけで、お金が動くのですね」
「生きてるからな」
当たり前のことを言われた。
「でも」
エルナは少し嬉しかった。
「三十人も来てくだされば、もっと多くの人を助けられます」
「そうだな」
珍しく。
レオンも素直に頷いた。
◇
三日後。
三十二人の信徒が来た。
若い者。
老人。
夫婦。
職人。
農民。
商人の妻。
様々だった。
皆。
自ら志願した者たちだった。
「神のお役に立てるなら」
そう言って笑う。
エルナは嬉しかった。
教会の力とは。
建物でも。
土地でも。
金でもない。
こういう人たちなのだと思った。
頼まれなくても。
命じられなくても。
誰かのために来る。
それは。
商人にはできないことだ。
そう思った。
少なくとも。
その日の昼までは。
◇
「あなた、大工なんですか?」
エルナが聞いた。
「はい」
四十代ほどの男だった。
王都で家具職人をしているという。
「では、こちらをお願いします」
壊れた家の修繕。
老人の家だった。
男は笑顔で頷く。
「神のためです」
「ありがとうございます」
その隣。
若い女性は料理人だった。
炊き出しへ。
別の男は荷運び。
別の女性は子供の世話が得意だった。
皆。
自分のできることをしている。
エルナは胸が温かくなった。
やはり。
人は利益だけでは動かない。
レオンに見せてやりたいと思った。
ちょうど。
本人が来た。
「エルナ」
「何ですか」
「その男」
家具職人を指す。
「はい?」
「大工か?」
「家具職人だそうです」
レオンの目が光った。
エルナは嫌な予感がした。
「何を直してる?」
「家です」
「いくらで?」
「え?」
「賃金」
「いただいていません」
レオンが止まった。
「なんで?」
エルナは少し得意げに言った。
「神のために来てくださったからです」
レオンは男を見る。
「本当か?」
「はい」
家具職人は笑った。
「神にお仕えできるなら、金など」
「いらない?」
「はい」
レオンはしばらく黙った。
エルナは少しだけ勝った気がした。
いつも金。
利益。
商売。
そんなものがなくても。
人は動く。
「……すごいな」
レオンが言った。
エルナは微笑んだ。
「でしょう?」
「うちにも欲しい」
「駄目です」
即答した。
「まだ何も言ってない」
「顔に書いてあります」
「橋の本工事に職人が足りない」
「駄目です」
「なんでだ」
「この方は神のために」
「橋を直すのも人助けだろ」
「そうですけど」
「なら神のためじゃないか」
エルナが止まった。
レオンは家具職人を見る。
「どうだ?」
男は少し考えた。
「橋ですか?」
「ああ」
「村の方が使うのですよね」
「もちろん」
「なら」
男は笑った。
「喜んで」
エルナは口を開けた。
「待ってください」
「なんだ?」
「何か違います」
「何が」
分からない。
だが。
何か違う。
「その方は教会のお手伝いに」
「村を助けに来たんじゃないのか?」
「それは」
家具職人が笑った。
「私は構いませんよ」
「でも」
「橋があれば、多くの人が助かるのでしょう?」
「……はい」
「なら、同じです」
エルナは黙った。
レオンは満足そうに頷く。
「決まりだ」
「ちょっと待ってください」
「まだ何かあるのか?」
「せめて、お給金を払ってください」
レオンが目を瞬いた。
「本人がいらないと言ってるぞ」
「駄目です」
「なぜだ」
「……分かりません!」
自分でも。
何を言っているのか分からなかった。
◇
その夜。
エルナは司祭に相談した。
「おかしいでしょうか」
「何がだ」
「信徒の方が、無償で橋を作ることです」
「神への奉仕であれば、おかしくはないだろう」
「ですよね」
「教会でも無償で働いてもらっている」
「はい」
「なら同じではないか?」
「……ですよね」
エルナは黙る。
「では何が気になる?」
司祭に聞かれた。
「レオン様が得をするからでしょうか」
「教会は得をしていないのか?」
エルナが顔を上げた。
司祭は自分で言ってから。
少し困った顔をした。
「……難しいな」
「司祭様でしょう?」
「最近それを言われるのが嫌になってきた」
エルナは笑った。
司祭は椅子に座る。
「信徒が、自ら望んで奉仕する」
「はい」
「それを止める理由はない」
「はい」
「だが」
少し考える。
「誰かが、それを当然だと思い始めたら」
エルナを見る。
「話は変わるのかもしれんな」
「当然?」
「神のためなのだから、金はいらないだろう、と」
エルナは昼間を思い出した。
家具職人は。
自分で言った。
金はいらない。
誰にも命じられていない。
なら。
何も問題はない。
はずだった。
「本人が望んでいるなら、いいのでは?」
「私もそう思う」
司祭は答えた。
「だから難しい」
◇
翌日。
家具職人は橋へ行った。
無償で。
その隣では。
王都から来た別の大工が働いていた。
有償で。
同じ木材を運び。
同じ柱を削り。
同じ橋を作る。
昼休み。
二人は並んで飯を食べていた。
「王都の人か?」
有償の大工が聞く。
「そうだ」
「奇遇だな。俺もだ」
「どこで?」
「南区だ」
「近いな」
話が弾む。
やがて。
家具職人が聞いた。
「日当はいくらなんだ?」
大工が答える。
家具職人の手が止まった。
「……そんなにもらえるのか?」
「危険手当込みだ」
「そうか」
「お前は?」
「私は……」
少し誇らしげに。
「神への奉仕で来ている」
「ああ、教会の人か」
「信徒だ」
「じゃあ、いくら?」
「いや」
笑う。
「いただいていない」
今度は。
大工の手が止まった。
「……なんで?」
「神のためだからだ」
「そうか」
大工はパンを齧った。
しばらく。
二人とも黙って食べた。
「なあ」
「なんだ?」
「同じ橋だよな?」
「そうだな」
「俺もこの村のために作ってる」
「そうだな」
「でも俺は金をもらってる」
「……そうだな」
また。
沈黙。
家具職人は。
自分の手を見た。
同じ手。
同じ仕事。
同じ橋。
違うのは。
理由だけだった。
◇
夕方。
「レオン様」
エルナが来た。
「なんだ」
「橋で働いている信徒の方々にも、お給金を払ってください」
レオンは帳簿から顔を上げた。
「本人たちは?」
「いらないと」
「なら払わなくていいだろ」
「駄目です」
「昨日と話が違うぞ」
「一晩考えました」
「それで?」
「分かりません」
「何がだ」
「分からないからです」
レオンは眉を寄せた。
エルナは続ける。
「本当にいらない方もいます」
「いるな」
「神のために、無償で働きたい方もいます」
「いる」
「それを止めたくありません」
「なら何が問題なんだ」
「でも」
エルナは少し考えた。
「神のために来た人だから、無料で使っていい」
レオンを見る。
「それは、違う気がします」
レオンは黙った。
「本人が、自分でいらないと言うのと」
言葉を探す。
「最初から、払わなくていい人として数えるのは」
ようやく。
「違います」
レオンはしばらくエルナを見ていた。
「なるほど」
帳簿を閉じる。
「じゃあ聞けばいい」
「え?」
「一人ずつ」
レオンは立ち上がった。
「金が欲しいか」
「そんな聞き方でいいんですか?」
「他にあるか?」
「もう少し……こう」
「神のために無給で働きたいですか、それとも金が欲しいですか?」
「悪化しました」
「面倒だな」
「大事なことです!」
「ならお前が聞け」
「え?」
「教会の人間だろ」
エルナが止まる。
「私が?」
「俺が聞いたら金を払いたくない商人に見える」
「実際そうでしょう」
「そうだ」
認めた。
「だからお前が聞け」
エルナは呆れた。
だが。
少し笑った。
「分かりました」
◇
三十二人。
エルナは全員に聞いた。
答えは。
ばらばらだった。
「いりません。私は神のために来ました」
そう言う者。
「いただけるなら……少し」
そう言う者。
「家族に送ってもいいのでしょうか」
そう聞く者。
「食事だけで十分です」
そう笑う者。
「本当に給金が出るんですか?」
驚く者。
そして。
家具職人は。
しばらく悩んだ。
「……いただいても、よいのでしょうか」
エルナは答えた。
「私も、いただいています」
男が驚いた。
「あなたも?」
「はい」
エルナは少し恥ずかしかった。
「それでも私は」
胸元の聖印を握る。
「神に仕えているつもりです」
家具職人は。
ゆっくり笑った。
「では」
少しだけ頭を下げた。
「私も、いただきます」
◇
夕方。
集計した紙を。
エルナはレオンへ渡した。
「十一人は無給を希望しています」
「そうか」
「十四人は給金を希望」
「うん」
「七人は食費と寝床だけでよいと」
「分かった」
レオンはその通り帳簿へ書く。
「……何も言わないんですね」
「何をだ?」
「全員に給金を払うとか」
「いらない奴に?」
「はい」
「なんで?」
「逆に、全員無給にするとか」
「欲しい奴がいるのに?」
「……そうですね」
レオンは不思議そうな顔をした。
「本人が決めたんだろ?」
エルナは黙った。
「はい」
「なら、それでいいじゃないか」
紙を帳簿に挟む。
「変なの」
エルナが呟いた。
「何が」
「レオン様って」
「うん」
「時々、すごくまともなことを言いますね」
「時々は余計だ」
「褒めています」
「褒め方を覚えろ」
エルナは笑った。
その向こうでは。
橋を作る音がしていた。
金のために働く者。
神のために働く者。
家族のために働く者。
ただ暇だから来た者。
同じ場所で。
同じ橋を作っている。
理由は。
最後まで。
一つにはならなかった。
それでも。
橋は少しずつ。
向こう岸へ伸びていた。




