↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愚王と呼ばれておりますが、だいたい予定通りです  作者: 綾城式部
第二章 神を恐れぬ愚王

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/36

神と商人

橋が繋がった。


まだ仮橋だった。


太い丸太を組み、板を渡し、両側へ簡素な柵をつけただけのものだ。


それでも。


荷馬車が一台。


ゆっくりと橋を渡った。


ぎしり。


ぎしり。


村人たちが息を止める。


馬が一歩進むたび、橋が低く鳴った。


そして。


向こう岸へ着いた。


「おお……」


誰かが声を漏らした。


次の瞬間。


歓声が上がった。


子供たちが走る。


男たちが笑う。


女たちは手を叩いた。


石工と大工は互いの肩を叩き、材木商は橋ではなく、その上を通る荷馬車を見ていた。


教会の者たちは胸元で聖印を切る。


「神よ、感謝いたします」


エルナも祈った。


その隣で。


「よし」


レオンが帳簿を開いた。


「次だ」


エルナは祈りの途中で顔を上げた。


「少しくらい喜んでは?」


「喜んでる」


「そうは見えません」


「予定より二日遅れだ」


「橋が架かったのですよ?」


「仮橋だ。本橋じゃない」


「でも」


「それに道がまだ死んでる」


レオンは橋の先を指した。


雨で崩れた街道。


荷馬車一台がようやく通れる。


深い轍。


ぬかるみ。


「橋だけあっても仕方ない」


「厳しいですね」


「商売だからな」


その言葉にも。


エルナは少し慣れてきていた。


◇


「エルナ!」


呼ばれた。


今度は走らなかった。


「なんですか」


「北側の家、人数が合わん」


レオンの部下が帳面を持っている。


「どこです?」


「粉挽き小屋の裏だ。記録では五人。昨日は七人いた」


「ああ」


エルナは帳面を覗いた。


「姉夫婦が戻ってきたんです。街道が壊れてから隣町にいたのですが」


「戻った?」


「仕事があると聞いて」


男は帳面を書き直した。


「二人とも働けるか?」


「ご主人は荷運びができます。奥様は縫い物が上手です」


「よし」


もう一つ書く。


「西の端の家。老人が一人」


「足が悪いです」


「働けない?」


「畑仕事は無理です。でも籠を編めます」


「籠?」


「はい」


男が顔を上げる。


「どのくらい?」


「速いですよ」


「売れるか?」


「知りません」


「見に行く」


エルナは思わず笑った。


「何がおかしい」


「いえ」


十日前まで。


村人について聞かれることといえば。


誰が病気か。


誰が飢えているか。


誰に食糧が必要か。


誰に薬が必要か。


そればかりだった。


今は違う。


何ができる。


何を知っている。


誰と暮らしている。


何を作れる。


商人たちは、同じ村人を。


まるで別の生き物を見るように見ていた。


いや。


違う。


同じ人間の。


別の部分を見ている。


「エルナ」


「はい?」


「ぼうっとするな。次だ」


「はいはい」


「返事は一回」


「はい」


「……お前、教会でもそんな感じなのか?」


「神はレオン様より寛大ですから」


「便利だな、神」


「罰が当たりますよ」


「そのとき考える」


前にも聞いた。


エルナは笑った。


◇


昼。


教会の前では、いつもの炊き出しが始まっていた。


大鍋から湯気が上がる。


エルナも手伝おうとした。


「エルナ」


司祭だった。


「こちらはいい」


「でも」


「仕事があるのだろう?」


「ですが、こちらも私の仕事です」


司祭は笑った。


「三年間、一人でやっていたわけではない」


見る。


以前は炊き出しに並んでいた女が、鍋を混ぜている。


その隣には若い男。


橋の工事で日当を得るようになった家の息子だった。


「手伝ってくれるそうだ」


「どうして?」


「母親が世話になったから、と」


エルナは何も言わなかった。


列も。


少し短くなっている。


「行ってきなさい」


司祭が言った。


「はい」


エルナは頭を下げた。


少し歩いて。


振り返る。


「司祭様」


「なんだ?」


「私、お給金をいただいています」


「知っている」


「それでも、神に仕えていると言えるのでしょうか」


司祭は困った顔をした。


「難しいことを聞くな」


「司祭様でしょう?」


「司祭だから何でも知っていると思うな」


エルナは少し笑った。


司祭は大鍋を見た。


「では、私からも聞こう」


「はい」


「今日、お前は何人助けた?」


エルナは考えた。


朝。


足の悪い老人を籠商人へ紹介した。


病人のいる家へ薬を届ける手配をした。


孤児のうち年長の三人を、食堂の手伝いとして紹介した。


妊婦のいる家には、荷運びの仕事を回さないよう伝えた。


「……分かりません」


「私もだ」


司祭は笑った。


「なら神に数えていただこう」


「そんなのでいいんですか?」


「神は全知全能なのだろう?」


「司祭様がそれを言いますか」


二人で笑った。


「行きなさい」


「はい」


今度は。


振り返らなかった。


◇


「駄目だ」


レオンが言った。


「なぜだ!」


王都から来た商人が怒鳴った。


「俺が金を出して倉庫を建てる! 何が悪い!」


「場所が悪い」


「橋のすぐ近くだぞ!」


「だから悪い」


レオンは地図を叩く。


「そこは荷車の待機場所にする」


「空いてる土地だろうが!」


「今はな」


「なら俺が買う!」


「駄目だ」


「お前は王か!」


「王ならもっと話が通じない」


周囲から笑いが起きた。


エルナは少し離れて見ていた。


最近。


商人が増えた。


橋が通ったという話を聞きつけ。


王都だけではない。


近隣の町からも来ている。


まだ市場もない。


宿もない。


まともな道すらない。


それでも。


人が来る。


「パン屋を出したい?」


エルナのところにも一人来た。


「はい」


若い夫婦だった。


「王都じゃ店を持てなくて」


夫が言う。


「土地が高いんです」


妻が続ける。


「ここなら安いって聞いて」


「誰からです?」


「材木屋さんです」


エルナは嫌な予感がした。


「何か条件を言われませんでした?」


「木材は自分のところから買えって」


やっぱり。


「それと」


妻が笑った。


「村にはパン屋がないから、絶対売れるって」


確かに。


今まで村には、共同の窯しかなかった。


「司祭様に聞いてみます」


「教会の許可が必要なんですか?」


「いえ」


エルナは止まった。


そうだった。


必要ない。


「……場所について、商人の方に確認します」


「はい」


夫婦は嬉しそうに頭を下げた。


歩いていく。


エルナはその背中を見る。


人が来る。


食べ物を持ってではなく。


住むために。


働くために。


商売をするために。


ほんの少し前まで。


出ていく人しかいなかった村に。


◇


問題も増えた。


「教会の井戸なのです!」


聖職者が声を荒らげた。


「正確には、教会が管理している井戸です」


レオンが答える。


「同じことです!」


「違う」


「代々、我々が維持してきた!」


「知ってる」


「ならばなぜ商人の荷馬車に使わせるのです!」


「水が要るからだ」


「そういう話ではありません!」


エルナは二人の間に立っていた。


逃げたい。


非常に逃げたい。


問題は。


教会裏の井戸だった。


村で最も水量が多く、質もいい。


これまで教会が維持し。


村人へ無償で開放してきた。


そこへ。


増えた商人と職人が水を汲みに来るようになった。


馬にも飲ませる。


当然、水の使用量が増えた。


「壊れたら誰が直すのです!」


聖職者が言った。


「それなら話が早い」


レオンが帳簿を出した。


「使った商人から金を取る」


「金を?」


「維持費だ」


「神の井戸で金を取ると?」


「教会が取れ」


聖職者が止まった。


「……我々が?」


「今まで教会が維持してきたんだろ?」


「そうです」


「なら維持費が要るだろ」


「それは献金から」


「使う奴が増えたんだ。そいつらにも払わせればいい」


「しかし」


「村人からは取らなくていい」


レオンは簡単に言った。


「商売で使う連中からだけ取れ」


聖職者が黙る。


エルナも考える。


「それなら」


口を挟んだ。


二人が見る。


「井戸を、もっと良くできませんか?」


「良く?」


「今は一度に二人しか汲めません。荷馬車の方が来ると、村の方が待っています」


レオンが井戸を見る。


「拡張できるか?」


近くにいた石工を呼ぶ。


「できる」


「いくらだ」


「これくらい」


「高い」


「なら自分で掘れ」


「分かった。払う」


「払うのかよ」


エルナは吹き出した。


レオンが睨む。


「何だ」


「いえ」


教会の井戸。


商人が使う。


商人が金を払う。


その金で井戸が良くなる。


村人は今まで通り使う。


誰かが奪ったわけではない。


誰かが負けたわけでもない。


なのに。


昨日までとは。


何かが違う。


◇


夕方。


エルナは新しい帳簿を整理していた。


村人の名前。


仕事。


賃金。


必要な支援。


病気。


家族。


そして。


商人から依頼された仕事。


その横には。


教会の救済記録。


二つの帳簿を並べる。


同じ名前が、何度も出てくる。


炊き出しを受けていた男。


橋の工事。


薬を受け取った女。


縫製の仕事。


孤児。


食堂の手伝い。


老人。


籠の納品。


「……変なの」


エルナが呟いた。


「何がだ」


いつの間にかレオンがいた。


「驚かせないでください」


「声をかけた」


「聞こえませんでした」


レオンが帳簿を見る。


「何が変なんだ?」


エルナは二冊を見せた。


「こっちは、教会の帳簿です」


「うん」


「助けた人が書いてあります」


「うん」


「こっちは、商人の帳簿です」


「俺のだな」


「働いた人が書いてあります」


「そうだな」


エルナは同じ名前を指した。


「同じ人なんです」


レオンは首を傾げた。


「当たり前だろ」


「当たり前ですか?」


「腹が減ってる奴だって働くだろ」


「病気だった人も」


「治ればな」


「助けられる人と、働く人は別だと思っていました」


レオンはしばらく黙った。


「商人はな」


椅子へ座る。


「人を助けたいわけじゃない」


「知っています」


「何度も言うな」


「何度も仰るので」


レオンは咳払いした。


「俺たちが欲しいのは客と働き手だ」


「はい」


「死にかけの奴は、どっちにもならん」


「酷い言い方ですね」


「事実だ」


エルナは少しむっとした。


だが。


レオンは続けた。


「だから、死なれたら困る」


エルナが顔を上げた。


「飯を食って」


指を一本。


「元気になって」


二本。


「働いて」


三本。


「金を使ってもらう」


四本。


「そうすりゃ俺たちが儲かる」


「結局そこですか」


「当然だ」


レオンは笑った。


「だから、お前らとは仲良くできる」


「どうしてです?」


「お前らは死にそうな奴を助ける」


教会の帳簿を指す。


「俺たちは元気になった奴に働いてもらう」


商人の帳簿を指す。


「それでまた金が回る」


二冊を。


指で寄せる。


「相性いいじゃないか」


エルナは帳簿を見た。


何か。


とても大切なことを言われた気がした。


だが。


言った本人は。


もう別の帳簿を開いている。


「そうだ。明日からお前の給金を上げる」


「え?」


「仕事が増えた」


「待ってください」


「なんだ」


「私、まだ今のお給金にも慣れていないんです」


「知らん」


「もう少し慎ましく」


「嫌だ」


「なぜです!」


「辞められたら困る」


あまりにも即答だった。


「私は辞めません!」


「なら問題ない」


「そういう問題では」


「働いた分は払う」


レオンは帳簿に数字を書いた。


「俺は神様ほど気前がよくないからな」


「どういう意味です?」


「神様は無給でも人が働いてくれるんだろ?」


エルナの眉がぴくりと動いた。


「……レオン様」


「なんだ」


「それ、教会の偉い方の前では言わない方がいいですよ」


「なぜだ」


「たぶん怒られます」


「事実なのに?」


「事実でもです」


「面倒だな」


「世の中には、言ってはいけないことがあるんです」


「商売じゃ、言わないと金を取られるぞ」


「教会では、言うと怒られます」


「やっぱり相性悪いかもしれんな」


エルナは笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。