業火
王は、一人で盤上遊戯をしていた。
向かいの席には誰もいない。
白い駒を動かす。
反対側へ回り、今度は黒い駒を動かす。
それを見ていた宰相が、とうとう口を開いた。
「……陛下」
「なんじゃ」
「何をなさっているのですか」
「見れば分かるであろう。遊んでおる」
「お相手は?」
「我じゃ」
「……」
「我が両方やっておる」
「それでは勝敗にならないのでは?」
王は不思議そうな顔をした。
「我が勝つから問題ない」
宰相は額を押さえた。
二十四歳。
即位から三年半。
「陛下。報告がございます」
「負けそうだから後にせぬか?」
「どちらも陛下です」
「だから困っておる」
宰相は無視して書類を開いた。
「人口統計がまとまりました」
王は白い駒を摘んだまま答えた。
「聞こう」
「登録人口は、三年前と比較して十二パーセント増加しております」
「ほう」
「北部街道の労働力不足はほぼ解消。西部農地の開墾も予定を上回りました」
紙をめくる。
「南部鉱山の産出量は二・三倍」
王の手が止まった。
「銀は?」
「増えております」
「そうか」
王は満足そうに頷き、駒を置いた。
「人買いを通じて入国した者についても、八割以上が何らかの職に就いております。未成年者の多くは教育を受けています」
農業。
建設。
鉱山。
織物。
商業。
軍。
職を変えた者もいる。
故郷へ送金する者もいる。
一方で、アストリアを離れた者もいた。
「約六パーセントが国外へ出ています」
「そうか」
「止めませんか?」
「なぜじゃ?」
「国費で買った者です」
「もう買ったであろう」
「はい」
「なら終わりじゃ」
宰相は黙った。
三年前。
この王が初めて、
『人が足りぬ。なら買えばよい』
と言った日のことを覚えている。
あの日、誰もが耳を疑った。
国費を人買いへ渡し、人間を買う。
それだけでも正気ではない。
買った人間に食事を与える。
住居を与える。
治療する。
子供なら教育する。
そのうえ賃金まで払う。
逃げても追わない。
国庫から金だけが消えていく。
そう思っていた。
三年が経った。
人が増えた。
畑が増えた。
鉱山が動いた。
街道を荷馬車が行き交うようになった。
そして。
人買いも増えた。
外務卿が別の書類を置いた。
「周辺国から報告があります」
「今度はなんじゃ」
「人身売買についてです」
宰相が目を向ける。
「アストリアへ人間を連れてくる業者は、三年前より増加しています」
「よいことではないか」
「普通はそう申しません」
「儲かっておるのであろう?」
「かなり」
王は笑った。
「ならよい」
外務卿は続けた。
「ですが奇妙なことがあります」
誘拐。
街道での拉致。
村からの失踪。
そうした事件が、減っている。
「最近では、人買いではなく『移住仲介人』と呼ぶ地域まであるそうです」
「人買いでよかろう」
「本人たちが嫌がっています」
「贅沢な奴らじゃな」
宰相が口を挟んだ。
「陛下」
「なんじゃ」
「こうなることを、最初から?」
王が宰相を見る。
「何がじゃ?」
「人買いが、人を攫わなくなることです」
「知らぬ」
即答だった。
「我は人が足りぬから買った。それだけじゃ」
「しかし結果として」
「人買いが勝手に儲け方を変えたのであろう?」
王は黒い駒を動かした。
「攫うより、話をつけて連れてくるほうが楽で儲かるなら、そうする」
「……」
「我は、あやつらに善人になれなどと命じておらん」
王は笑った。
「人間とは賢いのう」
外務卿は、もう一枚の紙を取り出した。
「もう一つあります」
「まだあるのか」
「人買いの間で、妙な噂が広がっています」
王は盤面を見たままだった。
「どのような?」
「人を殺して商品を作る者が、消えるそうです」
部屋が静かになった。
「親を殺して子供を攫った者。村を焼き、難民を作った者。意図的に人を追い込み、売り物を作った者」
外務卿は紙を見る。
「そうした人買いが、この三年間で相次いで死亡、あるいは失踪しています」
「物騒じゃのう」
「一部では、アストリアが関与しているのではないかと」
「証拠は?」
「ありません」
「なら、くだらん」
王は駒を動かした。
「人買いなど恨まれて当然であろう。昔の客に刺されたのかもしれんし、仲間割れかもしれん」
宰相は王を見た。
「陛下」
「なんじゃ」
「何か、ご存じではありませんか?」
「知らぬ」
王は欠伸をした。
「腹が減った」
◇
リナは、門の前で立ち止まった。
三年前にこの国へ連れてこられた男とは違う。
自分は、まだここへ来たばかりだ。
それでも。
あの日から、自分の人生は別のものになってしまった。
隣ではミアが荷物を抱えている。
「じゃあ、私こっちだから」
ミアは織物工房へ。
リナは学校へ。
「またね」
「うん」
道の向こうを、一台の馬車が通った。
リナの足が止まる。
荷台。
幌。
車輪の音。
身体が覚えている。
あの四日間を。
「リナ?」
「……大丈夫」
いなくなったわけではない。
忘れたわけでもない。
父も。
母も。
帰ってこない。
どれだけこの国で食べられるようになっても。
学校へ行けるようになっても。
それだけは変わらない。
エドから聞いた話を思い出した。
最近、人買いたちの間で妙な噂があるらしい。
悪い人買いは、業火に焼かれる。
リナは、その話を信じてはいなかった。
「人買いって、みんな悪いのかな」
以前、ミアに聞いたことがある。
ミアは困った顔をした。
自分を売った母を恨んでいない。
連れてきた男のことも、今ではよく分からないという。
エドも、自分を連れてきた人買いには少し感謝していると言っていた。
リナには分からない。
ただ。
一つだけ分かる。
自分を連れてきた男は違う。
あの男は。
父を殺した。
母を殺した。
それだけは。
何があっても変わらない。
◇
ヴァルム王国西部。
森の中で、一台の馬車が見つかった。
馬はいなかった。
積み荷の一部は残されていた。
金も残っていた。
争った跡は、ほとんどない。
人間だけがいなかった。
御者も。
そして、人買いも。
少し離れた場所に、焼けた跡があった。
焚き火にしては大きく。
山火事にしては小さい。
灰の中から、一枚の金属札が見つかった。
商人が身分証代わりに使う札だった。
そこに刻まれていた印を調べた役人は、一つの記録へ辿り着いた。
アストリア王国へ、十三歳の少女を売った男。
少女の名は。
リナ。
男は、二度と見つからなかった。
◇
その後。
人買いたちの間で、一つの噂が広がった。
誰が言い始めたのかは分からない。
人を普通に売るだけなら。
アストリアの愚王は、笑って金を払う。
だが。
人を殺して売った者は。
業火に焼かれる。
◇
「陛下ぁぁぁぁぁ!」
王宮に財務卿の叫び声が響いた。
王が菓子を落とした。
「なんじゃ!?」
「国債です!」
「国債がどうした」
「また増えております!」
「増やしたからな」
「なぜですか!」
王は首を傾げた。
「鉱山が動いたであろう?」
「動きました!」
「人も増えた」
「増えました!」
「税も増える」
「増えます!」
王は満足そうに頷いた。
「なら、まだ借りられるではないか」
「借金を増やす理由になっておりません!」
「金があるうちに使わねば損じゃろ」
「借りた金です!」
「細かい男じゃな」
「財務卿ですから!」
扉の外で、役人たちが顔を見合わせた。
「……本当に大丈夫なのか、この国」
「数字だけ見れば、大丈夫なんだよ」
「王を見ろよ」
「見たくない」
誰かが、小さく呟いた。
「……愚王め」
王は今日も菓子を食べている。
人を買い。
借金を増やし。
国庫の金をばら撒く。
どうしようもない王。
その夜も。
王は。
笑っていた。
冴えない筆者です。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
あなたもまた、愚王の魅力に取り憑かれてしまいましたか…
私もです…
きっと愚王はまた、何かやらかすでしょう。その時を一緒に待ちしましょう。お菓子でも食べながら。




