4―3 儀
緊迫感と不安感と一緒に、俺は身体からがっくりと力が抜けていくのを感じた。昼飯はいつも食べないが、朝飯を抜いたせいで、空腹が今頃身体に響いてきたのだ。
「琉倭さま? どうされたのですか?」
「お腹、空いた。何でもいいから何か作ってくれ」
七羅は笑う。
「かしこまりました。ですが何でもいいと言われるとそれはそれで困りものです。何が食べたいですか?」
「そうだな……ハンバーグが、いい」
「はい、かしこまりました」
俺の要望に七羅は嬉しそうに返事して立ち上がった。棚に掛けてある割烹着を手に取り、腰にキュッと締めて、身支度を整えている間、俺は一つ呼吸を置いた。伝え忘れていたというよりは伝えにくくて先延ばしにしていたことがあったからだ。
「琉倭さまは煮込みハンバーグ……沙月さまはたしか和風ハンバーグがお好みでしたよね」
思い出すように呟いた七羅が確かめるように振り返ると同時に俺は口を開いた。
「七羅、一つだけ、言っておかなくちゃいけないことがある」
「はい、何でございましょうか?」
「沙月のことだが、色々あって当面の間、目を覚まさない。だからあいつの分は作らなくていい」
「色々とは、具体的にはどういった理由で」
「……詳しくは言えないがこれもまた死神関連だ」
「……。沙月さまは今どちらに」
「美鈴に預けたが、たぶん自室だろう」
それを聞いた七羅は沙月の容態を自分の眼で確かめなくては気が済まなくなったのだろう、焦りと不安が入り混じったような表情を浮かべた。
「心配です」
そう一言だけ。まるで本当の母親のように娘の容態を心配して部屋を出た七羅に続いて俺も沙月の部屋へ向かった。
洋館から和館へ、敷居を跨げば屋敷内は異様な光景が広がっていた。刀童家の者が沙月の部屋を包囲するような構造になっている以上、致し方ないことだが、普段よりもさらに下手に立ち入ることが許されない雰囲気だった。沙月の部屋の障子戸が閉じられている中、彼女の部屋を隣接している刀童家の障子戸はすべて全開になっている。その周りには刀童家の者たちが正装である黒い装束を身に纏いながら般若心経の経文を諳んじていた。
除霊とは霊的な存在を祓い払う行為だ。だが非常に強力な霊的存在に憑りつかれている場合、一度の除霊や祓いでは完全に払拭することはできないと言う。ましてやこれは遺伝子レベルに刻み込まれている根源的な怨念だ。生まれた時から流れている血液のように決して拭うことはできない悪の遺伝子が俺たち兄妹の体には流れている。だからこの経典の唱えはその悪因子の活発化を抑制、鎮静させるための戒めなんだろう。
「七羅、とりあえず今はやめておこう。たぶん、除霊の儀の最中だ」
「……はい」
七羅の肩に手を置いて宥める。
「私、夕食の準備をしてきますね」
「ああ」
七羅は厨房へと姿を消した。彼女が夕食を作っている間、俺は屋敷の居間で除霊の儀が終わるのを待った。それから待つこと三十分。
「琉倭さま、お食事の準備が整いました」
七羅が夕食の準備が完了した旨を伝えてくる。と同時に肩を回しながらお疲れの様子である美鈴が居間にやってきた。どうやら儀式が終わったようだ。
「はあ、相変わらず儀は疲れる疲れる骨が折れる……」
よっこらっしょと胡坐をかいた美鈴は卓袱台に頬杖をついた。
「美鈴さま、お疲れのところ申し訳ないのですが、沙月さまの容態を確認しに行っても構いませんか?」
「いいよ~、行ってら~」
美鈴から了承を得た七羅は俺に軽くお辞儀した後、足早に居間を後にした。




