4―1 鉢合わせ①
昏睡状態になった沙月からは霊気は愚か生気すらも感じない。体温は凍えるほど冷たい。顔色は青ざめている。身体は死んでいるみたいに硬直していてマネキンみたいだ。でも生きていると実感できるのは心臓の鼓動が聞こえるからだろう。どぐんと胸が鳴る。どぐん。ドグン。どぐん。鳴ったのは沙月の心臓か、それとも俺の心臓か。高鳴っているのはどちらの方か。
否、確かめるまでもない。高鳴っているのは俺自身だ。
こちとら早く沙月を館に連れて帰りたいのになんてタイミングで鉢合わせるのだろう。犯行はいつも夜だったろう。時間帯的にもまだ夜じゃない。それとも何か、雲行きが怪しくなって空が夜みたいに暗いから夜だと勘違いして出没してしまったっていうのか。ならお間抜けにも程があるってものだ。
雨が降り出す。抱きかかえていた沙月が雨で濡れないように俺は彼女を抱き寄せるがこうも突拍子に強く降りつけられるとどうしようもない。どうしようもないがどうすることもできない惨状に立ち止まざるを得ない。
側溝に流れていく赤い水。雨水と一緒に流れている血は五メートル先に倒れている遺体から漏れ出したものだった。
それをまた屍姦するみたいに挙動不審なそいつはアパシーな目でナイフを女に振り下ろしている。こちらに気付いていないのか、死んでいるのに何度も何度も突き刺して……いつになったら終わるのか。殺すならせめてそんなつまらなそうな面せずもっと楽しそうにやれよと思うんだが。
「おい」
俺の声に、夢中になって死体を甚振っていた男がのそりと立ち上がった。俺を見た男は真っ赤に彩られたナイフを携えて闊歩する。
「お前が巷で騒がれている連続通り魔事件の犯人か?」
「……」返事はなく俺に静かな殺意を向けてくる。俺もまた殺意を向けた。
視覚情報から得られるものはない。霊気は感じ取れない。こいつはただの人間であり、死魔ではない。あるのは人の悪意に付随する本能だけだ。
面識のない男が俺を目掛けてナイフを振りかざす。その攻撃を躱して男の懐に後ろ蹴りを決めた。
「はあ」
何なんだよ、こいつ。これが街を恐怖に陥れていたシリアルキラーの正体なのか。そうだとしたらはっきり言って興覚めだ。これだけ人を殺してきたんだ、もっと邪悪な奴だと思っていたのに中学生みたいに小柄で非力な少年だったなんてほんとうにつまらない。
「コロス殺すころすッ!」
本性を現したか。倒れ込んだまま蹲っていた少年が声を荒げ、立ち上がる。何が彼をそうさせるのか、初対面の俺を殺そうとまた向かってくる。
あー、めんどくせえな。
と思っていると殺人鬼は呆気なく壁際に吹き飛んでいった。
『美鈴、失踪中の沙月さまを見つけた。夜月の兄が抱きかかえている』
薄暗い道。雨水で濡れた地面に足音が響く。意思の疎通を完了させた一夜が俺に近づいてくる。黒の道着を身に着けた一夜は蒼い目を如実に光らせ、俺と沙月を睨むように見つめる。まるで内面を、本質を見抜くように。体内に潜んでいる異物を監視するような間があった後、厳かに口を開いた。
「何なんだ、お前らは。二人揃って、そんなに俺たちが憎いか」
「自意識過剰だな、そんなに怖いか。百年越しの報復が」
「戯言を。妙なことをしでかせばお前の首を刎ねることなど造作もない」
「そうか、お前にとって俺の首を刎ねるのは簡単なことなのか。でもそんなんで解決するほど物事が単純ではないことをお前だって分かっているんだろ」
俺の言葉を正面から受け取った一夜は鋭い眼差しで俺たちを睨みつけた後、背後から襲ってくる凶器を持った少年を躊躇いなく殴り飛ばした。骨が折れるような鈍い音がして見れば、少年は明後日の方向に首を向かせたまま絶命していた。
「ああ、お前もこのガキみたいに分かりやすく向かってきてくれれば、すぐにでも断罪してやれるのに」
「もどかしいか。そうできなくて残念だったな。少なくとも今の俺はお前の精神状態よりもマトモだ」
「ふっ、俺が取り乱しているように見えるのならお前の眼は視る素質がないな」
殺害した少年の頭部を踏みつけながら一夜は続けて言う。
「こいつを野放しにすれば無駄な血がまた流れる。生きているより死んでいた方が価値ある命だ。理不尽に人の命を奪う奴は悪霊でなかろうと赦さない。俺はそいつを悪霊として処理する。それはお前もお前の妹も同じことだ。答えろ、妹はどこで何をしていた?」
「その問いかけに何の意味があって、お前は俺に訊いているんだ? ……俺が答えたとしてお前は俺の言ったことを信じるのか? いいや、きっとお前は信じない。信じているのは己の見込みと先入観だけだ。俺の答えがお前が求めている答えと違えばお前はその答えを訝しみ、逆にお前が望んでいる答えを口にすれば、お前は迷うことなく断罪するんだろう。そんな奴に話すことはない」
「ああ、そうだな。お前に訊いた俺が莫迦だった。俺はお前ら夜月の一族を信じていない。俺は俺の正義を信じる」
蒼と朱の瞳が交錯する。張り詰めた空気の中、一夜は踵を返した。
俺は一夜の背中を見つめながら思う。お前の正義に対する見解なんて心底どうでもいいと。善が悪であること、悪が善であること、善と悪は同じであること。そう、善と悪は時と場合によって曖昧に揺れ動くものだ。だからお前がその行為を善だと思って疑わないのなら好きにすればいい。俺も俺の直感を信じて疑わない。俺はただ俺に危害を加えるモノ、俺の神経を逆撫でするモノを赦さない。それだけだ。
でも、そうだな。どうしようもないくらいどうしても、お前のことが気に食わないこの感覚はきっと、俺の体内に流れる死神の血がお前ら退魔師を酷く嫌悪しているからだろう。
頭上に降り注ぐ雨粒が騒々しい。雨で濡れた沙月の肌がひんやりと冷たく濡れているのを感じて俺もまた歩き始めた。




