03 私の仕事を認めてくれた人
03 私の仕事を認めてくれた人
彼は隣国から来たエリオットと名乗った。
国の仕事で滞在しており、空いた時間に図書館を利用しているのだという。
中庭の席で、彼は私の話を聞いてくれた。
最初は古い文字の読み方。それから、辞書の不備について。
うっかり話しすぎたと気づいたときには、お茶が冷めていた。
「申し訳ありません。退屈なお話を」
「退屈なら、とうに席を立っていますよ」
エリオットは私の手元を見た。
指にインクがついていた。慌てて隠そうとすると、彼は首を振った。
「努力した手を隠す必要はありません」
私は膝の上で指を握った。
「……誰にでもできることです。辞書を引いているだけですから」
「辞書を引くだけといっても、何日も考え続けられる人が、どれだけいるでしょうね」
私は何も答えられなかった。
褒められたことがなかったわけではない。
よく覚えた。間違えずにできた。これなら人前に出しても恥ずかしくない。
そう言われることはあった。
けれど、私が自分で始めたことを認めてもらったのは、初めてだった。
何度かお茶をともにするうちに、私は向陽草について打ち明けた。
彼は途中で口を挟まず、最後まで聞いた。
「種は、今もあなたがお持ちなのですか」
「ええ。ほんの少しですけれど」
「訳文を読んだ人は?」
「まだ誰も。家の者は、私が暇つぶしをしていると思っています」
エリオットはしばらく黙った。
「これは、あなたが思っている以上に価値がある。うかつに広めないほうがいい」
「燃料になるからですか」
「燃料は国力につながります」
私は布包みをカバンの奥へしまった。
彼はそこで、少し表情を和らげた。
「ですが、古文書としても面白いですね。何故、こんな大切な記録が箱の底に隠されていたのか」
「私も、それが気になっているんです」
私は身を乗り出した。
「終わりのほうに、同じ言葉が何度も出てくるのですが、辞書にない言葉なのです」
「では、国の辞書を取り寄せてみましょう。それになら載っているかもしれませんから」
次に会う約束ができた。
それだけのことが、帰り道の足を軽くした。
家に戻ると、また私の机の上が変わっていた。
紙を押さえた文鎮の位置が違う。ペンの向きが変わっている。
今日は、ナタリーが訳文を読んでいた。
「何をしているの?」
ナタリーは無表情で振り返った。
「お片づけを。紙が散らばっておりましたので」
「そう。原稿には触らないでちょうだい」
「申し訳ございません」
彼女は頭を下げた。
部屋の机には、途中までの訳文だけを残した。
終盤の訳は紙に残さなかった。
収穫のあとに土地を休ませること。
ほかの作物と交互に育てること。
同じ畑で栽培を重ねた場合に起きる異変。
それは私の頭のなかにだけ存在する。
箱の底に隠されていたのは、豊作を約束する記録ではなかった。
「私の国へ来ませんか」
エリオットにそう言われたのは、翻訳を終える少し前だった。
いつもの中庭で、彼は一枚の書類を差し出した。
「古文書を扱う部署で、人を探しています。あなたを推薦したい」
正式な採用条件が記されていた。
住まいも、給与もある。図書館と研究施設を使うことも認められている。
「私に、務まるでしょうか」
「務まるかどうかを、私だけで決めることはできません。ですから、まずは試用期間からです」
その答えに、私はかえって安心した。
役に立つかわからないのに引き取られるのではない。働き、その対価を受け取るのだ。
「ただ、今のご家族は、あなたが家を出ることをお認めになりますか」
「認めさせます」
私は書類を握った。
「認めなければ、家名を返します」
エリオットは私を見つめ、それから静かにうなずいた。
「では、その手続きも調べましょう」
引き止める言葉ではなかった。
私はそれが嬉しかった。
そして、彼に種を半分預けた。




