02 箱の底に眠っていたもの
02 箱の底に眠っていたもの
部屋へ戻ると、私は机に布を敷き、箱を拭いた。
汚れは思いのほか簡単に落ちた。乾いた布で磨くと、黒ずんでいた花弁の下から木の色が現れた。
こんなに丁寧に何かへ触れたのは、久しぶりだった。
報告書も、招待客の名簿も、式典の進行表も、いつも期限に追われて扱っていたから。
中の埃を出そうと箱を逆さにしたとき、小さな音がした。
私は手を止めた。
底板を指で押すと、片側だけがわずかに沈む。内側の深さと、外から見た高さも合っていなかった。
「二重底……?」
何度か押すうちに、乾いた音を立てて底が外れた。
中には、折り畳まれた書きつけと、布に包まれた種が入っていた。
種は平たく、黒い殻に白い筋がある。見たことのないものだった。
書きつけを開くと、細い文字がびっしり並んでいた。端には植物の絵があり、箱の彫刻とよく似た花をつけている。
「お嬢様、箱が綺麗になりましたね」
お茶を運んできたナタリーが、私の手元を覗き込んだ。
「何か入っていたのでございますか」
「古い書きつけよ」
私は答え、紙を広げてざっと読んだ。知っている単語がいくつかある。
「多分、古代ディーザ語か、古代アスター語だわ」
「お読みになれるのですか?」
「ええ、でも知らない単語を調べなくてはね。城の図書館に辞書があるはずだから、調べてみるわ」
「奥様にお伝えしておきましょうか」
私は顔を上げた。
ナタリーはいつもそうだった。
私が何を買ったか。誰から手紙が届いたか。食事をどれだけ残したか。
私に仕える侍女なのに、報告する相手は母だった。
「好きになさい」
ナタリーは返事に困ったように目を伏せた。
翌日から、私は図書館へ通った。
書きつけは古代ディーザ語だった。
私はほとんどの言葉を辞書で調べた。
昼を過ぎても気づかず、司書に閉館を告げられて初めて窓の暗さに驚く日もあった。
何も考えずにいると、父の声や妹の笑顔が浮かんでくる。
けれど、文字を追っている間だけは、忘れられた。
どうやら、植物について書いてあるようだった。
『向陽草』という草についての記述だった。
陽の光を追って花の向きを変える草。
その種からは、多量の油が採れるという。
ここまで訳して考えた。
発明されたばかりの自動車は、燃料代の高さが問題になっていた。高価なバターや家畜の脂を加工して使うため、走らせられるのは王家や一部の富豪だけだった。
この種が記述どおりの性質を持つのなら、画期的な発見だということだ。
私は布包みを開き、掌に一粒載せた。
種は平たく、黒い殻に白い筋がある。じっと見るとちょっと可愛い。
「そんなに見つめられては、種も困るでしょう」
不意に声をかけられ、私は顔を上げた。
向かいの席に、見知らぬ男性が立っていた。腕には数冊の本を抱えている。
「失礼。毎日、ずいぶん熱心に調べていらっしゃるので」
「ええ、楽しくて」
「確かに楽しそうですね。楽しそうで、熱心で、見習いたいほどです」
彼は机の端に積まれた辞書を見た。
「古代ディーザ語ですか?」
「おわかりになるのですか」
「辞書の題名が読める程度には」
彼が真面目な顔で答えたので、私は思わず笑った。
笑ったあとで、自分でも驚いた。
彼は何も指摘せず、窓のほうを示した。
「お茶でも飲んで休憩しませんか」
「お茶ですか?」
「ええ、私も休憩をとります。お付き合いください。今、評判になっている焼き菓子もありますよ」
「魅力的なお誘いですね」




