第8話 精霊王の愛し子(1)
「フィオリーナ様!!」
「フィオリーナ様、こんにちは!」
「今日はどちらへ行かれるのですか?」
フローランド王国。
王都の下町は、今日も穏やかな空気に包まれていた。
神官見習いの制服である、飾りのない白のワンピースを着てフィオリーナが歩いていると、十歳くらいの少女達が数人駆けてきて、嬉しそうにフィオリーナに抱きついた。
「こんにちは、エリカ。エレノア、ロザリー」
フィオリーナがスミレ色の瞳で優しく少女達を見つめると、彼女達は頬を赤くした。
「フィオリーナ様、今日もきれい」
「本当。ピンク色の髪が、ふわふわしてまるでお花の精霊のよう」
「大好きなフィオリーナ様、わたし達のお姉様になってください……!」
少女達はうっとりとして、フィオリーナを見上げ、一緒に歩き出した。
「まあ、あなた達、フィオリーナ様の邪魔をしているんじゃないでしょうね?」
通りがかった家の中から、あわてたような声がかかった。
「あ、お母さんだわ」
ロザリーがひゃっと首をすくめた。
ロザリーの若い母親は台所から出てくると、急いでフィオリーナの前にやってきた。
「いつもこの子達がすみません」
恐縮するロザリーの母親に、フィオリーナは大丈夫よ、と微笑んで言った。
「その後、ロザリーの具合はいかがですか?」
「はい。すっかりよくなりました。この子のために祈ってくださったフィオリーナ様のおかげですわ」
「当たり前よ。フィオリーナ様は、精霊王様の愛し子なんだから」
「ロザリー!」
ロザリーの母親はまた顔を赤くした。
「ごめんなさい。大人の会話を、よく聞いているみたいで。——でも、あの、本当なのですか? 近々、大神官様が精霊王様の愛し子選びをされると、もっぱらの噂で」
フィオリーナは両手にぶら下がるようにしてくっついている少女達を愛おしげに見つめる。
「はい。大神官様はそうおっしゃっていました」
ロザリーの母親はうなずく。
「わたし達は皆、フィオリーナ様が選ばれますようにと祈っているんですよ。きっと選ばれますわ! 子ども達の怪我を治してくださったり、お祈りをするとつぼみだったお花が咲いたり——それに、毎日、雨が降るようにセイル川まで来て、精霊王様に祈ってくださるのですもの」
「そうよ。それに、フィオリーナ様は大神官様の養女なんだから。きっと選んでもらえるわ!」
「「そうよ、そうよ! 応援してます、フィオリーナ様」」
少女達はにぎやかに声をそろえると、またフィオリーナに抱きついた。
「ああ、ごめんなさい、フィオリーナ様。これから川へ行かれるんですよね? ほら、あんた達、フィオリーナ様の邪魔をしてはだめよ。もうお家に入りなさい」
そう叱られて、少女達ははぁ〜い! と叫びながら小走りにそれぞれの家に向かって行った。
フィオリーナはロザリーの母親に会釈すると、町を抜けて、ゆっくりとセイル川に続く野原に向かって行った。
***
「まあ、気持ちいい風」
そよそよと風がそよぎ、そろそろ春のスミレが咲き始めた野原に着いたフィオリーナは、思わず声を上げた。
フローランド王国の生命線であるセイル川は、一度はその流れがほとんど途絶えかけたと聞いている。
しかし、当時の大神官が動き、神官達を伴って川岸で精霊王に祈りを捧げるようになり、少しずつ流れが復活したという。
大神官アンドレイは、セイル川の流れを復活させた伝説の大神官の名前を受け継いでいる。
実直で敬虔な人物だが、心優しく、身寄りのない子ども達を引き取って神殿で育てていることでも知られていた。
孤児だったフィオリーナもアンドレイの養子の一人だ。
物心がつく頃から、養父である大神官アンドレイに連れられて、この川に来るのが日課になっていた。
川岸に行くには、一面に広がった野原を川に向かって降りていく。
今は春。
あちこちで紫色のスミレが愛らしい花をつけ始め、甘く満ちる香りで訪れる者を歓迎してくれる。
フィオリーナは子どもの頃から、このセイル川のある一帯が大好きだった。
川岸には、上流から流れてきた大きな岩を使って、護岸が築かれていた。
水流の乏しい今となっては無用の長物だが、水辺に出るには、この護岸を登らないといけなかった。
しかし、フィオリーナは岩に登らなくても川に出る行き方を知っている。
今日も慣れた小道をたどって、難なく水の流れのすぐそばまでやって来た。
セイル川はそのほとんどの川床があらわになっていたが、川はまだ枯れてはおらず、細い流れが続いていた。
さらさらと水の流れる音がする。
野原を渡ってきた風はスミレの香りを運び、気のせいか、川の流れも少しずつしっかりとしてきているような気が、フィオリーナにはしていた。
自然に笑顔になり、いつものように川の水に触れようと、川床に降り、水の流れに手を伸ばした時だった。
「あ」
フィオリーナは足を止めた。
川には先客がいたのだ。
ゆるやかなウェーブがかかった、まるで太陽の色をそのまま溶かし込んだかのような、華やかな金色の髪をした男性。
二十代半ばくらいの年齢だろうか。
まだ十八歳の成人を迎えていない自分よりも、はるかに年上に見えた。
日にやけた、厳しい顔の中で、群青色の瞳がまっすぐにフィオリーナを見つめていた。
フィオリーナは戸惑って、乾いた川床に立ち尽くす。
金髪の男性のそばには、数人の男性が付き添っていた。
二人はあきらかに、騎士。
もう一人は学者のように見えた。
「イアン様」
騎士らしい男性の一人が、金髪の男性にささやいた。
「彼女は大神官殿の養女の一人でしょう。たしか、ピンク色の髪の少女がいると聞きましたから。それに神官見習いの服装をしています」
騎士の声は小さかったが、「神官見習い」の一言が、フィオリーナにも聞こえた。
フィオリーナは顔を赤くした。
そこまで言われてしまっては、仕方がない。
それに、イアン、という名前。
太陽のような色の金髪をして、堂々とした男性達を従えている、いかにも高貴な身分の男性とくれば。
(フローランド王国国王、イアン陛下)
儀式などの際に、遠目で見たことがあるとはいえ、こんな近くで会ったことなどない。
フィオリーナは緊張して震えながら挨拶をした。
「だ、大神官アンドレイの養女でございます。神官見習いをしております」
フィオリーナはワンピースのすそをつまんで、カーテシーをした。
「へ、陛下にはご機嫌麗しく、お喜び申し上げます……」
落ち着こうとしても、声が裏返ってしまう。
そんな自分を叱りつけながら、どうにかいつも養父に指導されているとおりに、挨拶をした。
「……名は?」
「へ?」
思わず、おかしな声が出てしまった。
両手で口もとを覆うと、フローランド王国の若き国王、イアンがじっと自分を見つめているのに気がついた。
かあぁ、と顔が赤くなっていくのが自分でもわかる。
ご挨拶をしたのに、自分の名前を名乗らないなんて!
あわててフィオリーナは頭を下げて、赤い顔を隠した。
「フィ、フィオリーナと申します……!!」
「フィオリーナ」
イアンは小さく繰り返した。
まるでその音をたしかめるかのように、顔をかしげて、耳を澄ませる。
しかし、フィオリーナが真っ赤になって困っている様子に気がつくと、イアンは「失礼」とつぶやいた。
「あなたは川に祈りに来てくれたのでしょう。邪魔はしません。我々は、川の調査に来たのです。セイル川の水量を増やすために何かできないかと、考えているところなのですよ。我々のことは気にしないで。もう移動しますので」
イアンはそう言うと、同行の男達を促して、その場を離れていった。
フィオリーナはあわててもう一度カーテシーをして、国王を見送る。
「国王、陛下」
イアンの姿が見えなくなってから、フィオリーナは思わずつぶやいた。
「なんでこんな所に——!」
フィオリーナはその場にそっと腰を下ろす。
「セイル川の調査に来ているとおっしゃっていた。国王陛下自ら、川まで足を運んでくださったのね」
フィオリーナは、嬉しい、と思った。
心臓がとくん、と鳴る。
精霊王の加護があるとされる国。
春には王国中が紫色のスミレの花で覆われる国。
フローランド王国は、美しい国だ。
渇水の問題を解決できたら、きっと誰もが安心して暮らせる国になるだろう。
国王がそのために動いている姿を見て、フィオリーナは本当に嬉しかった。
「わたくしも、お手伝いができたら……な」
そうひとりごとを言ってしまった後、フィオリーナはますます顔を赤くした。
「わたくしったら。まだ神官見習いで、神官にもなっていないのに。ずうずうしいと思われてしまうわ……」
そう自分を戒めても、堂々と男性達を従えるイアン王の姿から目を離すことはできない。
同行者達と話し合いながら、熱心に川床を歩き回る若き王の後ろ姿を、フィオリーナはそっと見守り続けた。




