第6話 フロリアン王の死(1)
地上では、時は矢のように流れていく。
しかし、精霊王の国では、『時』は存在しない。
精霊王オベロンは年をとることもなく、いつも光のように輝いていた。
オベロンに保護されているオフィーリアもまた、フローランド王国を去った時と変わらず、みずみずしい少女のままだった。
「オフィーリア、すっかり元気そうになったね。そのドレスもよく似合っている」
オベロンはいつものように、淡い紫色のスミレを編んだ花冠をオフィーリアの頭に載せると、嬉しそうにピンク色の髪にキスを落とした。
オフィーリアのドレスは、いつも精霊達が届けてくれた。
オベロンが気分次第で「今日は紫陽花のような色のドレスがいいんじゃない」と言う。
その日の午後には、薄くてキラキラと輝く、うす青からピンク、紫へと色合いを変える不思議な布地を使ったドレスを、精霊達が運んでくるのだ。
「今日は真っ白なドレスを」
「深い青のドレスがいい」
「銀色の光る布を使ったドレス」
オベロンのそんな一言で、オフィーリアの部屋のクローゼットにはどんどんとドレスが増えていくのだった。
精霊王オベロンのオフィーリアへの甘やかしは、限度を知らなかった。
オフィーリアの身の回りの世話をするために精霊を付け、細やかに気を配る様子は、まるで実の父親のよう——いや、それ以上だった。
「おまえ達、オフィーリアを我が子と心得て仕えよ」
その一言で、蜘蛛の精霊は繊細なレース編みのスカーフを届けてくれるし、鉱石の精霊達は鉱山から掘り上げたばかりの水晶でネックレスを作り、うやうやしくオフィーリアに差し出す。
「あなたの髪はまるで春の花のような色だ。なんて愛らしいのだろう。そうだ、そんな愛らしい髪に飾る宝石をひとつ——」
「オベロン様」
あわてて、オフィーリアは精霊王に呼びかけた。
放っておいたら、際限なしに美しいものをオフィーリアに贈ろうとするのだから。
オフィーリアは意を決して言葉を続けた。
「……いつもわたくしのことを気にかけてくださって、心から感謝しています。実は、教えていただきたいことがあるのですが」
「もちろん。何でも質問しておくれ。あなたは私の愛しい子だからね」
「そのことなのです」
オフィーリアはオベロンの神々しい顔を、勇気を出してじっと見つめた。
「愛し子、であれば、オベロン様にご加護をお願いすることができるのでしょうか?」
オフィーリアの問いに、オベロンは優しくうなずく。
「そのとおりだ。あなたはただ、祈ってくれればいいのだよ。祈りは、私に届くからね。あなたの言葉を聞いて、精霊達が動き出すのだ」
オフィーリアの表情が曇った。
「では。なぜ……雨は降らなかったのでしょうか」
オベロンはじっとオフィーリアを見つめた。
「だからこそ、あなたはゆっくりと心身を休める必要があったのだよ。大切なオフィーリア。あの国で、あなたを大切にしてくれる人は、いたの?」
オフィーリアはとっさに答えることができなかった。
オベロンは謎めいた微笑みを浮かべると、オフィーリアの手を取って言った。
「野原に散歩に行こう」
精霊には感情がまったくないと言うのは、嘘だ。
オフィーリアはそれを知っている。
しかし、精霊の感情と思考が、人間のそれとかなり違っているのを、オフィーリアは精霊王の国に来て知ることになった。
オベロンは美しく、謎めいていて、優しいけれどその真意を知ることは難しい。
それでもまるで大切な娘のように扱われて、オフィーリアの苦しかった心と体はゆっくりと癒されていくようだった。
しかし。
「精霊王様、ヒトの王が亡くなりました」
オベロンに連れられて、オフィーリアが精霊の野原に出た時だった。
小さな花の精霊達が口々にオベロンに訴えた。
「精霊王様、フローランド王国のフロリアン王が亡くなりました」
「フローランド王国は、もうお終いでしょう」
「もう雨が降ることはなく、セイル川はとっくに枯れ果て、干ばつは収まりません」
「ヒトはあの土地にはもう住めなくなります」
「!!」
オフィーリアは衝撃で口もとを両手で押さえたまま、地面に座り込んだ。
しかし、そんなオフィーリアに、オベロンは不思議そうな表情を見せた。
「当然だろう? 彼らは私の大切な愛し子を粗末に扱ったのだから。精霊王の加護を失った国が生き延びられるはずはない」
オベロンが指先を振ると、ちりん、と音がして、どこからか人間の声が聞こえてきた。
「風の精霊が届けてくれているのよ」
花の精霊がそっとオフィーリアに耳打ちをしてくれる。
『フロリアン王が亡くなった』
『だから何だ。あの愚王がいったい何をしてくれたと?』
『美しく気品のある王妃を隣に座らせているだけでは、国は栄えないということだ』
風に乗って聞こえてくる人々の声には、フロリアンの死を悲しむ言葉はなかった。
『この国にも、かつては精霊王の愛し子がいらしたのだ』
『では、その精霊王の愛し子はどこに?』
『フロリアン王が結婚する前のことだ。セイル川で祈っていた愛し子様は、突然増水した川に呑まれて死んだのだ』
『なんと。大切な愛し子様をみすみす死なせておしまいになるとは』
『精霊王がお怒りになるのも無理はない』
『なんてお気の毒な。そういえば、王妃は? 最近姿を見かけないが』
『とっくにコリーナ王国に帰られている。フロリアン王との間も、不和だったのだろうさ』
『…………』
風が弱まり、人々のささやき声も、やがて消えた。
野原の真ん中で座り込んでいたオフィーリアの頬に、涙が伝い、地面に落ちた。
「知らなかった。もう、そんなに、時が——」
フロリアンは誰からも愛されることなく、失意の中死んだ。
オフィーリアはそのことがよくわかった。
将来の王太子にと望まれ、不遇な暮らしから明るい未来が開けたと思われたのに。
そして、フローランド王国の命運はもはや、風前の灯。
国王は死に、王妃は母国へと帰った。
まだあの土地に住んでいる人々がいるのに、誰が国を率いていくのか。
オフィーリアは涙をぬぐうと、立ち上がった。
まっすぐにオベロンの前に立つ。
それから膝を折ってオベロンの両手を取り、オフィーリアは心から訴えた。
「オベロン様、どうぞフローランド王国に、雨を降らせてあげてください。王国には水が必要です。人々が苦しんでいます。精霊王であるあなた様にはできるはず。わたくし、そのためなら何でもします」
しかし、オベロンの表情は、静かだった。
「その、人々の苦しみを、国王と王妃は見るべきだったね? 愚かな施政者を持った国民は不幸なものだ」
「それでも、今苦しんでいる人々を見捨てることはできません」
「そうしてあなたを用済みだと捨てた男の国に戻ると? あなたの心は耐えられるの? それにフロリアンはもう死んだのだ」
「それでも、残された人々がまだ苦しんでいます。わたくしにもう一度チャンスをください。今まで、守ってくださって、本当にありがとうございました。でも、わたくしは精霊ではありません。わたくしが属する世界に、戻ることをお許しください」
オフィーリアは精霊王の前で、深々と頭を下げた。
スミレの花冠で飾られた、オフィーリアの長いピンク色の髪が、ふわりと地面に広がる。
オベロンは長い長いため息をついた。
「……言いたくなかったが、ひとつ教えてあげよう。フロリアンはまもなく生まれ変わるよ。国王イアンとして、フローランド王国を立て直そうと努力を始めるのだ」
オフィーリアは、はっとして顔を上げた。
そんなオフィーリアを見つめるオベロンの表情は悲しげで、オフィーリアの心も痛む。
しかし、オフィーリアはその痛みを隠して、そっと精霊王の手を取った。
「オベロン様、どうぞわたくしもフローランド王国に生まれ変わらせてください」




