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精霊王の愛し子は愛する王を奇跡の雨で祝福する  作者: 櫻井金貨
第1部 前世

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第4話 花を贈ってくれたあなたの幸せを

 オフィーリアは深く沈んだ意識の底から、ゆっくりと目覚め始めた。


(ここは冷たいわ)


 オフィーリアはぶるっと体を震わせた。


 わたくしはどこにいるのかしら。

 オフィーリアはなんだかふわふわして、頼りない気持ちがしていた。


(目を開きたいけれど、開くことができない)


 オフィーリアは目を開くのをあきらめて、もう少しゆっくりすることにした。

 体の力を抜いて、流れに任せるのだ。


 そうしてしまえば、体も自然にくつろいでいく。


(案外、気持ちいいわ)


 まるで雲の上を漂っているようだ、オフィーリアはそう思った。


(それにとても疲れているもの。もう少し休んでいましょう)


 なぜここにいるのかしら、オフィーリアは記憶を探ろうとした。

 何かがあったような気がするけれど、思い出せなかった。


(今はこうして、ゆっくりと眠っていたい)


 ただ、何かが胸をきゅっと苦しめている。

 心が訴えるのだ。


 忘れてはいけない、と。


(誰のこと……?)


 その人のことを思い出そうとすると、胸が苦しくなる。


 心に浮かぶのは、ただひとつの想いだった。



『……幸せになってほしい……』

 


 ああ、最後の言葉は、届いたかしら?

 あなたにそれだけは伝えたかった。


 理由はわからない。

 ただ、感じるのだ。

 心の深いところから。


 なぜなら、遠い日に、あなたがわたくしに幸せを贈ってくれたから。

 


 その時だった。

 懐かしい声がした。


『きみ……?』


 まだ青年の声にならない、少女のように愛らしい声。

 ためらいがちに自分を呼ぶ、少年の声が聞こえたような、気がした。


***



『驚かせてごめんね。僕はフロリアン。ええと……近くに住んでいるんだ』


 オフィーリアは目の前に次々と流れる映像に目を奪われていた。

 まるで劇場で舞台を見ているような、そんな感覚になる。


(まあ……なんて可愛い男の子なのでしょう)


 川岸に座って一生懸命に祈っているピンク色の髪をした少女が自分なのは、すぐわかった。


 歳の頃は十歳くらいだろうか。


 神官見習いの白のワンピースを着て、ぺたんと地面に座り込み、両手を合わせて懸命に祈っている。


 まさか誰かに声をかけられるとは思ってもいなかった少女は、顔を赤くしてあわてて振り返る。


 そこで目に入ったのが、自分と同じくらいの年恰好の少年だった。


 着ている服は貴族らしい華やかさはないが、上質そうな素材で、きちんとした仕立てのものだ。


 それに驚くほど整った顔だちに、まるで太陽のように輝く金色の髪は自然なウェーブで整えられ、どう見ても平民の子どもには見えない。


 落ち着いた群青色の瞳が、少し不安げな表情を浮かべて、少女の様子を見つめていた。


 オフィーリアは、頬を赤くした少女が小さな声で『わたしは、オフィーリア』と答えるのを聞いた。


 ふる、とオフィーリアの体が震えた。

 閉じているまぶたの下から、じわりと涙があふれてくる。


 この出会いをきっかけにして、少年は度々セイル川にやってくるようになったのだ。


 不安そうだった少年も少しずつ明るくなってきて、オフィーリアを見ると、うれしそうに微笑んでくれるようになった。


『オフィーリア、きみはいつもここで何をしているの?』


 出会って一年経っても、遠慮がちなフロリアンの性格は変わらなかった。


『精霊王様に、祈っているの。雨を降らせてください、って』


 少女はうつむきながら言った。

 オフィーリアも、フロリアンも、相変わらず内気なのは変わらない。


『雨がね、なかなか降らなくなっているでしょう? 町の人は皆心配しているの。このまま、雨が降らなくなったらどうしようって』


『うん。僕も大人がそう話しているのを聞いたよ』


 そうでしょう? とオフィーリアはうなずいた。


『わたしは精霊王様の愛し子だと、大神官様がおっしゃるのです。でも、わたしは雨を降らせることができないの』


 オフィーリアとフロリアンはさらさらと音を立てて、ゆるやかに流れていく、小さな川の流れを見つめた。


『このセイル川の流れも、どんどん細くなっていくわ。でも、わたし達には水が必要よ。これから大丈夫かしら?』


 フロリアンも黙ってうなずいた。


『わたしが平民の孤児だから、精霊王様に祈りが届かないのだと。本当は精霊王の愛し子ではないと言われているのも、知っているわ。でも』


 オフィーリアは涙をこらえて、顔を上げた。


『大神官様はおっしゃるのです。それでも、祈りなさい、と。精霊王様の加護を信じて祈り続けることが、わたしにできることだと。だから、毎日祈ります』


 川から、さら、と爽やかな風が吹いた。


 まるで夕暮れ時のバラ色の雲のような、温かなピンク色をした長い髪が、ふわりと揺れた。


『オフィーリア、きみはすごくがんばっているよ。きっと、精霊王様はそんなきみの姿を見ていると思う』


 フロリアンはそっとポケットに手を入れると、何かを取り出した。


『これをあげる』


 フロリアンは頬を少し赤くすると言った。


『きみの瞳の色にそっくりだ』


『!』


 オフィーリアは差し出されたものを、そっと両手を広げて、受け取った。


 オフィーリアの頬が赤くなっていく。

 誰かから贈り物をもらったのは、初めてのことだった。


 それは、小さなスミレの花だった。

 春を告げる、小さな紫色の花からは、甘く広がる香りがした。


『フロリアン』


『スミレを見た時に、きみを思い出したんだ。最近、ずっと元気がなかったから……』


 元気づけようと思って……。

 そんなフロリアンの言葉は、当の本人が照れてしまったためにもごもごと口の中で消えていく。


 オフィーリアは嬉しかった。

 誰かが、自分のことを考えてくれた。

 それだけで、心の中がぐん、と温かくなるのだ。


『フロリアン——』


 オフィーリアとフロリアンは見つめ合う。

 その時だった。


『フロリアン様……!!』


 背後から急にかけられた声に、フロリアンはあわてて立ち上がった。


『大変なことが起こりました。すぐにお屋敷にお帰りくださいませ……!!』


 それはどう見ても騎士とわかる男性だった。

 オフィーリアは混乱して、フロリアンと騎士を交互に見つめる。


 フロリアンは立ち上がった。


『オフィーリア、ごめん。僕、行かなきゃ』

『え、ええ。フロリアン、お花をありがとう』


 オフィーリアがお礼を言うと、フロリアンはきゅっと口角を上げて、微笑んだ。


『お祈り、がんばってね。僕もまた来るよ』


 そう言ってくれたフロリアンだったが、オフィーリアが再びフロリアンに会えたのは、それから半年も経った後だった——。


***



「オフィーリア」


 繊細な弦楽器を鳴らすような音楽が響いている。


 またしても、自分に呼びかけてくる声。


 オフィーリアの意識がまたはっきりしてきた。

 今回は、まぶたがぴく、と震え、ゆっくりと目を見開く。


「——あなたは」


 オフィーリアは体を起こす。


 不思議なことに、オフィーリアは水面に浮かんでいたらしい。

 ところが、体を起こしても溺れたりすることなく、すっと水中で直立することができる。


(不思議だわ。本当にここはどこなの?)


 周囲は明るく、まるで金色の粉がキラキラと漂っているように見えた。

 見慣れたものは、何ひとつなかった。

 家も、町も。

 人の姿もない。


 光を帯びて静かに流れる川と、どこからともなく響いてくる音楽。

 ときおり、ぽうっとした光がふわふわと空中を横切っていく。


 どう考えても、異界だ。

 ここが普通の場所であるわけがない。


 思わずオフィーリアは身構えた。


 一方、川岸に立って、オフィーリアに手を差し出している、神々しいまでの光に包まれた背の高い男性は、穏やかな微笑みを浮かべている。


 白金の長い髪がさらりと揺れ、身にまとっている白の長衣は、彼が水の中に入っても濡れることはなかった。


「オフィーリア」


 男性はそう言って、オフィーリアを水中から抱き上げた。



「あなたを待っていたよ」


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