第12話 あなたが私の妃になるのなら
「それで、フィオリーナはさっそく侍女達を連れて、セイル川へ?」
「はい、陛下。お茶をご一緒にとのお申し出をお伝えする間もなく……まことに申し訳ございません……」
イアンは苦笑して、しゅん、とうなだれるマイロー夫人に手を振った。
ここは、国王イアンの執務室である。
フィオリーナを王宮に迎え、彼女が部屋で落ち着いた頃、報告をしに来るようにと、イアンはマイロー夫人に指示をしていたのだったが。
「構わない。彼女が幸せでいてくれれば、それで。部屋はどう? 気に入っている様子だったかな?」
マイロー夫人はうなずいた。
「はい。どこも変える必要はないと明言され、侍女達にもとても満足してくださいました」
「それはよかった。フィオリーナが戻ったら、夕食を一緒にしたいと伝えてくれ」
「かしこまりました、陛下」
マイロー夫人が退出すると、側近のメシアスが笑いながら言った。
「フィオリーナ様は、変わっていないですね」
「そうだな」
「あれから二年。陛下がようやくフィオリーナ様との結婚を決心してくださって、皆もほっとしているでしょう」
「しかしな」
「陛下は時々、生真面目すぎるんですよ」
メシアスが冗談混じりに言うと、イアンは複雑な表情をした。
「人のことだと思って」
イアンはため息をつく。
精霊王の予言だからと、一人の女性の運命を簡単に変えていいとイアンは思えなかったのだ。
国の生命線であるセイル川の枯渇危機という大きな問題を抱えた国の王妃になるのだ。
生半可な気持ちでは、けして務まらない。
おまけに自分は少々堅苦しいし、気難しい男でもある。
そばにいるのは、楽ではないだろう。
同じ髪色のせいか、イアンはどうしても精霊王の愛し子だったオフィーリアのことが頭から離れなかった。
大神官アンドレイとも何度も話し合い、フィオリーナの様子をおりおりに報告させ、時間をかけて彼女の暮らしぶりや、彼女の考えを確かめた。
そうしてようやく——人々に寄り添い、フローランド王国を愛し、セイル川を愛する心優しいフィオリーナならば——そう思って結婚を申し込もうと決心するまでに、二年間がかかったのである。
「これから仕事をする。集中したいから、ひとりになりたい」
イアンがそう言うと、メシアスはうなずいた。
「わかりました。護衛はドアの外に。私は事務室にいます。何かご用があれば、お呼びください」
「ありがとう」
ドアが静かに閉まる。
「ふう」
思わずため息が出る。
「——これでよかったのか?」
イアンは壁にもたれると、そっと額を押さえた。
頭に浮かぶのは、珍しいピンク色の髪をした、あの少女のことばかり。
「ようやく心を決めたのに、な。まだ私は怖がっているらしい」
イアンは何度目かになるため息をついた。
イアンは机の引き出しを開ける。
小さな箱に収めて、こっそりと保管しているのは、スミレの花だった。
二輪ある。
まるで、ついさっき摘んだかのように、いきいきとしている。
小さな花だが、いまだに枯れる気配がないのは、あまりにも不思議だ。
一輪は、イアンが生まれた時に、ゆりかごの中に置かれていたという。
母が生前、何度か不思議そうに話してくれていた。
あまりにも不思議なので、押し花にしようと思って、引き出しに入れておいたそうだ。
(きっと、精霊王様の祝福なのだわ。なんてありがたいことでしょう……!)
母はそう感激して、枯れない花に何の疑問も持たずに喜んでいた。
それは精霊王の加護があると信じているフローランドの民としてごく一般的な態度だろう。
その母が、美男で有名だったフロリアン王に似ていると、イアンの容姿をほめた時、少年だったイアンはひどく胸が騒いだのを思い出した。
そしてイアンはフロリアン王について調べた。
『なんだ、こいつ……!』
イアンは思わずそう声に出したのを思い出す。
『王のくせに、何もしていないじゃないか……!』
隣国コリーナ王国の王女を娶ったのは、王女の母国からの援助目当て。
渇水の不安に対して何の施策も取らず、精霊神殿に雨乞いの祈りを命じるだけ。
それに、精霊王の愛し子の死。
『もし私が精霊王だったら、そんな怠惰な人間の国など見捨てる。怒りでおかしくなるだろう』
フィオリーナと出会った日に、メシアスに言った言葉は、イアンの紛れもない本音だった。
代々伝わる王家の歴史年鑑に、精霊王の愛し子についてはわずかな記載しか残されていなかった。
一番印象的だったのは、彼女がピンク色の髪をしていたということ。
瞳の色はスミレ色だったという。
そんな色合いの子どもを見たことなどない。
イアンはなぜかオフィーリアという名前の彼女のことが気になった。
それからだった。
イアンはより精力的に、セイル川の問題と取り組み始めた。
イアンは机の上に重ねた書類の山の中から、学者のまとめた報告書を取り出した。
『長年に渡ってまともに雨が降らず、セイル川の水量が乏しい中、井戸が枯れていないのは奇跡としか言いようがない』
学者はそう率直に書いていた。
『しかし、水の安定確保のためには、雨が降り、セイル川の水量が増え、貯水施設を作ることが不可欠』
「この状態で我々が暮らしていけているのが不思議だ。むしろ、これこそが精霊王の恩恵としか思えない」
イアンは窓の外に広がる景色を見渡した。
町の向こうに見えるのは、大きな岩で築かれたセイル川の護岸だ。
ここからでは見えないが、その下に細々と流れるセイル川の水流がある。
「……初めてフィオリーナに会った時には、驚いた」
イアンは頭を振る。
ピンク色の髪に、スミレ色の瞳をしたフィオリーナは、歴史年鑑で伝えられていた伝説の精霊王の愛し子、川で死んだオフィーリアの容姿と恐ろしいほど一致していた。
それ以来、イアンの心は休まることがない。
オフィーリアを死なせたのは、フロリアン王で、自分ではない。
しかし、イアンの心が訴えるのだ。
『おまえは無関係だと言い切れるのか?』
答えられないでいると、イアンの心はさらに訴える。
『今度こそ、フィオリーナを守れ』と。
イアンは箱に入ったもう一輪のスミレの花を見つめた。
このスミレの花は、フィオリーナが精霊王の愛し子に選ばれたその夜、自分のベッドに置かれていたものだった。
この花も、二年経った今もなお、枯れることなく甘い香りを放っている。
『国王が精霊王の愛し子を妃にすると国が栄える』
大神官アンドレイが精霊王から受け取った予言だが、イアンにとって、その予言などどうでもよかった。
イアンの手もとに残る、枯れない二輪のスミレの花は、まさしく奇跡だ。
人の力を超えた何か。
これこそ、精霊王の、精霊達の存在を伝えるものだろう。
しかし。
(むしろ、私への警告のように感じられる)
フィオリーナを不幸にしないこと。
フィオリーナの幸せを守ってやること。
フィオリーナを妃に迎えるために、それが大事なのだと悟るまでに、二年を要した。
そして今、思うのだ。
自分の使命とは、精霊王の加護に頼らない国を作ることだと。
フィオリーナが雨を降らせることができなくても、よいではないか。
人々のために分け隔てなく祈るフィオリーナは、皆に愛されている。
国民をひとつにまとめる可能性を秘めている。
それが何よりも精霊王の祝福。
そんなフィオリーナを守ることこそ、何よりも大切なことなのではないか。
(水に代表される、暮らしの不安に対応するのは、王の務め)
「いよいよ来週だ」
イアンは学者の報告書をそっと閉じた。
来週、イアンは学者達を伴って、水源調査に出発する。
学者達の助言は明確だった。
『陛下、セイル川の水源は、王国唯一の山岳部にあります。水源をたどれるまでたどり、水流の調査を行うとともに、水資源のあるところに新たな井戸の掘削を試みることが必要です』
学者の長であるイスマイルがそう言い、残りの学者達もいっせいにうなずいた。
『川の水流が少ないのに、井戸が枯れないのは、地下にしっかりとした水資源があるからです。地下の豊かな水資源と、流れが弱まる一方のセイル川の関係を解明しなければなりません。しかし』
イスマイルはイアンをまっすぐに見つめる。
『事態はもう先延ばしにはできません。ただ雨を待つばかりではなく、より効率的な水の確保と利用を同時に考えましょう。そのための調査が必要なのです』
ふと、窓の外に、侍女を三人連れたフィオリーナの姿が見えた。
どうやら川での祈りを終えて、戻ってきたらしい。
「護衛の騎士を付けなければ」
イアンははっとした。
フィオリーナは微笑んでいた。
侍女達も笑顔だ。
四人で楽しそうに話しながら王宮に戻ってくる姿は、イアンの心を温かなもので満たした。
(——なぜだろう?)
(なぜ、こんなに安心して——嬉しい気持ちになるのだろう)
イアンは頭を振った。
目もとがじん、としている。
あわてて手でこすり、執務室のドアを開けた。
護衛の騎士が二人、ドアの前に待機していた。
「メシアスを急いで呼んでくれ。フィオリーナの護衛騎士は選定済みなのか? 毎日セイル川へ行くのに、侍女達だけでは心配だ。馬車も用意するように」
イアンが言うと、護衛騎士は深くうなずき、急いでメシアスを呼びに向かった。




