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第7章:事情

「結衣、本当にクリストフ殿下をここに呼ぶ気!? 正気ですの!? わたくし、まだこんな足のままですのよ!?」


 セシリア様が半狂乱になって、ドレスの裾から覗く白くてモコモコしたユニコーンの後ろ足をバタバタとさせた。パニックのせいで、足はさっきよりもさらにモフモフ感を増している気がする。


「殿下は、セシリア様へのお手紙の文面を『硬くなってしまう』と気になさっていました。そして、セシリア様はご自身の足のことを『不格好だ』と気にしていらっしゃる。お互いに、相手に完璧な自分を見せようとして、勝手に怯えて、すれ違っているだけだと思うんです」


「それは……そう、かもしれませんけれど……」


「精霊の血を引く殿下はとても素敵ですけど、セシリア様の一角獣だって、とっても気高くて素敵です。何より、そのモコモコした足、私から見たら信じられないくらい可愛いですよ?」


「か、可愛……っ!? これがですの!?」


 セシリア様は信じられないものを見る目で私を見たけれど、嘘偽りのない私の本心だ。この世界の美の基準は知らないけれど、日本の感覚からすれば、モコモコフワフワした小さな足は守ってあげたくなるような愛らしさの塊である。


「はい。ですか、隠さずに全部見せてしまいましょう。それで幻滅するような心の狭い人なら、ヴァルお姉様にガツンと一発殴ってもらいましょう!」


 私が拳を握って見せると、セシリア様は呆然としたあと、ぷっと小さく吹き出した。


「ふふ……あなた、随分と不敬なことをおっしゃるのね。でも……そうね。あの方がわたくしを化け物だとお笑いになるなら、わたくしも、その澄ました綺麗なお顔をこの蹄で思いっきり蹴飛ばしてやりますわ!」


 セシリア様が涙を拭い、キリッとした王女のプライドを取り戻したように胸を張る。よし、これなら大丈夫そう。


 それから数分も経たないうちに、壊れた扉の向こうから、二つの気配が近づいてきた。


「ほーら、おとなしくなさいなぁ」


 オネエの声と共に、お姉様がひょっこりと部屋に入ってきた。クリストフ皇子の姿もいっしょだ。

 皇子は抵抗したのか、あの完璧だった銀髪が少し乱れていて、青い瞳を驚愕に見開いていた。


「な、ヴァルフレイド閣下、これは一体何の真似だ……! 私は皇帝陛下との話し合いに戻らねば――」


 皇子が言いかけたところで、お姉様は彼の手首をパッと離し、私に向かってウインクをしてみせた。


「任務完了よ、結衣ちゃん! さあ、あとは若いお二人でじーっくりお話ししてちょうだいな。私たちは外で、お邪魔虫が来ないように見張り番をしておきましょ?」


 お姉様はそう言うと、私の腰にそっと手を回し、そのまま部屋の外へと促した。


 お城の奥深くにある、静まり返った廊下。


 私の腰に回されていたお姉様の大きな手が、ゆっくりと離れていく。その瞬間の、少しだけ肌寒くなるような感覚に胸がキュッとした。

 お姉様が静かに私の方を振り向く。その燃えるような赤髪の奥の金色の瞳が、廊下の薄明かりの中で、じりじりと熱い光を放ち始めていた。


「……結衣ちゃん」


 お姉様は一歩、私に近づいた。いつものオネエのトーンだけど、どこかそわそわとしていて、私から視線を外したり、またじっと見つめてきたりと落ち着かない。


「さっきのセシリアの部屋での話……あなたがクリストフ皇子を素敵だと言ったのは……本当に、誤解なのよねぇ?」


 上からのぞき込んでくる金色の瞳が、期待と、まだ少しの不安に揺れている。


 その瞳を見つめていたら、あの日、私邸の執務室で「私のことなんて放っておいて」と冷たく突き放してしまった瞬間のことが、ブワッと脳裏に蘇ってきた。あんなに酷いことを言ったのに、お姉様はビジネスライクな仮面の下で傷つきながらも、私が他の男(皇子様)に微笑んだ(と誤解した)だけで、世界がひっくり返ったみたいに怒って、ここまで追いかけてきてくれた。


 もう、嘘をつくのも、意地を張るのもおしまいだ。

 私はぎゅっと拳を握りしめ、お姉様の胸元をまっすぐに見つめた。顔が信じられないくらい熱くて、心臓がトクトクと耳の奥でうるさく鳴っている。


「……そうです。完全に誤解です」


「結衣、ちゃん……」


「あの時は……お姉様が『男性が好き』なんて噂を聞いて、セシリア様ともお似合いに見えて……私が勝手に嫉妬して、寂しくて、酷いことを言いました。放っておいてほしいなんて、本当は一ミリも思っていません! 本当に、ごめんなさい……っ」


 一気に捲し立てると、視界が涙でじんわりと滲んだ。頭を下げて、お姉様からの言葉を待つ。許してもらえないかもしれない、という恐怖で身体が強張る。


 けれど、次の瞬間。


「――っ、結衣……!」


 ガシッ、と強い力で腕を引かれ、私の身体は宙に浮くような感覚と共に、固くて熱い胸の中にすっぽりと閉じ込められた。


 お姉様の長い腕が、私の背中と腰を、それこそ絶対に離さないとでも言うように、ぎゅーーーっと抱きしめる。ドクドクと、お姉様の胸の奥から、私と同じくらい激しく、狂おしいほどの速さで打つ心臓の音が響いてきた。


「結衣、結衣……っ。あんな噂、全部嘘に決まっているだろう。俺が、お前以外の誰かに目を向けるわけがない……!」


 耳元で囁かれたのは、オネエのトーンを完全に脱ぎ捨てた、低くて、甘くて、少しだけ泣きそうな一人の男性の声だった。首筋に押し付けられたお姉様の顔から、熱い息が吹きかかる。


「お前に突き放されて、俺がどれだけ絶望したか分かっているのか? もう二度と、放っておけなんて言うな。俺はお前だけのものだし、お前を誰にも渡さない……」


 私の背中を回るお姉様の手のひらが、微かに震えているのが分かった。


 すれ違って、冷たく閉ざされていた数日間が、嘘のように融解していく。

 お姉様の胸に顔を埋めながら、私は溢れ出てくる嬉し涙を止められないまま、その広い背中に、そっと自分の両手を回した。


「……はい。もう絶対に言いません。ごめんなさい、ヴァル様……」


 私が腕の中で小さく呟くと、お姉様――ううん、ヴァル様は、愛おしそうに私の髪に何度も頬を押し当てて、さらに強く抱きしめてくれた。


 ずっと胸につかえていた疑問が、頭をよぎった。


「あの……ヴァル様。ひとつだけ、お聞きしてもいいですか?」


「何だ? お前の望むことなら、何でも答える」


 耳元に響く声が、あまりに優しくて耳たぶが熱くなる。私はお姉様の胸に顔を埋めたまま、思い切って尋ねてみた。


「どうしてヴァル様は、いつも女性の言葉を話されているんですか? お城の皆さんも、ガイルさんまで、ヴァル様は『男性が好き』だって噂を本気で信じていました。セシリア様だって……」


 私の問いかけに、ヴァル様は一瞬だけ身体を硬くした。けれど、すぐに深い、大きなため息をもらす。


「……仕方のないことなんだ。俺の本性がこんな性分だと、色々と都合が悪いからな」


 ヴァル様は少しだけ腕の力を緩めると、私の両肩を優しく掴んで、上から真面目な顔でのぞき込んできた。金色の瞳には、全てを打ち明けようとする誠実な光が宿っている。


「俺は王の外戚であり、この国の軍の最高責任者だ。そのせいか、俺のまわりには昔から、血筋や権力を狙った貴族の娘たちからのアプローチや、他国からの政略結婚の話が絶え間なく押し寄せてきていたんだ。……そしてその中でも、一番厄介だったのがセシリアだった」


「セシリア様が……?」


 私が思わず問い返すと、ヴァル様はほとほと困り果てたように眉根を寄せた。


「ああ。あの通り思い込みの激しい性格だろう? セシリアが俺に強く懸想してしまったせいで、どんなに条件の良い縁談も、彼女がすべて全力で突っぱねてしまうようになった。今日のクリストフ皇子との話も、本当ならもっと早くにまとまるはずだったんだが……セシリアが『ヴァル兄様と結婚しますの!』と一歩も引かないせいで、ずるずると長引いていた」


 なるほど……。さっき迎賓の間で、この国の国王様と隣国の皇帝陛下があそこまでなりふり構わず躍起になっていた理由が、ようやく繋がった。

 二国のトップにとっては、セシリア様がヴァル様に固執して縁談が流れることは、国家間の重大な外交問題に関わる死活問題だったのだ。


「これ以上セシリアに付きまとわれ、他国との関係にヒビが入るわけにはいかない。それにクリストフ皇子の国は、特殊な事情があり、セシリアとの縁談を絶対にまとめる必要がある。このままでは国家間の問題になる……そう判断した、苦肉の策として流したのが、あの噂だ」


 ヴァル様は少しだけきまり悪そうに私を見つめた。


「『ヴァルフレイド閣下は、女性に一切興味がない。男色家で、美しい殿方がお好きらしい』……。そう周囲に触れ回り、普段からあのような口調で振る舞うようにした。さすがのセシリアも、俺が女性を愛せない男だと知れば、諦めて他国との縁談に目を向けてくれるだろうと考えたんだよ」


 そこまで聞いて、私はお姉様――ヴァル様が、どれほど重いものを背負ってあのオネエの仮面を被り続けていたのかを知り、胸がぎゅっと締め付けられた。


「……それなのに、まさかその嘘のせいで、お前を不安にさせて、傷つけることになるなんて……」


 ヴァル様は自責の念に駆られたように、そっと私の頬に大きな手を添えた。手のひらから伝わってくる体温が、切ないほどに熱い。


「本当にすまない、結衣。俺が好きなのは男でも、セシリアでもない。この世界でたった一人、俺の心を鮮やかに奪っていった、愛しい番のお前だけだ」


 真っ直ぐに紡がれた、飾り気のない本物の愛の言葉。


 ヴァル様が、ずっと一人で背負ってきたものの重さと、私に向けられたあまりにも一途な熱量に、胸がいっぱいになる。

「ヴァル様、私――」

 溢れそうになる想いを言葉にしようと、私が口を開きかけた、その時だった。


 廊下の薄暗い隅の空間が、ぐにゃりと不自然に歪んだ。

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