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第1章:筋肉まみれの執務室と、お姉様の「ご褒美」

 異世界での生活が始まって一週間。

 私の新しい職場は、ヴァルお姉様の私邸にある広大な執務室だった。


「ちょっとぉー! あなたたち、何回言ったらわかるのよぉ! 遠征の報告書は日付順にまとめなさいって、あれほど言ったじゃないの!」


 朝一番、執務室にはヴァルお姉様の鋭いカミナリが落とされていた。

 怒鳴られているのは、身長二メートルはありそうな、鎧を着た筋骨隆々の騎士さんたちだ。彼らは熊のような巨体を縮こまらせて、「す、すみません閣下!」「文字を見るだけで頭が痛くなってしまい……!」と涙目で平伏している。


(うん、これは営業部と全く同じ構図だわ……)


 私はデスクの前に座り、心の中でそっとため息をついた。

 この世界に来て一番驚いたのは、獣人さんたちの圧倒的な身体能力――ではなく、その壊滅的な事務処理能力の低さだった。


 彼らは魔獣を倒すのは天才的だけれど、書類仕事は本当にダメらしい。

 引き継いだ当時の執務室は、羊皮紙が文字通り山積みで、どこに何があるのか誰も把握していない地獄のような状態だった。


「……あの、ヴァルお姉様。こちらの『第三部隊・兵糧要請書』ですが、承認のサインが漏れているようです。あと、こちらの騎士団の出納帳、縦の合計と横の合計が合っていません。おそらく三行目の計算が間違っています」


 私は立ち上がり、綺麗に付箋のようなものを貼った書類をヴァルお姉様のデスクへ差し出した。

 営業事務時代、数字のズレを見つけるのだけは得意だったのだ。


「あら、本当!? いやだわ、あの脳筋男たち、また計算間違えてるじゃない! ……っていうか結衣ちゃん、これ、あなたが全部チェックしてくれたのぉ?」


「はい。ついでに、過去三ヶ月分の報告書も部隊ごとにファイリングしておきました。棚の左側から日付順に並んでいます」


 ヴァルお姉様が驚いたように金色の瞳を丸くして、オフィス用の棚へと歩いていく。

 そこには、私が日本の百円ショップを思い出して作った、即席のインデックス付きファイルが整然と並んでいた。


 お姉様はファイルを一冊手に取り、パラパラと中身をめくると、ゴクリと息を呑んだ。


「……素晴らしいわ。読みたい報告書が、一目で見つかるじゃない……」


 その声が、一瞬だけ、いつもの高いトーンからすっと低くなった気がした。

 お姉様は書類を持ったまま、じっと私の顔を見つめてくる。その金色の双眸の奥に、言葉にできないほど深い熱が灯っているのが見えて、私はドギマギしてしまった。


(あ、また……あの時の目……)


「ヴァル、お姉様……?」


 おそるおそる声をかけると、お姉様はハッと我に返ったように、いつもの華やかな笑顔を作って私の両肩をガシッと抱きすくめた。薔薇のいい香りが広がる。


「もう、結衣ちゃんったら天才! 最高だわぁー! あんな脳筋たち放っておいて、私と今すぐ結婚しちゃう〜? うふふっ☆」


「いやだ、お姉様、苦しいですっ」


 いつものおふざけにホッとしつつも、お姉様の大きな胸板(というか、すごく硬い大胸筋)に押し付けられて、顔が熱くなる。

 オネエだと分かっていても、これだけ背が高くて男らしい体つきの人に抱きつかれると、どうしても心臓に悪い。


 お姉様はしばらく私をぎゅーっと抱きしめていたけれど、ふと、私の手に目を留めた。


「あら……。結衣ちゃん、手が荒れてるじゃない。羊皮紙って結構お肌の水分を奪うのよねぇ。だめよ、女の子の手をこんなにしちゃったら」


 お姉様は私の右手をそっと持ち上げると、包み込むようにして自身の両手で挟んだ。

 その瞬間、お姉様の手が、フワッと熱くなった。熱いけれど、痛くはない。お風呂に入っているような、心地いい熱さ。


 見ると、お姉様の手の隙間から、ほんのりと赤い、炎のような光が漏れ出している。


「あ……温かい……?」


「これ、不死鳥の癒やしの力よ。私、一応これでも幻獣の獣人だから、このくらいお茶の子さいさいなのよぉ」


 お姉様がクスッと微笑む。その穏やかな笑顔に見惚れていると、お姉様が私の指先を、親指の腹でゆっくりと、撫でるように滑らせた。

 ただの手当てのはずなのに、その指の動きが驚くほど優しくて、なんだかすごく、色っぽい。


 お姉様は私の目をじっと見つめたまま、声音をほんの少しだけ落とした。


「……傷ひとつつけさせないわ。お前は俺の……いいえ、私の可愛い事務員さんなんだからね?」


(いま……『俺の』って言わなかった……?)


 気のせいだろうか。でも、私の指を愛おしそうに握るお姉様の手の力強さは、どう考えても「お姉様」のそれではなく、男性のものだった。


 私の手を優雅に解放したお姉様は、「さ、ご褒美に美味しいタルトでも食べましょ!」と、すぐにいつものハイテンションに戻ってメイドさんを呼びにいった。


 残された私は、自分の手のひらを見つめながら、トクン、と不規則に跳ねる胸の音を聞いていた。

 カサカサだった手荒れは、跡形もなく綺麗に治っている。


(ヴァルお姉様は、オネエ。男の人が好きな、綺麗なお姉様……)


 自分にそう言い聞かせるけれど、たまに覗くあの低くて格好いい声と、男らしい視線の意味が分からなくて、私の異世界ライフは別の意味でハラハラが止まりそうになかった。

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