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第11章:策略

 ガタゴト、ガタゴト。

 規則正しい馬車の振動が、車内に響いている。


「結衣、菓子は足りているか? そっちのクッキーはエルバニア産の発酵バターを使っているんだ。お前の口に合うといいんだが」


「あ、はい……ありがとうございます。とっても美味しいです……」


 向かいの席に座るヴァル様は、ここ最近では見ないほど上機嫌だった。

 私にせっせと紅茶やお菓子を勧めてくれる。その金色の瞳は、まるで遠足に行く子供のようにつややかに輝いていた。


 ――けれど。

 美味しいクッキーをモグモグと噛み締めながら、私の頭の中は「???」という疑問符で完全に埋め尽くされていた。


 どうして、私は今、ヴァル様と一緒に馬車に揺られているんだろう。

 それも、ただの街へのお出かけではない。この馬車が向かっているのは、昨日クリストフ皇子が命がけで帰国していったはずの国――ザクセン皇国なのだ。


(本当に、どういうことなの……!?)


 ヴァル様は、昨日、夜遅くに戻ってきたかと思えば、寝ていた私を優しく揺り動かして、満面の笑みでこう言ったのだ。


『結衣、明日からザクセン皇国へ行くぞ。旅の支度をしておいてくれ』


 そこからの段取りは、恐ろしいほど早かった。

 夜が明けると同時に、公爵家の最高級の馬車が用意され、私は着替えを詰めた鞄を持たされて、あれよあれよという間にヴァル様と一緒に馬車に押し込まれてしまった。


 ザクセンといえば、地脈の乱れで大型の魔物が出現して、大変なことになっているんじゃなかったっけ?

 そんな危険でややこしい場所に、なぜヴァル様は、昨日あんなに私を独占したがっていたのに、わざわざ連れて行こうとしているのだろう。


 私がクッキーを口に加えたまま、完全に眉根を寄せて考え込んでいると、ヴァル様はふっと男らしい唇を緩めて笑った。


「なんだ、結衣。そんなに難しい顔をして。せっかくの二人旅なんだ、もっと楽しそうにしてくれよ。ゼクセンへ行くのは初めてだろう?」


「初めてですけど……あの、ヴァル様。私、本当に何も分からなくててんてこまいなんです。どうしてザクセンへ向かっているんですか? あちらは今、魔物が出て大変なんですよね……?」


 私が思い切って尋ねると、ヴァル様は私の手からそっと食べかけのクッキーを取り上げると、自分の口へ放り込んだ。そして、悪戯が成功した少年のような、どこか腹黒くて、でもとびきり魅力的な笑みを私に向けたのだった。


 馬車がようやく速度を落とした。

 窓の外から聞こえてくるのは、のどかな街道の音ではない。バリバリと空気を引き裂くような雷鳴のような響きと、大地の底から響く地鳴り、そして聞いたこともないような獣の咆哮だった。


「着いたな。結衣、危ないから俺の側を絶対に離れるんじゃないぞ」


 ヴァル様はそれまでのはしゃいだ様子から一転、鋭い顔つきになり、私の腰を引き寄せて馬車の扉を開けた。


 一歩外へ踏み出した瞬間、肌を刺すような冷たいプレッシャーに思わず身震いした。

 そこは、荒涼とした岩肌が続くザクセン皇国の国境付近だった。遥か前方、不気味に歪む空間の奥から、山のように巨大な魔物が何匹も這い出そうとしているのが見える。地脈の乱れというのは、こんなに恐ろしいものだったんだ……。


 そしてその最前線で、銀色の髪をなびかせ、光り輝く魔法の陣をいくつも展開して魔物を退治している人物がいた。


「――東方結界、展開! これ以上、一歩も通すな!」


 クリストフ皇子だ。

 彼は昨日の完璧な身なりとは違い、泥と返り血に汚れながらも、必死に前線を維持していた。皇子の放つ氷の礫が、大型の魔物の巨体を次々と撃ち抜いていく。


 その時、私たちの乗ってきた、公爵家の紋章が入った豪華な馬車に気づいたクリストフ皇子が、驚愕したようにこちらを振り返った。


「なっ……ヴァルフレイド閣下!? それに、結衣殿まで……一体なぜここにいるのだ!」


 魔法を発動した姿勢のまま、クリストフ皇子は完全に固まっていた。氷の彫刻のような美貌が、今は「意味が分からない」という困惑だけで満ち満ちている。無理もない、命がけで魔物と戦っている最前線に、隣国の最高権力者と、一介の事務員がのんきに馬車で乗り付けてきたのだから。


「俺たちのことは気にするな。野暮用だ」


 ヴァル様は私の肩を抱いたまま、ふんと傲岸に笑って見せた。


「意味が分からない……! ここは戦場だぞ! なぜ結衣殿のような一般人をこんな危険な場所に連れてきた! 閣下、正気なのか!?」


 クリストフ皇子は魔物の攻撃を払いながら、本気で怒ったように声を荒らげた。私を危険に晒したヴァル様を非難しつつ、同時に、私を守ろうとするような鋭い視線がこちらに向けられる。


 すると、案の定というか、ヴァル様の腕が私の腰をグッと引き締め、その金色の瞳が一瞬ギラリと光った。


「俺の番を見つめるな。お前に会わせに来たわけじゃない。ほら、お前が本当に必要としていたのは、あっちだろう?」


 ヴァル様が顎で街道の向こうを指し示した、まさにその時。


 鼓膜を震わせるような、高く猛々しい馬のいななきが周囲の岩山に響き渡った。


 見れば、私たちが通ってきたばかりの街道の地平線から、目にも留まらぬ速さで駆け抜けてくる純白の影がある。背中に美しい翼をはためかせ、蹄から光の粉を散らしながら走っているのは――間違いない、ペガサスだ。


「ヴァル兄様、結衣をこんな危険な場所に連れてくるなんて、一体どういうつもりですのーーーっ!?」


 ペガサスの手綱を猛烈な勢いで引き絞り、私たちのすぐ目の前で急停止させたのは、顔を真っ赤にして怒り狂っているセシリア様だった。その背から飛び降りるや否や、ドレスの裾を翻して地響きを立てんばかりの勢いでこちらへ詰め寄ってくる。


「セ、セシリア……!? なぜ君がここに……!」


 クリストフ皇子が絶句している。


 セシリア様はぷんぷんと湯気を立てながら、ヴァル様をビシッと指差した。


「ヴァル兄様! わたくしへの嫌がらせなら、いくらでも甘んじて受けますわ! ですが、こんな恐ろしい大型の魔獣が出ている戦場に、か弱いわたくしの結衣を連れてくるなんて……一体どんな神経をしていらっしゃいますの!? もし美しいお肌に傷でもついたら、どう責任を取るおつもり!?」


「……おい、我が儘プリンセス。誰がお前の結衣だ」


 ヴァル様はセシリア様を底冷えするような金色の瞳で睨みつけた。


「いい加減にその寝ぼけた頭を冷やせ。結衣は俺の番だ。お前が指一本触れることも、そのふざけた口で名前を呼ぶことも、俺はこれ以上許すつもりはない」


 ヴァル様の地を這うような低い男の声が、周囲の空気ごとセシリア様を威圧する。


「おい、セシリア。結衣の包容力とやらを学びたいと言ったな? だったら、まずはあそこで死に物狂いで戦っているお前の婚約者の窮地を救って、その包容力とやらを見せてみろ」


 セシリア様がハッとして戦場に目を向ける。

 前線では、クリストフ皇子が限界に近い魔力を振り絞り、氷の結界で大型の魔物を押し留めていた。けれど、地脈から噴き出す禍々しいもやのようなもののせいで、精霊魔法がじわじわと侵食され、皇子の美しい額には苦しげな汗が滲んでいる。


「地脈の穢れがああして溢れ出ている限り、いくら魔物を斬ったところでキリがない。あれを根本から抑え込めるのは、聖なる魔力――お前の一角獣ユニコーンの浄化の力だけだ」


 セシリア様はハッとしたように大地の裂け目を見つめたものの、その美しく整えられた指先をぎゅっと握りしめ、青い瞳を激しく揺らした。


「わ、わたくしの……ユニコーンの力……。でも、お兄様、わたくしの姿は……っ」


 セシリア様の唇が歪み、言葉が詰まる。

 昨日、クリストフ皇子にありのままを受け入れてもらったとはいえ、長年苦しんできたコンプレックスだ。この戦場には多くのゼクセンの兵士たちもいる。人目の多いこんな場所で、自分が変身することへの恐怖と恥ずかしさが、どうしても彼女の足をすくませてしまうのだろう。


 躊躇うセシリア様を見て、ヴァル様は冷酷に唇の端を吊り上げた。私の腰を抱く腕にわざとらしく力を込め、私の身体を自分の胸へと引き寄せる。


「そんなところで突っ立っている暇があるのか? 地脈の穢れはどんどん広がっているぞ。このままだと結界が破られて、ここにいる俺の可愛い結衣にも、あの禍々しい穢れが降り注ぐことになるかもしれないが……それでもいいんだな?」


「なっ……!?」


 セシリア様が、弾かれたように私を見た。

 ヴァル様、セシリア様を煽るために私をダシに使うのはやめてください! と、私は背後の彼の胸をポカポカと叩いたけれど、ヴァル様はクスクスと笑うだけで、私を絶対に離そうとしない。


「結衣に……穢れが……!? そんなこと、このわたくしが絶対に許しませんわ!!」


 その瞬間、セシリア様の瞳から迷いが完全に消え失せたように見えた。


「見ていらっしゃい、ヴァル兄様! 結衣、今すぐわたくしがこの不浄な大地を美しくお掃除して差し上げますわ!」


 セシリア様が覚悟を決めて両手を天に掲げた瞬間、彼女の身体から、目も開けられないほどの凄まじい光が爆発した。


 眩しさに思わず目を細めると、光の塊の中から、あのモコモコとした愛らしい、けれど圧倒的な神聖さを纏ったユニコーンの姿が現れた。額には真珠のように輝く一本の角。短い足はポニーのようにどこかユーモラスだけれど、その身体から放たれる清らかな光は、周囲の空気を一瞬にして浄化していく。


 ユニコーンとなったセシリア様は、愛らしくも力強い嘶きを上げると、短い後ろ足で力強く大地を蹴った。

 ダダダダッ! と小気味よい音を立てて戦場のど真ん中へと突撃し、地脈の裂け目の真上で、思い切りその蹄を地面へと踏み抜く。


 ドォーーーンッ!!!


 爆音と共に、大地の底から純白の光の柱が天高く突き抜けた。

 それは息を呑むほどに美しい光景だった。セシリア様が力強くステップを踏むたびに、地面を覆っていた禍々しいもやがジュウジュウと音を立てて消滅し、ひび割れた大地からみるみるうちに青々とした美しい草原が広がっていく。魔物たちもその聖なる輝きに怯え、次々と霧のように消え去っていった。


「セシリア……! 素晴らしい、君のその姿は、なんて神聖で愛らしいんだ……!」


 前線で限界を迎えていたクリストフ皇子が、目を見開いて、感動に震える声でそう呟くのが聞こえた。変身した彼女を不格好だと笑う者など、この戦場には一人もいなかった。


(セシリア様、かっこいい……!そして、とってもかわいいっ……!)


 私が胸を熱くして見守っていると、地脈を完璧に浄化し終えたセシリア様――いえ、白くてモコモコなポニーユニコーン様が、ふんす、と誇らしげに鼻を鳴らした。

 そして、短い後ろ足を器用に動かしながら、トコトコ、トコトコと小気味よい足音を立てて、まっすぐに私たちの前へと歩いてきたのだ。


 その丸っこいお尻を少しだけ左右に振りながら、短い首をきゅっと持ち上げて「どうかしら!?」と言わんばかりのドヤ顔をしている。


「……っ、かわいい……っ!!」


 あまりの愛らしさに、私の胸のキュンキュンメーターが爆発した。伝説の聖獣というよりは、完全に「ちょっと角が生えたすごく可愛いミニチュアポニー」である。触ったら絶対にフカフカだし、あのつぶらな瞳で見つめられたら、何でも言うことを聞いてしまいそうだ。メロメロになった私が思わず手を伸ばそうとした、その時。


 珍しく、私の背後にいるヴァル様が、機嫌の良さそうな低い笑い声を響かせた。


「よくやったじゃないか、セシリア。見事だったぞ」


 いつもなら「結衣をそんな目で見るな」と嫉妬するはずのヴァル様が、今は信じられないほど上機嫌だ。


 するとヴァル様は、私の腰を抱いたまま、すっと周囲を見渡した。

 戦場には、命を救われて呆然としている大勢のザクセンの兵士たちが、まだ静まり返ったまま集まっている。ヴァル様は、よく通る男らしい声で、朗々と彼らに向かって語りかけ始めた。


「ザクセンの勇猛なる兵士たちよ! よくぞ刮目して見たな! 窮地に陥った愛しい婚約者クリストフ皇子のために、遥々駆けつけた聖なるユニコーンの乙女――それこそが、お前たちの新たな希望、セシリア皇女殿下だ!」


 ヴァル様はさらに声を張り上げ、堂々と宣言を続けた。


「殿下は、見事な愛の力をもってこの地の地脈の乱れを平定し、禍々しい魔物を一掃された! これほどの奇跡を成し遂げる聖女が、皇子殿下の隣に立つのである。これからのザクセン皇国の平和は、永久に約束された!!」


「おおおおおおおっっっ!!!」


 ヴァル様の力強い演説に導かれるように、兵士たちの間から、大地を揺るがすような大歓声が沸き起こった。「セシリア殿下万歳!」「クリストフ殿下万歳!」と、戦場がお祭り騒ぎのような大熱狂に包まれていく。


 セシリア様は、兵士たちの凄まじい歓声と、ヴァル様のあまりに完璧な『外堀の埋め立て』に、ポニーの姿のまま怒りまくっている。


「ちょっとーーー! ヴァル兄様、勝手に何を決めていらっしゃいますの!? わたくしは結衣を正妃に迎えて愛の修行をするって、そう決めて――っ!」


 セシリア様は四つの短い足をジタバタとさせながら、トコトコトコッと猛烈な勢いでヴァル様に詰め寄ってきた。ユニコーンの姿のままなので、頭の上の角が怒りで小刻みに震えている。人間でいうところの激おこ状態なのだろうけれど、そのモコモコした見た目のせいで、怒れば怒るほどマスコットキャラクターとしての可愛さが天井知らずに跳ね上がっていた。


「何を怒っているんだ、セシリア。お前が盛大にやらかしたから、俺が綺麗にまとめてやっただけだろう? 感謝されても文句を言われる筋合いはないな」


 ヴァル様は、詰め寄ってくる聖獣を鼻にもかけず、フイッと冷淡に顔を背けた。

 完全に「用済みの我が儘プリンセスなど知らん」と言わんばかりの態度である。周りの兵士たちの「万歳!」という歓声が大きすぎて、セシリア様の必死の抗議の声はどんどんかき消されていく。横ではクリストフ皇子が、ほっとしたような、でもちょっと呆れたような顔で私たちのやり取りを眺めていた。


(怒っているセシリア様も、信じられないくらいかわいい……! あの短い足で地団駄を踏む姿、たまらない……っ!)


 私は完全に、セシリア様の愛らしさの虜になっていた。胸の内で「がんばれ、かわいい、がんばれ」と、不謹慎にもそのお怒りモードの姿を大絶賛しながら、きゅんきゅんと胸を高鳴らせて見つめていた――その時。


 ピクッ、と私の腰を抱いているヴァル様の大きな身体が強張った。


 冷淡だったはずのヴァル様が、もの凄くめざとい動きでギラリと金色の瞳を光らせ、私の顔をじっと覗き込んできたのだ。その瞳には、一瞬にして濃厚な嫉妬の炎がメラメラと燃え盛っている。


「……結衣。お前、今、あの我が儘ポニーを見てかわいいとか思っていただろう」


「ひっ!? な、何のことですか!?」


 心の中を完全に読まれて、私は情けない声を上げてしまった。


「誤魔化しても無駄だ。お前の目は完全にあのモコモコした生き物に気持ちを奪われている。……ここに長居するのは危険だな」


 ヴァル様は忌々しそうに吐き捨てると、まだ抗議を続けようとしていたポニーセシリア様を容赦なく無視して、私をひょいとお姫様抱っこにした。


「ヴァ、ヴァル様!? まだセシリア様がお話の途中で――」


「お前の目は、俺だけを見ていればいいんだ。おい、撤収だ! 今すぐ帰還する」


「は、はいっ! ただちに馬車を出します!」


 いつの間にか控えていた御者さんが、ヴァル様の凄まじい剣幕に怯えながら即座に返事をする。

 ヴァル様は私を腕の中にガッチリと閉じ込めたまま、長い足を大股に動かして、公爵家の馬車へと突き進んでいった。


「お待ちになって、ヴァル兄様! わたくしの結衣を連れていかないでーーーっ!!」


 バタン! と乱暴に馬車の扉が閉まり、私たちはそのまま、怒涛の勢いでザクセンの戦場を後にした。


「……さあ、帰りの馬車は長いぞ、結衣。お前が他の奴に目を移した罪、じっくりと償ってもらうからな?」

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