第31話:最大の試練(前)
観測網が完成した翌日。
ベイモスが動いた。
「王都に向かっています!」
魔術師の報告が飛び込んできた。声が震えている。
「地中を移動中。このままの速度なら、半日で王都に到達します!」
俺たちは城壁の上に立ち、北の方角を見つめていた。冬の冷たい風が頬を打つ。
遠くの地平線が揺れている。地震だ。ベイモスが移動するたびに、大地が震えている。足元の石畳にも、かすかな振動が伝わってくる。
「来るぞ……」
アランが剣を握りしめた。指が白くなるほど、強く握っている。
「あれが、俺たちの相手か」
◇ ◇ ◇
王都では避難命令が出された。
城壁の上から見下ろすと、南門に向かう人の波が見えた。
泣き叫ぶ子供の声が、風に乗って聞こえてくる。
「お父さん! お父さんは?」
「後から来るから! 今は走るの!」
若い母親が、必死で子供を抱えて走っている。その後ろを、杖をついた老婆が必死についていく。足がもつれそうになりながら、それでも止まらない。
家財道具を荷車に積んだ商人が、途中で車輪を壊した。立ち往生している。
「置いていけ! 命の方が大事だ!」
「でも——これが全財産なんだ——!」
怒号。悲鳴。泣き声。
混乱の中で、誰かが転んだ。踏まれそうになる。誰かが手を差し伸べて、引き起こす。
これが——戦いが始まる前の、街の姿だ。
俺は拳を握りしめた。あの人たちを守るために、俺たちは戦う。
残るのは、兵士、魔術師、そして金ランク以上の冒険者たち。王都を守るために残る者たち。
「作戦を確認しよう」
俺は仲間たちに声をかけた。城壁の陰で、最終確認を行う。
「ベイモスの心臓部には封印の刻印がある。そこを攻撃すれば、再封印できる。記録庫で見つけた情報によれば、千年前も同じ方法で封印したらしい」
「でも、どうやって心臓部まで辿り着くの?」
エイダが聞いた。風で髪が乱れている。
「あんな巨大な魔物、正面から戦っても無理よ」
「だから、陽動を使う」
俺はAIと共に練った作戦を説明した。
「まず、兵士と冒険者たちがベイモスの注意を引く。複数方向から攻撃して、動きを制限する。その隙に、宮廷魔術師たちが封印術を準備する。そして——」
「俺たちが心臓部を狙う」
アランが言った。
「それが俺たちの役目か」
「インファレンスは機動力がある。エイダの火魔法で攻撃し、アランが前衛を務め、ジェフリーが回復で支援する。俺は状況を分析して、最適なタイミングを見極める」
「危険な役目だな」
アランが言った。
「分かってる。でも、誰かがやらなければ」
俺は答えた。ジェフリーが静かに頷いた。
「わしらが最適じゃ。他のパーティには、この連携はできんわい」
◇ ◇ ◇
午後になると、地震がさらに激しくなった。
城壁の石が軋む音がする。兵士たちが足を踏ん張って耐えている。
ベイモスが近づいている。
そして——大地がさけた。
最初に感じたのは、地響きだった。今までとは桁違いの振動。城壁が、足元が、全身が揺れる。
北の城壁の外。地面が盛り上がっている。
割れた。
土砂が噴き上がった。木々がマッチ棒のように吹き飛ぶ。そして——
何かが、這い出してきた。
足が竦んだ。体が動かない。
初めてゴブリンと戦った時を思い出した。あの時も怖かった。足が震えた。でも、これは——
桁が違う。
山のような体躯。岩のような皮膚は灰色で、ところどころに苔のような緑が生えている。血のように赤い目が四つ、こちらを——
——見ている。
視線が合った気がした。瞬間、心臓が跳ね上がった。口の中がカラカラに乾く。膝が笑っている。
呼吸。呼吸しろ。
口からは蒸気のような息が漏れ、その息に触れた草が枯れていく。腐った卵のような臭いが、風に乗って届いた。
大地を揺るがすほうこうが響いた。
空気が震える。鼓膜が痛い。城壁の石がボロボロと崩れ落ちる。隣の兵士が耳を押さえてうずくまった。
「あれが……ベイモス……」
エイダの声も震えていた。
想像を超えていた。記録には「巨大」とあったが、言葉の意味を理解していなかった。建物十階分はある。いや、それ以上かもしれない。城壁が、おもちゃに見える。
ベイモスが一歩を踏み出すと、大地が揺れた。二歩目で、周囲の木々が倒れた。三歩目で——城壁に向かって突進を始めた。
「迎撃開始!」
将軍の号令が響いた。
弓兵が矢を放ち、魔術師が魔法を放つ。矢の雨と魔法の光がベイモスに降り注ぐ。しかし、ベイモスの岩のような皮膚には傷一つつかない。矢は弾かれ、魔法は皮膚の上で弾けて消える。
「効いてねえ……!」
アランが叫んだ。
「当たり前だ。あの皮膚は岩より硬い。通常の攻撃じゃ通用しない」
俺は歯を食いしばりながら答えた。
AIに確認する。
「ベイモスの動きを分析してくれ。弱点はどこだ」
俺はこれまで蓄積してきた情報を全て参照しようとした。モンスター生態、古代遺跡の記録、封印術の知識、戦術論——
『警告:参照情報が過多です。処理に時間がかかっています』
AIの声が普段より遅れて返ってきた。情報が多すぎる。
「絞れ。今必要なのは——戦闘に関する情報だけだ。遺跡の歴史とか、今は要らない」
『了解しました。参照範囲を限定します』
これだ。情報を選ぶ判断も、俺がしなければならない。AIは選んでくれない。
『観察に基づく分析です。
確認事項:
・正面と背面の皮膚は非常に硬い
・関節部(肩、膝、肘)はやや皮膚が薄い可能性
・心臓部は胸の中央付近と推測
・目は四つあり、全て同時に守るのは困難
提案:
・関節を狙って動きを制限する
・動きが止まった隙に心臓部へ接近する
・封印術を発動するタイミングを合わせる』
「関節を狙え! 肩、膝、肘!」
俺は大声で叫んだ。
指示が伝わり、攻撃の方向が変わった。魔術師たちが関節を狙って魔法を放つ。氷の矢、風の刃、雷の槍。
すると——ベイモスが僅かによろめいた。
「効いた!」
誰かが叫んだ。周囲から歓声が上がる。
◇ ◇ ◇
戦闘は激しさを増した。
ベイモスは城壁に迫り、巨大な腕を振り上げた。一撃で、城壁の一部が崩れ落ちる。何トンもある石が砕け、兵士たちが巻き込まれた。
「退け! 崩れるぞ!」
兵士たちが慌てて退避する。
その時——アランが瓦礫に足を取られた。
「くっ——!」
体勢を崩したアランの頭上に、ベイモスの腕が振り下ろされようとしている。巨大な影が覆いかぶさる。
「アラン!」
エイダが叫んだ。火球を放つが、間に合わない。
俺はAIに叫んだ。
「ベイモスの攻撃パターンを分析しろ! 次にどこを狙う!?」
『情報が不足しています。攻撃パターンを言語化するには——』
言語化? そんな時間はない。
アランが死ぬ。今すぐ、次の攻撃がどこに来るか分からなければ——
俺はベイモスを凝視した。振り上げられた腕。筋肉の動き。重心の傾き。目の向き。全部が情報だ。でも、言葉にしている時間がない。
——見せられたら。
この光景を、そのままAIに渡せたら。
その瞬間、頭の中で何かが弾けた。
『——情報蓄積量が閾値を超えました。スキルレベルを2に更新します——』
視界が白く染まった。
目の奥が焼けるように熱い。脳が沸騰するような感覚。痛い。でも、止まっている場合じゃない。
『新機能「静止画共有」が解放されました』
考えるより先に、体が動いていた。
「保存!」
目の前のベイモス——振り上げた腕、傾いた重心、四つの目の視線——全てが脳内に焼き付いた。
「これを見ろ!」
『画像を受け取りました。緊急分析を実行——
腕の角度と重心から、攻撃は左斜め下方向と推測。
アランの現在位置から右に二メートル移動すれば回避可能。
確度:高』
「アラン、右に転がれ! 今すぐ!」
俺の声が届いた。アランは反射的に右へ転がった。
直後、ベイモスの腕が地面を叩いた。アランがいた場所が、深くえぐれる。土砂が舞い上がり、衝撃波が俺たちを襲った。
「……助かった……」
アランが這い上がりながら、信じられないという顔で俺を見た。
「マナブ、今の——」
「後で説明する。今は戦いに集中しろ」
俺の中で、何かが変わっていた。AIとの接続が、一段階深くなった感覚。言葉だけじゃない。見たものを、そのまま渡せる。
この力が、今ここで目覚めた。仲間を救いたいという、切実な願いが引き金になった。
胸の奥が熱い。一年間、情報を蓄積し続けてきた。失敗して、学んで、AIと一緒に積み上げてきた。その全てが、今、形になった。
——ありがとう。
心の中で、AIに言った。返事はなかった。道具は道具だ。でも、俺たちは確かに、一緒に成長してきた。
俺たちも場所を移動しながら、戦況を観察していた。
「今だ! 動きが止まった!」
関節への攻撃が効き、ベイモスの動きが一瞬止まった。右脚を狙った氷魔法が、関節を凍らせている。
「行くぞ!」
俺たちは駆け出した。
瓦礫の間を縫い、ベイモスへと接近する。巨大な体躯が目の前に迫る。近くで見ると、その大きさは想像以上だ。足の一本だけで、家一軒分はある。
「心臓部は胸の中央! そこを狙え!」
エイダが火球を生成した。通常より大きく、強力な一撃。魔力を限界まで込めている。
「ファイアボール!」
火球がベイモスの胸に向かって飛んだ——
しかし、ベイモスは腕を振り上げ、火球を払い落とした。爆発が起き、熱風が俺たちを襲う。
「くっ……!」
エイダが歯を食いしばった。
「通らない……!」
「簡単には行かないな」
俺は呟き、冷静に状況を分析した。
心臓部には届かなかった。でも、ベイモスは確かに反応した。心臓部を守ろうとしている。つまり、そこが弱点だという証拠だ。
「作戦を変更する。もっと大きな隙を作らなければ」
俺たちは一旦退いた。
戦いは、まだ始まったばかりだ。
第31話「最大の試練(前)」 完
次回:第32話「最大の試練(中)」




