第52話 囮注文と、影の受取人
王都の朝は、もう俺たち抜きでは回らない。
兵站倉庫は朝1番に伝票を持ち込み、王宮厨房は昼前に追加を寄こす。医療区画は毎日、患者の列をこちらへ流す。黒鉄要塞の出張所は、いつの間にか王都の臓器になっていた。血液が止まれば、街が死ぬ。
行列の先頭で、1号が淡々と頭を下げる。
「受付は順番に。優先度は医療、兵站、食。嗜好品は最後」
反論は出ない。出せない。依存は、いつだって徹底的に従順だ。俺は司令室のコタツから動かず、斥候蜘蛛の映像で外を見ていた。勝ちを固定するのに、俺の足は要らない。要るのは仕組みだ。
「高橋。窓口を分けろ」
高橋が伝票束を抱えたまま、眉をひそめた。
「もう分けてる。表は通常受付。裏は急ぎと厄介者。でも裏が膨れてきた」
「膨れたら雇う」
「雇ったわよ。試用で2人。あなたの言う通り、待ち時間の損失が1番高いからね」
高橋は嫌そうに言いながらも、動きは速い。俺は頷いた。雇用はコストじゃない。処理能力の投資だ。投資が遅れれば、王都支配が遅れる。
だが今日の目的は、王都じゃない。本当の敵に触る。
「裏窓口の条件を追加する」
「何」
「文章が整いすぎている。こちらの言い回しを知っている。納期が秒単位。受取人が名乗らない。そういう依頼は全部、裏へ回せ」
高橋が口を尖らせた。
「はいはい。犯罪の匂いがするやつね」
「犯罪者は効率を好む」
「あなたもね」
「俺は利益を好む」
言い返すと、高橋は小さく笑った。笑ってる余裕があるのが、今だけだと俺は知っている。
まず餌を用意する。俺は高橋に、伝票の雛形を渡した。
中身は普通の物資だ。食料と薬。だが条件だけは異常に良い。高額。納期極短。受取人は名乗らない。受取場所は、1号が昨日通った王宮裏手の通路付近。身分証も不要。
そして1行だけ、匂いを混ぜる。指定時刻は、300秒後。
高橋が眉をひそめた。
「300秒って、何」
「釣り針だ」
「王都の人間は普通、そう書かない」
「だからだ」
地球側の人間なら、秒で書く。無駄な説明を省き、時間を正確に切る。相手が効率の虫なら、食いつく。
高橋が溜息を吐く。
「本部に引っかからない?」
「澪にも迷子魂にも触れてない。本部が怒るなら、怒る理由がある時だ」
その言葉は、呪いみたいに自分へ返ってくる。俺はそれを飲み込んだ。
餌を出した。高橋が裏窓口の処理に紛れ込ませる。表の行列はそのまま回す。王都支配は止めない。止めた瞬間に負ける。
配送班はレオン隊が回す。収納ボックスがある限り、運搬は速度と安全を両立できる。門前でレオンが拳を鳴らしていた。
「マスター。囮とは、痛い任務ですか」
1号が冷たく言う。
「仕事」
「感謝です」
ソフィアが腕を組んで微笑んだ。温度はない。
「余計な怪我は修理費を請求。壊したら請求。遅れたら請求。囮を本物にしたら2重に請求」
「マスター、もっと請求を」
「じゃあ3重に請求」
「最高です」
この会話を聞いた神殿の見張りが、目を逸らした。
囮荷物は、予定通りに出た。受取地点の周辺に、斥候蜘蛛を3体。屋根。路地の影。石壁の上。動かない。鳴かない。ただ、見ている。
俺は司令室で映像を切り替える。視点が3つ。死角を潰す。追うのは足じゃない。目だ。
「1号。受取地点へ行くな」
俺が言うと、1号の返答は即答だった。
「了解。受取はレオン隊に任せます。私は表の行列を回します」
それでいい。必要のない足跡は増やさない。効率の鬼は、無駄な情報を出さない。
指定時刻まで、残り10秒。現場は静かだ。王宮裏手の通路は、朝の忙しさから少し外れている。人影は少ない。少ないのに、胸がざわつく。
残り5秒。レオン隊が囮荷物を置く。受取人が手を伸ばせば即確保できる位置だ。
残り3秒。残り2秒。残り1秒。
誰も来ない。次の瞬間、路地の奥で何かが動いた。
足音。短い。軽い。影がすっと消える。
「来た」
高橋の声が耳に入る。彼女も映像を見ている。斥候蜘蛛が追尾に移る。
屋根の上の個体が、無音で距離を詰める。路地の影の個体が、追いかけるのではなく先回りする。逃げ足が速い。訓練された動きだ。王都の盗賊のそれとは違う。
影は王宮から離れた。神殿の方へも行かない。貴族街でもない。人の流れが薄い、下町の外れへ向かう。
朽ちた倉庫。使われていない裏口。壁の隙間から、闇が吐き出す匂い。影が、そこに入った。
蜘蛛が壁の上で止まる。中は見えない。音もない。だが入口の脇に、1瞬だけ手が現れた。
白い指。皮膚が薄い。爪が短く整っている。
次に見えたのは、小さな札。四角い紙片。薄い。白い。王都の紙とは違う。繊維が見えない。滑るように均一だ。その紙片に、印刷の文字があった。黒い。均一。筆圧がない。書いた文字じゃない。刷った文字だ。
斥候蜘蛛の映像が、そこで切り替わった。屋根の個体が角度を変える。紙片の端に、英数字が見えた。
高橋が息を呑む。
「それ、何」
「地球だ」
俺は短く言った。王都に印刷はない。英数字を日常的に使う習慣もない。この紙片は、ここで作られた物じゃない。誘拐犯は、王都の影にいる。そして地球側の匂いを持っている。なら澪の鍵は、地球へ繋がっている。
その瞬間、映像が1瞬だけ乱れた。蜘蛛が壊れたわけじゃない。風でもない。視界に浮かぶ映像そのものが、ざらりと荒れる。
高橋が顔を上げた。
「今の、何」
「本部だ」
俺はそう言い切った。根拠はない。だが確信はある。本部が気にするのは澪の案件だ。澪に触れていないのに、ここでノイズが入るなら理由は1つ。俺たちは正しい方向へ踏み込んだ。
映像が戻る。倉庫の裏口は閉じられている。影はもう見えない。ただ、蜘蛛の視点の隅に、もう1つだけ残っていた。
倉庫の壁の下。泥に押し込まれた足跡。硬い靴底の模様。揃いすぎている。王都の靴じゃない。規格がある。工場がある。
高橋が小声で言った。
「これ、王都の敵じゃないね」
「王都の敵は、表に出てくる。これは表に出ない。俺と同じだ」
「笑えないんだけど」
「笑わなくていい。次は捕る」
俺はコタツの上で指を組んだ。盤面が見える。本部が首輪を締める前に。誘拐犯が澪を受け取る前に。王都の影を押さえ、地球の匂いの出所を切る。俺は息を吐く。
「本部が嫌がるなら」
言葉を切る。確信を刃に変える。
「正しい方向だ」




