第45話 神殿監査と、黒鉄要塞の接客
霧が、音を吸った。
街道の向こうから、金属が擦れる音と蹄の足音が、遅れて届く。
監査団。
白い外套の神官たちと、銀の鎧の聖騎士。隊列は30。その先頭に、フードの男がいた。
「王都神殿、監査局所属。リオネル=グラッド。本日より当方は、霧の森に現れた黒鉄の城の監査を行う」
声は落ち着いているのに、言葉は刃の形をしている。
「神殿を通さぬ奇跡。無許可の施術。無許可の物資配布。貴殿らが神の名を騙っている疑いがある」
隣で、若い聖騎士が硬い顔のまま剣の柄に手を添えた。正義感が、鎧の隙間から漏れている。
「――ようこそ」
黒鉄の門の前に立つ男が、丁寧に頭を下げる。
黒いスーツ。胸のプレートにはファントム・ロジスティクスの刻印。
そして名乗りはこうだ。
「ファントム・ロジスティクス代表、九条と申します」
だが、俺は知っている。
門前に立つ九条は、1号だ。俺の影武者。
俺は司令室で、斥候蜘蛛の映像越しに状況を見ていた。
門前の左。
そこに、1つ目の地雷が立っている。
レオン。
巨体の騎士。フルフェイスの兜。筋肉の塊。
彼はなぜか、監査団の威圧を浴びて嬉しそうに背筋を伸ばしていた。
「代表」
若い聖騎士が半歩前へ出る。
「監査に協力せよ。拒否するなら、我々は――」
その瞬間。
レオンが1歩、出た。
門前の空気が、重く沈む。若い聖騎士の手が剣に食い込む。リオネルの目が細くなる。
そしてレオンは、心底まじめな声で言った。
「もっときついのを」
静寂。
霧が止まったみたいに見えた。
「……何だ」
若い聖騎士が固まる。リオネルが1瞬だけ言語処理に失敗した顔になる。1号は微笑みすら崩さず、レオンへ視線を投げる。
「レオン。待機」
「はい。代表。叱責、感謝です」
司令室で、高橋が小声で呟く。
「いきなり異端の証拠を提出しないでほしいんだけど」
「提出じゃない。放出だ」
ソフィアが淡々と訂正した。
「この男、抑えても抑えても勝手に漏れるのよ」
1号は門前の空気を、手続きで切り替えた。
「監査、承知しました。ただし、監査の範囲を確認させてください」
リオネルの眉が動く。
「範囲?」
「人数、期間、立入区域、記録の扱い。現場での指示系統。そして差し押さえ等、行政執行を伴う権限の有無です」
言葉が、武器の形をしていた。リオネルが口角を上げる。笑っていない笑みだ。
「商人風情が、法を語るか」
「商人だからです。契約のない取引は、ただの強盗です」
短い沈黙。若い聖騎士の目が泳いだ。正義は、契約の言葉に弱い。リオネルは紙束を差し出した。
「神殿の監査令状だ。監査だ。接収の話はしていない」
「承知しました。監査は監査として行いましょう」
1号が1歩下がり、門の内側へ手を差し伸べる。
「お入りください。武器の携行は可。抜刀は不可。この要塞は民間施設です。事故が起きれば責任問題になります」
リオネルの顔が、ほんの少しだけ歪んだ。
「……案内しろ」
最初の見学先は、医療区画だった。
白い布。薬草の匂い。金属器具。そして寝台の上で包帯を巻かれている元ボルドー兵。
「……回復している」
若い聖騎士が思わず声を漏らす。折れていたはずの脚が、まっすぐ伸びている。折れていたはずの腕が、動いている。
「1晩で……こんな」
「驚くには早いわね」
ソフィアが、にこやかに入ってきた。
黒い作業服。胸元のバッジに医療と安全の文字。
「医療担当、ソフィア。ここは病院じゃない。社内の修理工場よ」
神官の1人が眉をひそめる。
「修理?」
「ええ。働ける身体に戻すための修理。壊れたら直す。それだけ」
リオネルが踏み込む。
「その治療は神の奇跡か。術式か。そして対価は?」
ソフィアは笑顔のまま言い切った。
「対価はあるわ。無料奉仕なんて、労働を腐らせるだけ」
レオンが寝台から手を上げる。
「先生。もっと叱ってください」
ソフィアは即座に返した。
「もちろん。また経費の無駄遣いしたのね。減給よ」
監査団が、1斉に引いた。若い聖騎士の顔に、こわいものを見たと書いてある。
司令室で高橋が囁く。
「ねぇ……今の会話、異端って認定していいと思う」
「異端じゃない。職場だ」
俺が言うと、ソフィアが天井の斥候蜘蛛に向けて微笑んだ。
「代表。あなたも修理の頻度が高い。来月から自己負担を増やしましょうね」
胃の奥が冷えた。次は食堂。
湯気。香り。赤い油と、骨の匂いと、塩の暴力。監査団が足を止めた。
「……これが噂の……」
「ラーメン」
高橋が当たり前みたいに言う。若い聖騎士が器を見つめる。未知の食い物に対する真面目な警戒。リオネルは、もっと実務的に警戒していた。
「食を与える。傷を癒す。兵を動かす。貴殿らは、何を作るつもりだ」
1号は即答しない。代わりに、湯気の向こうを見据えて言った。
「作りません。整えます」
その返答が、いちばん怖かった。若い聖騎士がぽつりと呟く。
「神殿より、現場に近い」
リオネルが鋭く睨む。
「口を慎め」
最後は倉庫。ここが監査団にとって最悪の場所だ。ただの商人なら、こんな在庫は持てない。
武具。薬。保存食。工具。そして見慣れない箱。見慣れない金属。見慣れない規格。
リオネルが声を低くした。
「……これは何だ」
「在庫です」
1号が淡々と答える。
「供給のための備え」
「備え? 違うな」
リオネルが1歩踏み込む。
「これは支配だ。兵と医療と食を握り、領を動かす。貴殿らは国を作る気か?」
その瞬間。
棚の上から、靴音もなく軽い影が降りた。
「国なんて、面倒くさい」
少女の声。ロザリー。金髪を揺らし、楽しそうに笑っている。
「爆破したら終わるのに」
監査団の空気が、凍る。若い聖騎士が反射で半歩退いた。神官の1人が聖印を握りしめる。ロザリーは、にこにこしたままリオネルを見る。
「ねぇ神官さま。それ、差し押さえるの? 勝手に持ってくの?」
リオネルが喉を鳴らす。
「監査だ。差し押さえでは――」
ロザリーが首を傾げる。
「じゃあ触るだけ? 触ったら壊れたらどうするの?」
目が笑っていない。壊すの意味が物理だ。1号が静かにロザリーへ視線を向ける。
「ロザリー。待機」
「はーい」
返事は素直。だが素直なのが逆に怖い。リオネルが、ここで牙を剥いた。
「聖騎士。この倉庫の一部を封鎖し、記録を押さえろ」
銀の鎧が動く。若い聖騎士の手が剣に触れる。その瞬間、1号の声が1段低くなった。
「監査令状に、封鎖の権限は記載されていますか」
空気が止まる。
「封鎖は監査ではなく行政執行です。神殿が単独で行うなら、王都の正式手続きが必要になる」
リオネルの顔が歪む。
「……商人風情が、神殿に口を利くな」
「商人だからです」
1号は1歩も引かない。
「契約と手続きを飛ばした瞬間、あなた方は監査ではなく侵入者になります」
若い聖騎士が迷う。正義は侵入者になりたくない。そこで高橋が小声で落とした。
「顔はいいのに、中身が全員終わってるわね。まさに代表の分身だわ」
1号が1瞬だけ天井を見た。斥候蜘蛛を見ている俺への無言の抗議だ。リオネルは歯噛みして言った。
「……いい。封鎖はしない。だが監査は続ける。この要塞の奇跡の出所を、必ず突き止める」
「協力します」
1号は即答した。
「その代わり、範囲と手順は契約で」
リオネルが息を吐いた、その時。
霧の森の奥から、低い轟音が響いた。
地鳴り。獣の咆哮。倉庫の床が、微かに震える。若い聖騎士が顔色を変えた。
「……今のは?」
1号は答えない。司令室の俺は、斥候蜘蛛の映像を切り替えた。
霧の縁。白い靄が割れて、黒い影が群れで動いている。ロザリーが嬉しそうに笑った。
「ねぇ、爆破していい?」
「待機」
1号が即答する。レオンが拳を鳴らす。
「代表。痛いの、ください」
「待機」
ソフィアがため息をつきながら手袋をはめた。
「また修理の仕事が増えるわね。今日は誰を減給にしようかしら」
リオネルが唇を噛んだ。監査官の顔が、現場の顔に変わる。
「……聖騎士。隊列を整えろ。まずは民の避難を――」
1号が静かに言った。
「避難導線は、こちらが握っています。あなた方は前線で見てください」
若い聖騎士が息を呑む。霧の向こうで、群れが吠えた。
監査は始まったばかりなのに、もう続けられる空気じゃない。黒鉄要塞の門が、再びゆっくりと開く。
次に出るのは契約書じゃない。現場だ。
そして俺は、司令室で小さく呟いた。
「……数字を見せてやる。神殿にも、神々の市場にも」




