第41話 領主との謁見と、領地経営の買収提案
翌朝。
霧のカーテンの向こうに、1本の白い旗が揺れていた。
『白旗。兵、およそ10数名。馬車1台を伴っています』
耳元のインカムから、1号の落ち着いた声が聞こえる。
俺はコタツに埋まりながら、司令室のモニターを1つ拡大した。
獣道を進む小さな一団。泥に汚れた長靴。湿った白布。
先頭を歩いているのは、昨日足を折って、ソフィアが夜通しで治した槍兵だ。
右足には簡易ギプス。だが、足取りはしっかりしている。
『使者と見てよさそうですね、オーナー』
「ああ。迎えは任せる。今日の“九条”は、お前だ」
『了解。では、代表取締役として行ってきます』
1号の映像が切り替わる。
要塞正面ゲートの内側、黒スーツに身を包んだ青年が、ネクタイを軽く整えていた。
それが、表向きの「九条」だ。
黒鉄の門が軋む音を立てて開くと、白旗の一団が足を止めた。
「ボルドー伯爵閣下の使いだ!」
槍兵が声を張る。
「閣下は、要塞の責任者殿との謁見を望んでおられる! 昨日の無礼を詫び、話し合いの場を――」
「承りました」
1号――いや、表向きの“九条”が、1歩前に出た。
「ファントム・ロジスティクス代表取締役、九条です。ボルドー閣下からのご要望、喜んでお受けしましょう」
兵士たちの視線が、一斉に彼へと向かう。
「ただし、いくつか条件があります」
「条件、だと?」
槍兵の眉がひくりと動く。
“九条”は、背後に立つ高橋から紙束を受け取った。昨夜までに、俺と1号で詰めておいた“入城条件”だ。
「まず、入城できるのはボルドー閣下ご本人と、文官お2人まで。護衛兵の皆様は、門前の広場でお待ちください」
「なっ……! 殿を丸腰で賊の巣に放り込めというのか!」
槍兵が声を荒げる。
“九条”は瞬きもせず、わずかに首を傾げた。
「昨日、あなたの足を折った賊の巣です」
槍兵の顔が引きつる。
「その足を治療し、こうして歩いて戻れるようにしたのも、ここです。命を奪うより、生かして返した方が、我々には得がありますから」
あまりにも事務的な言い方に、兵士たちがざわつく。
「ボルドー閣下にも、同じ約束をしましょう。ここに入られる限り、我々は殿の命を最大限お守りします。武器は、むしろ邪魔です」
槍兵は言葉を失い、自分の足元を一瞥した。ギプスの下で疼く骨と、昨夜の温かいスープの味を思い出しているのが、モニター越しにも分かる。
「……殿に伝える」
やがて、槍兵は短く頭を下げた。
「ファントム・ロジスティクス代表、九条が、条件付きで謁見に応じると」
「よろしくお願いします」
“九条”も、同じ角度で頭を下げた。その様子を見届けてから、俺は小さく息を吐く。
「よし。あとは、領主様が現実を飲み込めるかどうかだな」
---
数時間後。
『伯爵本人を確認。護衛2、文官1。武装解除済みです』
1号の報告と同時に、馬車の映像がモニターに映った。
窓越しに見える、肥えた中年男の顔。金糸の刺繍の入った上着。短く太い指が、白くなるほど窓枠を握りしめている。
**ボルドー伯爵**。
この辺境一帯の支配者にして、昨夜300人を連れて要塞の門前に現れた男だ。
その隣には、痩せぎすの老人と、若い書記官。老人の目は鋭く、計算高そうだ。
黒鉄の門をくぐり、伯爵一行は要塞内部へ足を踏み入れる。
「……なんだ、ここは」
伯爵の呟きが、通路のスピーカーから拾われた。
白く明るい通路。金属の手すり。均一な光を放つ魔導ランプ。
窓越しに見えるのは、整然と積まれた木箱と、その奥に並ぶ簡易ベッド群。
「城ではないな」
老人が、小声で呟く。
「倉庫と診療所と……軍の兵站基地が、一つに固まっておる」
「黙れ」
伯爵は吐き捨てるように言ったが、声には力がない。
通路の脇。昨日の負傷兵たちがベッドに腰掛け、温かいスープをすすっている。
「殿……!」
槍兵が伯爵に気づき、慌てて上体を起こしようとして、白衣の女に押し戻された。
「ダメですよ。折った骨は、ちゃんとくっつくまでがお仕事です」
ソフィアが、にこやかに言う。
「ボルドー様ですね。昨日は、うちの“安全講習”にご参加いただき、ありがとうございました」
「……何者だ、貴様は」
「社内医療部のソフィアです。殿の兵士の皆さんには、これからリハビリと――そうですね、再就職活動も頑張っていただきます」
「さい……?」
「いえ、こちらの都合です」
ソフィアはひらひらと手を振り、通路の奥を示した。
「会議室はこちらです。治療費のお話と一緒に、今後の“ビジネス”についてお話ししましょう」
伯爵の喉が、ごくりと鳴る。
敵の城で、兵が治され、飯まで与えられている。それが、慈悲ではなく「回収可能な投資」として扱われていることを、彼は薄々感じているはずだ。
---
会議室。
長いテーブルと椅子が6脚。壁には簡易地図とホワイトボード。そこにはすでに、数字と単語がぎっしりと並んでいる。
伯爵が扉をくぐると、先にいた2人が同時に立ち上がった。
「お待ちしておりました、ボルドー伯爵閣下」
一歩前に出て、丁寧に一礼したのは、“九条”。
「ファントム・ロジスティクス代表取締役、九条です。本日は、霧の森およびボルドー領の今後について、ご相談させていただきたく」
その隣で、高橋が軽く会釈する。
「同じく、ファントム・ロジスティクス異世界支店・現地責任者の高橋です。実務面はこちらで担当しておりますので、どうぞお気軽に」
「……ふん」
伯爵は鼻を鳴らしたつつも、用意された椅子に腰を下ろした。参謀と書記官が後ろに控える。
「で、“昨日の声”の主はどこにいる」
「オーナーのことでしたら」
“九条”は、耳元のインカムに指先を添えた。
「体調の関係で、長時間の対面が難しくてですね。本日は裏方に回っておりますが、常にこちらと通信は繋がっています」
「姿を見せられぬ主君など、信用できん」
伯爵が吐き捨てる。
“九条”は、わずかに目を細めた。
「殿は、夜陰に紛れて動く諜報員や、暗殺者をどう評価されますか?」
「なに?」
「姿を見せないからこそ、効果を発揮する役割もあります。オーナーは、そういったポジションです」
さらりと言われ、伯爵は言葉に詰まる。
高橋が、空気を和らげるように微笑んだ。
「本日の主題は、オーナーの人柄ではなく、霧の森と領地の数字です。まずは現状の共有から始めさせていただいてもよろしいでしょうか」
「……好きにしろ」
伯爵が腕を組む。参謀は青ざめた顔で、静かに頷いた。
“九条”が立ち上がり、壁際の魔導スクリーンの前に移動する。
「では――ボルドー伯爵領の“健康診断”から」
スクリーンに、線グラフと数字が浮かび上がった。
「ここ5年間の、霧の森周辺における魔獣被害の推移です」
赤い線が、右肩上がりに伸びていく。
「家畜の死亡数、焼けた畑の面積、行方不明者の数。5年前と比べ、被害はおよそ3倍。特に今年は、前年度比1.5倍のペースです」
「ぐっ……」
伯爵の喉が鳴る。
「次に、街道封鎖による交易損失」
青い線が、逆に右肩下がりに落ちていく。
「霧の森を避け、商人は他領の街道を使うようになりました。通行税収入は半減。維持費と比べると、すでに赤字です」
「どこで、そのような情報を……」
参謀が震える声を漏らす。
「昨日から本日にかけて、兵士と村人、商人の方々に聞き取りをしました」
“九条”は、紙束を軽く掲げた。
「27名分の“生の声”です。皆さん、殿を嫌っているわけではありません。ただ、“どうにもならない”と感じているだけです」
「……」
会議室の空気が、さらに重く沈む。
高橋が控えめに口を挟んだ。
「これは、殿の個人的な失策というより、“時代の変化”の話です。世界のほうが先に変わってしまった。ひとつの領地だけで、昔と同じやり方を続けるのには、限界があるんです」
「……続けろ」
伯爵が、搾り出すように言う。
“九条”は、新しいグラフを表示させた。
「王都への年貢ノルマと、実際の納入額の差です」
棒グラフが並び、右へ行くほど差が広がっていく。
「滞納額は年々増加。このままでは、3年以内に監査が入り、領地再編の対象となる可能性があります」
「――っ」
伯爵の手が、無意識にテーブルを掴んだ。
「霧の森は、“赤字事業”です」
“九条”がはっきりと言い切る。
「現状のままでは、いずれ王都から切り捨てられる。だからこそ――我々は、別のやり方を提案に参りました」
「別の、やり方……」
伯爵の目が細くなる。
“九条”は、契約書の束を1枚取り出し、テーブルの上に滑らせた。
「ファントム・ロジスティクスによる、“**霧の森事業の買収提案**”です」
「買収……?」
「はい。簡単に言えば――」
“九条”の声は、相変わらず穏やかで、冷静だ。
「この赤字事業を、丸ごと我々に売ってください」
伯爵の顔から、血の気が引いた。
「なっ……売れだと!? 霧の森は代々、我が家の――」
「所有権までは奪いません」
高橋がすぐにフォローする。
「政治的な支配権、宗教行事、徴兵権――そういった“領主としての顔”は、これまで通り殿のものです。私たちが欲しいのは、“**霧の森の経営権**”だけ」
“九条”が、書類の一節を指で叩く。
「霧の森および要塞周辺区域を、“**ボルドー領内ファントム特区**”とします。魔獣駆除、街道整備、宿場・市場の運営。魔石や素材の買取・加工・販売は、すべて我々が一括で引き受ける」
「そして、そこで発生した利益の中から――」
高橋が続ける。
「毎月、固定額+利益に応じた“配当”を、殿にお支払いします。現状の年貢納入額を下回ることはありません」
「代わりに?」
伯爵の声が低くなる。
“九条”は、別のページを伯爵の前に滑らせた。
「霧の森および要塞周辺における、
1つ。交易権。
1つ。関税徴収権。
1つ。ギルド設立と運営の権利。
これらを、ファントム・ロジスティクスが独占します」
「……」
「また、当区域内での軍事行動については、事前に我々との協議を義務付けます。自衛権については、お互いに留保としますが」
参謀が、声を震わせた。
「それでは、この区域の“金の流れ”は完全にあなた方のものではないか。殿は、ただ名前だけの領主になってしまう」
「金の流れを握る者が、現代の権力者ですから」
“九条”は、感情の薄い声で答えた。
「もっとも、我々は“王座”には興味がありません。欲しいのは、“リスクを引き受けた分だけ、正当に報酬を受け取る権利”だけです」
高橋が、伯爵をまっすぐ見る。
「殿が領主であり続けることを、私たちは歓迎します。ただ、霧の森という“負債”を、見合う条件で私たちに預けていただきたい。それだけです」
長い沈黙が落ちた。
伯爵は目を閉じ、歯を噛みしめている。
やがて、参謀がそっと口を開いた。
「……殿」
「なんだ」
「お気持ちは痛いほど分かります。ですが、このままでは、本当に3年と持ちませぬ」
「…………」
「王都の貴族たちは、霧の森にも、民にも興味はありません。あるのは数字だけ。年貢ノルマを満たしているかどうか、それだけです」
参謀は、絞り出すように続ける。
「ここで彼らの提案を飲めば、霧の森の顔は変わりますが……領は残る。民も、残ります」
伯爵の拳が震えた。
“九条”は、少しだけ声を柔らかくした。
「ボルドー卿。霧の森を“赤字のまま失う”か、“黒字に変えて持ち続ける”か。どちらが、領主として正しい選択だと、お考えになりますか」
伯爵は、ゆっくりと目を開けた。
「……条件の一部、修正を求める」
「お聞きしましょう」
そこから先は、細部のすり合わせだった。
宗教行事への不干渉。王都や教会から監査が入った際の責任分担。ファントムが重大な契約違反をした場合の区域返還条件。その際の設備評価額。
“九条”が条文を調整し、高橋がそれを“人間の言葉”に翻訳して伯爵に伝える。伯爵が唸り、参謀が耳打ちし、また“九条”が文言を練り直す。
そして――。
「……よかろう」
伯爵は、震える手で魔導ペンを取り上げ、署名欄に名前を書いた。
契約書が淡い光に包まれ、魔法陣が浮かんでは消える。
「これにて、本契約は成立です」
“九条”が宣言した。
「本日より、霧の森および要塞周辺区域は、ボルドー領内における“ファントム特区”として運営されます。ボルドー卿は、政治적支配権を維持しつつ、当区域の経済的利益から配当を受け取る権利を有します」
「……二度と、勝手に兵を襲うな」
伯爵が、かすれた声で言う。
「契約が守られる限り、こちらから武力行使を行う理由はありません」
“九条”は即答した。
「ただし、霧の森に対する無断の軍事侵攻があれば……再度、“安全講習”の開催を検討させていただきます」
それが冗談なのか、本気なのか。伯爵には、最後まで判別できなかっただろう。
---
夕刻。
伯爵の馬車が要塞を離れ、霧の向こうへと消えていく映像が、モニターに映っている。
『斥候蜘蛛、17体同行。馬車の屋根、車輪、護衛兵の鎧にそれぞれ取り付きました』
1号――本物の1号の声が、インカム越しに届いた。
「王都までの道中、全部拾え。殿が誰に、どう説明するのか――あれは一級の市場調査だ」
『了解。“顧客の上司”のインサイトですね』
俺はコタツにもたれかかり、ホワイトボードに新しい1行を書き加えた。
《ボルドー領 霧の森特区:営業エリア》
その下に、もう1行。
《王都・教会:見込み顧客》
背後で、高橋が苦笑する。
「領主を丸ごと飲み込んだ直後に、それ書く?」
「商売はスピードが命だからな」
俺はペンを回しながら、モニターの伯爵の馬車を眺める。
馬車の中。伯爵は膝の上の契約書を睨みつけ、その脇で参謀が何かを囁いている。
『殿、王都と教会には、どうご報告を?』
『……“**霧の森の奇跡**”として伝えろ』
伯爵の声がかすかに届く。
『魔獣を退け、病を癒やし、民に食を与える黒鉄の城が現れたと。そして――神の奇跡を真似る者がいる、と』
俺は、その言葉に小さく笑った。
「いいコピーをくれたな。“霧の森の奇跡”か」
「どこかの神様が聞いたら怒りそうね」
高橋が肩をすくめる。
「その神様とも、そのうち取引するさ」
俺はペン先でホワイトボードを軽く叩いた。
「領主も、王都も、教会も。まとめて“客”にする準備は、もうできてる」
あとは――。
澪をさらっていった、もっと上の連中にも、同じように数字と条件で話をつけるだけだ。




