第40話 300の侵略者と、要塞のおもてなし
霧の帳の向こうで、金属が擦れる音がした。
『接敵まで、あと300メートル』
耳元のインカムから、1号の低い声が響く。
司令室――と名付けた最上階の一室で、俺はモニターを睨みつけた。
壁一面を占める大型モニターには、複数の映像が分割表示されている。
森の樹上、地面すれすれ、岩陰――。
そこに這い回るのは、指先ほどの大きさの黒い蜘蛛たち。
**斥候蜘蛛**。
レンズとマイクと簡易魔力センサーを詰め込んだ、俺専用の“目と耳”だ。
蜘蛛の視界の向こう。
ボルドー伯爵家の紋章を掲げた軍勢が、ぬかるんだ獣道を踏みしめて進んでいた。
「歩兵250、騎兵20、魔法使い20弱。荷馬車10台」
高橋が、隣で端末を操作しながら素早く数字を読み上げる。
黒縁眼鏡の奥の瞳は、冷え切っていた。
「装備レベルは……中世ヨーロッパで言うなら、せいぜい15世紀前後。火器はゼロ。弓と投槍止まりね」
「つまり、うちのゴミスキルと同レベルってことか」
「そう言うと、ちょっと可哀想ね」
俺は椅子の背もたれにもたれ、腕を組んだ。
「方針は、さっき決めた通りだ」
モニター越しに、森の中を進む兵士たちを見下ろす。
「死者は、可能な限りゼロ。重傷は……そうだな、教育に必要な範囲で」
「“教育”ねぇ」
高橋が肩を竦める。
「本当に優しいのか、それとも性格が悪いのか、判断に迷うところだわ」
「商売相手を皆殺しにするバカはいない」
俺は淡々と言った。
「痛みは、未来の損失を減らすための投資だ。今日たっぷり味わってもらえば、次に剣を向けようとは思わなくなる」
「……なるほど。ROIで殴る教育ね。いつものあんたで安心した」
インカムの回線を切り替える。
「レオン、聞こえるか」
『御意、オーナー』
鼓膜が震えるほどの、張りのある声が返ってきた。
映像の一つに切り替えると、要塞の内側、鉄の門のすぐ裏で待機する金髪の騎士の姿が映る。
タワーシールドを肩に立てかけ、メイスを握ったまま、彼は静かに目を閉じていた。
『いつでも出られる。異世界の兵士たちの“覚悟”、この身で受け止める準備はできている』
「受け止めるのはいいが、折るのは骨だけにしろ。命まではいらない」
『……本当に、よろしいのか』
レオンが、僅かに首を傾げる。
『命を賭けて来た兵を、ここで終わらせてやるのも一つの慈悲だ』
「慈悲のコストは高い」
俺は即答した。
「奴らには、これから何年も働いてもらう。税と労働力と噂話――生きていれば、全部取れる」
『……ふは』
鉄兜の下で、彼が笑った気配がした。
『了解した。“折れるところまで”だ。筋肉は、潰す前に鍛え直す価値がある』
「ソフィア」
「はいはーい、ブラック企業の企業内医療部です」
ソフィアが白衣の裾をひるがえしながら、点滴スタンド代わりの杖をくるりと回した。
「重傷者――特に手足をやられた人は、優先的にこちらへ搬送してください。再起不能になると、労働力としての寿命が縮みますからね」
「……言い方をどうにかしろ」
「事実ですよ?」
俺は最後に、1号へと声を向ける。
「1号。捕虜の管理と、記録は任せた」
『承知した』
「尋問じゃない。これは、マーケティング調査だ。言葉遣いには気を付けろ」
『了解。“顧客インタビュー”として丁重に扱う』
司令室の空気が、ほんの少しだけ引き締まる。
霧の外で、鼓笛の音がわずかに聞こえ始めていた。
「総員、配置につけ」
俺は最後にもう一度だけ命じた。
「歓迎会を始めるぞ」
---
「見えたぞ! あれが問題の……城か?」
霧のカーテンを抜けた瞬間、先頭の槍兵が思わず声を漏らした。
その視線の先――霧の海の中央に、黒鉄の城が浮かび上がる。
石で築かれた城壁ではない。
巨大な鉄箱を四角く積み上げたような、異様な要塞。
天を突くような無骨な塔と、壁の上に等間隔で並ぶ奇妙な筒状の装置。
窓は、ガラスの板でぴたりと塞がれており、内側から白い光が漏れている。
「……こりゃ、魔術師の工房どころじゃねぇな」
中隊長の男は、思わず喉を鳴らした。
鎖帷子の上に鉄の胸甲を重ね、柄の摩耗した剣を腰に差した、歴戦の兵だ。
何度も魔獣の群れと戦ってきた彼の背筋に、ぞわりと冷たいものが走る。
「心配するな」
後方から、軋む音を立てて馬車が進み出る。
厚く塗られた黒い塗装、覆いのついた窓。
その奥に座す、肥えた男の影。
**ボルドー伯爵**。
この一帯を治める領主にして、王都から派遣された徴税・治安維持の責任者だ。
「所詮は、辺境のならず者よ」
馬車の窓越しに聞こえてきた声は、鼻にかかった甲高いものだった。
「森を荒らし、魔獣を狩り、勝手な商売を始めた賊どもにすぎん。騎士の槍と魔法の炎を見れば、すぐに片膝をつく」
「はっ」
中隊長は敬礼し、部隊に号令を飛ばす。
「全軍、前進! 陣形を崩すな、恐れるな! ここは領主様の御前だ!」
兵たちの足が一斉に動き出す。
革靴と鉄の足甲が、湿った地面を踏みしめ、ぐちゅりと嫌な音を立てた。
「なぁ、隊長」
後列の若い兵士が、そっと声を潜める。
「本当に、あそこに“人間”が住んでるんスかね」
「何だ、怖気づいたか」
「いや、その……。この前、村で飲んでたら、変な話を聞いたんですよ」
彼は喉を鳴らし、咳払いをひとつ。
「黒い城の近くで、銀色の鍋から白い湯気を立てる奇妙な屋台が出てるって。そこで1杯“麺”を食ったら、魔石1つがすぐに金貨10枚になったとか……」
「馬鹿を言え」
中隊長は鼻で笑った。
「そんな夢物語があるか。魔石は魔石、金は金だ」
「でも、その“麺”ってやつが、やたら上手かったって……。一度食ったら、家のパンが食えなくなったとか」
「……」
中隊長は、ちらりと城に向けた視線を細めた。
魔境の森から魔獣が姿を消し、街道沿いの村に妙な食べ物が出回り始めた――そんな噂は、彼の耳にも届いている。
だが、そんな形のない噂よりも、目の前の現実の方が重い。
領主自らが、兵を300も連れて出てきている。
ここで尻込みすれば、後でどんな罰が待っているか分かったものではない。
「黙って進め」
彼は短く命じた。
「飯の話は、仕事が終わって生きて帰ってからにしろ」
兵士たちは、重い息を吐きながら前へと進む。
霧が、だんだんと薄くなっていく。
要塞の全貌が、はっきりと見えてきた、そのとき――。
空気が、変わった。
前方の地面――何の変哲もない草と土が続いていたはずの場所で、かすかに石が擦れる音がした。
「……ん?」
先頭の槍兵が1歩踏み出した瞬間、足元の地面がずるりと沈んだ。
「うおっ!?」
悲鳴。
彼の足首から下が、膝まで一気に泥に飲み込まれる。
泥ではない。
粘ついた、半透明の液体――。
「何だこれ!? 抜けねぇ!」
「下がれ! 踏むな、そこは――!」
中隊長の怒鳴り声より早く、2列目、3列目の兵士たちが慌てて足を止め切れず、その“床”を踏み抜いた。
次々と足が、膝が、太腿まで沈む。
**粘着床**。
神々のマーケットで仕入れた、魔力反応に反応して固まる簡易拘束用ジェルだ。
特定の範囲に埋め込んでおけば、踏んだ瞬間に膨張・硬化して、動きを封じる。
隊列が、1瞬で乱れた。
「落ち着け! 抜けろ、足を引き抜け!」
「抜けねぇって! 鎧が重くて――!」
混乱が、じわじわと広がる。
その瞬間――要塞の壁の上に並ぶ金属筒が、1斉に角度を変えた。
キィィン、と乾いた音。
次いで、空を切り裂くような低い風切り音。
「上だ!」
誰かが叫ぶ。
見上げた先――灰色の空から、何かが降ってきた。
網だ。
太い麻縄と、光る金属線が編み込まれた巨大なネットが、落ち葉のようにひらひらと舞いながら降下し、兵士たちの頭上を覆い尽くした。
「ぎゃっ……!」
「待っ――!」
逃げ場のない粘着床の上で、兵士たちはただ網に絡め取られるしかなかった。
ネットには、細かな魔術式が編み込まれている。
捕縛対象の動きを鈍らせ、筋肉に微弱な痺れを走らせる簡易スタン効果つきだ。
転ぶ、押し合う、ぶつかる――混沌。
それでも、斬れない。
槍で突いても、剣で叩いても、ネットはびくともしない。
「……なんだ、これは」
中隊長は、唇を噛んだ。
目の前で部下たちが、一方的に絡め取られるしかなかった。
誰も、まだ死んではいない。
だが、戦える状態でもない。
その時だった。
耳をつんざくような高音が、森全体に響き渡った。
『――お客様、ようこそ』
どこからともなく、低くよく通る男の声が降ってくる。
魔法かと思ったが、違う。
要塞の壁のあちこちに設置された鉄の箱――そこから声が響いている。
『ファントム・ロジスティクス異世界支店へ、ようこそお越しくださいました』
「……なんだ?」
『こちらは、辺境開発と魔境安全化を業務とするギルドです。
本日はご予約なしでの団体様300名――誠にありがとうございます』
中隊長は、喉の奥で唸った。
「出てこい……! 卑怯者め! 姿を見せろ!」
『ええ、もちろん』
要塞の正面、鉄の門が重々しい音を立てて開く。
そこから、1人の男が歩み出た。
全身を覆う金属鎧。
肩には塔の壁のように分厚い大盾。
手には、鉛の塊をそのまま棒の先にくっつけたような巨大なメイス。
黄金の髪を風に揺らしながら、その騎士は悠然と前へと進む。
「……何だ、あいつは」
「黄金騎士……?」
兵士たちの間にざわめきが走る。
レオンが、大盾を地面に突き立てた。
ドン、と重い音が霧の中に響く。
「ボルドー伯爵領の兵よ」
鉄兜の下から響く声は、よく通る低音だった。
「ここより先は、我が主の“工事現場”だ。無断で踏み込む者は、全員、安全講習を受けてもらう」
「安全……講習?」
中隊長のこめかみが、ぴくりと跳ねた。
「ふざけるなッ!」
彼は剣を抜いた。
冷たい鉄が、霧の冷気の中できらりと光る。
「我らは領主の名において来た! 貴様ら反逆者を捕らえ――!」
「よし、理解が早くて助かる」
レオンが、満足そうに頷いた。
「理解?」
「命を賭けてここまで来た、その覚悟。
筋肉は、覚悟と一緒に鍛えられる」
彼はゆっくりと1歩踏み出す。
霧の中、鎧がきしむ音が響く。
「だが――」
次の瞬間、その巨体が地面を蹴った。
常識外れの加速。
金属の塊が、矢のように飛ぶ。
「その覚悟を、ここで折らせはしない!」
大盾が、粘着床の手前に突き立てられた。
レオンは盾の陰から飛び出し、絡め取られた兵士たちの間を疾走する。
「ぐっ……!?」
剣を振り上げようとした兵士の手首に、メイスの柄が打ち込まれた。
骨が悲鳴を上げる感触と共に、剣が地面に落ちる。
別の兵の膝裏に、踵落とし。
鎧越しに伝わる嫌な音。
兵士は悲鳴を上げ、ネットごと地面に崩れ落ちた。
レオンの動きは、容赦がない。
だが、どこまでも精密だ。
頭部や胸は狙わない。
手首、肘、肩、膝。
立てなくなるラインだけを、正確に叩き折っていく。
「ッ……な、何なんだこいつは……!」
「痛っ……! だが、死んでない……!」
悲鳴と呻き声が、混じり合う。
要塞の壁の上では、ロザリーがくるくると杖を回していた。
「……燃やしてしまえば早いのですけれど」
銀髪の少女は、つまらなそうに頬杖をつく。
「オーナーのご命令ですものね。“生かしておけ”……。つまらない」
それでも、彼女は魔力を練った。
炎ではなく、光。
兵士たちの頭上で、突然、昼間の太陽のような眩さが弾け飛ぶ。
「目がっ――!?」
「何も見えねぇ!」
目を焼くほどではないが、1瞬、視界を奪うフラッシュ。
その隙に、要塞の内側から別の部隊が飛び出した。
黒い防具に身を包んだ男たち。
顔には奇妙な黒い布――ガスマスク。
手には、先端に金属の先端部がついた棒。
現代地球製の警棒に、神マケ産の微弱スタン機能を付与したハイブリッド武器だ。
「足を狙え! 頭と胸は禁止! 折るなら、くっつく場所にしろ!」
隊長格の男が叫ぶ。
彼らは冒険者ではない。
この数ヶ月、ファントムでスパルタ教育を受けてきた、元ブラック企業社畜たちだ。
彼らは無駄な言葉を発しない。
ただ黙々と、ネットと粘着床に絡め取られた兵士たちの武装を外し、手足だけを“壊して”いく。
霧の中で、悲鳴と、骨の軋む嫌な音が響いた。
---
「……予定通り、戦闘不能率、8割突破」
司令室で、俺はモニターを見ながら小さく呟いた。
「死者ゼロ、重傷3割。十分だな」
「ほんと、人の心があるのかないのか分からないコメントね」
高橋が呆れた声を出す。
「その内訳を、もう少しマイルドな言い方にできないわけ?」
「マイルドに言うなら、今日の“体験版”で、3割は二度と戦場に立とうとしない身体になった」
「それをマイルドと言い張るメンタルが、もうホラーなのよ」
俺は画面を切り替えた。
霧の少し後ろ。
そこに、馬車から降りて様子を窺っている男が映る。
腹の出た中年男。
豪奢な服。
汗で額を濡らしながらも、目だけはギラギラと光っている。
ボルドー伯爵。
兵たちが次々とネットに絡め取られ、膝を折り、メイスや警棒で“矯正”されていく様子を、彼は震える手で双眼鏡を握りしめながら見つめていた。
『オーナー。領主本人の位置、確認した』
1号が静かに言う。
『どうする? こちらからも“挨拶”に行く?』
「いや」
俺は首を横に振った。
「今日のところは、あいつは見ているだけでいい」
『逃がすの?』
「逃げるのも仕事のうちだ」
俺は、伯爵の顔を画面の隅に固定しながら、淡々と続けた。
「自分の兵がどう扱われたか。それでもなお、明日剣を選ぶのか、言葉を選ぶのか――あいつ自身に決算させろ」
ふと、画面の別の隅が切り替わる。
捕縛された兵士たちが、要塞の内側へ運び込まれている映像だ。
ソフィアが手際よく骨に触れ、光を流し込んでいく。
完全には治さない。
痛みを残しつつも、致命傷や後遺症だけを取り除く絶妙なラインで止める。
「痛いでしょう? でも、これで歩けるようになりますよ」
白衣の聖女が、笑顔でこう言っているのが、遠目にも分かった。
「あなた方は運が良い。普通なら、あそこで死んでいる怪我です。……これからは、命の価値と筋肉の価値を、少し真剣に考えましょうね?」
別のスペースでは、1号が捕虜たちに湯気の立つ椀を配っていた。
ラーメンではない。
だしの利いたスープと柔らかいパン――この世界基準では、充分に豪華な“病人食”だ。
「……うめぇ」
「こんな……敵の城の中で……」
兵士たちの戸惑いと安堵が、表情から伝わってくる。
『記録完了』
1号が報告してくる。
『敵兵の年齢分布、出身村、家族構成、借金の有無――聞き取りは順調だよ』
「よし」
俺は頷いた。
「借金持ちと、家族を養っている者はリストを別にまとめておけ。後で、仕事を紹介してやる」
「……マジで、敵の兵士をリクルートする気?」
高橋が半眼でこちらを見る。
「敵だった相手を、ここまであからさまに囲い込むって、倫理的にどうなのよ」
「倫理の話をするなら」
俺は、眠り続ける澪の姿が映ったサブモニターを1瞬だけ見やった。
「ここに寝てるこいつを、先に起こしてからにする」
「……」
高橋は、何も言わなかった。
再び、外の映像に意識を戻す。
ボルドー伯爵の馬車が、ゆっくりと後退を始めていた。
逃げるわけではない。
ただ、これ以上近づけば自分も巻き込まれる――そう判断したのだろう。
彼は最後に1度だけ振り返り、要塞を睨みつけた。
その表情には、怒りと恐怖と、そして……計算の光が宿っている。
「来るな」
俺は画面に向かって、小さく呟いた。
「今日のところは、それでいい。
次は――こっちから“招待状”を出す」
「ファントム・ギルド異世界支店、初日のお客様はこんなところね」
高橋が伸びをしながら言う。
「評価は?」
「死者ゼロ、戦意喪失300」
俺はホワイトボードにさらさらと数字を書き込んだ。
「顧客獲得コストとしては、悪くない」
窓の外では、霧が少しだけ晴れていた。
黒鉄の城の上に、2つの月が浮かんでいる。
「さあ」
俺は立ち上がった。
「明日からは、営業の時間だ」
ボルドー伯爵に、領主としてのROIを教えてやる。
ここが誰のシマか――数字で、分からせてやるために。




