第37話 在庫2の片道切符と、絶望的な為替レート
《決済完了》
チャリーンという音が脳内に響き、100億が消える。
俺の手元に、古ぼけた羊皮紙のようなチケットが実体化した。
神マケの在庫表示が【2】に変わる。
「……よし。買えたぞ」
俺はチケットを、目の前で待機していた1号に差し出した。
「手はず通りだ。
向こうの安全確認、座標の確定、そして――このチケットが正しく機能するかのテストだ」
1号はマスクの下で微かに笑い、チケットを受け取った。
「了解しました、マスター。
また一番槍ですね。毒ガスだろうが真空だろうが、死ぬまでデータを取り続けますよ」
「頼んだぞ」
「行ってきます」
1号がチケットを使う。
光が溢れ、空間が歪む。
次の瞬間、埼玉のリビングから忍者の姿は跡形もなく消え失せていた。
静寂が戻る。
俺は視界の端に表示された、1号との接続ステータスを凝視した。
《接続:待機中……》
《接続:待機中……》
数秒が、数時間に感じられる。
失敗か? ロストか?
もし向こうが生存不可能な環境なら、1号は即死し、俺たちの希望も絶たれる。
その時。
《接続:確立》
《エリア:異次元・箱庭世界“未踏の森”》
脳内に、見たことのない映像が流れ込んできた。
鬱蒼とした森。
だが、地球のそれとは違う。
木々の幹は青白く発光し、空には2つの月が浮かんでいる。
明らかに、異世界だ。
『……あー、あー。聞こえますか、マスター。
こちら1号。
……どうやら、到着したようです』
「……ッ! よくやった!」
俺は拳を握りしめた。
生存確認。通信可能。
チケットは本物だった。
「1号。状況をまとめろ。
そっちで俺たちが生活し、稼ぐための条件はどうだ?」
俺の問いかけに、1号が冷静な口調でレポートを返し始めた。
『報告します。まずは言語について。
チケットのオプション機能のおかげか、現地語は自動的に脳内で翻訳されています。読み書き、会話ともに支障ありません』
「よし。コミュニケーションコストはゼロか」
『次に危険度。
森には魔獣がうようよしています。
先ほど遭遇した狼レベルでも、地球の基準で言えばAランク相当。
奥にはSランク級の気配も感じます』
『一般人が歩けば即死の魔境ですが……今の我々の戦力なら宝の山が歩いているようなものです』
「ハイリスク・ハイリターンだな。望むところだ」
『続いて拠点。
森を抜けた先に街があり、その少し外れに手頃な廃墟を見つけました。
元は魔術師の工房だったようですが、幽霊が出るという噂で放棄されています』
1号が映像を送ってくる。
森の中にひっそりと佇む、古びた石造りの屋敷。
ボロボロだが、壁は厚く、地下室もありそうだ。
『幽霊系モンスターが数体いましたが、鉄杭で物理的に除霊しました。
すでに確保済みです。
修繕すれば、人目を避けた活動拠点として最適かと』
「でかした。そこを俺たちの城にする」
『最後に、最も重要な食文化について』
1号の声色が、少しだけ真剣味を帯びた。
『……最悪です。
街の食堂を覗きましたが、パンは石のように硬く、スープはただ塩辛いだけ。
出汁という概念が存在しません。
貴族ですら、香辛料は高価すぎて満足に使えていないようです』
「……ほう?」
俺はニヤリと笑った。
それはつまり、食の不毛地帯ということだ。
『結論として。
日本のカップ麺、レトルトカレー、チョコレート。
これらを持ち込めば、神の食事として中毒者を量産できます。
現地の貴族や王族を、胃袋から支配することが可能です』
「完璧だ」
俺は膝を打った。
すべてのピースがハマった。
言語は通じる。
敵は強いが、金になる。
拠点は確保済み。
食文化のレベルが低いため、日本のジャンクフードが最強の外交カードになる。
「よし。
次は現地人との接触だ。
近くに反応はあるか?」
『……あります。
街道を行く商隊を発見しました。
護衛を連れた、それなりの規模です』
1号の視界が動く。
木々の隙間から、立派な馬車と、武装した護衛たちが見えた。
「接触しろ。
ただし、最初は反応を見る」
俺は1号に指示を出した。
1号は音もなく木の上に移動し、懐から一つのアイテムを取り出した。
俺が持たせた、100円ライターだ。
チャッ。
1号が手元で火をつける。
揺らめく炎。
彼は音もなく街道の脇に降り立ち、馬車の前に姿を現した。
「な、なんだ!?」
「敵襲か!?」
護衛たちが一斉に剣を抜き、馬車を囲む。
1号は無言のまま、ライターの炎を見せつけた。
カチッ、カチッ。
詠唱もなく、道具一つで炎が生まれたり消えたりする様。
「……待て、剣を収めろ」
馬車の中から、恰幅の良い男が出てきた。
身につけている服や宝石からして、商会の主だろう。
男は1号の手元を凝視し、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「……火種? いや、魔法具か?」
「詠唱なしで……無限に火を!?
なんてことだ、これはドワーフの秘宝か!? いや、それ以上だ!」
商人は目の色を変えた。
この反応。予想通りだ。
科学のない世界において、プラスチックとガスが生み出す確実な着火は、魔法以上の価値を持つ。
「……これを譲ってくれんか?」
商人が声を震わせる。
「言い値で買おう。
これがあれば、王都の魔導博覧会で大賞が取れる!」
『……マスター。
どうやら、地球の100円ライターは、こちらでは国宝級の扱いのようです』
1号の声に、俺は口元を歪めた。
「よし。
1号、取引成立だ。
現地の最高額を引き出せ」
1号がライターを掲げ、指を1本立てる。
商人は頷き、馬車の金庫から、ずっしりと重い革袋を取り出した。
「金貨100枚だ!
これだけあれば、王都の一等地に屋敷が買える。
一生遊んで暮らせる額だぞ!」
商談成立。
1号がライターを投げ渡すと、商人は拝むように受け取り、代わりに金貨の袋を渡してきた。
「……回収するぞ」
俺は埼玉のコタツから、異世界の1号の手元にある金貨袋に照準を合わせた。
1号からのFランク【配送】は届かないが、俺からのユニークスキル【受取】なら距離は無制限だ。
「【受取】」
ズクン。
脳に負荷がかかり、手元にジャラリと金貨袋が出現した。
異世界の通貨。
純度の高い金の輝き。
「さて……神マケでの評価はどうだ?」
俺は神マケの入金スロットに、金貨をすべて放り込んだ。
現地で屋敷が建つほどの大金だ。
《査定完了》
《品名:金(Gold) 2kg》
《入金:100,000(10万)クレジット》
「……10万か」
俺は鼻で笑った。
金貨100枚で10万クレジット。
1枚1万円計算。
一見悪くないように見えるが、地球のライター1個が10万に化けたと喜ぶべきか?
いや、違う。
俺が欲しいのは、神マケで使える対神用資金だ。
ポーション一本50万、強力な兵器なら数億するこのショップにおいて、10万など端金だ。
《TIPS:当該物質は多くの次元で普遍的に産出される“鉱物資源”です。通貨としての価値は認められません》
「……なるほどな。
現地で屋敷が建つほどの価値があっても、神マケに持ってくればただの金属塊ってわけだ」
俺は舌打ちした。
現地通貨をいくら稼いでも、神マケの買い物には使えない。
つまり、現地通貨は現地でのみ消費すべきだ。
「この金貨を神マケに入れるのは損だ。
これは、現地で軍隊を雇い、情報を買い、澪を探すための活動資金として使う」
ライター1個で屋敷が建つなら、1万個売れば国が買える。
その支配力を使って、澪を隠している奴らを炙り出せばいい。
「マスター。
もう一つの“商材”が来ました」
1号が視線を森の奥へ向けた。
そこには、血の匂いを嗅ぎつけたのか、巨大な牙を持つ狼の群れが近づいてきていた。
異世界の魔獣だ。
地球のモンスターよりも、遥かに濃い魔力を纏っている。
「……やってみろ」
『御意』
1号が姿を消す。
一瞬の交錯。
Fランク【配送】による砂利の目潰しと、首筋へのクナイの一撃。
狼が崩れ落ちる。
「……【受取】」
俺は間髪入れず、倒れた狼の体内から魔石を引き抜いた。
熱い。
Aランク魔石以上の熱量を感じる。
《入金:5,000,000クレジット》
「……これだ」
俺は確信した。
ただの雑魚モンスター1匹で500万。
これなら、数体狩ればポーション代が稼げる。
兵器代も稼げる。
「結論が出たな。
俺たちが向こうでやるべきことは二つ。
一つは、地球のゴミを現地人に売りつけて金貨を得ること。
もう一つは、その支配力を使って魔物を狩り尽くし、神マケに魔石を売って弾薬費を稼ぐことだ」
商人と、狩人。
その両方を極めなければ、澪には届かない。
方針は決まった。
まずは、主力を戦力を送り込む。
「1号。そこを動くなよ」
『了解』
俺はアタッシュケースを取り出した。
中には、人形状態のレオン、ロザリー、ソフィアが眠っている。
彼らはSランクスキルで作られたアイテムだ。
人間ではない。
だから、チケットは必要ない。
俺のスキル【ワールド・デリバリー】は、登録済みの座標であれば、次元を超えて物質を配送できる。
1号が現地に到着した時点で、あちら側の座標は確定している。
「配送」
俺はモニター越しの1号の足元に座標を合わせ、ケースを転送した。
シュンッ。
埼玉からケースが消え、異世界の森の地面に出現する。
『……到着を確認。展開します』
1号がケースを開く。
光が溢れ、3人の英雄たちが異世界の大地に降り立った。
「ここが新しい職場か! 空気が濃い! 重力が愛おしい!」
「暗いですわね。燃やして明るくしましょうか?」
「不衛生な森ですね。消毒が必要です」
騒がしい連中だ。だが、頼もしい。
これで、チケットを消費することなく、異世界側にSランク相当の前線基地が完成した。
「よし。
……最後の大仕事だ」
俺はインカムを切り、スマホを手に取った。
呼び出し先は、タワーマンションで優雅な夜を過ごしているであろう、我らが女神様。
「高橋。話がある。今すぐ来い」
---
1時間後。
埼玉拠点のリビング。
「……はあ? 異世界?」
高橋は、高級ブランドのバッグをソファに放り出し、呆れ果てた声を出した。
「何言ってんのよ。酔ってるの?」
「シラフだ。
俺たちは日本を撤退する。次の拠点は、次元の向こう側だ」
俺はモニターを指差した。
そこには、異世界の森でキャンプを張るアバターたちの映像が映っている。
「嘘……でしょ? 本物?」
「本物だ。俺は行く。お前も来い」
「嫌よ!」
高橋は即答した。
当然の反応だ。
「なんで私がそんな未開の地に行かなきゃならないのよ。
今の生活を見てよ。Sランククランの代表、年収数億、ファンクラブまであるのよ?
お風呂もトイレも綺麗なこの日本で、一生女王様として暮らすわ。
あんた一人で行きなさいよ」
彼女は腕を組み、ふんぞり返る。
今の彼女には、失うものが多すぎる。日本での成功、地位、名声。
それを捨ててまで、リスクを犯す理由がない。
「そうか。残念だ」
俺は芝居がかった動作で肩をすくめ、テーブルの上に一枚の写真を置いた。
1号が現地で撮影してきた、市場の露店の写真だ。
そこには、瑞々しく輝く、奇妙な果実が写っていた。
「……何これ?」
「現地の言葉でアムリタ。
1号の調査によると、これを一つ食べれば、肌のシミやシワが消え、内臓年齢が10歳若返るらしい」
「……は?」
高橋の動きが止まる。
彼女の視線が、写真に釘付けになる。
「向こうには、こういう魔法の果実や秘薬がゴロゴロ転がっている。
地球じゃ絶対に手に入らない、若さと美の源だ」
俺は彼女の耳元で囁いた。
「日本でチヤホヤされるのは飽きただろ?
金があっても、若さだけは買えない。このまま日本にいれば、お前もいつか老婆になる。
だが、向こうに行ってこの果実を独占すれば……」
「……独占すれば?」
「お前はただの金持ちじゃない。
永遠の若さを手に入れた、真の女神になれるぞ」
「……永遠の、若さ」
高橋の目が、怪しく光った。
金も名誉も手に入れた彼女が、唯一抗えないもの。
老いと、美への執着。
それを解決する手段が、次元の向こうにある。
「それに、向こうの食文化は最悪だ。パンは石で、スープは塩水らしい。
そこに俺たちが、日本の美食を持ち込んだらどうなる?」
「……食文化の、侵略」
「そうだ。
現地の王族も貴族も、お前が配るカップ麺一つで跪くだろうよ。
日本という狭い箱庭のアイドルで終わるか。
それとも、異世界のすべてを支配する、本物の女神になるか」
「……くっ」
高橋が唇を噛む。
彼女の中の安定と野心が天秤にかけられ――そして、音を立てて傾いた。
「……分かったわよ」
彼女はバッと顔を上げ、不敵に笑った。
「乗ってあげる。
どうせこっちの男たちは退屈だったしね。
異世界の王様でもたぶらかして、ハーレムでも作ってやるわ」
「頼もしい限りだ」
交渉成立。
これで、役者は揃った。
「マスター」
俺は控えていた老紳士に向き直った。
「後は任せたぞ。
俺たちは向こうで、派手に暴れてくる」
「御意のままに。
物資の補給は、この老骨にお任せください。
日本のコンビニとスーパーを空にしてでも、送り続けましょう」
マスターが深々と一礼する。
彼には、俺が向こうで必要とする物資のリストを渡してある。
俺は向こうから、定期的にこの倉庫の中身を【受取】で引き抜く。
この老紳士がいる限り、俺たちの弾薬と食料が尽きることはない。
俺は神マケを開き、残りのチケット2枚をカートに入れた。
在庫、ゼロ。
もう後戻りはできない。
「行くぞ、高橋」
「ええ。エスコートしなさいよ、オーナー」
俺たちはチケットを握りしめた。
光が溢れる。
視界が白く染まり、重力が消える。
サヨナラだ、日本。
そして待ってろ、異世界。
金も、地位も、どうでもいい。
俺が欲しいものは、たった一つだ。
待ってろ、澪。
必ず、迎えに行く。
俺たちの姿は光の中に溶け、埼玉の拠点から消失した。




