第36話 地上の女神と、深淵からのチャット
あの700億の防衛戦から、半年が過ぎた。
埼玉拠点、5階リビング。
窓の外には、いつもの平和な廃工場地帯の景色が広がっている。
だが、モニターに映し出されている光景は、以前とは劇的に変わっていた。
『――速報です。本日、探索者協会は、クラン『ファントム・ロジスティクス』のメインパーティを、正式にSランクへ昇格させると発表しました』
ニュースキャスターが興奮気味に伝えている。
画面には、煌びやかなドレスに身を包み、記者会見でフラッシュの雨を浴びている高橋の姿があった。
『結成からわずか1年足らずでのSランク昇格は、史上最速の快挙です!
美しきリーダー高橋氏と、正体不明の3人の英雄たち。
彼らはまさに、現代に舞い降りた戦う神々と言えるでしょう!』
「……神々、か」
俺はコタツの中で、伸びきったカップ麺を啜りながら鼻で笑った。
世間では戦乙女だの救国の女神だのと持ち上げられているが、その実態は、ブラック企業で酷使される中間管理職と、性格に難のあるポンコツ人形たちだ。
だが、力は本物だ。
Sランク昇格。
それは、国家戦力と同等の武力を有すると公的に認められた証。
かつて俺たちを追い詰めたサードアイでさえ、今のファントムには容易に手出しできない。
経済への影響力と、Sランクという抑止力が、俺たちを不可侵の聖域に押し上げていた。
「……平和だな」
金はある。地位もある。敵もいない。
完璧なサクセスストーリーだ。
ただ一つ、俺がこの半年間、死に物狂いで探していた彼女がいないことを除けば。
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同時刻。都内、旧タイタン商事・第1倉庫。
現在はファントム・ロジスティクス日本支部として改装されたその場所は、怒号と熱気に包まれていた。
「おい、遅れてるぞ! C-4エリアの搬出急げ!」
「Bランク素材の検品完了! 埼玉へ送ります!」
数百人のスタッフが動き回る巨大物流センター。
その中心で、一人の老紳士が優雅に指揮を執っていた。
白髪のオールバックに、仕立ての良い燕尾服。
かつて西麻布の会員制バー《アビス》で、カウンター越しに高橋と対峙し、Bランク魔石の価値を見抜いたあの男だ。
「……氷室くん。君のパーティ、報告書に不備がありますよ」
老紳士は、荒くれ者たちを前にしても、かつて高橋にカクテルを出した時と同じ、静かで洗練された口調で告げた。
彼の前に立っているのは、傘下の実力派パーティを束ねるBランク剣士、氷室透。
プライドの高い男だが、今は冷や汗を流して直立不動だ。
「す、すみません。現場がバタついてて……」
「言い訳は結構。
かつて高橋様が私の店にいらした際も、これほど雑な仕事はなさいませんでしたよ?
オーナーは数字を好まれます。1円のズレも許されません。
……次はペナルティですよ?」
老紳士が眼鏡の奥で目を細めると、氷室は息を呑み、逃げるように修正へ走った。
「やれやれ……。力自慢はこれだから」
彼は溜め息をつき、手元のタブレットを操作する。
俺は、この男をスカウトした。
あの時、高橋の持ち込んだ魔石の価値を正確に見抜き、即座に商談を成立させた手腕。
高橋が表の女神なら、この男は裏の番頭だ。
裏社会の流儀を熟知し、金と情報の扱いに長けた彼こそが、急激に膨張した組織を統制する要石となっている。
「マスター、こっちも頼むぜ!」
声をかけてきたのは、Cランク盗賊のジャンクだ。
彼は山のような素材袋を抱えている。
「本日の収穫っス。Bランク魔石50個、その他もろもろ。
へへっ、ファントムの看板がありゃ、どこに行ってもVIP扱いだ。笑いが止まんねえな」
「結構。ですがジャンクくん、君は少し口が軽すぎます。
1号様(忍者)の正体を嗅ぎ回っているようですが……」
老紳士の声色が、絶対零度まで下がる。
「アビス(深淵)を覗きすぎると、引きずり込まれますよ?
物理的に」
「……ッ! じょ、冗談っスよ! 仕事戻りやす!」
ジャンクが顔を引きつらせて退散する。
飴と鞭。恐怖と利益。
この老紳士の手腕によって、ファントムという巨大な集金システムは、俺が寝ていても毎月数百億を稼ぎ出す怪物へと成長していた。
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埼玉拠点。
モニター越しにその様子を確認し、俺はウィンドウを閉じた。
「……順調すぎるな」
組織は完璧だ。
誰も俺の正体を知らず、ただ利益だけが吸い上げられてくる。
だが、俺の心は乾いていた。
「金なんて、もう腐るほどある」
残高の桁は、見るのも億劫になるほど増えている。
だが、使い道がない。
700億の神具で守ったはずの結界の中は、今も空っぽのままだ。
「どこにも、いない……」
ソフィアの診断は変わらない。
反応なし。
この世界のどこにも、澪の魂の痕跡は見当たらない。
俺は無意識に、ポケットからタバコを取り出した。
地球製の、どこにでも売っている安タバコだ。
火をつける。紫煙が揺れる。
ふと、気まぐれを起こした。
この半年、稼ぐことだけに特化していたが、たまには遊びも必要か。
俺は神マケの【出品】機能を開いた。
VIP会員になって解放された、売る側の機能。
「……吸うか? 神様」
俺は吸いかけのタバコの箱を、スキャンした。
《出品:嗜好品(乾燥葉巻・フィルター付き)》。
説明文には適当に『紫煙の安らぎ』とでも書いておく。
出品ボタンを押す。
すると、視界に新たなウィンドウが表示された。
《集荷用座標を指定しました。対象物品を【配送】してください》
「なるほど、市場に納品しろってことか」
俺は納得した。
直接、見ず知らずの客に送るわけじゃない。
俺は商品を神々のマーケットというプラットフォームの倉庫に送り、そこから客へ渡る仕組みだ。
これなら、俺が行ったことのない異世界相手でも取引が成立する。
俺は表示された集荷用座標に意識を向け、タバコの箱を転送した。
「……【配送】」
空間が歪む。
タバコの箱が吸い込まれるように消え、システム上での納品が完了した。
どうせ、数百クレジットの小銭にしかならないだろう。
そう思って、画面を閉じようとした、その時だった。
《落札されました》
瞬殺だった。
納品から0.1秒。
《落札額:1,000,000(百万)クレジット》
「……は?」
俺は驚きのあまり固まった。
500円のタバコが、100万?
こちらの世界では健康を害するだけの嗜好品が、向こうでは宝石並みの値がついたのか?
「物価設定どうなってんだ……」
呆れる俺の目の前で、通知アイコンが激しく点滅を始めた。
ただの取引完了通知ではない。
見慣れない、吹き出しのマーク。
《購入者からのメッセージが届いています》
チャット機能。
今まで、一方的に買うだけだった神マケにおいて、初めて向こう側からの声が届いた。
俺は震える意識で、そのメッセージを開いた。
『……素晴らしい香りだ。
魔力の澱が浄化されるようだ。
こちらの世界にはない刺激だ。もっと用意できるか?』
言葉が通じる。
意思の疎通ができる。
それはつまり――ただの商売相手としてだけでなく、情報源として使えるということだ。
俺の脳裏に、電流が走った。
半年間、閉ざされていた壁に、針の穴ほどの風穴が開いた気がした。
「……聞けるか?」
この世界のどこを探してもいなかった。
なら、答えは外にあるのかもしれない。
俺は震える意識で、キーボードを叩いた。
商品はいくらでも用意する。金はいらない。
代わりに、聞きたいことがある、と。
ソフィアが記録していた澪の魂の波長データ。
唯一残された彼女の痕跡を添付し、送信ボタンを押す。
『人を探している。これを見たことはないか』
送信完了。
心臓が早鐘を打つ。
既読がつくまでの数秒が、永遠のように長く感じられた。
そして。
返信が届いた。
『ほう……この魂の輝き。
見覚えがあるぞ。
最近、我々の管理する箱庭の北の果て、“霧の森”に流れ着いた異物と波長が似ているな』
「……ッ!!」
俺は椅子を蹴倒して立ち上がった。
見つけた。
半年間、暗闇の中を彷徨い続けた俺の前に、一本の細い蜘蛛の糸が垂れてきた。
「そこに、いるのか……!」
神マケの向こう側。
俺たちが生きる世界とは異なる次元。
そこに、澪はいる。
俺の目に、半年ぶりに生気が戻った。
虚無は消えた。
あるのは、獲物を見つけた飢えた獣の闘志だけだ。
『……交渉開始だ』
俺はニヤリと笑い、視界に浮かぶキーボードを意識だけで叩いた。
相手は異世界の住人、それも神を名乗る存在かもしれない。
だが、商売のテーブルに乗った以上、対等だ。
『単刀直入に言う。俺はその魂を回収したい。
そちらの世界へ行く方法はあるか?』
送信。
返信はすぐに、脳内に直接響く通知音と共に視界へポップアップした。
『来るか。面白い。
我々の箱庭は、閉ざされた世界だ。
だが、お前が使うその「マーケット」の理を使えば、あるいは可能かもしれんな。
……待っているぞ、稀代の貿易商よ』
ウィンドウが閉じる。
だが、十分だ。
行けるという確証さえあれば、あとは手段を探すだけだ。
俺は顔を上げた。
行くとなれば、準備が必要だ。
俺たちが不在の間、この巨大な組織と、資産を生み出すシステムを維持するための留守番が。
「……高橋。マスターを呼べ」
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数十分後。
埼玉拠点のリビングに、燕尾服の老紳士――マスターが現れた。
彼は俺の前に深々と頭を下げた。
「お呼びでしょうか、オーナー」
「単刀直入に言う。俺はしばらく日本を離れる」
俺は告げた。
「行き先は海外……いや、もっと遠くだ。
電波も届かない、物理的に隔絶された場所へ行く」
「……左様でございますか」
マスターは眉一つ動かさない。
俺の正体がFランクの社畜であることを知りながら、その背後にある異質な力に忠誠を誓っている男だ。
俺が地獄に行くと言っても、彼は涼しい顔でハンカチを用意するだろう。
「俺が不在の間、ファントム・ロジスティクスの全権をお前に預ける」
俺は虚空を操作し、権限委譲の契約データを彼に見せた。
「タイタン商事からの上納金管理。
傘下パーティの統率。
そして何より重要なのが――『物資の確保』だ」
俺はマスターの目を真っ直ぐに見た。
「俺は向こうで、大規模な商売を仕掛けるつもりだ。
商品は、日本の物資だ。
カップ麺、調味料、酒、マンガ、家電……ありとあらゆる地球の製品を、この倉庫に補充し続けろ。
俺は向こうから、空間を超えて在庫を引き出す」
次元を超えた兵站線。
俺が異世界で無双するための、生命線だ。
「承知いたしました」
マスターは恭しく一礼した。
「この老骨、オーナーの財布と倉庫をお守りする番犬となりましょう。
サードアイごときには、指一本触れさせません」
「頼んだぞ。
報酬は今の倍だ。好きに使え」
「フフ……オーナーは相変わらず、使い方が荒い」
最強の留守番は確保した。
これで後顧の憂いはない。
俺は再び視界の神マケに向き直った。
【旅行】カテゴリ。
今まで検索すらしなかった、移動に関するアイテム群。
検索ワード:『次元』『渡航』『転移』。
数千件のヒット。
だが、そのほとんどがダンジョン内転移や短距離ワープの類だ。
世界そのものを跨ぐようなアイテムは――
「……あった」
リストの最下層。
禍々しいオーラを放つ、一枚のチケットのアイコン。
《SSランク消耗品:次元渡航チケット(片道)》
《価格:10,000,000,000(100億)クレジット》
《説明:指定した異次元座標へ、使用者を転移させる片道切符。※帰還の保証はありません》
100億。
高いが、今の俺には必要経費だ。
払えない額じゃない。
だが。
俺の視線は、その価格の横にある小さな赤文字に釘付けになった。
【在庫残数:3】
「……3枚?」
俺は眉をひそめた。
行きたいメンバーは6人だ。
俺、高橋、1号、レオン、ロザリー、ソフィア。
全員で行くには、数が足りない。
それに、これは片道切符だ。
説明書きには帰還の保証はありませんとある。
もし向こうの世界が、人間が生存できないような環境だったら?
真空、毒ガス、あるいは即死級の魔境。
座標も分からず、帰る手段もなく、全員で特攻して全滅。
それが一番のリスクだ。
「……なるほどな。神様は意地が悪い」
俺はコタツの中で腕を組んだ。
在庫3。
この数字が意味するのは、単純な渡航制限だ。
全員で行くことも、気楽に往復することも許さない。
ここから先は、知恵比べだ。
限られた手札で、いかにして最大多数を送り込み、安全を確保するか。
ROIの鬼として、博打は打てない。
まずはテストが必要だ。
「……1号」
俺は部屋の隅で待機していた忍者を呼んだ。
「はい、マスター」
「仕事だ。
おそらく、お前にはまた一番槍になってもらうことになる」
俺は画面上の在庫3という数字を睨みつけ、脳内でシミュレーションを開始した。
1号の特性。
アバターたちのアイテムという性質。
そして、俺のスキル【ワールド・デリバリー】の仕様。
パズルのピースは揃っている。
まずは1枚使って、向こう側の座標と安全性を確定させる。
俺たちが動くのは、それからだ。
「……高橋とマスターには、まだ黙っておくか」
確証が得られるまでは動かない。
俺は慎重に、しかし大胆に、次の一手を打つ準備を始めた。
「よし、買うぞ」
俺は震える意識で、1枚目のチケットの購入ボタンに触れた。
100億の実験。
だが、これこそが澪への最短ルートだ。




