第35話 700億の弾薬と、捏造された反逆罪
埼玉拠点、5階。
夕暮れの空を埋め尽くす武装ヘリの轟音が、窓ガラスをビリビリと震わせていた。
「……サードアイ」
俺は窓から離れ、振り返った。
戦うしかない。
俺には最強の矛と盾がある。
Aランクダンジョンを散歩コースに変え、Sランクモンスターすら狩り尽くすアバターたちがいれば、たとえ国家権力相手でも――
そう思った、瞬間だった。
キィィィィィィィン!!
耳をつんざくような高周波音が、廃ビル全体を包み込んだ。
音ではない。魔力の波だ。
それも、特定の波長を強制的に遮断する、強力なジャミング。
「ガ……ッ!?」
レオンが、膝をついた。
ロザリーが杖を取り落とす。
ソフィアが胸を押さえてうずくまる。
そして、忍者装束の1号までもが、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。
「……おい、どうした!?」
俺が叫ぶ間もなく、彼らの身体が淡い光に包まれた。
輪郭がぼやけ、質量が急速に失われていく。
シュゥゥゥ……。
光が収まった後、床に残されていたのは――
30センチほどの、4体の人形だけだった。
ピクリとも動かない。
ただのプラスチックと魔力回路の塊。
俺が2億かけて作り上げ、数億かけて育て上げた最強の軍団が、一瞬で「オモチャ」に戻された。
『無駄だ』
拡声器の声が、無慈悲に告げた。
特務捜査官、鬼道の声だ。
『このエリア一帯に【対魔導人形・阻害結界】を展開した。
外部からの魔力供給と遠隔操作を遮断する、対・人形使い専用の結界だ。
貴様の自慢の兵隊は、もう指一本動かせんよ』
「……クソッ!」
俺は床に転がる1号(人形)を握りしめた。
完全に研究されていた。
俺の正体が「人形使い」であると特定された時点で、この結界を用意されていたのだ。
『さらに、【空間固定結界】も展開済みだ。転移による逃走も不可能と思え』
詰んだ。
戦力はない。
逃げ場もない。
あるのは、動かない人形と、隣室の結界内で眠る澪だけ。
『通告する!!』
鬼道の声が、死刑判決のように響く。
『九条真也。およびテロ組織ファントム・ロジスティクスの構成員へ!!
貴様らを、国家の秩序を乱す特級危険因子と認定する!!』
俺は窓を開け、怒鳴り返した。
拡声器などないが、今の俺には腹の底からの怒りがあった。
「ふざけるな!!
俺たちが何の法を犯した!?
ユニークスキルを持つことは違法じゃないはずだ!!
ダンジョンで稼ぐことが、いつから罪になった!?」
『法ではない。“秩序”の問題だ』
鬼道は冷ややかに答えた。
『貴様はやりすぎた。
戦略物資である魔石を独占し、市場価格を操作した。
未登録のSランク戦力を組織化し、国家の管理外で武力を拡大した。
それらは全て、国家転覆の準備行為と見なされる』
『よって、これより貴様らを“国家内乱予備罪”で処断する!!』
「言いがかりだ……!!」
内乱予備罪。
そんなものが適用されれば、裁判すらない。
即時処分。つまり、処刑だ。
『投降は認めない。
貴様のような規格外の能力者は、生かしておけば必ず禍根となる。
ここで、灰になってもらう』
空が、光った。
武装ヘリの編隊が左右に散開し、その中央。
雲が渦を巻き、巨大な魔法陣が展開される。
直径数百メートル。
街一つを消し飛ばすほどの、極大のエネルギー反応。
『戦略級魔法・“天槌”。
発動まであと30秒』
「……本気かよ」
俺は絶句した。
個人の犯罪者を捕まえるために、戦争で使うような兵器を持ち出してきたのか。
この廃工場地帯ごと、俺たちを蒸発させる気だ。
30、29、28……。
カウントダウンが始まる。
逃げられない。
防げない。
俺のFランク【配送】など、この質量の前では無意味だ。
終わるのか?
ここで。
700億も稼いで、あと少しで手が届くところまできて。
全部、無駄になるのか?
「……ふざけるな」
俺は奥歯を噛み砕くほど強く噛み締めた。
認めない。
こんな理不尽な暴力で、俺の人生も、澪の命も、終わらせてたまるか。
「理屈が通じないなら……さらに上の“理”を金で買うまでだ」
俺は震える手でスマホを取り出し、神マケを開いた。
残高、702,450,000,000クレジット。
俺が命を削って積み上げた、血と汗の結晶。
俺はカテゴリを切り替えた。
【業務用品】ではない。
【建築】でもない。
今まで、高すぎて見向きもしなかった、禁断のページ。
【神具・概念兵器】カテゴリ。
そこにあるのは、人の理を超えた、神々の遊び道具だ。
価格の桁がおかしい。
だが、今の俺なら買える。
俺は迷わず、2つの商品をカートに放り込んだ。
一つ目。
上空の「天槌」を防ぐための、絶対防御。
《SSランク消費具:神の加護》
《価格:500,000,000,000クレジット》
《説明:指定座標に対し、一度だけあらゆる物理・魔法・概念干渉を“無効化”する絶対防御障壁を展開する。神の一撃すら防ぐ、使い捨ての聖域》
500億。
ボタン一つで、国家規模のプロジェクト予算が消える。
二つ目。
動かない人形の代わりに、敵を殲滅するための軍隊。
《SSランク傭兵召喚:戦乙女部隊》
《価格:200,000,000,000クレジット》
《説明:神界の精鋭部隊と“単発”の召喚契約を結ぶ。術者の魔力に依存せず自律行動するため、下界の魔力阻害の影響を受けない》
200億。
たった一度の戦闘のためだけに支払う、狂気の傭兵費。
合計、700億。
「……10、9、8……」
外ではカウントダウンが続いている。
空が白く輝き、滅びの光が落ちてこようとしている。
俺は、購入ボタンに指をかけた。
指先が震える。
これを押せば、俺は無一文だ。
1000億への道は、またゼロからになる。
だが。
俺は隣室を見た。
床に転がり、ピクリとも動かないソフィア(人形)。
その向こう。
結界の中で、何も知らずに眠る澪の顔。
「……安いもんだ」
俺は笑った。
金は、また稼げばいい。
タイタンでも、Sランクダンジョンでも、俺の体力が続く限り何度でも稼いでやる。
だが、澪の代わりはいない。
「700億で、あいつを守れるならな!!」
0秒。
上空から、極光の柱が突き刺さるのと同時に。
俺はボタンを押し込んだ。
《決済完了》
《残高:2,450,000,000クレジット》
一瞬で、数字が消えた。
その代わり。
俺の手の中には、虹色に輝く小さな結晶と、黄金の笛が現れた。
「使い方は分かってる」
俺は結晶を握り潰し、天に向かって吠えた。
「展開ッ!! アイギス!!」
俺たちの要塞の上空に、世界の色が変わるほどの光が爆発した。
ズガアアアアアアン!!!
上空から降り注いだ戦略級魔法『天槌』の極大の閃光が、俺たちの頭上で「見えない壁」に衝突した。
500億の使い捨て絶対防御障壁、『神の加護』だ。
物理法則を超越したエネルギーの奔流が、虹色のドームに弾かれ、四散していく。
衝撃波だけで雲が吹き飛び、埼玉の空が裂ける。
だが、要塞は揺れもしない。
神話級の盾は、国をも滅ぼす一撃を、文字通り「無効化」してみせた。
『な……っ!? 防いだだと!?
馬鹿な、あれは戦略級だぞ!? 個人の魔導具で防げる出力ではない!!』
拡声器越しに、鬼道の驚愕の声が響く。
当然だ。これは下界の理で作られた魔導具じゃない。
神々の遊び道具だ。
「まだだ……! これだけじゃ終わらせない!」
俺はもう一つのアイテム、黄金の笛を口に当て、思い切り吹き鳴らした。
音はしない。
代わりに、空間そのものが震えた。
ヒュン、ヒュン、ヒュン……!
要塞の周囲、虚空から無数の光の裂け目が走る。
そこから現れたのは、白銀の鎧に身を包み、光の翼を広げた美しい戦乙女たち。
『SSランク傭兵・戦乙女部隊』。
契約金200億。
彼女たちは、神界の住人だ。
下界の魔力など必要としない。自らの神気だけで稼働する自律兵器。
つまり――鬼道の展開した『対魔導人形・阻害結界』など、彼女たちには何の意味もない。
「殲滅しろ!!」
俺の号令と共に、戦乙女たちが空へ駆け上がった。
それは、一方的な蹂躙だった。
「な、なんだこいつらは!? 魔力反応が桁違いだ!」
「結界が効かない!? ぐあああっ!!」
Sランク探索者たちが、光の槍で貫かれ、空から叩き落とされる。
武装ヘリが、翼の一振りで紙細工のように両断され、爆発四散する。
国家最高峰の戦力が、赤子のようにひねり潰されていく。
『総員、撤退ッ!! 撤退だ!!
この戦力は想定外だ!! 一度体勢を立て直す!!』
鬼道の悲鳴のような指示が飛ぶ。
黒塗りの車列と残ったヘリが、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。
ものの数分。
嵐のような戦闘が終わった。
戦乙女たちは、敵影が消滅したことを確認すると、光の粒子となって消滅した。
1回使い切りの契約。
200億が、5分で消えた。
「……ははっ。勝った、のか?」
俺はへたり込んだ。
残高はゼロに近い。
700億を失った。
だが、守り切った。
要塞は無傷だ。俺も、高橋も生きている。
そして何より――澪を守れた。
「……澪!」
俺は立ち上がり、隣室へと走った。
結界の中のベッド。
そこで眠る彼女の顔を見て、安心したかった。
「大丈夫だ、もう誰も来ない」と伝えたかった。
ガチャリ。
扉を開ける。
そこには、淡い光を放つ絶対不可侵の結界と、その中心に置かれたベッドがあった。
だが。
「…………え?」
俺は、足を止めた。
思考が、凍りついた。
結界の奥。
ベッドの上。
真っ白なシーツ。
さっきまでそこに沈み込んでいた、彼女の身体の重みを示す窪みだけが残っている。
いない。
澪が、いない。
「……おい、嘘だろ?」
俺は結界に駆け寄り、中を覗き込んだ。
隠れているわけがない。
どこにもいない。
痕跡すらない。
まるで最初から、そこには誰もいなかったかのように。
「澪ッ!! どこだ!? おい!!」
俺は叫んだ。
だが、返事はない。
床には、機能を停止したままのソフィア(人形)が転がっているだけだ。
彼女が動いていれば、「魂の限界が来て消滅した」とか「空間の歪みに飲まれた」とか、何らかの説明をしてくれたかもしれない。
だが、今はただの物言わぬ人形だ。
誰も説明してくれない。
何が起きたのか分からない。
ただ、「700億を使って守ったはずの結界の中身が、空っぽだった」という事実だけがそこにあった。
「……あ、あぁ……」
膝から崩れ落ちる。
金も失った。
守るべき対象も失った。
俺の手元には、もう何もない。
完全な敗北。
勝利したはずの戦場で、俺は全てを失っていた。
その時。
静まり返った部屋ではなく、俺の脳内に、無機質な電子音が響いた。
《ピロン》
神マケの通知だ。
こんな時に、何の用だ。
嘲笑か? 追撃か?
虚空に表示された文字を見て、俺の目が釘付けになった。
《累計消費額が規定値を突破しました》
700億という巨額の散財。
それが、あるトリガーを引いていた。
《会員ランクが【VIP】に昇格します》
視界に浮かぶインターフェースが、黒と金から、さらに禍々しくも神々しい『白金』色へと変化していく。
そして、新たなメニュー項目が追加された。
《新機能解放:【出品】》
《説明:下界の物品を、神々の市場へ販売することが可能になります》
「……出品?」
俺は震える手で、何もない虚空を掴もうとした。
今までは「買う」だけだった。
神々から与えられるものを、金で買うだけの一方通行。
だが、これからは「売る」ことができる?
俺たちが住むこの世界の物を、あっち側の世界へ?
俺の脳裏に、一つの狂気的な仮説が浮かんだ。
澪の魂は、死んだんじゃない。
ソフィアは言っていた。「魂の定着率が限界だ」と。
そして彼女の魂は、1年前のテロで「異界(あっち側)」に引きずり込まれかけた不安定な状態だった。
もし。
今回の戦略魔法と神具の衝突による衝撃で、彼女の魂が完全に肉体から剥がれ落ち、元々引っ張られていた「あっち側」――つまり、神マケの管理する領域へと飛んでいってしまったとしたら?
「……なら、買い戻せるか?」
俺が神マケの「向こう側」に干渉できる商人になれば。
あっちの世界で流通する通貨を稼ぎ、あっちの世界の理に触れることができれば。
彼女の魂を、商品として買い戻すことができるんじゃないか?
「……は、ははっ」
乾いた笑いが漏れた。
1000億なんて、可愛い目標だったのかもしれない。
相手は神だ。魂の値段なんて、いくらふっかけてくるか分からない。
兆か? 京か?
だが、道は繋がった。
俺は空っぽのベッドを見つめ、涙を拭った。
絶望している暇はない。
俺はまだ、稼げる。
「待ってろ、澪」
俺は強く拳を握りしめた。
「地獄の果てだろうが、神の国だろうが……俺が必ず、お前を買い戻しに行ってやる」
ゼロからの再スタート。
だが今度の俺は、ただの消費者じゃない。
神々すらも顧客にする、最強の貿易商だ。




