第34話 1億の亀と、99%の赤信号
埼玉拠点、5階。
空になったポーションの瓶が散乱するコタツの中で、俺は2つのモニターを同時に睨みつけていた。
右のモニター。
映っているのは、先日アクセス権を得たばかりのSランクダンジョン『水晶の渓谷』。
高橋率いるファントム・ロジスティクスの主力部隊だ。
「……強くなったな」
俺はポテチを齧りながら、感心したように呟いた。
画面の中、全長10メートルを超える『クリスタル・タートル』が、その巨体に見合わぬ速度で回転し、体当たりを仕掛けてきている。
甲羅はダイヤモンド以上の硬度を持つSランク素材。
まともに食らえば、戦車すらぺしゃんこになる質量攻撃だ。
だが、今は違う。
「フンッ!!」
ドガァァン!!
レオンが、その回転する宝石の要塞を、盾すら使わず素手で受け止めた。
地面が陥没し、衝撃波で周囲の水晶が砕け散るが、彼は一歩も退かない。
Aランク昇格までの地獄のレベリングで、彼の基礎ステータスはSランクモンスターの攻撃すら耐えうる領域まで達している。
「硬い! 素晴らしい硬度だ! だが私の愛の方が勝っている!」
「眩しいですわ! 曇らせてあげます!」
ロザリーが杖を振るう。
無駄な爆発ではない。超高温の熱線一点集中。
熱に弱い宝石の特性を突き、甲羅の継ぎ目を溶断する。
体勢を崩した亀の首に、高橋のワイヤーが巻き付いた。
「終わりよ」
ヒュンッ。
硬い甲羅の隙間、柔らかい首が切断される。
鮮やかな連携。俺の遠隔狙撃など、もう必要ない。
戦闘終了後。
1号が動いた。
忍者装束に身を包んだ彼は、亀の死体に歩み寄る。
手にはナイフも解体道具も持っていない。
彼は死体の甲羅の隙間に手をかざし、集中した。
狙うは、体内に生成されている高純度の魔石と、甲羅の内側にある希少部位の座標。
送り先は、自身が腰に下げたマジックバッグの中。
「……【配送】」
シュッ。
音もなく、1号のバッグの中に、ゴロリと何かが転がり込んだ。
『Sランク魔石』だ。
死体には、解体痕ひとつついていない。
硬い外殻を無視し、内部の魔石だけを座標指定して、直接袋の中へと空間転移させたのだ。
「……はぁ、はぁ」
1号が膝をつく。
燃費の悪いFランクスキルで、Sランクという高密度の物質内部へ干渉した代償だ。
激しい消耗。
だが、硬すぎて解体に数時間はかかるSランクモンスターから、一瞬で素材を抜き取るこの技術は、探索効率を劇的に向上させる。
「はい、回復」
ソフィアが背後からヒールをかける。
1号は苦悶の表情を浮かべながら立ち上がり、次は1億2千万の価値がある『金剛宝石の甲羅』を、部位ごとに【配送】で解体・収納していく。
***
「……よし。亀狩り班は順調だ」
俺は視線を、左のモニターへと移した。
こっちは、俺一人の戦場だ。
映っているのは、同じSランクダンジョンだが、エリアが違う。
灼熱のマグマが流れる『炎獄の河』。
高橋たちが安全な陸地で亀を狩っている間、俺は余ったリソースをすべて、この危険地帯でのソロ狩りに投入していた。
「座標、固定」
マグマの中から鎌首をもたげる巨大な蛇。
Sランクモンスター『ヴォルカニック・コブラ』。
全長20メートル。その鱗は溶岩すら弾き、吐き出すブレスは鉄を蒸発させる。
だが、こいつには弱点がある。
鱗の隙間。脳へと通じる、針の穴ほどの神経孔だ。
「【配送】」
思考するより速く、指が動く。
視界に捉えた瞬間、座標が固定され、鉄杭が射出される。
ラグゼロ。
思考と現象が直結する感覚。
ズドンッ!
マグマの飛沫を上げ、大蛇がのたうち回って沈む。
ここまでは、いつもの作業だ。
だが、ここからが違う。
高橋たちがいない今、素材を回収するのは俺自身だ。
俺は沈んでいく大蛇の死体、その体内にある『Sランク魔石』に照準を合わせる。
「【受取】」
ズグンッ!!!
「ぐっ……ぅぅぅ!!」
俺は頭を抱えて呻いた。
脳血管が膨張し、ミシミシと音を立てるような激痛。
距離や方向は関係ない。
だが、Sランクの魔石は、その身に宿す魔力の密度がAランクの比ではない。
物理的な重量以上の魔力の質量が、転送時の負荷となって俺の精神力をゴリゴリと削り取っていく。
ボトッ。
手元に、灼熱の魔石が転がり落ちる。
コタツ布団が焦げる匂いがした。
「……はぁ、はぁ……」
鼻血が止まらない。
視界がチカチカと明滅している。
だが、休むわけにはいかない。
亀ほどではないが、この蛇の魔石も一つ3000万は下らない。
数を狩れば、亀を超える稼ぎになる。
「……次だ」
俺は震える手で、Sランクポーションの瓶を掴み、一気に流し込んだ。
強制冷却。
痛みを麻痺させ、無理やり思考をクリアにする。
右の画面では亀。1体1億。
左の画面では蛇。1体3000万。
これを何百回、何千回と繰り返す。
「配送……受取……配送……受取……ッ!」
機械のように。
自らの命を削り出し、金という形に変えていく作業。
その時だった。
ガレージのシャッターが開く音と、階下からの足音が聞こえた。
高橋たちがSランクダンジョンから帰還したのだ。
数分後。
ガチャリ、とリビングの扉が開く。
「……マスター」
ソフィアの声。
いつもなら軽口を叩く彼女の声色が、氷のように冷たい。
彼女はダンジョンでの汚れを落とす間もなく、俺の元へ歩み寄ってきた。
「いい加減にしなさい。死にますよ」
彼女は俺の横に来て、散乱するポーションの空き瓶と、血まみれのティッシュの山を見下ろした。
「澪様の魂も限界ですが……それより先に、あなたが壊れます」
ソフィアは俺の顔を覗き込む。
回復のスペシャリストとしての、冷徹な診断。
「そのペースで脳を酷使し続ければ、脳血管が破裂して死ぬか、あるいは思考能力を焼き切られ、廃人になります。
そうなれば、誰が彼女を救うのですか?」
ドクターストップ。
俺の体は、すでに限界を超えている。
だが。
「……知ったことか」
俺はモニターから目を離さず、次のコブラに照準を合わせた。
「俺が死のうが、廃人になろうが、関係ない。
1000億だ。
1000億貯めて、あの薬さえ手に入れば……あとはお前たちが澪に使えばいい」
俺はシステムの一部でいい。
金を稼ぐための歯車だ。
歯車が摩耗して砕け散っても、最後に結果さえ出れば、俺の勝ちだ。
「……狂っていますね」
ソフィアは呆れたように、けれどどこか悲しげに呟いた。
「止めはしません。それがあなたのROIだと言うなら。
……ですが、せめて死なない程度に回復はさせておきます」
彼女の手が光り、俺の背中に触れる。
温かい魔力が流れ込み、悲鳴を上げていた脳細胞を強引に繋ぎ止める。
「……感謝する」
俺は口元を歪め、再びトリガーを引いた。
「配送」
ズドンッ。
また一匹、Sランクの怪物が金に変わる。
神マケの画面の端。
【国家探知危険度】の数値が、俺の命と連動するように上昇を続けていた。
72%……73%……。
警告灯は、もう消えることはない。
破滅か、達成か。
どちらが先に来るかのチキンレースは、最終コーナーを回ろうとしていた。
***
それから、数ヶ月。
俺たちの時間は、狂気的な速度で過ぎ去った。
昼はタイタン商事からの上納金30億を管理し、夜はSランクダンジョン『水晶の渓谷』で、宝の山を切り崩す日々。
「……本日、亀10体、蛇20体。処理完了」
モニターの中。
Sランクダンジョンの深層で、高橋たちが『クリスタル・タートル』の巨体を沈める。
Aランクに昇格した彼らにとって、動きの遅い亀など、ただの硬い金庫でしかない。
レオンが足止めし、ロザリーが装甲を脆くし、1号が中身の魔石と宝石甲羅を【配送】で抜き取る。
一方で、俺もコタツから一歩も出ず、別エリアの『ヴォルカニック・コブラ』をソロで狩り続けた。
1体3000万。それを毎日数十体。
ポーションの空き瓶は部屋の隅に山となり、俺の鼻血はティッシュ一箱では止まらなくなった。
脳が焼ける匂いがする。
だが、その代償として、資産は爆発的な速度で膨れ上がっていった。
100億。
300億。
500億。
止まるわけにはいかない。
ソフィアの警告通り、澪の魂の猶予は限界に近い。
俺が休めば、彼女が死ぬ。
俺が稼げば、彼女は助かる。
シンプルな数式だ。
そして――運命の日。
「……届いた」
埼玉拠点、5階リビング。
換金完了の通知音と共に、神マケの残高表示が更新される。
《現在残高:702,450,000,000クレジット》
「700億……ッ!」
俺は震える手で、画面に触れた。
あと300億。
今のハイペースなら、あと1ヶ月もしないうちに届く。
間に合う。
澪を助けられる。
俺はふらつく足で立ち上がり、隣室のガラスに手を突いた。
そこには、静かに眠る彼女がいる。
「……待ってろ、澪。
あと少しだ。もうすぐ、お前を――」
だが。
光が強くなればなるほど、落ちる影もまた濃くなることを、俺は忘れていた。
リビングの空気が、一変した。
ブブブブブブッ!!
不快な振動音。
スマホではない。
俺の視界、神マケのウィンドウ全体が、真っ赤に染まって明滅している。
《警告》
《警告》
《警告》
「……なんだ?」
俺は眉をひそめ、画面の隅を見た。
そこにあった数値を見て、心臓が止まりかけた。
【国家探知危険度:99.8%】
「99……?」
70%台だった数値が、一気にカンスト寸前まで跳ね上がっている。
Sランクダンジョンでの乱獲。
数千億規模の高密度魔力質量の移動。
そして何より、この数ヶ月間、休むことなく空間に穴を開け続けた負荷が、ついに国家の監視網を完全に焼き切ったのだ。
「……マスター」
ソフィアが青ざめた顔で窓の外を指差した。
「外を」
俺はふらつく足で窓辺に寄り、カーテンを開けた。
そこにあったのは、絶望だった。
ババババババババ……!!
腹に響くローター音。
夕暮れの埼玉の空を、無数の黒い点が埋め尽くしていた。
武装ヘリだ。
1機や2機ではない。
10機以上の編隊が、この廃ビルを完全に包囲している。
そして、地上。
廃工場の敷地を、黒塗りの装甲車が何重にも取り囲み、蟻の這い出る隙間もないほどに封鎖していた。
「……サードアイ」
拡声器の声が、ビリビリと空気を震わせた。
『通告する!!
建物内の未登録ユニークスキル能力者、およびテロ組織ファントム・ロジスティクスの構成員へ!!
貴様らは完全に包囲されている!!』
その声には聞き覚えがあった。
あの時、1号の腕を切り落とした男。
特務捜査官、鬼道。
『無駄な抵抗はやめろ!! この包囲網には、国家認定Sランク探索者が5名、動員されている!! 貴様らの隠れ家の座標は、物流の痕跡と魔力反応から逆算して特定した!!』
虚数座標の隠れ家。4億5千万の絶対防御。魔法的な探知は防げても、物理的な包囲と、Sランク5人による力技の空間固定には耐えられないのか。
「……詰んだか」
俺はへたり込みそうになった。
1000億への道が見えた、その瞬間に。
積み上げてきた全てが、崩れ落ちようとしている。
逃げるか?
……いや、不可能だ。
俺だけなら、隠蔽アイテムを使って包囲網を抜けることはできるかもしれない。700億を持って海外へ高飛びし、生き延びることもできるだろう。
だが、それは「敗北」ですらない。目的の放棄だ。
隣室を見る。そこには、装置と結界に繋がれ、動かすことのできない澪がいる。
ここを放棄して逃げるということは、彼女を見殺しにするということだ。
サードアイに確保されれば、彼女は実験体に戻されるか、処分される。
俺にとって、それは「死」と同義だ。
逃走という選択肢は、ハナから存在しない。
(戦うしか、ない)
相手は国家権力と、Sランク探索者5人。
勝てる保証はない。
そして何より、戦えば――
俺は神マケの「残高」を見た。
約700億クレジット。
タイタンからの搾取と、ここまでの乱獲で積み上げた、澪を救うための血と汗の結晶。
これを、「弾薬」として使わなければならないのか?
「……ふざけるな」
俺は奥歯を噛みしめた。
どっちを選んでも地獄だ。
だが、俺の中で答えは決まっていた。
「……1号、高橋、全員配置につけ」
俺はインカムに向かって、低く唸るように告げた。
「迎撃だ。
サードアイだろうがSランクだろうが関係ない。
降りかかる火の粉は、すべて払い落とす」
『了解。……やってやるわよ』
高橋の声にも、覚悟が滲む。
今の俺たちには力がある。
Aランクダンジョンを散歩コースに変え、Sランクの怪物を狩り尽くすだけの実力が。
国家権力相手でも、遅れは取らないはずだ。
俺は神マケの「残高」を睨みつけた。
これは、澪を救うための金だ。
こんなところで、自分の保身のために浪費するわけにはいかない。
「この金は、あいつの命だ。
1円たりとも減らさせない」
俺はモニターを睨みつけ、アバターたちに攻撃許可を出した。
「総員、戦闘開始ッ!! 俺たちの城を、奴らに踏み荒らさせるな!!」
決断の時。
俺は最強の矛と盾を信じて、国家との戦争を始めた。




