第33話 6ヶ月の死刑宣告と、ご褒美のポンコツ車
埼玉拠点、5階。
リビングのホワイトボードの前で、俺は黒いマーカーを握りしめていた。
書き殴られているのは、冷徹な数字の羅列だ。
「……計算、終了だ」
俺はキャップを閉め、その絶望的な数式を睨みつけた。
【目標金額:1000億円(世界樹の雫)】
ここから、現在の手持ち資産と確定在庫を引く。
現金は、約6億クレジット。
そして、俺たちの手元には、まだ換金できずに眠っている莫大な埋蔵金がある。
先月1号を使ってタイタン商事の倉庫からごっそり抜き取った、Aランク高純度魔石の山だ。
市場価格にして約100億円分はある。
計106億円。
だが、この魔石は今すぐには現金化できない。
今のファントムはまだ成り上がりのBランクパーティだ。
そんな連中がいきなり100億ものAランク素材を市場に流せば、サードアイに即座に目をつけられる。
これは、高橋たちがAランクに昇格し、正当な入手ルートを証明できるようになって初めて使える切り札だ。
1000億引く106億。
さらに、タイタン商事から毎月入ってくる上納金、月30億の半年分である180億を引く。
【最終不足額:約714億円】
「714億……」
ソフィアが告げたタイムリミットは、あと半年。180日だ。
714億円を180日で稼ぐとなると、1日あたりのノルマは――
【日給ノルマ:約4億円】
「4億だぞ……? 毎日、Aランク素材を400個拾ってこいってか?」
俺たちは既にBランクパーティだ。
Bランクダンジョンを周回し、レアドロップである単価100万のAランク素材を狙うことはできる。
今の俺たちの戦力なら、物理的に狩ること自体は可能かもしれない。
だが、それをやれば終わる。
市場原理だ。
Aランク素材が毎日400個も市場に溢れれば、希少価値は暴落する。
100万の石が50万、10万と値崩れし、稼げなくなる。
自分で自分の首を絞めるだけだ。
「……足りない」
俺はホワイトボードを拳で殴りつけた。
Bランクダンジョンでチマチマ稼いでいる場合じゃない。
市場を壊さずにこの巨額を稼ぐには、単価が桁違いのSランク素材を狙うしかない。
10億以上の値を付ける国宝級だ。
そのためには、Sランクダンジョンへの入場権が必要だ。
「……半年、か」
その言葉が、脳裏の奥底にある、封印していた記憶の蓋をこじ開けた。
――1年前。12月24日。
俺がまだクロノス社に売られる前、別の会社で社畜をしていた頃のことだ。
その日は、澪の誕生日だった。
『真也、本当にいいの? 無理してない?』
電話の向こうの澪の声は、少し心配そうだったが、隠しきれない期待に弾んでいた。
俺は、なけなしの給料をはたいて、夜景の見えるレストランを予約していた。
彼女を祝いたかった。日頃の感謝を伝えたかった。
だから、俺から誘ったんだ。
『大丈夫だ。今日は絶対定時で上がる。店で待っててくれ』
『うん! 楽しみにしてるね!』
彼女はあの日、一番のお気に入りの服を着て、寒空の下、店に向かってくれたはずだ。
だが、夕方。
上司が俺のデスクに書類の山を落とした。
『おい九条、これ全部終わるまで帰るなよ。明日の朝一会議だ』
『え……で、でも今日は外せない用事が……』
『あ? お前のプライベートなんざ知ったことか。嫌なら辞めろ。代わりはいくらでもいるんだぞ』
ありふれたパワハラ。
だが、当時の俺には拒否する勇気も、辞める覚悟もなかった。
生活への恐怖が、彼女への想いを上回ってしまった。
俺は唇を噛み締め、震える手でスマホを取り出し、澪にメッセージを送った。
『ごめん。仕事終わらない。行けなくなった』
既読はすぐについた。
『ううん、気にしないで! お仕事頑張ってね』
健気な返信。
彼女は一人で、賑わうクリスマスの街を、予約した店をキャンセルして帰路についたはずだ。
そして、その帰り道で――
『――速報です。都内某所で違法スキルによる無差別テロが発生……』
もし。
もし俺が、あの時、会社なんて見捨てて駆けつけていれば。
いや、そもそも俺が祝おうなんて言い出して、彼女を呼び出さなければ。
彼女はあんな場所にはいなかった。
「……俺が、殺したようなもんだ」
ホワイトボードの文字が滲んで見える。
あの日、俺は保身のために、彼女を切り捨てた。
その報いが、今のこの植物状態の彼女だ。
「……二度と、繰り返すかよ」
俺は顔を上げた。
もう迷いはない。
金がないなら稼ぐ。道がないなら作る。
今のランクで足りないなら、その上を行くしかない。
***
数時間後。
都内某所、貸会議室。
そこは、異様な熱気と饐えた臭いに包まれていた。
集まったのは、6パーティ計20名の探索者たち。
全員が、一癖も二癖もありそうな面構えをしている。
Bランク剣士、氷室透。
かつて中堅クランのエースだった男だが、今は壁に寄りかかり、冷めた目で周囲を観察している。
協調性ゼロ、実利主義の塊のような男だ。
Cランク盗賊、ジャンク。
借金取りに追われているという噂のギャンブラー。
貧乏ゆすりをしながら、落ち着きなく出入り口を見ている。
彼らは皆、ここ最近業界を騒がせている噂を聞きつけて集まったハイエナたちだ。
新興クランのファントムに入れば一生分稼げるらしいとか、タイタン商事すら食い物にしたヤバい組織だとか、そんな噂だ。
「……遅ぇな。本当にお高く止まってやがる」
誰かが悪態をついた、その時だった。
会議室のドアが開いた。
一瞬で、部屋の空気が変わった。
「お待たせしました」
現れたのは、冷ややかな美貌を持つ黒髪の女性――高橋。
そしてその背後には、この世のものとは思えないほど整った容姿を持つ3人の男女。
輝く金髪の騎士レオン、ゴシックドレスの少女ロザリー、聖女のようなソフィア。
「……ッ」
むさ苦しい男たちが、息を呑んだ。
ただ美しいだけではない。
全身から放たれるオーラ、装備の質、肌の艶。
すべてが格上であることを物語っていた。
そこらのアイドルやモデルなど裸足で逃げ出すほどの、圧倒的な顔面偏差値の暴力。
高橋は、男たちの視線を涼しい顔で受け流し、演壇に立った。
「株式会社ファントム・ロジスティクス代表の高橋です。
単刀直入に言います」
彼女は男たちを見回し、氷のような声で告げた。
「あなたたちには、我々の手足となって働いてもらいます。
CランクからBランク帯の素材回収、およびダンジョンのマッピング。
それが業務内容です」
「……は? 俺たちを雑用係にするってのか?」
一人の男が不満げに声を上げたが、高橋は眉一つ動かさない。
「嫌なら帰っていただいて結構です。代わりはいくらでもいますから」
「なっ……」
「ただし。
我々についてくるなら、稼ぎは保証します。
装備のメンテナンス、ポーションの支給、そして何より――圧倒的な勝ち馬に乗る権利を差し上げます」
彼女はニヤリと笑った。
その笑顔は、ゾクリとするほど魅力的で、同時に恐ろしかった。
「死んでも自己責任。泣き言は聞かない。
それでも稼ぎたいという欲張りな方だけ、契約書にサインをどうぞ」
静まり返る会議室。
だが、誰も席を立とうとはしなかった。
むしろ、その傲慢なまでの態度に、男たちの目は熱を帯びていた。
この女についていけば、何かデカいことができる。
そんな予感が、彼らを支配していた。
その様子を、俺は埼玉のコタツの中からモニター越しに眺めていた。
「……いい演技だ、高橋」
俺はポテチをかじりながら、手元のタブレットを操作する。
彼らが契約書にサインをし、支給された装備を受け取るたびに、画面上のマップに光点が増えていく。
装備の裏地、ベルトの隙間。
そこに仕込んだ斥候蜘蛛が、彼らを24時間監視する。
彼らは仲間ではない。
俺の目を欺くためのカモフラージュであり、低ランク素材を回収する自動集金マシンだ。
「よし、駒は揃った」
俺はインカムのスイッチを入れた。
ここからが本番だ。
「高橋。聞こえるか」
『ええ。……どう? 今の演技』
「満点だ。だが、ここからが本当の地獄だぞ」
俺は告げた。
「傘下の連中を使って数を稼げ。
そしてお前たちは、最短ルートで2ヶ月以内にAランクへ昇格しろ」
『……はあ!?』
高橋の顔から、先ほどのクールな仮面が剥がれ落ちた。
素っ頓狂な声が響く。
『何言ってんの!? Aランクよ!?
あれは頑張ればなれるってものじゃないわ。
何千、何万という探索者の中の、ほんの一握り……化け物みたいな才能を持った連中だけが辿り着ける、超上澄みの領域よ!?
普通は一生かかったってなれないわ!』
「知ったことか。
才能が足りないなら、金で埋めろ」
俺はホワイトボードの1000億という数字を睨みつける。
「俺は最強の環境を用意した。
装備も、ポーションも、魔導具も、金に糸目はつけない。最高級品を湯水のように使って、物理的な限界は排除してやる。
疲れたら回復させる。装備が壊れたら新品を送る」
俺は声を低くした。
「残る課題は、お前の心だけだ。
死ぬ気で登れ。言い訳は許さん」
『……本気なのね』
高橋の声色が、呆れから覚悟へと変わる。
彼女もプロだ。俺がここまで言う理由を察している。
『わかったわよ。付き合うわ。
私たちだって、そこで止まるつもりはないしね』
「頼んだぞ。
俺は必要な環境は用意する。
最高級のポーション、予備の武器、魔導具。
生存に必要な経費は惜しまない」
俺は声を低くし、モニター越しの彼女に釘を刺した。
「だが、それ以外は甘えるな。
快適さも、休息も、1円の利益も生まない無駄なコストだ。
足りない分は、お前たちの根性でカバーしろ。
死ぬ気で登れ。言い訳は許さん」
『……はいはい。ブラックなオーナーを持つと苦労するわ』
高橋は肩をすくめたが、その口元には不敵な笑みが浮かんでいた。
「よし。
昇格祝いと、これからの激務への先行投資として、プレゼントを用意した。
ガレージに来てみろ。1号が待機してる」
***
数十分後。
埼玉拠点のガレージ。
ダンジョンから戻った高橋たちが、呆然と立ち尽くしていた。
目の前にあるのは、一台の車。
塗装が剥げかけ、バンパーが少し凹んだ、クリーム色のワンボックスカーだ。
型は古く、側面にうっすらと『〇〇葬儀店』の文字を消した跡が見える。
運転席には、忍者装束の1号が、ハンドルを握って無表情で座っている。
シュールすぎる光景だ。
「……何これ」
「車だ」
スピーカー越しに俺が答える。
「移動手段が欲しいと言ってただろ?
中古車サイトで見つけた掘り出し物だ。コミコミ15万円」
『15万!? このサイズで!?
……って、これ明らかに事故車じゃない! なんか空気が冷たいんだけど!』
「走れば関係ない。
軽だと定員オーバーだが、これならお前ら5人と荷物を積んでも余裕がある。
ROIの塊だ」
『……鬼! 悪魔!』
高橋は喚いたが、俺の決定は覆らない。
彼女は諦めたようにため息をつき、後ろの美形3人を振り返った。
「乗るわよ。……雰囲気最悪だけど」
「おお! 広い! だが何やら背筋がゾクゾクする……これも愛か!」
「鉄の箱……霊的な気配がしますわね。あとで除霊しますわ」
「シートが汚いですね。浄化しておきます」
レオン、ロザリー、ソフィアが文句を言いながら乗り込む。
1号がエンジンをかけると、キュルキュルと頼りない音が響き、葬儀屋上がりのバンは埼玉の夜へと走り出した。
それを見送った俺は、再びコタツへと戻った。
さて、俺も仕事だ。
テーブルの上には、神マケで購入した『精神力回復ポーション(Sランク)』の瓶が、10本並んでいる。
1本50万。計500万。
車は15万だが、俺の脳を動かす燃料には金を惜しまない。
これが必要な経費だ。
「……いただきます」
俺は栓を抜き、一気に煽った。
脳髄が冷える感覚。
強引に覚醒させられた神経が、悲鳴を上げながら鋭敏になっていく。
(ターゲット、確認)
モノクルの視界。
映し出されているのは、Aランクダンジョン『巨人の寝床』。
Bランクになった彼らが挑む、格上の狩場だ。
そこは、Bランクモンスターとは次元が違う世界だった。
「グオオオオオッ!!」
全長5メートルを超えるサイクロプスが、太い棍棒を振り回している。
その一撃は岩盤を砕き、衝撃波だけで周囲の木々をなぎ倒す。
Aランクモンスター。
災害指定クラスの化け物だ。
「散開! まともに受けたら死ぬわよ!」
高橋の悲鳴に近い指示が飛ぶ。
レオンが前に出るが、さすがにAランクの膂力は重い。
盾の上から吹き飛ばされ、壁に激突する。
「ぐはっ……! 重い……! だが、まだ愛が足りない!」
レオンは血を吐きながらも立ち上がる。
ソフィアの回復魔法が飛ぶ。
ロザリーの爆炎がサイクロプスの顔面を焼く。
だが、倒れない。タフすぎる。
このままではジリ貧だ。
(……俺が、やるしかない)
俺は2本目のポーションを空け、鉄杭を握りしめた。
脳のリミッターを外す。
1秒先の未来じゃない。
今この瞬間の、筋肉の収縮、魔力の流れ、呼吸の揺らぎ。
すべてを同時に読み切り、最適解を叩き込む。
サイクロプスが大きく口を開け、咆哮しようとした瞬間。
その口腔の奥。
脳へと繋がるわずかな隙間。
「……配送」
思考するより速く、指が動く。
視界に捉えた瞬間、座標が固定され、鉄杭が射出される。
ラグゼロ。
思考と現象が直結する感覚。
ズドンッ!!
サイクロプスの後頭部から、鉄杭の先端が飛び出した。
巨人が白目を剥き、どうと倒れる。
「……ナイスよ、オーナー!
回収する?」
高橋がインカムで問う。
俺は即答した。
「いや、残せ。
今回は中抜きなしだ」
『え? 100万よ?』
「俺たちが今欲しいのは金じゃない。Aランクへの切符だ。
その魔石も、素材も、すべて持ち帰って協会に叩きつけろ。
俺たちがこれだけの数を、この短期間で狩ったという実績にするんだ」
『……了解。
そういうことなら、遠慮なく実績稼ぎさせてもらうわ』
高橋がニヤリと笑った。
彼女もまた、成長していた。
以前なら逃げ回っていた巨人を前に、一歩も引かない。
空中に見えない足場を作り、ワイヤーを張り巡らせて戦場を支配する。
アバターに守られる姫ではなく、怪物を狩る女王の顔だ。
俺は鼻から垂れる血を拭う間もなく、次々と湧いてくるAランクモンスターに照準を合わせ続けた。
キメラ。
マンティコア。
ヒュドラ。
どれもが一騎当千の怪物だ。
だが、今の俺には止まって見える。
ポーションの過剰摂取による副作用か、それとも極限状態の覚醒か。
俺の【配送】スキルは、単なる輸送手段を超え、神速の狙撃能力へと昇華されていた。
「配送、配送、配送……ッ!」
脳が焼ける匂いがする。
だが、そのたびにAランクの怪物が沈み、高橋たちの実績が積み上がっていく。
稼ぐんじゃない。
世界に認めさせるんだ。
俺たちが、Sランクの領域に足を踏み入れる資格があることを。
***
そして、2ヶ月後。
俺たちは、不可能と言われた壁を越えた。
「……届いたわよ」
埼玉拠点のガレージ。
さらにボロボロになったバンから降りてきた高橋が、一枚のカードを掲げた。
黄金に輝くプレート。
『Aランク・パーティ認定証』。
「やったな」
俺はコタツから出て、彼女たちを出迎えた。
2ヶ月間の不眠不休のデスマーチ。
数え切れないほどの死線を越え、数億単位のポーションと装備を消費した結果だ。
これで、権利を得た。
国が管理する立ち入り禁止区域。
未知の資源と、国家予算レベルの宝が眠る場所。
Sランクダンジョンへのパスポートだ。
「休んでいる暇はないぞ。
早速、テスト稼働だ」
俺たちはその足で、都内某所にあるSランクゲートへと向かった。
厳重な警備。
Aランクライセンスを提示し、ゲートをくぐり抜ける。
そこは、異界だった。
空の色が違う。
満ちている魔力の濃度が、肌を刺すように痛い。
そして、目の前をのっそりと歩く影。
クリスタル・タートル。
甲羅が純度の高い宝石でできた、Sランクの非好戦的モンスターだ。
「……おい、あれ」
俺は震える手で、神マケの査定アプリを起動し、カメラを向けた。
表示された推定価格を見て、全員が息を呑んだ。
《Sランク素材:金剛宝石の甲羅》
《推定価格:120,000,000クレジット》
「……1億、2千万」
たった1匹。
たった1個の素材で、Aランク魔石120個分。
これだ。
これこそが、俺たちが目指していた鉱脈だ。
「いける……!」
俺は確信した。
ここに通い詰め、狩り尽くせば。
1000億という途方もない数字が、現実の予定調和になる。
「……待ってろ、澪。
あと少しだ」
俺は握り拳を作った。
700億まで、あと一息。
そしてその先にある1000億への道筋は、ハッキリと見えた。
だが、俺はまだ気づいていなかった。
光が強くなればなるほど、落ちる影もまた濃くなることを。
神マケの画面の隅。
【国家探知危険度】の数値が、異常な速度でレッドゾーンへと突入していた。
52%……53%……。
そして、55%。
崩壊のカウントダウンは、すでに始まっていた。




