第28話 法的清算と、夜明けの崩壊
深夜3時。
闇金『カサネ屋』の事務所を物理的に消去し、社長に死の恐怖を植え付けた直後。
ファントム・ロジスティクスの面々は、休むことなく次のターゲットへ向かっていた。
港区、湾岸エリア。
巨大な倉庫街の一角にそびえ立つ、クロノス・ロジスティクス本社ビル。
俺を債務奴隷として縛り付け、架空の医療費を搾取し続ける元凶の本拠地だ。
「……行くわよ」
高橋がインカムで囁く。
彼女は元々この会社の社員であり、裏の顔は産業スパイだ。
警備員の巡回ルート、監視カメラの死角、電子ロックの解除コード。
全てが頭に入っている。
「ソフィア、音を消して」
「はいはい。人使いが荒いですね」
ソフィアが指を鳴らすと、一行の周囲に薄い膜が張られた。
静寂結界。
足音はおろか、衣擦れの音さえ外部には漏れない。
幽霊のような行軍で、彼女たちは裏口から侵入した。
目指すは最上階、社長室の隣にあるメインサーバールーム。
そして、地下にある法務部・重要書類保管庫だ。
「……到着。ここが心臓部よ」
数分後。
高橋たちは、厳重なセキュリティに守られたサーバールームの前に立っていた。
ここには全社員の人事データ、経理情報、そして俺を縛る債務契約のデジタルデータが保管されている。
「ハッキングでデータを消す? それともウイルス?」
ロザリーが退屈そうに尋ねる。
『手間をかけるな。そんな上品なやり方は俺たちの柄じゃない』
埼玉のコタツから、俺の指示が飛ぶ。
『ハードウェアごと消せ。物理的な全削除だ』
「了解。……レオン、出番よ」
「御意! 会社の罪も、契約の鎖も、全て私の胃袋が浄化しましょう!」
レオンが一歩前に出る。
彼はサーバールームの扉に手を触れることなく、壁全体に向かって両手を広げた。
スキル発動。
【無限収納庫】。
ズズズ……ッ。
音がなく、空間が削り取られていく。
分厚い防壁の向こう側にある、数百台のサーバーラック。
バックアップ用のドライブ。
空調設備。
床下の配線に至るまで。
「いただきます!」
ゴポッ!!
一瞬で、部屋の中身が抜かれた。
後に残ったのは、コンクリートが剥き出しになった広大な空洞だけ。
データの復旧?
不可能だ。記録媒体そのものが、この次元から消滅したのだから。
「次、地下の保管庫へ急ぐわよ」
高橋が走る。
デジタルデータは消えた。だが、ハンコが押された紙の契約書原本が残っていれば、奴らは法的に俺を追及できる。
根絶やしにする必要がある。
地下2階、重要書類保管庫。
ここも同様の手口で、レオンが棚ごと収納していく。
その作業中、高橋の手が止まった。
「……オーナー、ちょっと待って」
彼女は、レオンが収納しそこねた一冊の厚いファイルを拾い上げた。
表紙には『特別管理案件・裏』と書かれている。
「これ……小杉の横領記録だけじゃないわ」
彼女がパラパラとページをめくる。
その目が、驚きに見開かれた。
「ダンジョン省庁への賄賂リスト、指定暴力団への武器横流し、未認可の違法素材の輸入記録……」
『……ほう』
俺は口元を歪めた。
小杉の小遣い稼ぎなど、可愛いものだったらしい。
この会社は、トップから末端まで、組織ぐるみで腐りきっている。
俺たちを食い物にしていた裏で、国家規模の犯罪に手を染めていたわけだ。
「社長の署名入りよ。これがあれば、会社ごと吹き飛ばせる」
『上等だ。回収しろ』
俺は告げた。
『それが明日の朝、奴らを殺すナイフになる』
高橋がファイルを懐に収め、残りの棚をレオンが飲み干す。
これで、クロノス社内に俺を縛るものは何一つなくなった。
あるのは、俺たちが握った致命的な爆弾だけだ。
「撤収するわ」
警報が鳴ることもなく、ファントムは闇へと消えた。
後に残されたのは、空っぽになった部屋と、破滅へのカウントダウンだけだった。
翌朝。
クロノス・ロジスティクス本社は、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
「な、無い!? サーバーが全部!?」
「法務部の書庫もです! 契約書が……棚ごと消えています!」
出社した社員たちが、コンクリート剥き出しになったサーバールームと書庫を見て悲鳴を上げる。
業務システムはダウン。顧客データも、人事情報も、全てが物理的に消失した。
会社としての機能が、一瞬で停止したのだ。
その混乱の渦中に、小杉がいた。
彼は真っ青な顔で、自分のデスクにしがみついていた。
「ど、どうなってんだ……俺のせいじゃねえ……俺は知らねえ……」
彼は震えていた。
昨日の今日だ。サードアイに目をつけられ、さらに会社がこの有様。
保身のことしか頭にない。
その時だった。
オフィスの大型モニターに、ニュース速報が流れた。
『――速報です。中堅物流会社クロノス・ロジスティクスに、ダンジョン法違反および贈収賄の疑いで、探索者協会と警察の合同捜査が入りました』
「は……?」
小杉が口を開けて固まる。
画面には、大量の捜査員が本社ビルになだれ込む映像が映し出されている。
『内部告発と思われるデータが、主要メディアや監督省庁に一斉送信されました。
そこには、指定暴力団への武器横流し、違法素材の密輸、さらには監督官庁への賄賂の記録などが詳細に記されており――』
「な、なんだそりゃ……!?」
小杉は知らなかった。
自分が小銭を稼いでいた裏で、会社が国家規模の犯罪に手を染めていたことを。
そして、その証拠である裏帳簿が、昨夜のうちに盗み出されていたことを。
「動くな! 警察だ!」
怒号と共に、捜査員たちがオフィスに踏み込んでくる。
「ひィッ!?」
小杉が腰を抜かす。
だが、捜査員の一人が、小杉の顔を見て立ち止まった。
「お前が小杉健太だな?
会社ぐるみの闇取引に加え、横領の容疑でも逮捕状が出ている」
「は、はぁ!? 横領!? 証拠なんてないはずだ!」
小杉が叫ぶ。
彼は慎重だった。帳簿は誤魔化し、現物は隠し、証拠は残さないようにしてきたはずだ。
だが、捜査員は冷ややかな目でタブレットを突きつけた。
「匿名の通報者から、動画データが届いている」
画面に映し出されたのは、深夜のオフィスで金庫を開ける小杉の姿。
闇業者と談笑しながら、素材を横流しする音声。
そして、1号に対して「罪を被れ」と脅迫している昨日の会議室の映像。
全て、俺の斥候蜘蛛と1号が記録していたものだ。
「あ、あぁ……」
小杉の顔から血の気が引いた。
言い逃れできない。完璧な証拠だ。
「連行しろ」
「待ってくれ! 俺じゃない! 俺は会社のために!
違うんだ! 誰か! 誰かァァァッ!」
小杉が泣き叫びながら引きずられていく。
その無様な姿を、社員たちが冷ややかな目で見送っていた。
クロノス・ロジスティクスは終わった。
社会的信用は地に落ち、物理的なデータも消失。
再起不能の完全倒産だ。
同時刻。
埼玉拠点、5階リビング。
俺はコタツに入りながら、そのニュースを見ていた。
手元のスマホで、クロノスの社員専用サイトにアクセスする。
《404 Not Found》
《サーバーが見つかりません》
「……消えたな」
俺はスマホを放り投げた。
借金3300万。架空の医療費請求。奴隷のような雇用契約。
俺を縛り付けていた全ての鎖が、物理的にも法的にも消滅した。
「終わった」
深い息を吐く。
1年前、絶望の中でカサネ屋に売り飛ばされたあの日から続いていた悪夢が、ようやく終わったのだ。
「お疲れ様です、オーナー」
高橋がコーヒーを淹れて持ってきた。
彼女の表情も晴れやかだ。
古巣への復讐を果たし、自由の身になったのだから。
「さて、これからどうします?
会社は潰れました。サードアイも動いています。
少しの間、身を潜めますか?」
高橋の問いに、俺はゆっくりと首を横に振った。
「いいや。逆だ」
俺は立ち上がり、窓の外を見た。
遠くに見える都心のビル群。
そこには、クロノスが独占していた巨大な利権の空白地帯が生まれているはずだ。
「隠れていれば、いつか狩られる。
サードアイのような権力に対抗する唯一の手段は、奴らが手出しできないほどの力と地位を手に入れることだ」
俺は振り返り、レオンたちを見た。
彼らは俺の最強の資産だ。
そして、手元には5億の軍資金がある。
「クロノスは消えた。
だが、物流の需要は消えていない。
あの腐った会社が握っていたBランク、Aランクの流通ルート……その全てを、俺たちがいただく」
「……本気?」
高橋が呆れたように、けれど楽しげに笑った。
「本気だ。
ファントム・ロジスティクスを、この国の経済を牛耳る巨大組織にする。
誰も俺たちを無視できない、誰も俺たちを脅かせない場所まで駆け上がる」
1000億という頂は、まだ遥か先だ。
だが、道は見えた。
コソコソ隠れて稼ぐ小銭稼ぎは終わりだ。
「行くぞ、高橋。
空いた玉座は、俺たちが座るためにある」
俺はニヤリと笑った。
債務奴隷の九条真也は死んだ。
ここからは、新たな怪物が、表社会を喰らい尽くす番だ。




