第24話 ブルーシートの野営と、裏で行われた副業
孤島型ダンジョン『南海の鳥籠』。
試験開始のブザーと共に、南国の湿った風が肌にまとわりついた。
鬱蒼と茂る熱帯雨林、遠くから聞こえる波の音、そして何より、空気をビリビリと震わせる重苦しい圧力。
【空間干渉阻害結界】の発動だ。
空を見上げれば、薄紫色の膜がドーム状に島全体を覆っているのが見える。
これにより、会場内でのアイテムボックスや収納スキルの使用は完全に封じられた。
「……始まったわね」
森の陰で、高橋が呟く。
彼女の足元には、黒いアタッシュケース。
他の受験者が「水場はどこだ!」「まずは拠点の確保だ!」と叫びながら散っていく中、彼女はまずケースを開いた。
中には、30センチほどの無機質な人形が静かに収まっている。
「1号、出番よ」
彼女が人形を取り出し、地面に置く。
「展開」
埼玉のコタツにいる俺が遠隔で命じると、人形が淡い光を放ち、ボコボコと膨張を始めた。
骨格が伸び、筋肉が肉付けされ、無機質なプラスチックの肌が生々しい皮膚へと変わっていく。
数秒後。
そこには、泥だらけの革靴を履き、ヨレたスーツを着た疲れ切った男――俺の分身である1号がうずくまっていた。
「……走って」
「……了解」
1号は悲壮な決意で立ち上がると、ジャングルの奥へと駆け出した。
彼の任務は戦闘ではない。
この島全域を走り回り、俺の「配送先座標」を埋めることだ。
結界は「収納スキル」を封じるが、1号という「実体」の移動までは制限できない。
1時間後。
1号が全身に葉っぱや蜘蛛の巣をつけ、ゼェゼェと息を切らして戻ってきた。
『マスター、島内一周……完了しました……』
埼玉の拠点にいる俺の脳内に、島の詳細な地形データがリンクされる。
入り組んだ海岸線、中央にそびえる岩場、隠された水源。
すべてが俺の「庭」になった。
「よし。戻れ」
俺の指示で、1号が力を抜く。
途端に彼の身体が淡い光に包まれた。
等身大だった肉体が、シュゥゥゥ……という音と共に収縮していく。
骨格が縮み、筋肉が質量を失い、数秒後には元の30センチほどの人形へと戻っていた。
地面に転がる小さな分身。
「【受取】」
俺は即座にスキルを発動する。
高橋の目の前から人形が消え、空間を跳躍して俺の手元――埼玉のコタツの上――に出現する。
「……ふぅ」
俺は人形についた泥を払い、すぐにスマホで「出勤簿」を操作した。
時刻は午前8時50分。
クロノス・ロジスティクスの始業10分前だ。
「1号、行ってこい。遅刻するなよ」
「展開」の命令と共に、再び人間に戻った1号が、涙目でネクタイを締め直す。
「……鬼」
捨て台詞を残し、彼は玄関を飛び出していった。
これで彼の「表の仕事」は平常通りだ。
完璧なアリバイ工作。
さて、残されたのは孤島の高橋たちだ。
『オーナー、座標は繋がったわね? 約束通り、物資をお願い』
インカムから高橋の催促が来る。
サバイバル試験だ。水も食料もない。
他のパーティは今ごろ、川を探して泥まみれになりながら彷徨っている頃だろう。
「ああ、送る。受け取れ」
俺は神マケで注文しておいた品々を、高橋の足元へ【配送】した。
ボトッ。
ドサッ。
現れた物資を見て、高橋が絶句した。
『……は?』
彼女の足元に転がっているのは、
Lサイズの宅配ピザ(冷めかけ)が5枚。
業務スーパーで買った激安コーラ(常温)が1ケース。
そして――100均のブルーシートが1枚。
『……ちょっと。何これ』
「食料と寝床だ」
『ピザとコーラは百歩譲っていいわよ! ジャンクだけどカロリーはあるし!
でも、何このブルーシート!? 私たち、これからCランクになろうっていうエリート集団よ?
ブルーシートで野宿って、どこの花見客よ!』
「雨風は防げる。テントやベッドなど重いし、送料の無駄だ」
俺は淡々と告げる。
快適さを求めるなら、自分で草でも編んで作ればいい。
筋肉ダルマのレオンがいるんだ、柱代わりにでも使え。
「ちなみにピザ代とコーラ代、あと早朝配送の割増手数料は、報酬から天引きしておくからな」
『……このドケチ!! 悪魔!!』
高橋の叫び声をBGMに、俺は通信のボリュームを絞った。
これで試験会場側の手当ては終わった。
あいつらは勝手に優勝するだろう。
俺の本当の仕事は、ここからだ。
俺はテーブルの上のケースから、愛用の『戦術単眼鏡』を取り出した。
冷たい金属の感触。
それを左目に装着し、こめかみのスイッチを入れる。
キィン、という起動音と共に、視界にARウィンドウが展開される。
「……視界同期、開始」
俺は視界を切り替える。
映し出されたのは、南国の孤島ではない。
以前、座標を登録した『Bランクダンジョン・隠し金庫前』の薄暗い通路だ。
「……さて、稼ぐか」
俺は神マケのステータス画面を開く。
《【国家探知危険度】:12.4%》
ここ最近の乱獲と、今の1号の往復で、数値はじわりと上がっている。
サードアイの監視システムは、短期間に局所的な空間干渉が連続すると「異常値」として検知し、ゲージを上げていく仕組みだ。
だが、時間をおけば「ノイズ」として処理され、数値は下がる。
(今の俺の許容ラインは、25%だ)
それ以上上がれば、本格的な捜査対象としてリストアップされる危険性が跳ね上がる。
だから、俺の戦い方は決まっている。
限界ギリギリまで稼ぎ、ゲージが危険域に達したら即撤退。
そして冷却期間を置く。
「短期集中。高単価の獲物を、短時間で仕留める」
俺は工具箱から鉄杭を取り出した。
画面の中、通路を徘徊するBランクモンスター『ストーン・ガーゴイル』の群れを捉える。
単価、1体20万クレジット。
「……開始だ」
俺は呼吸を止め、座標を固定した。
ピザを食っている高橋たちが「優雅なサバイバル」をしている間に、俺はギリギリのチキンレースで、数千万を稼ぎ出す。
「【配送】」
ズクン。
脳に走る鈍い痛みと共に、俺の裏稼業が幕を開けた。
一方、試験会場の孤島。
森の中に、場違いなほど香ばしいチーズとトマトソースの匂いが充満していた。
サバイバル試験の最中、泥水をすすり、固い木の実をかじっている他の受験者たちにとって、それは暴力的なまでの飯テロだった。
ガサガサッ!
藪をかき分け、試験官の男と数人の監視員が飛び出してきた。
彼らの目は血走っている。
「おい貴様ら! その匂いはなんだ!」
試験官が指差した先には、ブルーシートの上に広げられたLサイズのピザと、紙コップに注がれたコーラ。
そして、優雅にランチタイムを楽しんでいるファントム・ロジスティクスの一行がいた。
「……何って、食事ですが」
高橋がピザの耳をかじりながら、悪びれもせずに答える。
その態度に、試験官の額に青筋が浮かんだ。
「ふざけるな! 本試験は食料の持ち込みは禁止だ!
収納スキルも結界で封じられているはず。貴様ら、どこに隠し持っていた!」
当然の詰問だ。
だが、高橋は涼しい顔でコーラを喉に流し込み、ほう、と息をついた。
「隠し持ってなどいません。これは現地調達です」
「はぁ!? 嘘をつくな!
この島のどこに小麦とチーズとサラミが自生していると言うんだ!」
「世界は広いんですよ、試験官殿。あちらの森の奥に、たまたま『ピザの木』が群生していまして」
「そんなわけあるかッ!!」
試験官が怒鳴る。
だが、高橋は動じない。
彼女は知っている。この試験における不正の定義は、「収納スキルやアイテムボックスの使用」だ。
そして、俺の【配送】スキルは、結界の検知ログには一切残らない。
証拠がない以上、どれだけ状況が黒くても、白と言い張れる。
「疑うなら、ボディチェックでも何でもどうぞ。私たちは収納スキルなんて使っていません」
高橋が両手を広げる。
その横で、レオンが口の周りをトマトソースだらけにしながら立ち上がった。
「うむ! 疑り深い御仁だ!
これは私のリーダーへの愛が、天に届いて具現化した奇跡の果実!
いわば、愛の結晶ピザなのです!」
「……頭が痛くなってきた」
試験官がこめかみを押さえる。
監視員たちが魔導具を使って周囲をスキャンするが、反応はない。
魔法的な空間干渉の痕跡がゼロなのだ。
論理的に説明がつかない以上、彼らにはどうすることもできない。
「……チッ。
監視を強化するぞ。不正の尻尾を出したら即失格だ」
試験官たちは捨て台詞を残し、狐につままれたような顔で撤収していった。
「……勝ったわね」
高橋が安堵の息を吐く。
だが、本当の勝負はここからだ。
腹を満たし、水分を補給した彼らの体力は全快している。
他の受験者が空腹と渇きで動きを鈍らせる中、ファントム・ロジスティクスだけが万全のコンディションを維持していた。
日が落ち、森が闇に包まれる。
普通のパーティなら、安全な場所で夜を明かす時間だ。
灯りを点ければ魔物が寄ってくるし、暗闇での戦闘はリスクが高すぎる。
だが、彼らには関係ない。
「夜食の分までカロリーは摂取しました! さあ、運動の時間です!」
レオンが松明も持たずに暗闇へ突っ込んでいく。
彼の全身から放たれる過剰な生命力が、魔物たちを引き寄せるビーコンとなる。
「ギャアアアッ!」
夜行性のラプターたちが群れを成して襲いかかるが、レオンは避けない。
爪を受け、牙を受け、その全てを筋肉で受け止める。
「見えませんわ! まとめて燃やして明かりにしますわよ!」
ロザリーが適当な方向に爆炎を放つ。
悲鳴と共に森の一部が吹き飛び、燃え盛る炎が照明代わりとなる。
狂気的な狩りだ。
だが、補給の心配がない彼らは、ペース配分など考えずに全力を出し続けられる。
一晩中、森のどこかで爆発音が響き渡り、魔物の断末魔が絶えることはなかった。
三日後。
試験終了のブザーが鳴った時、他の受験者たちは泥のように疲弊し、立っているのもやっとの状態だった。
対して、ファントムの一行は、肌ツヤも良く、どこか満足げな表情でゲートをくぐった。
結果は火を見るより明らかだった。
「討伐ポイント集計終了……。
1位、パーティ名『ファントム』。
スコア……2位のパーティの、約八倍です」
集計係の声が震える。
会場が静まり返り、やがてどよめきに変わった。
圧倒的な大差。
文句なしのトップ通過だ。
「……疲れた」
帰りの電車の中、高橋が座席に沈み込むように座っていた。
今回は荷物が少ない。
試験中に得た素材は、全て俺の指示で現地にて廃棄したからだ。
試験の目的は「討伐数の証明」であり、金銭的な利益ではない。
持ち帰る手間が見合わないという判断だ。
「でも、やったわよオーナー。Cランク昇格決定よ」
彼女はスマホを取り出し、埼玉拠点への帰路につきながら報告を入れる。
達成感はある。
あのドケチなオーナーも、今回ばかりは褒めてくれるだろう。
数時間後。
埼玉の拠点、5階のリビング。
帰還した高橋たちを出迎えたのは、コタツに入ったままの真也だった。
「おかえり。早かったな」
「ただいま。……って、何よそれ」
高橋が部屋に入った瞬間、足を止めた。
俺の前のローテーブル。
そこに、黒い小石のようなものが山積みにされていたのだ。
一つ一つが、濃密な魔力を放っている。
DランクやCランクの魔石ではない。
もっと純度の高い、深い闇色をした結晶。
「……Bランク魔石?」
高橋が駆け寄り、鑑定スキルを発動する。
間違いない。
Bランクモンスター『ストーン・ガーゴイル』の魔石だ。
市場価格、一つ20万クレジット。
それが、ざっと見て100個近くある。
「ちょ、ちょっと。これ、いつの間に……?」
「お前らが島でピザ食って遊んでる間に、俺も裏で副業してたんだよ」
俺はコーラを飲み干し、平然と言った。
高橋たちがDランク相当の試験会場で無双している三日間。
俺はコタツから一歩も出ず、以前座標を登録したBランクダンジョンの通路を監視し続け、湧いてくるガーゴイルを片っ端からリモート狙撃していたのだ。
危険度ゲージが許容ラインに達するギリギリまで稼ぎ、下がったらまた稼ぐ。
その繰り返し。
「総額、約2000万クレジット。
ピザ代とコーラ代、あとブルーシート代を差し引いても、十分な黒字だ」
「……」
高橋は言葉を失った。
自分たちが必死にサバイバル試験をこなし、Cランクへの昇格をもぎ取ってきたその裏で。
この男は、顔色ひとつ変えずにその10倍以上の成果を、指先一つで稼ぎ出していたのだ。
「格が違う……」
彼女は改めて思い知らされた。
この男にとって、ランクなどただの飾りに過ぎない。
彼が見ているのは、もっと先。
遥か高みにある1000億という頂だけなのだ。
「さて、Cランクになったな」
俺は魔石の山を指差しながら、高橋を見た。
「これで明日から、お前たちは堂々とBランクダンジョンに入れる」
「ええ、そうね。やっと高ランク帯に行けるわ」
「なら、こいつも頼む」
俺はテーブルの上の魔石を、高橋の方へ押しやった。
「俺の神マケじゃ、買うことはできても売ることはできない。
お前らが明日狩ってくるBランク素材に紛れ込ませて、換金しておいてくれ」
「……はぁ。また脱税の片棒?」
「人聞きが悪い。正規の業務だ」
俺は悪びれもせずに言う。
小杉の闇ルートでは捌ききれなかったBランク魔石も、Cランク昇格を果たし、Bランクダンジョンの探索許可を得た今のファントムなら、正規のドロップ品として堂々と換金できる。
洗浄ルートの完成だ。
「分かったわ。任せて」
高橋は短く頷いた。
以前なら手数料を要求していたかもしれないが、今は違う。
彼女は『株式会社ファントム・ロジスティクス』の代表であり、俺はオーナーだ。
組織の利益を最大化し、会社を大きくすることは、彼女自身のメリットにも直結する。
これは、業務の一環だ。
「レオン、しまいなさい」
高橋の指示で、金髪の騎士が一歩前に出る。
「御意! オーナーの稼ぎを、私の奥底へ!」
レオンが手をかざすと、テーブルの上の魔石の山が、次々と亜空間へと吸い込まれていった。
3億円のスキル【無限収納庫】。
容量無制限、鮮度維持。
これだけの魔石を飲み込んでも、彼の腹は満たされることを知らない。
「よし。これで準備は整った」
俺はニヤリと笑った。
その目は、爬虫類のように冷たく、そして貪欲に光っていた。
「ランクは上げた。金も作った。戦力も揃った」
「次は、クロノス社だ」
俺は窓の外、遠く霞む都心の空を睨みつけた。
「小杉の喉元に食らいつく。
会社がひた隠しにしている最大の利権……根こそぎ奪い尽くしてやる」
ファントム・ロジスティクスの快進撃は、まだ序章に過ぎなかった。
本当の侵食が、今ここから始まる。




