第23話 3億の胃袋と、持ち込み禁止の現地調達
「……帰りたい」
Cランクダンジョン『湿り気の回廊』。
その名の通り、カビと腐敗した水の臭いが充満する薄暗い通路の奥で、岩陰に身を潜めた男――1号が、死んだ魚のような目で呟いた。
『甘えるな。お前は俺だろ。俺ならやれる』
俺は埼玉の拠点、空調の効いた快適なコタツの中から、分身に向けて冷徹な激励を飛ばす。
モニターに映る1号は、泥と汗にまみれたヨレヨレのスーツ姿だ。
それもそのはず、彼はさっきまでクロノス・ロジスティクスで小杉に仕事が遅いと怒鳴られながら残業をこなし、退社したその足で高橋に回収され、人形状態でこのダンジョンへ連行されてきたのだから。
『労働基準法って知ってます? マスター。俺、今日だけで十六時間労働ですよ? 朝イチで別のダンジョンに潜って、会社に行って、またここですよ? 俺、いつ寝るんですか』
『移動中のアタッシュケースの中で寝てただろ』
『あれは収納です! 睡眠じゃありません!』
1号が涙目で抗議する。
だが、彼には人権も戸籍もない。
彼の仕事は、他の探索者に見つからないように徹底して身を隠し、未踏エリアの座標を俺に送信し続けることだ。
もし顔を見られれば、「Fランクのゴミ社員がなぜCランクダンジョンの深層に?」と怪しまれ、サードアイに通報されるリスクがある。
だから彼は、英雄たちが華々しく戦う裏で、ドブネズミのように這い回るしかない。
「……敵だ。1号、隠れてろ」
先頭を歩く高橋が鋭く告げる。
彼女もまた、疲労の色を隠せていない。
一日二回のダンジョン攻略に加え、1号とアバターたちの運搬。
彼女の肩には、物理的な重みと精神的な重圧がのしかかっている。
通路の奥から、ジャリジャリという不快な音が響いてきた。
Cランク上位モンスター『アシッド・スライム』の群れだ。
ゼリー状の半透明な身体はドラム缶ほどの大きさがあり、触れるもの全てを溶かす強酸を撒き散らしながら迫ってくる。
物理攻撃を無効化し、装備を腐食させる厄介な敵だ。
だが、うちの社員に常識は通用しない。
「酸……! 溶かされる……! 新しい扉が開く予感!」
レオンが鎧を脱ぎ捨てて突っ込んだ。
防御など考えていない。
自らスライムの群れにダイブし、ジュウジュウと皮膚が焼ける音と煙を上げながら、敵の進行を身体一つで食い止める。
「ああ……ッ! 熱い! 痛い! 私が溶けて混ざり合っていく!」
「汚らわしい! 消し炭になりなさい!」
ロザリーが杖を振るう。
詠唱破棄の最大火力。
放たれた爆炎が、狭い通路を埋め尽くす。
スライムの水分が一瞬で蒸発し、レオンごと消し飛んだ。
「……ハイハイ、蘇生蘇生」
ソフィアが欠伸を噛み殺しながら、黒焦げの残骸に蘇生魔法をかける。
完璧なルーチンワークだ。
1号はその隙に、爆風を避けながら這いつくばって奥へと進み、座標を広げていく。
だが、そんな蹂躙劇の裏で。
もう一つの戦いが起きていた。
「……はぁ、はぁ」
戦場から離れた通路の影。
座標確保のために先行していた1号が、岩陰に隠れて荒い息を吐いていた。
不運にも、はぐれモンスターに見つかってしまったのだ。
『シャァァァッ!』
目の前にいるのは、Cランク『アサシン・スパイダー』。
音もなく忍び寄り、獲物の首を狩る暗殺者だ。
1号は丸腰だ。
持っているのは、俺が配送した鉄杭一本のみ。
「……俺、事務職なんですけど」
1号がぼやく。
だが、その目に恐怖はない。
俺の分身である彼は、俺と同じ思考回路を持っている。
恐怖よりも、生存確率を計算する冷静さが勝っている。
蜘蛛が跳躍した。
速い。
だが、1号は動かない。
ギリギリまで引きつけ、蜘蛛が飛びかかってくる軌道を見極める。
脳裏に本体の冷徹な顔が浮かぶ。マスターなら、どうする?
簡単だ。コストを払って、リターンを取る。
1号は左腕を突き出した。
ザシュッ!
蜘蛛の牙が、1号の左腕に深々と食い込む。
痛覚はない。
だが、腕一本というコストを支払うことで、敵の動きを完全に固定した。
「……捕まえた」
1号の右手が動く。
握りしめた鉄杭を、蜘蛛の複眼の間――脳幹へと、迷いなく突き立てた。
「【配送】ッ!」
グシャリ。
スキルによる転送ではなく、純粋な物理攻撃として叩き込む。
嫌な感触と共に、蜘蛛が痙攣して動かなくなる。
1号は無表情のまま蜘蛛を振り払い、傷ついた左腕を見た。
ボタボタと血が流れているが、気にする様子もない。
『……1号、大丈夫か』
「平気です。シャツが汚れたので、クリーニング代を経費で落としてください」
『許可する』
1号もまた、成長していた。
ただの座標確保用のビーコンではない。
俺の思考をトレースし、最低限の戦力で自衛できるだけの戦闘センスが芽生え始めている。
「……終わりね」
高橋の声が響く。
アバターたちが敵を全滅させ、1号も合流地点に戻ってきた。
全員が無事。
そして、大量の戦利品。
「……とにかく、帰るわよ。荷物を持って」
高橋がふらつく足で立ち上がる。
彼女の周囲には、山のような麻袋が積み上げられていた。
アーマード・ベアの鋼毛皮、アサシン・スパイダーの毒腺、魔石。
Cランク素材は単価が高いが、その分、重く、嵩張る。
それらを全て回収し、物理的に運搬しなければならない。
数時間後。
ダンジョンの外、人気の少ない路地裏。
高橋たちは、いつものように手持ちで大量の素材を運び出し、ようやく一息ついていた。
だが、彼女の表情は晴れない。
「ねぇオーナー、これ見て」
高橋がスマホを取り出し、画面を俺の共有モニターに見せつけてくる。
探索者専用の匿名掲示板だ。
『【悲報】ファントム・ロジスティクス、今日も夜逃げスタイル』
『実力はガチなのに、装備が貧乏くさすぎて草』
『収納スキルも買えない金欠集団乙w 効率悪すぎだろ』
『Cランク攻略してるのに手持ち搬送とか、何の縛りプレイだよ』
散々な言われようだ。
特に金欠というワードが目立つ。
「……悔しいわ。実力じゃなくて、財布事情で馬鹿にされてるのが一番腹立つ」
高橋が震える声で訴える。
彼女はプライドの高いプロだ。
強いと恐れられるのは快感だが、貧乏と笑われるのは耐え難い屈辱らしい。
「煽りには乗らん。実利があればいい」
俺はポテチをかじりながら答える。
だが、高橋は食い下がった。
「でも、実利も損なってるわよ!
この搬送にかけてる時間と労力で、もう一周できるわ。
それに、今後Bランク、Aランクとなれば、ドラゴンの素材とかどうするの?
何トンもある巨体を手で運ぶ気?
これは浪費じゃない。機会損失を防ぐための先行投資よ!」
「……機会損失」
その言葉に、俺の手が止まる。
確かに、今の物理搬送スタイルは限界に来ている。
1号とのリンクで座標問題は解決したが、回収した物資をどうするかという出口戦略がボトルネックになっている。
俺がスキルですべて回収してもいいが、それでは俺の脳が疲労で死ぬ。
今後、さらに深く、重く、高価な素材を扱うなら。
現場で完結する無限のゴミ箱が必要になる。
「……分かった。買う」
俺は神マケを開いた。
数億円の残高がある今、中途半端なものは買わない。
どうせなら、今後一生使える最高級品だ。
検索窓に『収納』、『容量無制限』、『時間停止』と打ち込む。
ヒットしたのは、Sランクのスキルスクロールだった。
《スキルスクロール:【Sランク・無限収納庫】》
《価格:300,000,000クレジット》
《説明:亜空間に個人専用の倉庫を作成する。容量無制限。内部時間は停止しており、生鮮食品や魔物の死体も永久に腐敗しない》
3億。
俺の全財産の8割が吹っ飛ぶ。
だが、リターンは計り知れない。
鮮度維持が必要なレア素材、巨大なドラゴンの死体、あるいは大量の食料備蓄。
すべてを劣化なしで無限に持ち運べる。
「……ポチッとな」
決済完了。
残高が一気に寂しくなるが、俺は迷わずスクロールを配送した。
送り先は、路地裏でへたり込んでいる高橋の元へ。
「……え? 何これ?」
虚空から現れた巻物を手に取り、高橋が目を輝かせた。
鑑定スキル持ちの彼女なら、その価値が一目で分かるはずだ。
「まさか、収納スキル!? やっと買ってくれたのね!
ありがとうオーナー! これで私も重労働から解放される……!」
彼女が感極まった様子で巻物を抱きしめる。
だが、俺は冷ややかに告げた。
「勘違いするな。それはお前用じゃない」
「……へ?」
「お前は人間だ。いつ裏切るか分からないし、敵に洗脳されるリスクもある。そんなやつに3億の資産を持たせるわけにはいかない」
俺はモニター越しに、後ろで突っ立っている金髪の男を指名した。
「レオンに使わせろ」
「はぁ!? こいつに!?」
高橋が素っ頓狂な声を上げる。
だが、費用対効果の観点からすれば当然の判断だ。
レオンはシステム上、俺の所有物だ。
絶対に裏切らないし、持ち逃げされる心配もない。
歩く金庫としては最適だ。
「さあ、使えレオン」
俺の命令に、レオンが恭しく巻物を受け取る。
封を切ると、光の粒子が彼の身体に吸い込まれていった。
「おお……! おお……ッ!!」
レオンが天を仰ぎ、わなわなと震え出した。
両手で自分の腹のあたりを愛おしげにさする。
「私の中に……永遠の時を刻む、無限の虚空が……!
全てを飲み込み、保存し、独占する愛の胃袋!
素晴らしい! これで敵の攻撃だけでなく、敵そのものを私の中に閉じ込められるのですね!」
恍惚の表情。
完全に変なスイッチが入っている。
「……なんか、変態性が増したわね」
高橋がドン引きしながら呟いた。
楽にはなったが、この変態にあらゆる出し入れを頼まなければならないという、新たなストレスが彼女を襲うことになった。
だが、これで物流の問題は解決だ。
もう夜逃げと笑われることもない。
俺たちは、無限の容量を手に入れたのだ。
◇
「では、参りましょうか! 私の胃袋の性能テストです!」
3億円のスキル【無限収納庫】を得たレオンが、水を得た魚のように駆け出した。
場所はダンジョンの最深部手前。
Cランク上位モンスター『アーマード・ベア』の群れが立ちふさがる。
全身が鋼のような毛皮で覆われた、戦車のような熊たちだ。
「グルァアアッ!!」
ベアの鋭い爪が、レオンの盾を――いや、生身の胸板を直撃する。
ガギィンッ!!
甲高い音が響き、火花が散る。
以前なら皮膚が裂けていた一撃だが、今のレオンは傷一つついていない。
「硬い……! 硬くなっているわ!」
高橋が驚愕の声を上げる。
連日の被弾と回復の繰り返し。
サイヤ人のように死線を越え続けた結果、レオンの基礎防御力は、防具なしでも鉄塊並みに硬化していた。
「素晴らしい衝撃だ! だが、今の私はただ硬いだけではない!」
レオンはベアの腕を掴むと、ニヤリと笑った。
「収納!」
シュンッ。
目の前の巨大な熊が、一瞬で消滅した。
いや、レオンの亜空間に収納されたのだ。
「なっ!?」
高橋が目を剥く。
生きたままの収納はできないはずだ。
だが、レオンは満足げに腹をさすっている。
「ふふふ、瀕死の相手なら抵抗値を上回れるようです!
生きたまま私の中で永遠の時を過ごすがいい! 独占欲が満たされる!」
「ちょっと! 飲み込んでどうしますの!?」
ロザリーが慌てて杖でレオンの腹を突いた。
「そのままでは解体できませんわ!
毛皮も牙も、素材が取れないでしょう! 早く吐き出しなさい!」
「ええ……せっかくの一体感が……」
「金にならない愛など無価値ですわ! 吐けーッ!」
ロザリーにポカポカ殴られ、レオンが渋々といった様子で瀕死の熊を吐き出す。
出てきたところを、すかさずロザリーが爆破してトドメを刺した。
「手間がかかりますわね……。次はまとめて焼きますわよ!
爆裂連鎖!」
連続した爆発が残りのベアの群れを襲う。
一発一発が、以前の必殺技クラスの威力だ。
逃げ惑う熊たちを、正確に、慈悲なく焼き尽くしていく。
「……チッ、怪我人がいませんね」
ソフィアが不満げに爪をいじっている。
彼女のヒールもまた、進化していた。
広域継続回復。
立っているだけで味方の傷が勝手に塞がっていく結界を展開しているため、多少の被弾では彼女の出番が回ってこないのだ。
『……強くなったな』
俺はモニター越しに唸った。
個々の能力もさることながら、3人の役割分担が噛み合いすぎている。
絶対的な盾、圧倒的な火力、自動化された回復。
Cランクダンジョン程度なら、散歩コースに過ぎない。
「……終わりね」
高橋の声が響く。
アバターたちが敵を全滅させ、1号も合流地点に戻ってきた。
全員が無事。
そして、大量の戦利品。
「さあレオン、仕事よ。全部しまいなさい」
「御意! 全て私の愛の中へ!」
レオンが手をかざすと、山のような素材が次々と亜空間へと吸い込まれていく。
大量のアーマード・ベアの毛皮も、魔石の山も、一瞬で消えた。
手ぶらでの帰還。
これまでの苦行が嘘のようだ。
「……快適。最高よオーナー。3億の価値はあったわ」
高橋が涙ぐんでいる。
これで、物理的な運搬という呪縛から解放された。
ファントム・ロジスティクスは、機動力と積載量を兼ね備えた、完全無欠のパーティへと進化したのだ。
そう確信した矢先だった。
高橋のスマホが震えた。
ピロン。
『Cランク昇格試験のお知らせ』
「……来たわね」
高橋が画面をタップする。
俺たちの実績が認められ、特例での昇格試験への招待状だ。
Cランク完全踏破の偉業が、即座に評価された形だ。
「内容は……『孤島型ダンジョンでの三日間サバイバル&討伐数競争』?」
そこまではいい。
今の俺たちの戦力なら、戦闘で後れを取ることはない。
だが、スクロールした先に書かれていた特記事項を見た瞬間、高橋の表情が凍りついた。
『※本試験では、公平性を期すため、ダンジョン全域に空間干渉阻害結界が展開されます。
これにより、収納スキル、アイテムボックス、転移魔法などの使用は一切不可能となります』
『持ち込み可能なアイテムは、装備品のみ。食料・水・補給物資は現地調達とします』
「……はぁ!?」
高橋が叫んだ。
スマホを地面に叩きつけんばかりの勢いだ。
「嘘でしょ!? 収納スキル禁止!?
せっかく今、3億も出してレオンに覚えさせたのに!?
これじゃ、ただの食料食いの大男じゃない!」
「む? 私の胃袋が……拒絶されている? 結界による放置プレイとは、なんと高度な!」
レオンが的外れな感動をしているが、事態は深刻だ。
孤島での三日間。
水も食料もなし。
その状態で、他のパーティと魔物の討伐数を競わなければならない。
普通の受験者なら、まずは水源の確保や食料採取に時間を割く必要がある。
戦闘に集中できる時間は限られるだろう。
「終わったわ……。私、サバイバル知識なんてないわよ。都会っ子なの」
高橋が頭を抱える。
だが、俺はモニターの前で、ニヤリと笑っていた。
『……安心しろ、高橋』
「何がよ! 水はどうすんのよ!」
『ルールをよく見ろ。収納スキルの使用が禁止されているだけだ』
俺はポテチの最後の一枚を口に放り込み、告げた。
『外部からの配送は禁止されていない』
俺のユニークスキル【ワールド・デリバリー】は、魔法やスキルによる空間干渉とは理屈が違う。
神々の市場と直結した、理の外にある流通システムだ。
下界の結界ごときで、神の物流が止まるわけがない。
それに、俺には1号がいる。
試験当日、1号を人形状態で荷物に紛れ込ませて現地に持ち込めば、その島全体が俺の座標登録エリアになる。
『現地調達? 知ったことか』
俺は不敵に笑った。
『俺が送ってやる。しぶしぶな』
「……へ?」
『水も、食料も、なんならフカフカの布団もだ。
他の連中が泥水をすすって木の実を探している間に、お前らは万全の状態で狩りを続けろ』
「……! さすがオーナー! 一生ついていくわ!」
高橋が掌を返して称賛する。
だが、俺は冷ややかに釘を刺した。
『ただし、タダじゃないぞ』
「え」
『配送料と商品代金、それに深夜早朝の割増手数料。
全て、お前の成功報酬からきっちり天引きさせてもらう』
『必要最低限しか送らんからな。無駄遣いするなよ』
「……このドケチ!! 悪魔!!」
高橋の罵声が響き渡る。
だが、勝算は立った。
結界? サバイバル?
関係ない。
俺がいる限り、そこは孤島じゃない。俺の庭だ。
俺は神マケのカートに、大量のコーラとピザを追加した。
次のステージは、優雅な不正で蹂躙してやる。




