第20話 埼玉の城塞と、深夜の往診
アバターを作成してから、2週間が過ぎた。
俺は1号を会社に出勤させている間、他の3体をダンジョンに送り込み、徹底的な育成を行っていた。
魔石を食わせる必要はない。
こいつらは、ただひたすらに敵を倒し、実戦経験を積むだけで勝手に強くなる。
俺が支払ったのは時間だけ。
それだけで、俺の資産であるアバターは、驚くべき速度で最適化されていった。
特に優先したのは、回復役のソフィアだ。
彼女を過酷な連戦に投入し、何度も魔力枯渇ギリギリまで追い込むことで、回復スキルの熟練度を強制的に引き上げた。
そして今夜。
ついに、その成果が形になった。
自宅のモニターに、システム通知がポップアップする。
《ソフィアがスキルを習得しました》
《習得スキル:【Bランク・聖域結界】》
《習得スキル:【Bランク・生命維持】》
「……よし」
俺は小さく拳を握りしめた。
待っていた。
この二つさえあれば、現代医療の機械に頼らずとも、魔法的な加護で人間の生命活動を維持できる。
俺は一度たりとも、忘れたことなどない。
2億を稼いだことも、ブラックなギルドを作ったことも、すべては手段だ。
目的はただ一つ。
澪を取り戻すこと。
俺はスマホを取り出し、現在の時刻を確認する。
深夜2時。
病院は寝静まっている時間だ。
本来なら、俺自身が足を運び、彼女の手を握ってやりたい。
だが、それは許されなかった。
『いいか3000万。お前が逃げないように、あの女への面会は制限させてもらう』
先日、1号を通して小杉から通達があった。
会社は澪を、俺を縛り付けるための人質として完全に管理下に置いている。
もし俺が頻繁に見舞いに行けば、彼らは警戒を強め、最悪の場合、さらに遠くの施設へ移送されるかもしれない。
だから、俺は行けない。
だが、俺が行く必要はない。
俺はテーブルの上にある、30センチほどの精巧なフィギュア――人形モードのソフィアを手に取った。
「……頼んだぞ」
人形は無言だが、その奥には忠実なAIが待機している。
俺は脳内に、かつて通った澪の病室の座標を思い描く。
物理的な訪問履歴はある。配送条件は満たしている。
人形サイズなら、MP消費は誤差レベルだ。
「【配送】」
手の中から人形が消える。
空間を飛び越え、座標の彼方へ。
……
視界が切り替わる。
モニターに映し出されたのは、薄暗い個室の床だ。
そこに転がった人形へ、俺は脳内で命令を送る。
(展開しろ)
人形が淡い光を放ち、膨張する。
一瞬の後、ベッドサイドには白衣を纏った聖女、ソフィアが立っていた。
彼女は音もなく澪の顔を覗き込み、かざした手から診断の光を放つ。
スキャン開始。
数秒後、脳内にソフィアの冷静な声が響いた。
『報告します。……状態は芳しくありません』
(どういうことだ)
『生命力の低下が見られます。この旧式な維持装置では、肉体の劣化を防ぎきれていません。魂を繋ぎ止める器としては、限界が近いです』
俺は奥歯を噛み締めた。
会社は月80万もの維持費を俺に請求しておきながら、実際には最低限の延命措置しかしていない。
生かさず殺さず。
ただ俺から金を搾り取るための、道具として扱っている。
『マスター、急ぎましょう。これ以上ここに置いておくのは、ROIが悪すぎます』
彼女なりの、最大限の警告だ。
つまり、死ぬと言っている。
『それと……』
ソフィアが視線をドアの方へ向けた。
モノクルの解析画面に、赤い反応が表示される。
『廊下にネズミがいます。魔力反応あり。……見張られていますね』
やはりか。
会社か、あるいはサードアイか。
どちらにせよ、ここは病院ではない。
ただの檻だ。
(……回収だ。戻れ)
俺が念じると、ソフィアの身体が再び光に包まれ、収縮していく。
カラン、と床に小さな人形が落ちる。
「【受取】」
人形が病室から消え、俺の手元に戻る。
俺は自宅のベッドで、天井を睨みつけた。
猶予はない。
すぐにでも奪還作戦を実行しなければならない。
だが、連れ出した後、彼女をどこに匿う?
このボロアパートでは、医療設備もなければ、追手から守る防壁もない。
城がいる。
誰も手出しできない、鉄壁の要塞が。
……
翌日。
俺は高橋を呼び出した。
「拠点が必要だ」
開口一番、俺は告げた。
「条件は3つ。広さがあること。人目につかないこと。そして、即入居可能であることだ」
高橋は呆れたようにため息をついたが、すぐにタブレットを取り出して検索を始めた。
「予算は?」
「いくらでも出せる。金ならある」
この2週間で稼いだ額は、2億の支払いを差し引いても、既に数千万まで回復している。
Bランクの乱獲と、Aランク素材の裏売買。
今の俺に、金銭的なブレーキはない。
「……分かったわ。いくつか心当たりがある」
彼女が案内したのは、都心から離れた埼玉県某所。
かつて工業団地だったという、寂れたエリアだ。
「ここよ」
彼女が指差したのは、赤茶けた5階建てのビルだった。
元々は物流倉庫兼事務所だったらしい。
外壁は薄汚れているが、鉄筋コンクリート造りの躯体は頑丈そうだ。
周囲には廃工場が多く、夜になれば人の気配は完全になくなる。
「中古の自社ビル物件。土地付きで5000万。どう?」
「悪くない」
俺はビルを見上げた。
華やかさはない。
だが、今の俺たちに必要なのは、見栄えのいいオフィスではない。
誰にも邪魔されず、怪しい実験ができ、いざとなれば籠城できる頑強な箱だ。
「買った」
「は?」
「5000万だろ。今すぐ払う」
俺はその場で神マケを操作し、高橋の口座に即金で送金した。
高橋がスマホの通知を見て、目を剥く。
「あ、あなたねぇ……少しは内見とか、値引き交渉とか……」
「時間が惜しい。鍵は?」
「……持ってるわよ。不動産屋とは話をつけてあるから」
彼女から鍵を受け取り、俺は錆びついたシャッターを開けた。
カビと埃の匂い。
だが、広さは十分だ。
俺はがらんとした1階フロアを見渡した。
「ここを、株式会社ファントム・ロジスティクスの本社とする」
俺は高橋に振り返り、次々と指示を飛ばした。
「余った予算は好きに使っていい。業者を入れて、最短で内装を仕上げろ」
「外装はそのままでいい。カモフラージュだ。だが、セキュリティと設備は最新鋭のものを入れろ」
「……本気なのね」
「ああ。ここに、俺たちの城を作る」
俺は5階を見上げた。
最上階。
朝日が一番よく入る部屋。
そこを、澪のための聖域にする。
購入から三日後。
埼玉の拠点、通称要塞の改装は、驚異的なスピードで完了した。
金に糸目をつけず、高橋が手配した裏社会御用達の工務店を24時間体制で叩き込ませた結果だ。
外見は赤茶けた廃ビルのままだが、内部は別世界だ。
壁には対魔力コーティングが施され、窓は防弾ガラスと遮光シャッターで覆われている。
電源は独立した魔力ジェネレーターを引き込み、外部からの遮断も完璧だ。
1階、ガレージ。
ここには搬入用の大型トラックも入れるスペースがある。
警備員として、フルプレートアーマーを着込んだレオンを配置した。
彼は直立不動で入り口を睨んでいる。
この威圧感なら、地元の不良どころか、プロの空き巣でも回れ右して逃げ出すだろう。
ここを通る者は、私が全て受け止めましょう、とでも言いたげな佇まいだ。
「準備完了です、マスター」
5階、最上階の部屋。
ナース服に身を包んだソフィアが、満足げに頷いた。
そこは、俺の居住スペースの奥にある、南向きの一室だ。
医療機器は一切ない。
あるのは、部屋の中央に置かれた清潔なベッドと、床に描かれた複雑な魔法陣だけ。
「聖域結界の充填、完了しました。ここなら、外部からの干渉を完全に遮断し、彼女の生体時間を限りなく停止に近い状態で保存できます」
ソフィアの説明に、俺は頷く。
病院の無機質な機械よりも、このブラック産業医の魔法の方がよほど信用できる。
「よし。……迎えに行くぞ」
作戦開始だ。
深夜1時。
都内の病院の裏口に、一台の黒塗りのワンボックスカーが滑り込んだ。
救急車ではない。
だが、車体には民間患者搬送サービスのロゴが入っている。
もちろん、高橋が用意したダミー会社だ。
運転席には、私服に着替えたレオン。
助手席には、スーツ姿の高橋。
そして後部座席には、俺とソフィアが乗っている。
「……手はず通りに」
俺の合図で、高橋とソフィアが車を降りた。
俺は車内で待機する。
顔が割れている俺が出ていくわけにはいかない。
今回の作戦は、強行突破ではない。
書類上の転院だ。
高橋が事前に病院のシステムに侵入し、澪の転院手続きをデータ上で完了させている。
行き先は、地方にある長期療養型のサナトリウム。
もちろん実在しない施設だが、書類上は完璧だ。
担当医やナースステーションには、偽造された転院許可証が送られている。
数分後。
裏口からストレッチャーが運ばれてきた。
押しているのはソフィアと、病院の看護師だ。
「では、確かにお預かりします」
ソフィアがプロの看護師らしい所作で一礼する。
病院側の看護師は、疑う様子もなく書類にサインをした。
深夜の急な転院だが、書類が完璧なら現場は動く。
それが組織というものの脆さだ。
ストレッチャーが車に積み込まれる。
そこに眠る、痩せ細った女性。
月島澪。
1年ぶりに、ガラス越しではない彼女を見た。
肌は青白く、呼吸は浅い。
だが、生きている。
「……出すぞ」
俺が短く告げると、レオンが無言でアクセルを踏んだ。
車が走り出す。
バックミラーの中で、病院の灯りが遠ざかっていく。
監視していたネズミたちは、気づいただろうか。
気づいたとしても、もう遅い。
彼女はもう、彼らの手の届かない場所にいる。
1時間後。
埼玉の要塞、5階の特別室。
ベッドに横たえられた澪の身体から、点滴や呼吸器のチューブが外されていく。
普通なら、その瞬間に生命維持が止まり、死に至る。
だが、ソフィアが両手をかざすと、淡い金色の光が部屋全体を満たした。
【聖域結界】
空気が変わる。
清浄で、濃密な魔力が満ちる。
澪の顔色が、ほんのりと赤みを帯びたように見えた。
呼吸が安定し、苦しげだった眉間の皺が消える。
「……リンク、接続しました」
ソフィアが汗を拭いながら微笑んだ。
「彼女の生命力は、この部屋の結界と直結しました。私が魔力を供給し続ける限り、彼女が朽ちることはありません」
「……そうか」
俺はベッドの脇に立ち、澪の手に触れた。
温かい。
機械に生かされていた時とは違う、生命の温もりだ。
(待たせたな、澪)
俺は心の中で語りかける。
(ここは俺の城だ。誰にも邪魔はさせない。お前が目覚めるまで、俺が絶対に守り抜く)
デレている暇はない。
感傷に浸っている時間もない。
彼女をここに置くということは、俺が稼ぎ続けなければならないということだ。
維持費はかからないが、守るためのコストはかかる。
そして何より、彼女を目覚めさせるための1000億が必要だ。
翌朝。
俺はいつものように自宅、5階のリビングで目を覚ました。
隣の部屋には澪がいる。
それだけで、世界の色が違って見えた。
コーヒーを淹れ、スマホを確認する。
会社からの通知が届いていた。
給与明細。
いや、借金残高の通知だ。
俺は画面を見て、凍りついた。
《当月返済額:なし》
《福利厚生費、医療支援代行:800,000円》
《借金残高:33,800,000円》
「……は?」
80万。
医療支援代行費。
澪の入院費として、会社が俺に請求し続けていた金だ。
だが、澪はもう病院にはいない。
転院手続きは完了し、病院への支払いは止まっているはずだ。
高橋の工作で、昨日の時点で精算は終わっている。
なのに、請求が来ている。
俺はスマホを握りしめた。
ミシミシと音が鳴る。
そういうことか。
会社は、実際に治療費がかかっているかどうかなんて、確認すらしていない。
実験体の維持費という名目で、自動的に俺から80万を搾取するプログラムが動いているだけだ。
俺が借金を返し終わらないように。
永遠に奴隷として飼い殺すために。
「……いい度胸だ」
怒りを通り越して、冷たい笑いが込み上げてきた。
俺が必死に働いて返そうとしていた金は、架空の請求だったわけだ。
病院にいようがいまいが、生きていようが死んでいようが、奴らは俺から毟り取るつもりだったのだ。
俺の中に残っていた、会社に対する僅かな義理や遠慮が、音を立てて粉砕された。
「いいだろう、クロノス」
俺は窓の外、遠く霞む都心の空を睨みつけた。
「その80万の代わりに、お前の会社から毎月8億抜いてやる」
宣戦布告だ。
もう容赦はしない。
俺は小杉の小銭を盗むコソ泥ではない。
会社という巨大な敵を、骨の髄までしゃぶり尽くす寄生獣になる。
俺はアバターたちに命令を送った。
1号、出社しろ。完璧な社畜を演じろ。
レオン、ロザリー、ソフィア。準備をしろ。
俺たちの本当の戦いは、ここからだ。




