第19話 英雄への勧誘と、幽霊会社の事業計画
黒いアタッシュケースに入った4体の人形を手に入れてから、2週間が過ぎた。
俺の生活は、以前とは比べものにならないほど洗練されていた。
一言で言えば、完全なる分業体制の確立だ。
午前中。
俺の分身である1号は、満員電車に揺られてクロノス・ロジスティクスへ出勤する。
感情をカットされた最強の社畜として、小杉の理不尽な要求を淡々と処理し、会社という迷彩を維持し続ける。
その間、本体である俺は自宅のコタツに入り、優雅にコーヒーを啜りながら仕事をする。
左目にはモノクル。
視界には、ダンジョンの深層映像。
俺はこの2週間、一日も欠かさず配送スキルを使い続けていた。
だが、以前のような無茶な連発はしない。
国家機関サードアイの監視網、国家探知危険度を刺激しないための最適解を見つけたからだ。
要点は二つ。
高単価と、高精度だ。
以前はFランクのゴブリンを数で狩っていたが、今は違う。
狙うのは、単価30万以上のBランク、あるいは100万クラスのAランク素材のみ。
狩る回数を極限まで減らし、一撃の利益を最大化する。
これにより、スキル使用時に発生するノイズの総量を抑え込みながら、日給数百万という暴利を叩き出していた。
さらに、毎日の配送業務によって、俺のスキル熟練度は飛躍的に向上していた。
鉄杭を脳幹に転送する際のラグはほぼゼロ。
脳にかかる負荷効率も改善され、以前なら焼き切れていたような重量物でも、今では軽い頭痛程度で済む。
金はある。
時間は作った。
戦力も育った。
準備は整った。
いよいよ、次のフェーズへ移行する時だ。
……
22時。
港区、西麻布。
会員制バー《アビス》の奥まった個室。
高橋が革張りのソファに腰を下ろすと同時に、対面の男が口を開いた。
「高橋さん。英雄になる気はありませんか?」
オーダーメイドのスーツを着こなした男。
九条真也だ。
以前のようなヨレた安スーツではない。
髪も整えられ、自信に満ちたオーラを纏っている。
高橋は眉をひそめ、グラスの水を一口含んでから答えた。
「……酔ってるの? それとも、新しい口説き文句?」
「シラフだ。極めて真面目なビジネスの話ですよ」
俺は自宅のモニター前でポテチをつまみながら、1号を操作して喋らせる。
彼女は気づいていない。
目の前にいるのが、精巧に作られた生体ゴーレムだということに。
体温も、呼吸も、魔力の揺らぎさえも完璧に模倣している。
Sランクスキルの性能は伊達ではない。
「単刀直入に言います。俺たちは会社を作ります」
「会社?」
「ええ。表向きは新鋭の探索者クラン。実態は、俺たちの野望を叶えるための要塞です」
1号はテーブルの上に一枚のメモを置いた。
そこには『株式会社ファントム・ロジスティクス』と書かれている。
「あなたには、このギルドのマスターになってもらいたい。表の顔です」
「俺はオーナーとして、裏から指示を出します」
高橋は呆れたように息を吐いた。
「私が矢面に立てってこと? 割に合わないわ」
「報酬は弾みますよ。それに、会社組織にするには明確な理由が3つあります」
1号は指を3本立てた。
「一つは、表の顔。俺たちが堂々と活動するための、社会的な迷彩です。個人で大金を動かせば怪しまれますが、企業活動なら正当化できる」
「二つ目は、換金ルートの正規化。今後、俺たちが扱う素材は億単位になります。闇ルートだけでは捌ききれませんし、いずれ足がつきます。堂々と素材を換金し、綺麗な資産として蓄えるための皿が必要です」
高橋が頷く。
彼女も裏金の処理には苦労していたはずだ。
だが、次の言葉で彼女の表情が凍りついた。
「そして三つ目。これが最も重要ですが……組織を拡大し、国家機関サードアイに対抗するための力を身につけることです」
「……サードアイに対抗? 本気?」
彼女の声が震えた。
それは、この国の裏社会に生きる者にとって、口にするだけでも恐ろしいタブーだ。
「本気です。暴力だけが力じゃない。経済圏を支配し、国にとって潰せない存在になる。それが最強の防壁になります」
「……狂ってるわ」
「正気ですよ。今の冒険者業界の現状はご存知でしょう?」
高橋は少し考え込み、真剣な表情に戻った。
「……腐ってるわよ。特にトップ層はね」
彼女はグラスを揺らしながら、忌々しそうに語り始めた。
「SランクやAランクの冒険者は、実力こそあるけど人格破綻者ばかり。彼らは自分たちを特権階級だと思っているわ。依頼料は法外、納期は守らない、気に入らなければ平気でスポンサーを裏切る」
「企業も国も手を焼いているけど、代わりがいないから言いなりになるしかない。それが今の業界よ」
「その通り。最強の力を持つ者が、必ずしも最高のビジネスパートナーではない」
1号がニヤリと笑った。
「では、そこに理想の軍隊が現れたらどうなります?」
「Sランク級の実力を持ちながら、絶対に裏切らず、文句も言わず、24時間不眠不休で働くエリート集団。そんな連中が、相場より安く、確実に仕事をこなすとしたら?」
「……市場を独占できるわね。一晩で業界の勢力図が塗り替わるわ」
高橋の目が鋭くなる。
彼女はスパイだ。
そのシナリオが持つ破壊力と、それが生み出す莫大な利益を瞬時に理解した。
「でも、絵空事よ。そんな都合のいい人材、どこにいるの?」
「ここにいます」
1号が指を鳴した。
ズズズ……。
個室の空間が歪む。
俺の【配送】スキルだ。
だが、高橋には何らかの召喚魔法のように見えただろう。
虚空から三つの黒いアタッシュケースが吐き出され、床に置かれた瞬間に展開した。
光が溢れ、人の形を成す。
一瞬の後、そこには三人の男女が整列していた。
「紹介しましょう。あなたの部下たちです」
一人目は、輝くような金髪の美青年。
身長190センチを超える屈強な騎士、レオン。
全身から放たれる威圧感は、歴戦の勇者そのものだ。
二人目は、ゴシックドレスを纏った銀髪の少女、ロザリー。
身の丈ほどある杖を抱え、可憐な容姿とは裏腹に、周囲の空間が歪むほどの魔力を帯びている。
三人目は、慈愛に満ちた聖女のような美女、ソフィア。
その豊満な胸元には聖なるシンボルが輝き、見るだけで傷が癒えそうなオーラを放っている。
高橋はソファの背もたれに張り付き、絶句した。
「……なんなの、こいつら」
彼女の肌が粟立っているのが分かる。
プロだからこそ理解できるのだ。
目の前の三人が、先日彼女が苦戦したアーマード・オーガなど、準備運動にもならないレベルの化物だということが。
「俺が用意した最強の人材です。過去も戸籍もありませんが、腕は確かです。そして何より、命令には絶対服従します」
1号は平然と言ってのけた。
中身が空っぽの人形だとは言わない。
底知れないルートから調達した、ヤバい傭兵たちだと思わせておく。
その方が、俺自身の神秘性が増す。
「レオンは絶対防御のタンク。ロザリーは広範囲殲滅の魔法職。ソフィアは死なせない回復役」
「そしてあなたが、こいつらを指揮する女神です」
「……女神?」
「ええ。いつまで日陰のネズミを続けるつもりですか? そんなものより、よっぽど美味しい人生だと思いませんか」
1号は甘く囁く。
「圧倒的な武力を背景にした、表社会での地位。名声。そして莫大な富。全てあなたのものです」
高橋の瞳が揺れた。
企業の不正を暴く、などという正義感や復讐心ではない。
もっと根源的な、人間の欲望。
これだけの戦力を手駒にできれば、彼女は一夜にして時代の寵児になれる。
誰にも頭を下げず、誰にも脅かされない、絶対的な勝者。
だが、彼女は懸命に理性を保とうとしていた。
「……無理よ。実力が釣り合わないわ」
彼女は弱々しく首を振った。
「こんな化物たちを率いるのよ? もし現場で暴走されたら、今の私じゃ抑えきれない。リーダーが一番弱いなんて、組織として示しがつかないでしょ」
もっともな懸念だ。
彼女はBランク相当の実力者だが、Sランク級のポテンシャルを持つアバターたちに比べれば、火力不足は否めない。
もし彼女が戦場で死ねば、俺の表の顔が失われる。
それはROI的によろしくない。
「……妥当な判断です」
1号は懐に手を入れた。
そして、神マケで購入しておいたある物を取り出し、テーブルの上に放った。
カラン、と乾いた音が鳴る。
それは、古びた羊皮紙の巻物だった。
「これは?」
「契約金代わりの、先行投資です」
俺は短く告げた。
「あなたの戦闘スタイルはワイヤーによる切断だ。だが、足場のない開けた場所や、空中戦では威力が落ちる。違いますか?」
「……ええ。ワイヤーを張る支点が必要だからね」
「なら、足場は自分で作ればいい」
俺は巻物を彼女の方へ押しやった。
「スキルスクロール、【虚空歩行】です」
「……は?」
高橋が目を見開いた。
スキルスクロール。
ダンジョンの深層で稀に発見される、読むだけでスキルを習得できる伝説級のアイテム。
市場に出れば数億は下らない代物だ。
それを、まるでガムでも渡すかのように。
「使いなさい。今ここで」
「ちょ、ちょっと待って! こんな高価なもの……!」
「先行投資だと言ったはずです。あなたには、女神になってもらわないと困る」
1号は無表情のまま、有無を言わせぬ圧力を放つ。
「空を歩け、高橋。あなたのワイヤーとこのスキルがあれば、あなたは3次元の死神になれる。俺の部下たちに舐められないだけの実力を身につけなさい」
高橋はゴクリと唾を飲み込み、震える手で巻物を取った。
そして、封を切る。
巻物が光の粒子となって弾け、彼女の身体へと吸い込まれていった。
数秒後。
彼女がふわりと浮いた。
ソファから立ち上がり、何もない空中に足をかけたのだ。
まるで、見えない階段があるかのように。
「……凄い」
彼女は天井近くまで歩いて上がり、そこから床を見下ろした。
その瞳に宿っていた不安は消え、代わりに強烈な自信と、力を手に入れた者の恍惚が浮かんでいた。
「これなら……いける。どんな場所でも、私の結界にできる」
彼女は空中で優雅に一回転し、音もなく床に着地した。
その動きは、重力から解放された妖精のようであり、獲物を狙う蜘蛛のようでもあった。
「ありがとう、ボス。……いいえ、オーナー」
彼女は1号に向かって、初めて心からの敬意を込めた笑みを向けた。
「最高のプレゼントよ。この力で、あなたの邪魔者は全て切り刻んであげる」
「期待しています」
1号は短く答えた。
これで契約は成立だ。
俺は畳み掛けるように、今後の業務を伝達する。
「では、最初の仕事です。事務手続きをお願いします」
「……事務?」
「ええ。俺はそういうのが一番嫌いなんです」
1号が指を折って数える。
「まず、会社の登記と事務所の確保。場所は都内のセキュリティが高いエリアで」
「次に、俺の本体が住むための新居。絶対に足がつかない場所を手配してください」
「そして最後に――こいつら3人の戸籍と、探索者ライセンスの偽造を」
「はぁ!?」
高橋が素っ頓狂な声を上げた。
「戸籍って……この人たち、身元不明なんでしょ!? どうやって用意するのよ!」
「あなたはスパイでしょう? 裏ルートの一つや二つ、持っているはずだ。人間として登録しないと、ギルドの結成も依頼の受注もできません。頼みましたよ」
無茶苦茶だ。
公文書偽造に、架空名義の取得。
バレれば一発で実刑コースだ。
「……私が逮捕されたら、あなたも道連れよ」
「安心してください。その時は俺は逃げます」
「最っ低!」
高橋は頭を抱えた。
だが、その表情は絶望だけではなかった。
表社会での圧倒的な地位と名誉。
リスクを冒してでも掴み取る価値のある未来が、彼女の目の前に広がっていた。
「……いいわ。やってやる」
彼女はグラスの水を一気に飲み干し、不敵に笑った。
自宅のコタツで、俺はポテチをかじりながらニヤリと笑った。
数千万の出費だが、安いものだ。
これで彼女の生存率は跳ね上がり、俺の盾としての機能は盤石になった。
役者は揃った。
あとは、この劇団を動かして、世界中から金を吸い上げるだけだ。
俺は新しいコーラを開けた。
ブラック企業【ファントム・ロジスティクス】の、華々しい快進撃の幕開けだ。




