第18話 身代わりの出勤と、孤独な軍隊
俺の目の前には、黒塗りのアタッシュケースが置かれている。
その中には、灰色のっぺらぼうの人形が4体、静かに鎮座していた。
Sランクスキル【英雄の影法師】。
2億クレジットの投資だ。
俺は震える指で、一番左の人形に触れた。
冷たく、硬質な感触。
だが、UIには[EDIT]の文字が点滅している。
「……始めようか」
俺は意識を集中させ、設定画面を開いた。
空中にホログラムのウィンドウが展開される。
まるでゲームのキャラクターメイク画面だ。
身長、体重、骨格、筋肉量。
細部に至るまで調整可能。
だが、俺が作るべき最初の1体のコンセプトは決まっている。
「スキャン開始。対象、俺」
《生体データをスキャンします……完了》
俺の身体が光に包まれ、その情報が人形へと転写されていく。
目の前で、30センチの灰色の塊が、ぶくぶくと泡立つように膨張を始めた。
粘土細工が命を得るように、色がつき、形が整っていく。
数秒後。
そこに立っていたのは、紛れもない俺だった。
くたびれた安スーツ。
猫背気味の姿勢。
目の下のクマまで完全に再現されている。
「……気持ち悪いな」
自分のドッペルゲンガーを見るというのは、こういう気分か。
だが、感傷に浸っている場合ではない。
次は中身の設定だ。
《パラメータ設定》
[感情レベル:低]
[痛覚設定:遮断(OFF)]
[自律思考:従順モード]
[命令優先度:1.本体の安全 2.業務の遂行]
俺は迷わず、感情のボリュームを最低まで絞り、痛覚を切った。
こいつにさせる仕事に、繊細な感受性は必要ない。
必要なのは、鋼のメンタルと、機械的な遂行能力だけだ。
「起動」
俺が命じると、もう一人の俺がゆっくりと瞼を開けた。
瞳に光が宿る。
だが、そこには意思の熱量はない。
カメラのレンズのような、冷徹な光だけがある。
「おはようございます、マスター。命令を」
声紋も完璧だ。
「お前の名前は1号だ。これより、俺の代わりに会社へ出勤し、通常業務を遂行しろ」
「了解しました。出勤します」
1号は無表情で頷き、玄関へと向かった。
その背中は、あまりにも自然で、そして哀れだった。
翌朝。
午前7時30分。
いつもなら、泥のように重い身体を引きずり起こし、会社へ向かう時間だ。
だが今、俺はふわふわの布団の中にいる。
枕元には、熱いコーヒーと、高画質のタブレット端末。
画面に映っているのは、1号の視界だ。
スキルによる視覚共有。
俺はベッドにいながらにして、1号が見ている光景をリアルタイムで監視できる。
画面の中、揺れる電車の吊り革。
押しつぶされそうな人混み。
おじさんの整髪料の臭いまで伝わってきそうだ。
1号は顔色ひとつ変えず、その地獄を耐え抜いている。
痛覚も不快感もない彼にとって、満員電車はただの物理現象に過ぎない。
そして、会社に到着。
タイムカードを切る。
8時25分。定刻通り。
「おい3000万! 遅いぞ!」
事務所に入った瞬間、小杉の罵声が飛んできた。
いつものサンドバッグタイムだ。
生身の俺なら、この時点で胃液が逆流しそうになる。
だが、1号は止まらない。
デスクの前に立ち、90度の完璧な角度で頭を下げる。
「申し訳ありません、課長。以後、気をつけます」
声に抑揚がない。
恐怖も、怒りも、媚びへつらいもない。
ただ、入力されたテキストを読み上げるような返答。
小杉が眉をひそめた。
いつもなら、俺が怯えたり、悔しそうな顔をするのを見て楽しんでいるはずだ。
だが今日の俺は、暖簾に腕押し。
何を言っても、虚空に向かって叫んでいるような気味の悪さがある。
「……チッ、なんだテメェ。寝不足で頭イカれたか?」
「はい、寝不足です。申し訳ありません」
1号は即答した。
小杉は毒気を抜かれたように舌打ちをし、自分の席へと戻っていった。
「……勝った」
自宅のベッドで、俺はガッツポーズをした。
これだ。
これこそが、俺が求めていた究極の働き方改革。
ROIの極致。
俺は労働の苦痛をすべてアウトソーシングし、その対価である給料と、社会的地位という隠れ蓑だけを享受する。
会社に行けば、俺はただのゴミスキル持ちの契約社員だ。
小杉に怒鳴られ、倉庫の埃を吸い、時給数百円で命を削る。
だが、今の俺は違う。
『……マスター、聞こえますか? 小杉の野郎、また無茶ぶりしてきましたよ。今度は過去3年分の伝票整理ですって。死ねってことですかね』
脳内に直接、1号のぼやきが響く。
テレパシーだ。
俺はこたつに入り、高級なコーヒーを啜りながら、心の中で返事をする。
(我慢しろ。それがお前の仕事だ)
『へいへい。……はぁ、本体はいいなぁ。こっちは腰が痛くなってきましたよ』
愚痴る1号。
感情レベルを低に設定しても、ストレスが溜まれば文句も出るらしい。
だが、それがいい。
あいつがリアルに苦しめば苦しむほど、俺のサボりの価値が輝く。
さて、あいつが時間を稼いでいる間に、俺は金を稼ぐか。
俺は左目にモノクルを装着し、いつものリモート・狩猟を開始した。
会社のデスクに縛られていない俺は、24時間いつでも狩場にアクセスできる。
画面に映るBランクモンスター。
鉄杭を配送。
即死。
回収。
1匹30万。
5匹で150万。
(……最高だな)
1号が小杉に頭を下げている間に、俺は年収分を稼ぎ出す。
この圧倒的な格差。
ROIの極致だ。
昼休み。
俺は新たな実験を行うことにした。
(1号、トイレに入れ)
『え? まだ昼休憩まで10分ありますけど』
(いいから入れ。サボりだ)
『……りょーかいです』
モニターの中、1号が個室に入り、鍵をかける。
ここからが本番だ。
等身大の成人男性を転送すれば、俺の脳はゴリっと削られる。
だが、こいつの正体はSランクアイテムだ。
(戻れ)
俺が念じると、画面の中の1号が淡い光に包まれた。
着用していた安物のスーツごと、光の粒子となって収束していく。
このスキルは、装備品ごとアバターとして登録し、収納できるらしい。
光が収まると、床に転がっていたのは、ガチャから出てきた時と同じ――30センチほどの灰色ののっぺらぼう人形だった。
(回収)
「【受取】」
ヒョイ、という軽い感覚。
10円玉を受け取るのと変わらない微々たる負荷。
一瞬で、自宅のベッドの上に小さな人形が出現した。
成功だ。
人形に戻せば、輸送コストはほぼゼロになる。
これなら、地球の裏側だろうが異世界だろうが、何度でも出し入れ可能だ。
俺はニヤリと笑い、次の座標をイメージした。
高橋の仕事で登録した、ダンジョン深部の安全地帯。
管理用通路の、あのコンテナの前だ。
「行ってこい」
「【配送】」
人形が消える。
移動時間、ゼロ。
俺はすぐにモニターを確認し、遠隔で命令を送る。
(展開しろ)
ダンジョンの薄暗い通路。
地面に転がった人形が、カッと目映い光を放った。
光が膨張し、人の形を成していく。
輝きが霧散すると、そこには等身大の九条真也が立っていた。
ヨレたスーツも、ネクタイの歪みも完全に再現されている。
1号が目を覚ます。
キョロキョロと周囲を見回し、そして叫んだ。
『……はあ!?』
脳内に響く、素っ頓狂な悲鳴。
『ここ、どこですか!? さっきまで会社のトイレでしたよね!? なんでダンジョン!? しかもなんかカビ臭いし!』
パニックを起こしている。
当然だ。
トイレで用を足そうとしたら、次の瞬間には魔窟の底にいるのだから。
(落ち着け。出張業務だ)
『出張ってレベルじゃないでしょ! 死にますよ!? 俺、ただのコピーですよ!?』
(死んだら作り直す。安心しろ)
『ブラック企業だ! ここにブラック企業がありますよー!』
喚く1号を無視して、俺は次の指示を出す。
目の前の通路を、はぐれゴブリンが歩いてくるのが見えた。
Fランクの雑魚だ。
俺は自宅から、武器代わりの鉄杭を1号の手元に配送する。
(拾え。そして殺せ)
『えぇ……マジでやるんですか……痛いの嫌だなぁ……』
1号はぶつぶつ言いながらも、逆らえない設定に従って鉄杭を拾い上げた。
へっぴり腰で構える。
ゴブリンが気づいた。
ギャアッ! と声を上げて襲いかかってくる。
『うわっ、来た! 来ないで!』
1号が悲鳴を上げて腕を振り回す。
素人丸出しの動きだ。
ゴブリンの錆びた剣が、1号の脇腹を浅く切り裂く。
『……あれ?』
1号が自分の傷を見る。
血は出ている。
だが、表情に苦痛の色はない。
『痛くない……。あ、そっか。俺、痛覚オフでしたっけ』
気づいた瞬間、1号の顔つきが変わった。
恐怖が消える。
痛みがないなら、恐れる理由がない。
『なんだ、じゃあ余裕じゃん』
1号はゴブリンの剣を素手で掴んだ。
肉が斬れる音がするが、眉一つ動かさない。
そのまま、驚愕するゴブリンの脳天に、鉄杭を力任せに叩きつけた。
グシャッ。
ゴブリンが沈黙する。
泥仕合だが、勝利は勝利だ。
『勝ちましたよマスター! 意外といけますね俺!』
はしゃぐ1号。
その時、スキルウィンドウに通知がポップアップした。
ピロン。
《1号がスキルを習得しました》
《習得スキル:【Fランク・鈍器使い Lv.1】》
「……は?」
俺は自宅で声を上げた。
スキル習得?
ガチャで引いたわけでもないのに?
(……そうか)
俺は震える手で画面をスクロールする。
こいつらは、ただの人形じゃない。
経験を積み、学習し、成長する器だ。
戦えば戦うほど強くなる。
しかも、俺自身が危険を冒す必要はない。
タダで手に入る経験値で、勝手に育っていく資産。
これなら、最強の軍団を作ることも夢じゃない。
そう思った矢先、画面の隅にある小さな注意書きが目に入り、俺の表情が凍りついた。
《※警告:分身体が破壊された場合、個体は初期化されます》
《習得したスキル・経験値はすべて消失します》
「……なるほどな」
甘くはない、ということか。
死んで覚えろ、という使い捨て運用はできない。
せっかく育てたレベル50のエリート個体も、一度の死でレベル1の素体に戻ってしまう。
つまり、俺はこいつらを資産として守りながら運用しなければならない。
使い捨ての駒ではなく、替えの効かない社員として。
『マスター? どうしました? 早く戻してくださいよ、昼休み終わっちゃいます』
1号の呑気な声が響く。
俺は口元を歪めた。
こいつのレベルが上がれば、もっと効率よく働かせることができる。
だが、壊せばパーだ。
(1号、朗報だ)
『なんですか? ボーナスですか?』
(お前には才能がある。これからは会社だけでなく、夜はダンジョン勤務も兼務してもらう)
『……は? いま何て?』
(戻れ)
俺は1号の抗議を無視して、人形に戻し、回収した。
手元に戻ってきた人形は、少しだけ魔力の輝きを増しているように見えた。
これは、いける。
俺が増えるだけじゃない。
タンク、アタッカー、魔法使い……。
それぞれの役割に特化した個体を作り、死なないように慎重に育て上げれば。
俺一人で、最強のパーティが作れる。
「……忙しくなるぞ」
俺はアタッシュケースに残る3体の素体を見つめた。
ギルド設立、大規模攻略、そして1000億への道。
俺の孤独で賑やかな軍隊作りが、今ここから始まる。




