第16話 Aランクの在庫と、鋼糸の舞踏
深夜2時。
クロノス・ロジスティクス、第3倉庫の裏口。
俺たちは、闇に紛れて合流した。
言葉は交わさない。
高橋は、会社で見せる地味な事務員の姿ではなく、動きやすさを重視した黒いタクティカルスーツに身を包んでいた。
その腰には、特殊な射出機が装着されている。
対する俺は、いつもの安スーツに、手ぶら。
どう見ても、ただの冴えないサラリーマンだ。
「……行くわよ」
彼女が短く告げ、電子ロックを解除ツールで無効化する。
俺たちは、正規のダンジョンゲートではなく、会社が極秘に運用している管理用通路へと足を踏み入れた。
湿った空気。
壁面には、剥き出しの配管と、頼りない非常灯が続いている。
俺の役割はシンプルだ。
最後尾についていき、決して戦闘には参加しないこと。
そして、最奥にあるブツに対して、ある仕込みをすること。
まずは第1階層エリア。
管理通路とはいえ、完全にモンスターを遮断できているわけではない。
壁の亀裂から侵入したゴブリンの群れが、行く手を阻む。
「ギャギャッ!」
薄汚い剣を振り回し、5匹のゴブリンが殺到する。
「邪魔よ」
高橋が指先を動かす。
ヒュンッ、と空気が鳴く。
鋼糸が踊り、先頭の3匹の首が同時に跳ね飛んだ。
鮮やかだ。
だが、残りの2匹が左右に散開し、彼女の死角を突こうとする。
(……いい機会だ)
俺は物陰で、ポケットの中の鉄杭を握りしめた。
今日は、愛用のモノクルを外している。
頼りになる200万の補正機能はない。
あるのは、俺自身の裸眼と、脳内の空間認識能力だけ。
俺は動くゴブリンの脳幹を見据える。
モノクルがあれば、赤い予測線がガイドしてくれる。
だが今は、俺自身が予測し、座標を固定しなければならない。
呼吸を読む。
筋肉の収縮を見る。
0.5秒後の未来位置。
(……そこだ)
「【配送】」
ズクンッ。
脳への負荷と共に、右側のゴブリンが唐突に顔面から地面に突っ込んだ。
足がもつれたわけではない。
脳幹に鉄の杭が出現し、生命活動を強制終了させたのだ。
即死。
(……いけるな)
補正なしでも、Fランク程度の動きなら捉えられる。
俺の目が、脳が、この異常なスキルに順応し始めている。
残った1匹は、高橋が振り向きざまに蹴り飛ばし、ワイヤーで締め上げた。
彼女は倒れたゴブリンを一瞥したが、特に不審がる様子はない。
ただ躓いて死んだようにしか見えないからだ。
俺たちはさらに奥へ進む。
第2階層エリア。
通路が広くなり、敵の質が変わる。
ズシン、ズシン。
岩の身体を持つアイアン・ゴーレムが、通路を塞ぐように立ちはだかった。
物理攻撃が効きにくい硬い敵だ。
高橋は速度を緩めず、ワイヤーをゴーレムの足に絡ませる。
遠心力を利用して転倒させる狙いだ。
俺はその隙に、ゴーレムの膝関節の隙間、魔力核の光を見据えた。
硬い装甲の内側。
わずかな隙間から見える、動力源。
(……座標固定)
モノクルなしでの精密射撃。
汗が頬を伝う。
集中力が削がれる。
だが、この感覚が必要だ。
道具に頼り切りになれば、いざという時に詰む。
「【配送】」
カキンッ!
乾いた音が響いた。
鉄杭が関節の隙間に突き刺さり、歯車を狂わせる。
ゴーレムの動きが一瞬、ガクンと止まった。
その隙を見逃す高橋ではない。
体勢を崩した巨像の首にワイヤーを巻き付け、自重を利用してへし折った。
「……妙に脆いわね、ここの個体」
彼女は首を傾げながらも、先を急ぐ。
俺は知らん顔でついていく。
モノクルなしでの狙撃訓練。
実戦の中で、俺の感覚は確実に研ぎ澄まされていく。
そして、第3階層相当の深さまで降りた頃。
通路が開けた空間に出た。
そこは、天然の洞窟を強引に拡張して作られた、巨大な隠し保管庫だった。
そして、その入り口には。
「……グルルァ……」
身の丈3メートルを超える、鋼鉄の装甲を纏った巨獣。
Bランク変異種、アーマード・オーガ。
会社が違法な餌で飼い慣らしている、生きた番犬だ。
俺は反射的に足を止めた。
「下がってて。すぐ終わるわ」
高橋が前に出た。
恐怖はない。
彼女は両手を広げ、指先をわずかに動かした。
ヒュンッ!
空気を裂く鋭い音。
暗闇の中で、何かが月光のように煌めいた。
鋼糸だ。
目に見えない極細のワイヤーが、オーガの巨体に絡みつく。
「ガアアアッ!」
オーガが咆哮し、腕を振り回す。
彼女の狙いは、突進の勢いを利用してワイヤーを食い込ませ、自重で手足を切断すること。
理論上は、それで終わるはずだった。
だが。
ギギギギギギッ!!
不快な金属音が響き渡り、火花が散った。
切れない。
ワイヤーが皮膚に食い込むどころか、その表面で滑っている。
「……硬いッ!?」
高橋の声に焦りが混じる。
変異種の皮膚は、想定を遥かに超える硬度を持っていた。
物理攻撃に対する完全な耐性。
「グオオオオッ!!」
オーガが腕を振るう。
繋がっていたワイヤーごと、高橋の身体が宙に浮いた。
彼女は空中で体勢を立て直すが、そのまま壁に叩きつけられそうになる。
相性が最悪だ。
物理で切断する彼女のスタイルでは、あの装甲は抜けない。
「おい、無理だ! 俺は逃げるぞ!」
俺は情けない声を上げ、踵を返した。
高橋が舌打ちをするのが聞こえる。
薄情な荷物持ちだと思っただろう。
だが、これでいい。
俺は全速力で走り、コンテナの影にある資材置き場の裏へと滑り込んだ。
ここなら、奴からは見えない。
「……よし」
俺は呼吸を整え、ポケットから大量の斥候蜘蛛を取り出した。
その数、20体。
この日のために買い増しておいた在庫だ。
俺はそれらを天井、壁、床、あらゆるところへ向けて放った。
スキル発動。
「【配送】」
20体の蜘蛛が、一瞬で戦場のあらゆる角度に配置される。
そして、俺は左目にモノクルを装着し、スイッチを入れた。
視界が一変する。
20個のカメラ映像が、脳内で統合される。
1体や2体ではない。
20体もの視点が重なることで、戦場の解像度が劇的に向上する。
オーガの筋肉の動き、重心の移動、装甲の継ぎ目。
それらが、高精細な3Dモデルとして再構築されていく。
(……実験だ)
俺は冷や汗を拭いながら、ニヤリと笑った。
道中のゴブリンやゴーレム相手には、裸眼での狙撃を試した。
だが、Bランクの速度で暴れまわる怪物に対しては、まだ文明の利器が必要だ。
20体のカメラによる多角的な解析があれば、未来位置を完全に固定できるはずだ。
画面の中、高橋が必死に回避行動をとっている。
オーガが棍棒を振り下ろす。
その0.5秒後の未来。
モノクルの演算が、空中に赤い予測ラインを描き出す。
オーガの頭部が通過する一点。
物理防御がどれだけ高くても関係ない。
外側が硬いのなら、内側に直接送ればいい。
俺は工具箱から、使い慣れた異世界の鉄杭を取り出した。
手に馴染む冷たさ。
座標、固定。
20の視線が、たった一つの解を導き出す。
誤差、ゼロ。
「【配送】」
ズクンッ。
脳髄を揺らす負荷と共に、手の中から鉄杭が消滅した。
次の瞬間。
「ガ……ッ?」
咆哮を上げようとしていたオーガが、唐突に動きを止めた。
振り上げられた腕が、力なく垂れ下がる。
その巨体が、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
ドスゥンッ、と重い地響きが鳴る。
外傷はない。
だが、脳幹に鉄の杭をねじ込まれて生きている生物はいない。
即死だ。
静寂が戻る。
高橋が肩で息をしながら、呆然とオーガの死体を見下ろしている。
何が起きたのか理解できていない顔だ。
俺はモノクルを外し、蜘蛛たちを回収しながら、おずおずと物陰から出て行った。
「……た、助かったのか?」
腰が抜けたフリをして近づく。
高橋が俺を振り返り、鋭い視線を向けてきた。
「……何をしたの?」
「何って、パニックになって……持ってた杭を適当に投げたんだよ。スキルで」
俺は震える手を見せる。
「そしたら、なんか運良く……中に入っちまったみたいだ。誤配だよ、誤配」
「誤配……?」
彼女は怪訝そうに眉をひそめたが、死体を調べても外傷がない以上、それ以外の説明がつかない。
それに、俺のようなFランク人間に、Bランク変異種を意図的に殺せるとは思えないだろう。
「……まあいいわ。倒せたのなら、文句はない」
彼女は深く追求するのを諦め、奥のコンテナへと向かった。
「開けるわよ」
電子ロックが解除され、重い扉が開く。
その中には、薄赤く発光する鉱石が、文字通り山のように積まれていた。
Aランク素材、ドラゴンの欠片。
一つ100万クレジット。
ここにあるだけで、数十億、いや百億はあるかもしれない。
「さあ、仕事よ。これをあなたのスキルで運んで」
彼女は当然のように言った。
だが、俺は首を横に振った。
「無理だ」
俺はコンテナの中に一歩足を踏み入れた。
これで座標登録は完了だ。
「一度にこれだけの量を動かせば、俺の脳が焼き切れる。それに、いきなり在庫がゼロになれば、会社は即座に異常事態として徹底的な調査を始めるぞ」
「じゃあ、どうするの?」
「俺がやるのは分割配送だ」
俺は彼女に向き直り、提案した。
「俺は今、この場所へのパスを繋いだ。これからは、俺が自宅から毎日少しずつ、お前の指定した場所にこの石を転送する」
「1日に1個か2個。それなら、会社も在庫の数え間違いや横領程度の認識で、発覚が遅れる。その間に、俺たちは安全に換金を進める」
「……毎日?」
「ああ。それに、いっぺんに渡したら、お前が俺を裏切るかもしれないだろ? 俺が毎日送ることで、俺たちのパートナーシップは維持される」
彼女は少しの間、俺を睨みつけていたが、やがて呆れたようにため息をついた。
「……信じられないくらい慎重ね。まあいいわ、その方が安全なのは確かだし」
彼女は納得したようだ。
俺の弱さを、慎重さとしてポジティブに誤認してくれた。
「じゃあ、今日はこれで撤収よ。警備の巡回が来る」
俺たちは、宝の山をそのままにして、空の手でコンテナを後にした。
何も持っていない。
証拠品は何もない。
だが、俺の脳内には、100億円の金庫の鍵が、しっかりと刻み込まれていた。




