第13話 可視化された死線と、単価15万のドル箱
左目の視界が、電子的な青一色に染まっている。
対照的に右目の裸眼は、薄暗く狭いワンルームの天井を映していた。
俺は安物のベッドに横たわったまま、この2つの世界を同時に処理している。
以前であれば、Bランクモンスターと対峙しただけで脳が焼き切れるような負荷を感じていた。
だが今は違う。
あるのは、冷徹なまでの全能感だけだ。
(……来たか)
左目の視界に浮かぶARウィンドウ。
その中で、赤く発光するターゲットボックスに捉えられた影が動いた。
シャドウ・ストーカー。
第3階層のキャンプ地周辺を徘徊する、Bランクの悪夢だ。
実体を持たず、物理攻撃をすり抜け、不可視の精神攻撃で探索者を廃人にする死神。
だが、今の俺にはただのデジタル信号にしか見えない。
怪物の輪郭がブレる。
その頭上から、紫色の波紋が同心円状に広がり始めた。
精神汚染攻撃だ。
200万の設備投資をする前なら、気付くことすらできずに脳を焼かれ、のたうち回っていた不可視の恐怖。
けれど、今の俺にはすべてが視えている。
左目のレンズを通した視界には、その攻撃範囲、伝播速度、到達時間がすべて数値として表示されていた。
《警告:精神汚染波、到達まで1.2秒》
《対象エリア:蜘蛛No.3、No.4》
(……遅い)
俺は指先一つ動かさず、脳内でコマンドを送る。
蜘蛛No.3とNo.4のリンクを一時遮断。
プン、という軽い電子音と共に、その2つの映像がブラックアウトする。
直後、紫色の波紋がそのエリアを通り過ぎていく。
精神攻撃が空振るのが見えた。
波が去ったコンマ1秒後、俺は再びリンクを接続する。
映像が復旧する。
蜘蛛は何のダメージも受けていない。
精神を持たない機械の蜘蛛にとって、あの波はただのノイズに過ぎない。
それを知覚している俺の脳さえ繋がっていなければ、何の影響もないのだ。
(……くだらないな)
恐怖とは、無知が生み出すバグだ。
可視化され、対処法が確立された瞬間、それは恐怖ではなく単なる作業へと成り下がる。
さあ、こちらの番だ。
俺は工具箱から鉄杭を1本、手元に引き寄せる。
右手のひらに伝わる冷たい鉄の感触だけが、ここが現実だと教えてくれる。
左目のAR視界で、シャドウ・ストーカーを凝視する。
剣も銃も効かない幽霊のような影。
だが、モノクルの高度な画像解析処理は、その揺らめく影の奥にある、針の先ほどの歪みを特定していた。
《弱点解析:霊核座標固定》
赤い十字の照準が、影の心臓部に吸い付くように重なる。
まるでゲームのオートエイムのような補正だ。
俺の震える指先や、呼吸によるわずかなズレを、モノクルの演算機能が予測し、補正し、最適な未来位置を弾き出す。
そこへ、霊体にも干渉可能な異世界の鉄杭を叩き込む。
「【配送】」
ズクン。
慣れ親しんだ脳への負荷。
だが、今の俺には心地よい反動でしかない。
画面の向こうで、シャドウ・ストーカーが反応する暇もなかった。
影の中心に、突如として鉄の杭が出現する。
物理的な衝撃ではない。
存在を固定する楔が霊核を貫き、その構成情報を強制的に崩壊させたのだ。
ガラスを爪で引っ掻いたような断末魔が響く。
だが、それも一瞬で途切れた。
影の輪郭が霧散し、黒い粒子となってダンジョンの空気に溶けていく。
あとに残されたのは、地面に突き刺さった鉄杭と――
その横に転がる、闇を凝縮したような黒い結晶だけ。
一撃。
完全なる勝利だ。
「……回収」
間髪入れずに受取を発動する。
ズシリとした心地よい重みが右手に宿る。
俺はベッドの上で身体を起こし、その戦利品を蛍光灯の光にかざした。
(……美しい)
Fランクのゴブリン魔石とは格が違う。
Dランクのオーク魔石とも比較にならない。
光を吸い込むような深い黒。
指先が痺れるほどの高密度の魔力。
これが、Bランクの魔石。
俺は震える指で神マケを起動し、素材参考相場を開いた。
心臓が高鳴る。
200万の投資に見合うリターンはあるのか。
もしこれが数万程度なら、俺の計算は破綻する。
画面に数字が表示された。
《Bランク魔石/シャドウ・ストーカー:150,000クレジット》
「……15万」
息が止まった。
1個、15万。
ゴブリンなら50匹分。
オークなら15匹分。
それを、たった一撃で。
リスクゼロの作業で。
「ハ、ハハ……!」
笑いが込み上げてくる。
これだ。
これこそが、俺が求めていたROIだ。
鉄杭1本のコスト、100クレジット。
リターン、150,000クレジット。
利益率、約150000%。
錬金術なんてレベルじゃない。
これは、バグだ。
世界が俺に用意した、特大のセキュリティホールだ。
(……まだだ。まだいける)
俺はすぐに視線を戻す。
第3階層には、まだ金が転がっている。
モノクルの広域スキャンが、次の赤い反応を捉える。
2体目。
3体目。
あそこにも、ここにも。
かつては死神に見えた影たちが、今では15万円の札束が歩いているようにしか見えない。
狩る。
狩り尽くす。
俺はマシーンになった。
感情を排し、恐怖を切り離し、ただひたすらに作業を繰り返す。
波紋が見えればリンクを切る。
静止すれば撃ち込む。
回収する。
相場を確認する。
15万。
30万。
45万。
60万。
みるみるうちに、ベッドの上に黒い宝石の山が築かれていく。
1時間もしないうちに、俺の周囲には数百万の資産が転がっていた。
小杉の安月給で働けば、数年かかる金額。
それを、俺は布団から一歩も出ずに稼ぎ出した。
「……配送」
積み上がった魔石を鷲掴みにし、最後の工程に移る。
送り先は、いつもの場所。
クロノス・ロジスティクス、第3廃棄区画。
小杉の闇在庫の中だ。
想像する。
次に小杉が在庫を確認した時の顔を。
FランクやDランクのゴミの中に、突如として混ざり込んだ最高級のBランク魔石。
1個15万の塊が、ゴロゴロと転がっている光景。
あいつは腰を抜かすだろうか。
それとも、俺の横領の才能もここまできたかと勘違いして、よだれを垂らして喜ぶだろうか。
どちらでもいい。
重要なのは、あいつがそれを自分の在庫だと信じ込み、喜んで換金ルートに乗せてくれることだ。
俺はあいつの欲望を利用して、このBランク魔石を安全な現金に変える。
あいつはリスクを背負い、俺は甘い汁だけを吸う。
完璧な寄生関係。
「……よし」
10個目の魔石を送り終えたところで、俺は一度モノクルを外した。
左目の奥が熱い。
脳が心地よい疲労感に包まれている。
今日の成果、150万クレジット相当。
わずか1時間の稼ぎだ。
これで、モノクルの代金200万は、あと数体でペイできる。
減価償却なんて言葉が馬鹿らしくなるほどのスピードだ。
「……勝てる」
俺は天井に向かって呟いた。
このペースなら、3300万の借金返済も、2億のスキル購入も、決して不可能な数字じゃない。
1000億という狂った頂きも、遥か彼方に霞んではいるが、道筋だけは見えた気がした。
だが。
ふと、高揚していた脳が急速に冷えていくのを感じた。
ROIの鬼としての計算機能が、今の状況にとある警告を発していたからだ。
俺は脳内で素早く数字を弾く。
Bランク魔石、単価15万。
俺が1000億を目指すために必要なペース、月間およそ数億から数十億。
脳裏に浮かんだゼロの羅列を見て、俺の表情が凍りついた。
「……待て」
俺の換金ルートは、小杉の横領だ。
あいつが会社の在庫をごまかし、闇業者に横流しするそのルートに、俺の魔石を便乗させている。
だが、小杉は所詮、中間管理職の小物だ。
あいつが毎月扱っている裏金の額は、せいぜい数百万。
どんぶり勘定でバレない程度の、ささやかな小遣い稼ぎだ。
そこに、俺がいきなり数千万、数億という価値のBランク魔石を流し込んだらどうなる?
小杉の持っている貧弱な闇ルートで、そんな高額な商品を捌き切れるか?
いや、それ以前に。
あんな小物が、自分の在庫に突然億単位の価値がある石が混ざっているのを見て、平然と換金できるか?
「……無理だ」
結論が出る。
小杉はビビる。
間違いなく、ビビって換金を止めるか、あるいは挙動不審になって会社や国家にバレる。
俺の稼ぐ速度が生み出すインフレに、小杉という宿主の器が追いついていない。
寄生虫が育ちすぎて、宿主の腹を食い破ってしまう。
「……オーバーフローだ」
俺はベッドの上で頭を抱えた。
皮肉な話だ。
200万の装備を手に入れ、Bランクすらカモにできる力を手に入れたのに。
今度は稼ぎすぎという、贅沢で深刻な壁が立ち塞がった。
商品はある。
技術もある。
だが、それを金に換える出口が小さすぎる。
このままじゃ、俺は数億円分の宝石を抱えたまま、3000万の借金で首を吊ることになる。
「……どうする」
解決策が見えないまま、夜が明けた。
翌朝。
俺は重い足取りでクロノス・ロジスティクスに出社した。
睡眠不足の頭で、単純な荷運び作業をこなす。
昼休み。
事務所の空気はいつも通り淀んでいる。
小杉は上機嫌で外食に出かけていった。
おそらく、昨日俺が流し込んだBランク魔石にはまだ気づいていない。
気づくのは、来週の在庫チェックの時か。
それまでに、何とかしなければならない。
俺は休憩室の自動販売機でコーヒーを買い、何気なく事務所の方を振り返った。
誰もいないはずのフロア。
小杉のデスク。
そこに、人影があった。
(……誰だ?)
地味な制服。
黒髪を後ろで一つに束ねた、眼鏡の女性。
経理課の事務員だ。
名前は確か、高橋。
いつも定時で帰り、飲み会にも来ない、空気のように目立たない社員。
彼女が、小杉のデスクの前に立っている。
資料でも置きに来たのか。
そう思った、次の瞬間だった。
彼女の手が、迷いなくデスクの一番下の引き出しへ伸びた。
そこは、小杉が裏金を隠している場所だ。
鍵がかかっているはずのその引き出しが、彼女が指先で触れただけで、音もなく開いた。
「……は?」
俺は息を呑んだ。
鍵を開けた動作が見えなかった。
いや、物理的な鍵を使った動きではなかった。
スキルだ。
彼女は引き出しの奥から茶封筒を取り出すと、慣れた手つきで中身を確認し、万札を数枚だけ抜き取った。
全額ではない。
小杉が気づかないギリギリのライン。
俺がやっていたことと、全く同じ手口。
彼女は抜き取った札を自分のポケットに入れると、何事もなかったように封筒を戻し、引き出しを閉めた。
その顔には、普段のおどおどした事務員の表情はない。
冷たく、理知的な光を宿した瞳が、眼鏡の奥で光っていた。
(……同業者か)
俺の直感が警鐘を鳴らす。
ただの泥棒じゃない。
あの解錠の手際。
監視カメラの死角を完璧に把握した立ち位置。
そして、あふれ出る魔力の残滓。
彼女は、この会社に潜入している。
明らかに何らかの目的を持って。
「産業スパイ……」
俺の口元が、自然と歪んだ。
小杉の器不足に頭を抱えていた俺の目の前に現れた、新たな変数。
小杉の裏金を抜き、闇を知り尽くしているであろう、スキル持ちの女。
俺は飲みかけのコーヒーをゴミ箱に放り込んだ。
新たなターゲットが見つかった。
小杉なんていう小物はもう用済みかもしれない。
俺は、静かに事務所へ戻る彼女の背中を見据えた。




