2026/10/24 三木幹男はNHK日曜美術館50年展にいく。
よぉ…中之島美術館……
フェルメールぶりやな。
NHK日曜美術館50年展
行って参りました。
今の日曜美術館と言えば、大体現在開催中の展覧会にアナとゲストが出向いてお喋りする形式である。
入ってすぐに、昔のスタジオセットが設置されていた。
あぁ確かに。
昔はさながら(一方的な)討論番組が如く、スタジオでゲストが自分の好きな美術に対する気持ちを熱く熱く語る番組だった。
懐かしい。今思えば美術専門のテレビ番組としては中々珍しい形式だったのかもしれない。
日曜美術館に思い入れがあるかどうかで言えば、実はそんなになかったりする。
ただ網羅的に有名どころも含めて来るであろう位の動機で、何が来るかも調べずにやってきた。
ピカソ、マグリット、ダリ、セザンヌ、ロダン、ムンク、岸田劉生、葛飾北斎……
来てる、来てる。
ピカソは「黄色い背景の女」、ダリは「ポルト•リガトの聖母」、ロダンの「考える人」に葛飾北斎は有名な波のやつ。
人生に一度は見たい面々ばかりだ。
特に「ポルト•リガトの聖母」の圧巻の大きさと居心地が悪くなるような奇妙な気持ちは、面と向かって出会えたこそだ。
それらにも当然心が動くのだが、この展覧会ではいつもとは違う心の動き方もしてしまった。
ちょっとそちらにフォーカスしてしまうことにする。
それぞれの芸術家一人ひとりに対し、「日曜美術館」にて著名人が奮った熱弁の内容の欠片が書かれている。
当たり障りのない、よくある感想や紹介ではない。
かなり自我のある偏愛だ。
その人から滲み出た熱を以てそこに記してある。
それらを読むと、普段ならふぅん位で済ます芸術家の作品についてもよく見てみようと思える。
……それどころか、社会批判•悲嘆•露悪的•醜悪性•人間の闇の部分を描く作品群についてもやや見え方が変わってしまった。
俺は幸福の画家ルノワールが好きだ。
ルノワールの
「人生には厭なことが多すぎるから、芸術くらい幸せで愛らしいもので何がいけない。」
という名言が大好きだ。
だから、俺は明るくて幸せになれる絵や面白い絵、明るくなくても情緒を感じる絵に好意を持ってきた。
……正直、その反対の絵は苦手だ。
フランシス•ベーコンという画家がいる。
やけに明るいオレンジ色の密室で、歪曲した上半身だけの女性が、腕を前に出してスフィンクスのようにしている。女性の表情は読めない。
「スフィンクスーミュリエル•ベンチャーの肖像」
……あまり気持ちのよいとは言えない絵だ。
しかし、作家の大江健三郎はこう言う。
「人間を、このように壊れるものだと、グロテスクなものだと、非常に醜いものでもあると捉えることができる芸術家がいる以上は、そこにまた人間が新しいものをつくっていく。」
「つまりそこには、壊れるとこから、壊れない方向に切り替えていく希望がある、と僕は思うのです。」
更には、「非常に苦しい時代だから家で悲しむのではなく、ベーコンの絵を見るほうが励ましになる。」というのだ。
その言葉をしかと聞き、もう一度作品を見る。
……正直分からない。
でもただ気持ちが悪いというだけではない「何か」を心が感じている気もする。
石田徹也もそうだ。
固定された飛行機に雁字搦めに一体化となった人
「飛べなくなった人」
一人の大きい人間が持つ骨組みだけの傘の先でひたすらに回されている人
「社長の傘の下」
牛丼屋で牛丼をガソリンのように入れられる人々
「燃料補給のような食事」
……風刺が分かりやすくききすぎて、露悪的だ。少し吐きそう。
ここで精神科医の斎藤環は言うのだ。
「一回徹底して暗さを描かないと、救済の表現は
描けないんじゃないかというふうに考えていた気がしてならない。
どこか根底の方に、希望なり何なり、祈りなりといったようなポジティブな要素が底光りしている。」
このような醜悪さの表現の中にポジティブな光があるのだろうか。
美術史家の山下裕二が続けて言う。
「石田はひたすらに自分の足元を垂直に掘り下げていった。掘り下げていった同士は、地球の真ん中で出会うものです。」
俺は絵に目を戻して、思った。
その出会った誰かは、自らの悲嘆•怒り•苦しみをこの絵が代弁してくれたかのような。
自分の内なる心の鬱憤に輪郭を得たような。
辛い心を絵を通して交換したかのような、そんな気持ちになっているのかもしれない。
そこに救済があり、だからこそ反転し、希望なりポジティブが生まれるのかもしれない。
結局のところ、全部「かもしれない」なのだ。俺は未熟者だから、骨に染みる程の共感を持てない。
それでも、いい気がした。
「芸術とはただ見た目に心地よいものだけではなく、生命や人生の暗い側面をえぐり、さらけ出すものでもある。」
「そうした芸術の一つの側面との向き合い方を、考えさせてくれる。」
なんかそんなことも、どこかで誰かが言っていた気がするから。
そう、今日は「暗い芸術」に対しての向き合い方を教えてもらった第一歩なのだ、きっと。
松本竣介という、ただただ孤独感を絵に閉じ込めて固めたような作家がいた。
情緒ある、とかではなく、ただただ寂しい。
俺はポストカードを買った。
孤独になったらこの絵を眺めるのだ、そしたら何かの励ましになる「かもしれない」。
悲しくて寂しそうな絵だ。手の平で撫でて、少し愛着を持てた。
きっと、この展覧会に入る前の俺じゃ、買わなかった絵だ。




