2026/10/11 三木幹男は蹴鞠を見る。〜京都御所の秋の特別公開〜
京都御所
秋の特別公開 宮廷文化の紹介
天皇のお住まいにお邪魔して、調度品や芸術品等の展示品を見たり、通常公開では見えない部分も含めて見せて頂ける催しだ。
修繕期間に入る紫宸殿(一番格式高い正殿)が、次我々に公開されるのは9年後となる。
そういう事情もあって、恐らくこの3連休のお出かけ先の編成に、ほぼの京都人が組み込んでいるのではなかろうか。
俺ももれなくその一人だ。
実演は日によって「雅楽、管弦、蹴鞠」と変わるのだが、俺は見たことがない「蹴鞠」に狙いを定めて、この日を待った。すごく気になる。
開園の20分前でもかなりの行列であり、やはり地元の人が多めだなぁという印象だ。
一人が塀の壁に近付きすぎて、プインプインという警報音と「近付かないで下さい。」というような警告音声を浴びていた。
流石、天皇のお住まい。
当該塀は、先日の雨の時にびしょびしょの鳩が雨宿りしていた絶壁である。俺は「鳩には警告しないんだ…ちゃんと見分けてるんだなぁ。」と謎の感心をしてしまった。
蹴鞠は最前席を確保した。
御所から見る大空は、塀と門と木々しかなく、どこまでも広く広く凛とした青空が続いている。
太陽は夏の勢いを少し思い出したかのように、ジリジリという効果音を滲み出しており、それが白く美しい砂利に反射し、俺等を炙っていた。
つまりど暑い。
1時間程の辛抱の末、蹴鞠が始まった。
雅な装束を身に着けた方々が、蹴鞠の前に儀式や所作を行う。
御遊戯との認識であったが、伝統文化的側面も多いにあるのだなという発見である。
この辺は単にスポーツではない伝統を重んじる大相撲に通ずるものがあるのかもしれない。
コートの四隅には、木らしき物が掲げられ、その真ん中に蹴鞠を仰々しく置き、そのちょんと置かれた蹴鞠を囲んで儀式が進んでいく。
まさに「蹴鞠様」である。
最後は8人で蹴鞠様の周りを囲み、ははーと跪くのだが、蹴鞠の神様か何かを召喚しそうであった。
「今日は風も無く蹴鞠日和で何よりです。風が強い日はですねー、蹴鞠は軽いものですから、風に吹かれてコロコロと転がってしまいます。それを真ん中に直すだけで、昼から夕方までかかることもあります。」
……うん、今日、風なし晴天でよかったね本当。俺、辛抱したかいがあったよ。
本日の蹴鞠様は大人しく真ん中に座したままであったので、つつがなく儀式を終え、遂に蹴鞠が始まった。
「はりやー、はり!」
はじめの一人が、2回、ぽん、ぽーんとリフティングをし蹴り上げて、蹴鞠がはじまる。中々難しそうだ。
「はり!」「おう!」「やぁ!」「はり!」
遠くまで響く掛け声に合わせて、鞠がぽーん、ぽーんと青空に跳ねている。
数を重ねれば砂ぼこりが舞い、蹴鞠もあっちらこっちら行くので、ヒラヒラと装束を翻しながら鞠を落とすまいとする。
それを感心したりはらはらしながら見守るので、長く続けば自然と拍手が起きる。
実演者の皆さんは、続く回数にかかわらず、にこにこと笑顔で楽しそうだ。
こりゃ、する方もみる方もとても楽しい。
天皇や貴族の方々が興じたのもよくわかる。
蹴鞠は、相手を負かすことではなく、協力して鞠を落とさず長く続けることが目的の御遊戯だ。
まさに和を以て貴しとなすを体現した御遊戯である。平和で笑顔で仲良くなれそうで、目の前に広がる光景も当にそうである。
高貴な方々がこのような御遊戯をなされていたのは、とても心のゆとりがあって素敵だなぁと思いつつ、空に舞う鞠を眺めていた。
蹴鞠の後は、天皇のお住まいや生け花、調度品等を見てまわった。
紫宸殿は、ただただでかくて、本当にひたすらにでかくて荘厳とそこに在るという感想だ。
ただ厳かではあるけれども、決して圧迫感は無く、自然と調和しており、格式高い長老の大樹と対面したかのような気持ちであった。
清涼殿(天皇の日常のお住まい)は、外に開けて開放的で、絢爛さは無く落ち着いた雰囲気であった。素朴という言葉を使ってしまいそうだ。
本当にここに天皇が?と思ってしまう。
特別公開ということもあり、豪華絢爛な煌びやかな世界を想像していたが、豪華さで圧倒するものは無い。
丁寧で無駄がなく美しい、そういった格調高さだ。
どこもかしこも清らかな気品で溢れている。
そのまま俺がお散歩コースにしてる御所の御苑が纏う空気のようだと思った。
現実と優しく切り離して、神聖になりすぎず、のどかになりすぎず、清廉さをもってゆったりした時間が流れるのだ。
それは天皇のお住まいの内部である御所も変わらなかった。
静かな御池の水面に緑の木々が映えている。その対面には蹴鞠の庭があり、連綿と天皇のお住まいが続いていく。
ここに住まわれて、ここでお庭を見て、ここで蹴鞠に興じられたのだ。
やっぱり……俺は、京都御所が好きだなぁと心のなかで呟いた。




