店内見学
「今日はお客様いらっしゃいませんね」
骨董店『天玄堂』の正面扉、採光用のくもり硝子に貼り付いて翠玥が言った。今日は髪の毛で二つの輪を結って残りを背中に流し、手には金のレースで縁取られた絹の手袋をはめていた。
「小玥、こちらへいらっしゃい。頭をぶつけると言ったでしょう。そういう日もあります。それほど流行っているわけでもありませんから」
迪遼はなんでもないように答えた。実は今日は店の扉が外部に繋がる機構を閉じていた。
翠玥が予期せぬ事故で商品に宿った衝撃的な記憶に触れたのは昨日のことだった。昨夜はなかなか眠れぬ様子で、式神で養育係の阿刀羅の添い寝を必要としていた。
本人の意思を尊重し店に出ることは止めないが、少し刺激を減らしたいと迪遼は考えていた。
「そうなの?」
翠玥は長椅子で脚を組む迪遼をじっと見て、次に、その横で商品の鏡を磨いていた阿刀羅を見た。迪遼に瓜二つの女性だが、髪型や服装は対照的だった。
阿刀羅は顎の線でパツンと切られた髪を揺らし頷いた。
「ご主人様のおっしゃる通りです。そもそもお店がお客様を選ぶ構造になっていますので、条件の合致するお客様がいつも現れるとは限らないのです」
「そうなんだ」
翠玥は納得したらしく扉から離れた。その様子に迪遼は胸を撫で下ろし、手持ち無沙汰にショーケースを眺める翠玥に声をかけた。
「ね、小玥。今日は本当に閑古鳥です。手袋もありますし、お店の品物を一緒に見て回りませんか?」
「一緒に?」
翠玥は喜色を浮かべつつも、少し不安そうだった。
「ええ。私も、阿刀羅も一緒です」
翠玥は迪遼と阿刀羅の手を取って微笑んだ。
「小姐、気になるものはありますか?」
阿刀羅に尋ねられ、翠玥は店内を見渡した。
壁一面に絵画や鏡が掛けられ、入り口近くに据えられたショーケースの中は一際煌びやかな品々が並んでいる。調度は王朝風の華やかな意匠で統一されていて、螺鈿が施された木製の長椅子と卓が窓際に置いてある。カウンターを横切り少し奥に進むと、棚が立ち並び、棚の中には花瓶や楽器など、一見すると日用品に見える品物が収められている。棚の上には大小の鳥籠が乗っている。中身も様々だ。南国の花、動かぬ青い鳥、忙しなく動く金色の影、空なのに囀りだけが響くもの。
店の奥には応接スペースと背の低い本棚があり、分厚い辞典や巻物が所狭しと詰められている。
さらに、突き当たりには2つ扉があり片方は翠玥たちが暮らす屋敷へ、もう片方の扉は倉庫へと続いている。翠玥の視線は昨日一度だけ入った倉庫に引き寄せられた。
「倉庫が見たいです」
迪遼と阿刀羅は無言で顔を見合わせた。よりによって昨日酷い体験をさせられた品物が収められた場所を指定するのが翠玥らしかった。
「最近はあまり整理もできていないので、少し散らかっていそうですね。小姐をご案内するにも足元が乱れていては困りますので、私が片付けて参ります」
阿刀羅はすぐに踵を返した。迪遼は有能な式神に心からの感謝を念じた。
「あの倉庫、勝手に物が増えるんですよね」
迪遼は言い訳のように言ったが、これは事実だった。翠玥が迪遼の隣にちょこんと座った。
「どうして増えるの?」
「私にもわかりません。どこかから噂を聞きつけるのか、元ある商品が引き入れるのか……放っておくととんでもない物が出てきたりするので、たまに整理をしているんですよ」
「もしかして、昨日の小箱も?」
迪遼は眉を下げた。
「そうなんです。最近整理をしてなくて……ごめんなさい、小玥。怖い思いをさせましたね」
「老師のせいじゃありません」
翠玥は困ったように笑った。
「声を聞いて駆け出してしまったのは私だもの」
あまりに聞き分けのいい言葉だったので、迪遼は心配になり、翠玥の両手を握って冷えてないか確認した。
「今はなにか聞こえますか?」
「そうね、そこの」
翠玥は空の鳥籠を指差した。
「鳥籠が言っています。あの時、もう少しだったのにって」
「あぁ……あれ。懲りないですね」
迪遼は鳥籠を一瞥した。翠玥に聞こえていた笑い声が止まった。
「あれはなぁに?」
「あれは、何というか。呪いのような物です」
「呪いを鳥籠に閉じ込めているの?」
翠玥は鳥籠の中を見ようと目を凝らした。しかし、空に見えた。
「いいえ、あの鳥籠自体が呪いを作るんです。あの鳥籠には扉がありません。鳥籠自体が開閉する造りになっています。最初から自由を奪うためだけに作られた品です」
「なぜそんなことをするの。飛んでこその鳥でしょう」
翠玥が心底わからないという顔をした。
「鳥籠の中の鳥にすら逃げられることを恐れる者がいたのですよ。愚かなことです」
迪遼は吐き捨てるように言った。
「失う恐怖と囚われる苦しみが何代も閉じた鳥籠の中で育ち、いつしか呪いを生む装置になっていました。何度祓っても鳥籠自体が新しい中身を捕まえて呪いを生むのです」
「どんなものが捕まるの?」
「鳥籠と親和性の高い感情です。恐怖や、自由を奪われた絶望」
迪遼は嘆息した。
「今育っている呪いは……私のせいかも」
「老師、怖いものがあるのですか?」
「怖いものがない人なんていません」
迪遼は頬杖をついて翠玥を眺めた。翠玥は話を聞きながら迪遼の長い髪を三つ編みにして遊んでいる。
「まぁ、羽虫なんかも捕まえて養分にするので、便利と言えば便利ですよ」
「……近寄りたくなくなりました」
翠玥は今日一番顔を顰め、迪遼は少し笑った。
「近寄らなくていいです。小玥、次に何か声が聞こえたら、まず私か阿刀羅に教えてください。どんな品物なのか必ず説明しますから。お約束、守れますか?」
「はい、老師」
翠玥は素直に返事をした。迪遼は真剣な顔を可愛いく思い、翠玥の丸い頬をつついて少し戯れあった。翠玥が三つ編みした迪遼の髪に花を飾りたいと言うので、今朝、阿刀羅が飾った花を何輪か拝借した。
「老師、髪長姫みたい!」
「うふふ、似合いますか?」
迪遼と翠玥が手を繋いで回っていたところに、阿刀羅が戻ってきた。
「小姐、お待たせしました。倉庫にご案内できますよ。あら……ご主人様、そのお花いいですね」
「阿刀羅にも飾ってあげる!」
翠玥が明るく言った。
阿刀羅は目を細めた。翠玥に笑顔が戻っている。今朝生けた花たちもこうして役立つなら本望だろう。
「私が小姐に飾ります。三人お揃いにしましょう」
阿刀羅と花を飾りあった翠玥はご満悦だった。
翠玥は二人と繋いだ手を上下させながら倉庫へと踏み入れた。
翠玥は昨日銀の小箱が置いてあった入り口近くの棚を見た。女神の像のついた小型の置き時計が代わりに置いてある。
「この時計、阿刀羅が動かしたの?」
「いいえ。その棚には触れていません」
ではこの時計は”増えた”のだろうかと、翠玥は思った。
倉庫内は翠玥が昨日入った時から大きく変わってはいなかった。
金属製の扉付きの棚と、木製の置き棚が等間隔に並んでいる。そこに収められている物は雑多な印象だ。迪遼の趣味のからくり機械類や、明らかに禍々しい気を放つ梱包済みの品物も混じっている。
奥の方はよく見えない。椅子が積まれている影が見える。
阿刀羅が片付けたらしく、端材や美術品の類が床に放置されていることは無くなっていた。
翠玥は眉を下げて迪遼を見上げた。
「どうしました?」
「老師、ここはすごく賑やかです」
「ちょっといいですか」
迪遼は繋いでた手を離して、翠玥の両耳を覆うようにひと撫でした。先ほどまで翠玥の耳に入っていた声が膜を隔てたように小さくなった。
「まだ聞こえますか」
翠玥は頷いた。大部分は聞こえなくなったが、まだ高く翠玥を呼ぶ声があった。
「それは、相当強い感情ですね」
阿刀羅がそっと翠玥の肩を抱き、迪遼は今にも翠玥を避難させようかと迷った。
「あの子が……」
翠玥が指を指したのは可愛らしい西洋人形だった。フリルとタフタでたっぷり膨らんだ薄桃色のドレスに、ガラスでできた瞳。陶器製の白い肌。ふっくらとした唇に微笑みを浮かべている。
迪遼は目を丸くした。
「あれ、ひょっとしてすごく歓迎されてます?」
翠玥は困惑したように頷いた。昨日は悲痛な悲鳴だけが響いていた倉庫が、まるで別空間のような雰囲気になっていた。
感じるのは好意と好奇心だった。
迪遼が耳に触れた後、翠玥には一番明るく軽やかな声だけが聞こえていた。
“迷子のあの子をパパの所へ連れて行ってくれてありがとう。ずっと泣いていて心配だったの”
西洋人形は可憐に語った。
翠玥は思っても見なかった言葉に知らず目元が熱くなった。
「あのお姉さんはどうなったのか、知ってる?」
“パパに会えて、愛していると言ってもらえたわ。あの子はとても喜んでいた”
「そうなのね、」
翠玥は鼻を啜った。
「そうなのね……」
袖で涙を拭う翠玥に、阿刀羅がハンカチを差し出した。
“気にかかることがなくなってようやく私も一安心よ。少し、眠るわ”
西洋人形は優しく笑って、それきり何も言わなくなった。翠玥は二人の手を引いて人形に近寄った。人形を穴が開くほど見つめて、翠玥はようやく口を開いた。
「全部良かったとは、思えないの。でも……」
翠玥は少し俯いて、顔を上げた。目元には涙が滲んでいるが、昨日からずっと張り詰めていたものが緩んでいた。
「私、昨日は、本当はすごく怖かった」
労わるように頭を撫でる阿刀羅の腕に翠玥はしがみついた。くしゃくしゃになったハンカチを迪遼が翠玥の手から取り上げ、きれいに畳んで翠玥の目元に当て直した。
「何が怖かったですか?」
迪遼が優しく尋ねた。
「あんなに悲しいのは初めてで、悲しみから戻れなかったらと思うと怖かった」
「とても、怖い思いをしましたね」
「……怖かったわ」
肩に迪遼が触れた。
「あなたはここにいます。私の手がわかりますか?」
「わかります」
「今は悲しいですか?」
「今は、少しだけ。少しだけよ、老師」
阿刀羅が翠玥の背を優しく撫でた。
「小姐、急がなくていいのですよ。息をゆっくり吐いて」
翠玥の肩の力が抜けるのを見届けて、迪遼は翠玥にそっと腕を差し伸べ、抱き上げた。
しばらく翠玥は無言のうちに迪遼に揺らされていた。
「……この子はどんなお人形なの?」
迪遼はゆっくりと西洋人形に視線を向けた。
「彼女は持ち主に巡り会うためにここにいます。もう三度お迎えされて、戻ってきてますね」
翠玥は手袋を嵌めた手でそっと、人形を撫でた。
「この子も、会いたい人がいるからここにいるんですね」
「主人を慕う気持ちはわかります。一途な忠誠は美しいです」
阿刀羅が人形を見つめて言った。
「案外、親心かもしれませんよ。私がいないとダメだと言ってましたから」
「その気持ちも、わかります」
阿刀羅は懐中時計を確認して、午後のお茶はお庭でしませんかと提案した。
迪遼は頷き、「店主不在」の札を店の扉にかけに行った。
阿刀羅に手を引かれ、肌寒い倉庫から春の日差しの庭に移ると、翠玥は視界がとても明るく感じた。
花が咲き、空は晴れている。翠玥は胸いっぱいに息を吸った。
翠玥は思った。私はここにいる。




