あわいの石
晴れた日の午後、骨董店『天玄堂』の扉を開いたのはまだ幼さの残る少年だった。
翠玥が迎え、阿刀羅が長卓に麦茶とおしぼりを出した。
「このお店、鑑定はやってますか」
掠れのない丸い声で少年は尋ねた。
ポロシャツに半ズボン、背中に青いリュックを背負っている。締まりきっていないリュックの端から上着の袖が覗いていた。
「やっておりますよ」
翠玥は答えた。
「いくらですか?」
「物によります。まずはおかけになってください」
少年は礼儀正しくお礼を言って長椅子に座り、冷えた麦茶を美味しそうに飲んだ。
「店主を呼びますので、少々お待ちくださいね」
翠玥は微笑み、倉庫の整理をしていた迪遼を呼びに行った。
「老師、鑑定のお客様です」
「今行きますね」
迪遼はまとめ上げていた髪を下ろして、服の裾を直した。
「老師、鈕が外れていますよ」
「あ、本当だ。ありがとうございます。困りますね、今日は暑いから……」
迪遼は襟元の鈕を閉めた。翠玥はあとで阿刀羅に麦茶を頼もうと思いながら、迪遼に続いた。
「お待たせいたしました、どう言った品物の鑑定ですか」
「これです」
少年は鞄の中からいくつかの品を取り出して長卓に並べた。付箋のたくさんついたスクラップ帳、油紙に包まれたポラロイド写真、そして青色をした光る小石。
そばに控えていた翠玥も一緒に見守った。
迪遼は品物を見下ろし、光る石にだけ少し長く視線を留めた。
「失礼します」
迪遼はスクラップ帳を手に取った。表紙には漢字で『横戸海斗』と書かれている。少年の名前だろうと翠玥は思った。
スクラップ帳には、オカルト雑誌の切り抜きや、それに対する海斗のメモがびっしり書かれていた。夜空を写したポラロイド写真はよく見ると、円盤のような特徴的な物体が映り込んでいる。
海斗の興味の方向が窺える取り合わせだった。
「あぁ、これは。よく調べましたね」
迪遼の言葉に海斗は少し嬉しそうに尋ねた。
「この中に、本物はありますか?」
「それがあなたのお望みですね。よろしいですよ。鑑定料はこれら三点合わせて500円になります」
海斗は眉を下げ、長卓に並べた私物のうち小さな光る石を取ってポケットにしまった。
「これはやめます」
「よろしいのですか?」
「いいです。これは……本物じゃなくて、ぼくの個人的なものだから」
海斗は視線をポケットへ落とした。
「かしこまりました。300円で承ります。ではどれから見ていきましょうか」
本題に入りそうになったところで、翠玥はさり気なく空になった海斗のコップを回収し、新しい飲み物を二人の前に置いた。
「この写真、友達にもらったんだ。友達って言っても、雑誌の文通募集で知り合った人なんだけど。まずはこれから見て欲しい」
迪遼はポラロイド写真を見てわずかの間沈黙した。
「あぁ、これ。東側のですね」
迪遼は呟くと、海斗に写真を返した。
「がっかりするかもしれませんけど、」
迪遼は言葉とは裏腹にうきうきと阿刀羅に向かって指示を出した。
「こないだ買ったやつ、ようやく出番ですよ」
「あれは4、5年前に購入したものですが」
阿刀羅は呆れた顔をしながらも、投射機を運んできた。迪遼は麦茶を一口飲んで、投射機の設置にかかった。
「あの人、楽しそうだね。大人なのに」
海斗がそばにいた翠玥に小声で言った。
「趣味が近いのかもしれませんね」
翠玥はこっそりと囁き返した。
「お姉さんは、中学生?高校生?」
「それくらい」
翠玥は曖昧に笑った。実際のところ翠玥は自分がどの学年に相当するのかよくわかっていなかった。
「準備ができましたよ!」
迪遼が阿刀羅と二人で広げた白幕を実に楽しげに披露した。翠玥がもう少し小さい頃に映画を見て以来、久しぶりの投射機の出番だった。
「なんなの。この白黒の……昔の映画みたいな」
「まぁ、ご覧ください」
某国の軍事基地から飛び立つ偵察機の様子が白幕いっぱいに映し出された。
「UFOそっくり……」
海斗は写真と映像を見比べた。写真に写っているのは不鮮明な像ではあるが、突起の角度や、光の並ぶ位置などの特徴は映像のものと一致していた。
「これが写真の正体です。国家間の対立なんて最悪ですけど、技術の進歩は興味深い」
「現実的な危機すぎる……」
海斗はガックリと項垂れた。迪遼は宥めるように声をかけた。
「これはこれで面白くないですか?実はこの映像はかなり古いものなんですよ。どうしてお友達の写真に映っていたのか気になりませんか」
「それは、気になるけど……そういうんじゃなくて」
海斗は物言いたげな顔をして押し黙った。
翠玥は気を持ち直させるように、スクラップ帳を広げた。
「とても丁寧にまとめてありますね。次はどこから見ましょうか」
「……それだって。きっと偽物だよ」
「それはまだわかりませんよ」
翠玥は優しく微笑んだ。翠玥の開いた頁には呪いの人形という見出しと共に、可愛らしい日本人形の写真が載っていた。海斗のメモによると山奥のお堂に納められていて、髪の毛が伸びるらしい。
髪が伸びるだけで呪いとは一体どういうことなんだろうと翠玥は気になった。
「この呪いって、どういうものなのかしら」
海斗は視線を上げ、澱みなく説明を始めた。
「呪いっていうのは、相手を恨んで不幸を願うことだよ。恨みの持つ強い力でそれが叶うんだ」
「まぁ、じゃあこのお人形はどうして髪が伸びるのかしら。髪が伸びても誰も不幸にならないわ」
海斗が不思議そうに首を傾けた。
「でも、普通は人形の髪は伸びないよ。恨みがあるから伸びるんじゃないの?」
「髪を伸ばす恨みって、変な髪型にされたとか……?」
海斗が吹き出した。
「変なの!そんな恨みで、お堂に祀られちゃうなんて」
「呪いって難しいわね」
翠玥は苦笑して顎に手を当てた。海斗も呪いとはそもそもなんだろうかと考え始めていた。
「人間が行う一番簡単な呪いのかけかたを知っていますか?」
迪遼が笑みを含んだ声で尋ねた。
翠玥と海斗は首を振った。
「ただ一言『あなたを呪った』と宣言することです」
「そんなので効くの?」
海斗は訝しがった。呪いをかけるなんて本の中だけのことで、現実世界では聞いたことがなかった。
「大抵効きますね。人間は他人から聞いた情報を信じて生き延びてきた種なので」
「どういう意味?」
「『あなたを呪ったので、危険がこれからやってきます』という情報を人は案外素直に受け取ります。呪われたからには不幸なことが起こると認識することで人は呪いにかかります」
「思い込みってこと」
「そうとも言えるでしょうね。御伽話にある目に見えない不思議な力とは大抵の場合、人間の心のことです」
「不思議なことが起こったから、恨みとか関係なく、呪われたって話になったのかな」
海斗は呪いの人形について書いたメモを撫でた。
「ファラオの呪いもいろんな人が亡くなったから騒いだだけで、ただの細菌性の病気だもんね……」
「細菌性の病気がファラオの呪いじゃないと言い切れませんよ。ファラオが遣わした呪いが細菌の形を取ったのかもしれませんしね」
「そんな呪いはやだよ。現実的すぎる」
海斗は唇を尖らせた。細菌などの力を借りず、もっと神秘的な力を保って欲しかった。
「浪漫を求めておいでなのですね」
壁際で成り行きを見守っていた阿刀羅が海斗に穏やかな眼差しを向けた。
「浪漫……でもそんなのナウくないよ。ぼくだって本当はわかってるんだから。UFOはないし、心霊写真だって合成ばかりだ。UMAも、妖怪もいない。調べれば調べるほど、本当は嘘だってわかるんだ」
「浪漫はいつだって求めて良いのです。現実の中にだって浪漫はあります」
海斗は苛立ったように頭を掻いた。瞳は涙が溜まっていた。海斗はそれほど信じたいのだと翠玥は思った。スクラップ帳の中に海斗の求めるものがあってもなくても、翠玥には関係ないように思えた。彼が必要としているものは色褪せない不思議だった。翠玥は迪遼を見た。迪遼は感情の見えない顔で微笑んでいた。試されているように感じた。
「でも呪いはあったでしょう?」
「思い込みだよ。本物じゃない」
翠玥は鑑定されないままのスクラップ帳に視線を落とした。
「本当の不思議って、どういうもの?」
「説明がつかないもの」
「それが、あなたの望みね?」
翠玥は目を閉じた。ただ受け取るだけでなく聞きたいものを聞くためには、意識を集中させる必要があった。
「……お父様と山へ遊びに行ったのね。小川であなたは遊んでいた。一番気に入った石を持って帰りたいとお父様に言った。美しい煌めきがのぞいていたでしょう」
翠玥は海斗のポケットに視線を向けた。
「お父様が磨いてくれたのね」
海斗はポケットの中に手を入れて、手のひらの中の感触を確かめた。
「どうしてわかったの……?」
「どうしてだと思う?」
「なんで?教えて!」
「説明のつかないものなのよ」
翠玥が種明かしをしないとわかると、海斗は悔しそうに押し黙った。しかしその目は生き生きとしていた。
「お姉さん、すごいね」
海斗はポケットの中から手を取り出し、握りしめていた手のひらをそっと開いた。
「特別に見せてあげる、ぼくの宝物なんだ」
小さな青い石には、角度によっては遊色があり、色とりどりの光が踊っていた。
「きれいね」
「そうでしょ。ぼく、子供の頃この石が魔法の石だと思ってたんだ」
「ふふ、お兄さんになったあなたはこの石をどう思っているの」
「そうだね。ぼくはまだ子供だ」
海斗は照れ笑いをした。翠玥が背伸びを微笑ましく思ったことを、海斗は正確に受け取ったらしい。自分を子供と認められることは、大人になる第一歩だと翠玥は思った。
「この石は、ただの石かもしれないけど、光の加減で色が変わるのを見ると今でもすごくワクワクする。この石はぼくにとっては、今でも大切なものなんだ」
「ただの石なんかじゃないわ。あなたの心を動かす不思議な力が本当にあるのよ」
青い小石は海斗の手の中で煌めいていた。海斗は小石を再び握って、微笑んだ。
「当店の鑑定にご満足いただけましたか」
頃合いを見計らって迪遼が声をかけた。海斗は頷き、長卓の上の私物をカバンにしまおうとした。そして、ハッとしたように手を止めた。
「あ、でもお金が」
「300円で結構ですよ。スクラップ帳は鑑定していないので」
海斗は安堵して、小銭入れの中から300円を取り出して迪遼に渡した。
正面扉の前で海斗は、翠玥に手を振った。
「またね!お姉さん」
翠玥は扉に消えていく後ろ姿を眩しく思った。
「今のお客様は、小姐のお小さい頃に似ていましたね」
「そうかしら?」
「ええ。好奇心旺盛なところが、そっくりです」
阿刀羅が目を細めた。阿刀羅からしてみれば自分もまだまだ子供なのだろうと翠玥は思った。翠玥が海斗に感じていたような微笑ましさが阿刀羅の口調にはあった。
不思議と現実の間で揺れる少年は、どんな風に成長していくのだろう。翠玥は横目で投射機の片付けをしている迪遼を見た。
もしかすると、こんな大人になるのかもしれない。




