社会見学 後編
静雨は翠玥を連れて女性向けの服が売られている量販店に迷わず向かった。
翠玥は襦裙のままでも構わないと言ったが、壁にも棚にも服が並べられた空間には興味を示していた。
静雨が好きなものを選べと言ったら、翠玥は少し周りを見た後に一番近くにあった花柄のワンピースを持ってきた。柄物は避けろとのお達しだったので、迪遼の想定する柄物の範囲を知る由もない静雨は却下した。
「なんで柄はだめなの?」
翠玥は不思議そうに首を傾げた。
「わかんない。でも天玄堂が言うことだから、何か意味があるんだと思うぜ」
「おまじないかしら」
自分たちのセンスが疑われているとは二人とも夢にも思わなかった。
「どんなのが似合うかね」
静雨は翠玥を見下ろした。
「小玥、普段どうやって服を決めてる?」
「服は老師が買ってくれます。老師は人も自分も美しく装うのがお好きだけど、私はあまり気にしたことがないの。きっと阿刀羅に似てるんだわ。阿刀羅が着てるような服はある?」
「阿刀羅が着てるような服はこの辺には売ってないな……」
「似合うとか似合わないとかも、よくわからない。老師も阿刀羅も私が何を着ても似合うと言うから……」
翠玥は手近な服を手に取って自分にあて、鏡に映る自分を他人のように見ていた。
「綺麗な服を見たら楽しくならないか」
「こうして掛けられているものを見るのは楽しいけど、私にとって服は老師が喜んでくれるものなのよ」
「基準が一個しかないんだな」
静雨が少し目を細めた。
翠玥は先ほどまであてていた服を元の場所に戻した。衣服を通して迪遼の笑顔を見ることはとても嬉しいことだが、静雨の言いたいことも良くわかった。
「今日、二つにしてくれる?まだ自分ではよくわからないから」
「三つにしてやるよ。昨日の夜に阿刀羅の基準を預かってきた」
静雨は声をかけてきた店員を断って何着か服を選んだ。
「俺の基準はこう。俺の自慢の虹色の羽みたいに目立つ服が好きなんだ。自分の色が自分を一番格好良く見せると思ってる。お前に当てはめるなら、肌に近い色がいいかな」
静雨は白からベージュの系統の服を翠玥に当て、特に顔色がよく見えるものに絞った。
「阿刀羅の基準は、とにかく動きやすいことだ」
静雨は繊細なレースが付いた服を避けた。翠玥の目の前にはよく似た形のアイボリーのセットアップが2着残された。共布ベルトのついたフレアパンツに、フレンチスリーブのトップス。見た目の違いはパンツの丈感とベルトの形くらいだった。
「小玥、この二つならどっちを選ぶ?」
翠玥は二着を受け取って、少し考えた。
「こっち」
「どうして?」
翠玥は手にした洋服を確かめるように撫でた。
「手触りが好きだから」
「それがお前の基準だよ」
翠玥は静雨を見つめた。そして頬を薔薇色にして笑った。静雨は魔法使いのようだと翠玥は思った。
翠玥は試着室で服を着替えている間に、静雨は会計を終えていた。
「お小遣い、もらってきたのに」
てっきり自分で払うものと思っていた翠玥は不満だった。
「お小遣いは自分のために使うもの。服は必要経費」
静雨はヒラヒラと手を振った。そして、新しく買った洋服に着替えた翠玥を上から下までよく見た。街中を歩いていても違和感のない出立ちだった。色付きのサングラスも馴染んでいるように見えた。静雨は屈託なく笑った。
「よく似合ってるよ、かわいいぜ」
翠玥は嬉しそうに静雨と腕を組んだ。
「老師にも、私が選んだのよってお見せしたい」
「天玄堂は喜ぶだろうな」
二人は組んだ腕を揺らしながら再び歩き出した。
ショッピングモールには、まだ見たことのない世界がたくさん待っていた。
朝のお茶の時間よりも前に外出したので何か飲みたいと翠玥が言った。
静雨は翠玥をフードコートへと連れて行った。
翠玥は辺りを見回した。屋内に飲食店がずらりと並んでいた。市場のように活気があった。
二人は『フレッシュ生搾りジュース』の幟が立つ店へと並んだ。ミキサーが立てる攪拌音を翠玥は面白いと思った。果物と氷をすり潰している。
「何にするか決まってる?」
「期間限定の桃ジュース」
翠玥はこれには迷わず答えた。
「静雨、ここは自分でお支払いをします」
「わかった」
静雨は手本を見せるつもりで先に注文した。
翠玥はそれに続き危なげなく支払いを終えた。骨董店の手伝いをしているので、金銭の受け渡し自体には戸惑いはなかった。
価格は760円だった。釣り銭で少し重くなった財布をしまって、ジュースを受け取った。プラスチック製の容器の冷たさに翠玥は驚いた。これほど冷たい飲み物は初めてだった。
二人は近くの席に座った。
翠玥はストローに口をつけて、少しだけ桃ジュースを味見してみた。やはり冷たかった。桃の甘い味わいが冷えた舌に広がった。
「あの家、ジュースって出ないよな」
静雨がパイナップルキウイジュースを飲みながら言った。
「そうね、私ジュースを初めて飲みました。冷たくて甘くて、おいしい……」
翠玥は冷えた口元を温めるように少し揉んだ。
「そのままの桃よりずっと甘いし、摂りやすいわ。風邪を引いた時とかによさそう」
「その発想はかなりいいな」
ストローにかかりそうだった髪を翠玥が何気なく耳にかけた。ふと耳元が軽くなった。次の瞬間だった。聞いたこともないほどの量の声がどっと押し寄せてきた。翠玥は眩暈がした。一つ一つの言葉はどうやっても聞き取れなかった。流れ込む全ての声が渾然一体になってただ翠玥を圧倒した。何が起こったかわからないまま気が遠くなりかけていた翠玥を、静雨が慌てて立ち上がって支えた。
「小玥、耳の」
迪遼に渡されたお守りの片方が髪に引っかかって外れていた。翠玥も気づいたがもうあまり動けずテーブルに頭をつけた。静雨が彼女の髪からお守りを取って耳に付け直した。
耳飾りが元の位置に収まると、膜を隔てたように響いていた声が聞こえなくなった。
翠玥はまだ汗をかきながら、一息ついた。
静雨も珍しく焦った様子だった。
「小玥、大丈夫か?前にもこんなことがあったのか」
「いいえ、こんな風になるのは初めて。この建物は人がたくさん出入りするから、気持ちが残りやすいみたい。お守りをつけてくれてありがとう。もう、大丈夫」
翠玥は青ざめた顔に微笑みを浮かべた。
静雨は狼狽えながらも、大切なお守りにまた引っかからないように翠玥の髪をまとめることにした。
「三つ編み?」
「三つ編み。それしかできないからな」
髪が二本の三つ編みにされたあと、翠玥の顔色は元に戻っていた。静雨が一応帰るか尋ねたところ、絶対嫌とのことだったので、ジュースを飲み終えた二人は専門店のフロアを散策することにした。色々な店を見て回った。
通りかかった天然石ショップの前で翠玥は静雨の服を引いた。
「静雨この石、すごく光ってる」
翠玥が指したのは、数百円で売られている角の取れた天然石の一つだった。輝きも少なく一見するとどこにでもある石だった。
翠玥を制して静雨は石を摘み上げた。触れると微かに熱を発していた。
「よく見つけたな」
静雨は翠玥の見る目に感心した。
「これは生玉。生玉っていうのはエネルギーの塊みたいなもので、生命力を活性化させる。これを花瓶に入れたら切り花だって半年くらい保つぜ」
「切り花が半年も!」
石を受け取った翠玥は驚きに目を見張った。
「すごいだろ。便利だぜ」
「静雨、これほしいですか?」
翠玥は静雨を見上げた。
「んにゃ。見つけたのは小玥だ」
「じゃあこれは、老師へのお土産に。長生きして欲しいから」
「喜ぶと思うぜ。あいつは十分長生きだけどな」
翠玥は生玉を購入するためにレジへと向かった。静雨はレジ近くでパワーストーンのブレスレットを暇つぶしに眺めていた。
レジ横の棚に、ふと翠玥の目を吸い寄せるものがあった。会計を終えた翠玥は次はどこへ行こうかと静雨に相談した。
「阿刀羅のお土産も買いたいの。なにがいいかしら」
「阿刀羅は家電好きだから、カタログ持ってくと喜ぶぞ」
「カタログってどれくらいの値段なんでしょう」
「無料なんだな、これが」
「無料なの?紙なのに」
家電コーナーへ行き、エアコンのカタログを入手した。そして、やはりカタログだけでは忍びないと言うことで、シンプルなブラウスを一着贈ることにした。『アイロンがけ不要、多機能』という宣伝文句に阿刀羅の顔が浮かんだらしい。
二人はその後、レストランで食事をして、クレーンゲームを楽しんだ。翠玥にはクレーンゲームの才能があり、手提げ二袋分の菓子類を手に入れた。
翠玥は自分の戦利品をその辺にいた子供達に配ってあっさりと手放してしまった。
「いいの?」
「あんなに持ってても食べきれないもの。それに4つだけ残してあるの」
翠玥は無邪気に紙袋に忍ばせたお菓子を見せた。静雨は翠玥の頭をワシワシと撫でた。
午後のお茶の時間を少し過ぎた頃、二人は帰途に着いた。
ショッピングモールの近くに立つマンションの一室の扉を開けると、いつもの店に繋がった。カウンターにいた迪遼が立ち上がって出迎えた。
「帰ったぞ」
「ただいま戻りました、老師!」
翠玥が勢いよく抱きついてきたのを迪遼は受け止めて、その背を強く抱いた。
自分の手の届かないところに翠玥が行くのは初めてのことだった。きっと元気に帰ってくると思っていたが、思うのと目にするのとは全く違った。
「老師?」
迪遼は翠玥のつやつやした頬を確認し、耳飾りが外れていないことを確かめて、ようやく翠玥を解放した。
「……おかえりなさい、小玥。ショッピングモールは楽しかったですか?」
「はい、お祭りみたいに人がたくさんいました」
迪遼は目を細めた。そして、改めて翠玥を見ると、新しい洋服を着ていることに気がついた。
「その格好すごくかわいいです」
「かわいいですか?」
「かわいいです。とってもかわいい」
翠玥は照れたようにサングラスを外した。
「私が選んだんです。静雨が選ぶのを手伝ってくれました」
「小玥が自分で?」
迪遼は頬を染めて口元を手で覆った。それほど喜ばれるとは思っておらず、翠玥は面映かった。しかし、自分で選んだものを褒められるのは素直に嬉しかった。
「静雨、ありがとうございます……こんなに素敵な服を」
迪遼は静雨の服を視界に入れずに言った。
「おう、俺たちにかかればな」
静雨は翠玥に向かって親指を立てた。
迪遼は嬉しそうに微笑んだ。
「よく似合ってますよ、本当に」
迪遼は翠玥の姿を写真か何かに収めたい思い、何かないかなと店の棚を探した。
「お土産はここに置いておくからな」
静雨が長卓に紙袋を置いた。
翠玥がパッと駆け出して、紙袋から緑色の小さな石のついた腕輪を取り出した。
「今日のお礼よ、静雨ありがとう」
「いいのに……いつ買ったんだ?」
「天然石のお店で。触ってわかったけど、その石はいいものよ」
「石を、触った……?」
翠玥は自分の口を塞いだ。静雨は困ったように笑った。翠玥も静雨も迪遼の方は見なかった。どんな顔をしているのか見るのも怖かった。
少し後に帰宅した阿刀羅は必死に弁明する翠玥を目撃することになった。




