↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天玄堂仙譚  作者: 由花子
10/13

社会見学 前編

その日は午後から静雨(ジンユー)が訪れていた。

静雨は翠玥(スイユエ)の母の昔馴染みの烏で、養い子の翠玥を骨董店『天玄堂(てんげんどう)』店主である迪遼(ディーリャオ)に託した人物でもあった。

翠玥は小さな頃から静雨によく懐いていた。

「小玥(シャオユエ)には買い付けはやらせないの?」

静雨が勝手知ったる様子で迪遼の執務室へと入り、長椅子に座った。午前中に来店があったため、午後は店を閉めていた。

「まだ早くないですか」

迪遼は経費の仕訳を綴りながら答えた。

「やらせる心算(こころづもり)自体はあったのか」

「それは、もちろん」

話しながら迪遼は帳簿の確認に移った。

「私がやってるこういう細かい事務作業も、少しずつ教えていますよ」

「おー、ちゃんとしてるな」

「そりゃあちゃんとしますよ。あなたと白砡元君(はくぎょくげんくん)にお約束したんですから」

静雨は頬杖をついて笑った。

「そんなこと言って、小玥の成長を見るのが嬉しくてたまらないくせに」

「そうですね。でも最近少し寂しいです」

迪遼は帳簿を捲る手を止め、視線を落としたまま言った。

「大きくなったよな。13歳か。話ぶりも最近は大人びてきたし」

「ここへきた時のあの子は、本当に小さかったですよね」

「生まれたてみたいなものだったからな」

「……子供の成長ってあっという間です」

「年寄りくさいぜ、天玄堂」

「あなたよりはね」

迪遼は微笑んで帳簿を閉じた。二人は傍目には同年代の若い青年だった。

「人の世を知らないまま育てるつもりはありません。でも、刺激が強いことは確かです。あの子には、望むことをやらせてあげたいですが、やはり人の子とは少し違うので……塩梅(あんばい)が難しいですね」

「でも、お前は現世で商売してた時代もあっただろ」

「私はもともと図太い方なんですよ。小玥と違ってとっくに大人でしたし」

「外に出ることさ、俺が付き添ってもダメ?」

「静雨、前に小玥をカラスにぶら下げて飛ばしたこと覚えてます……?」

「覚えてる。お前は止めなかったよな」

迪遼はため息をついた。

「そういうことです。あなたがいて、小玥が望むなら、私には止められない」

静雨はウキウキと翠玥を連れ出す計画を話し始めた。迪遼は本人に話してもいないのに気が早いと思ったが、あんまり楽しそうなので釣られてあれこれと口を出した。

治安の良い都市のショッピングモールなんて年頃の娘には楽しいのではないかと盛り上がっていたところに、翠玥と阿刀羅(アトラ)が午後のお茶の時間を知らせにきた。

翠玥の養育係である阿刀羅は部屋に入るなりカップが足りないとぼやいた。彼女は静雨に尋ねた。

「いつきてたんですか?」

「さっき」

翠玥は軽やかに静雨に近寄った。瞳が好奇心で輝いていた。

「静雨、さっき話していたショッピングモールってどんなところ?」

静雨はこの反応は大当たりだと迪遼に目で訴えた。

「ショッピングモールは、服とか食べ物とかを売る店がたくさん入ってる場所だな。たまに風船を配る人がいる」

「お店が、たくさん……」

翠玥は天玄堂のような店が何軒もならぶ光景を思い浮かべた。他のお店を見てみたいと思った。自分たちの店との違いを知りたい。

「行きたいんですね、小姐(おじょうさま)」

翠玥の様子を見て阿刀羅が目元を僅かに和らげた。彼女は安全管理にはうるさいが、基本的に翠玥の意思を尊重する方針だった。

「行きたいなら明日連れてくぜ。明日なら予定もないから。いいだろ、天玄堂」

「いいですか?老師」

迪遼は言い淀んだ。つい先ほど近々そういう用意も必要かと考えたばかりなのに、明日出かけることになっていた。しかし、静雨に本人の意思を尊重すると言った手前反対することもできなかった。

「静雨が一緒なら、まぁ……いや、でも阿刀羅も、だめですね。明日は予定があるんでしたっけ」

「申し訳ございません。ご主人様。明日は珠緒(たまお)さんにお呼ばれしていて……」

珠緒というのは阿刀羅が買い出しで利用する店を経営している化け猫で、阿刀羅の友人だった。

「謝る必要はありません。事前に聞いてたことです。あなたも息抜きが必要でしょう。私はお店があるし……静雨、絶対そばを離れないでくださいね」

「お前はちょっと過保護すぎる。もちろん目は離さないぜ。でも小玥は13歳だろ。もう少し自由にやらせてもいいんじゃないのか。店にも立ってて人とも関わってるんだからさ」

「店には基本的にお客様は一人ずつしか入れないですし、私も阿刀羅もいます。不特定多数の人間には慣れてません」

「ご主人様のおっしゃる通りです。現世には誘拐や強盗の危険があります。すぐ動ける距離にいてください」

阿刀羅が迪遼を援護した。静雨は納得し素直に頷いた。

「それもそうだな。わかった、任せろ」

「行ってもいいのね?」

翠玥が待ちきれないように迪遼に尋ねた。

「いいですよ。でも、静雨からは離れないこと、約束してください」

「はい!老師」

翠玥の良い返事を迪遼は優しい瞳で見守っていたが、頭の中では短い時間で翠玥のためにできる準備を考えていた。

※※※

静雨が泊まる日は翠玥が寝室へ行ってから大人達で酒盛りが行われることが慣例だった。

迪遼は酒が注がれる前の静雨のグラスを手で塞いだ。

「静雨、今物価はどうなんですか?どれくらい持たせたら楽しく遊べるでしょう」

迪遼の問いかけに静雨は苦笑した。

「いいよ。俺が出すから」

「お小遣いをあげたいんです。自分でモノを買う機会ってそんなにないですから」

「っていっても小玥はそんなに欲しいものとかあるのかな……?多過ぎても危ないし」

「せっかく現世に行くのだから、自分で選んで小物を買ったり、普段食べられないものを食べたり、そういう体験をさせてあげたいんです」

「そーだなぁ。食べて遊んで買い物して、最後にお土産なんか買えれば上出来だろ。二万円くらいあれば足りるんじゃないか」

「円ってどっちの円ですか」

「治安重視で日本円」

阿刀羅は二人の話を聞き、金庫に行って紙幣を手に戻ってきた。

「旧札って使えますよね」

「両替するよ。……聖徳太子かよ」

迪遼はいそいそと瑠璃紺に白い花々が刺繍された財布に二万円を納めた。だいぶ昔に翠玥のために誂えた財布だった。

静雨と阿刀羅はもう酒を飲んでいた。迪遼もその辺に転がっていた紹興酒をグラスに注いだ。

「そういえば小玥の服はどうするんですか。普段の服だと街中では目立ってしまいますよ」

「おー、そうだな。途中で何か買って着せるよ」

「静雨、柄物はやめてくださいね」

「柄物?まぁいいけど」

静雨のきている服は悪夢のような原色の流動的な幾何学模様がプリントされていた。迪遼は静雨のセンスを信用していなかった。

「ご主人様の選ぶ服はあまり機能性を重視していませんから、現世ではもう少し動きやすい服を着せてあげてください」

式神として作られた初日に迪遼が用意した華やかな装いを拒否し、以来ずっと黒いお仕着せを着ている阿刀羅が口を挟んだ。

「うう……かわいい洋服選びたかった……」

迪遼は嘆いた。

ちなみに、翠玥本人は服を選ばせるとカタログから好きな数字を選んで適当に決めるという有様だった。

迪遼はせめて現世で翠玥に似合う服を奇跡的に誰かが選んでくれることを祈った。

そんなこんなで夜は更けていった。

※※※

朝食後、手持ちの服の中でできるだけ現代的なシルエットの襦裙に身を包んだ翠玥を、迪遼が呼び寄せた。

「小玥、いらっしゃい」

「はい、老師」

迪遼は翠玥に財布を渡し、小さな丸みを帯びた耳飾りを差し出した。

「これを、お守りです。耳につけて外さないように。小玥、約束は忘れていませんか?静雨からは離れないこと」

「ありがとうございます老師。お約束、守ります」

翠玥は両耳に耳飾りをつけた。小さいので現世でもさほど目立たないだろうと迪遼は思った。

「小玥、楽しんできてくださいね」

「はい!」

翠玥は迪遼に微笑み返した。

外界との接続点である店の扉の前で、翠玥は保護者に外出の挨拶をした。

「老師、阿刀羅行ってきます」

「いってらっしゃい、小姐(おじょうさま)。お気をつけて」

「いってらっしゃい。静雨、小玥を頼みましたよ」

「おう、あんまり心配するなよ」

少し緊張した面持ちで静雨の手を握った。現世に訪れるのはだいぶ小さな頃に世界のお祭りを巡って以来だった。

静雨が店の扉を開けた。抜けるような青空が広がっていた。今日訪れる場所に選んだのは家族連れの多い地方郊外のショッピングモールだった。

足を踏み出すと、見上げるほどの大きな建物に翠玥は目を瞬いた。閉まる扉の向こうで迪遼と阿刀羅が手を振っていた。

翠玥は見知らぬ場所への戸惑いと、大きな好奇心に満たされていた。

静雨は陽の眩しさに目を顰めて、胸元に挿していた色付きのサングラスを翠玥にかけた。目の色も紛れて一石二鳥に思われた。

「日差しが強いから早く中へ入ろう」

静雨は建物を見ていた翠玥の手を引いた。翠玥は建物の大きな陰に入って歩きながら周囲を観察していた。

「あの扉、人が近づくと開きます。なんのためにそうしているの?」

「こういうところは両手が塞がるくらい沢山買い物する人も多いから、手で開けなくていいようにしてるんだ」

「そんなにお店があるの?」

静雨は微笑んだ。

「そうだよ、お姫様。これからのお楽しみだ」

翠玥は自動ドアをくぐってショッピングモールの中へと入った。

モール内はそれほど混雑していなかった。それでも、明るい照明の下で買い物を楽しむ人々の数に翠玥は圧倒された。入り口近くの揚げ物屋から立ち上る油の匂いや、人工香料の直線的な香りが未知の世界であることを意識させた。

静雨は翠玥の手をしっかりと握り返した。

「まずは、服だな」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。