第三話 ルカ、雷神を目撃する
――僕の人生は、あの日を境に変わった。
いや。
変わったなんて生易しいものじゃない。
完全に壊れて、別の何かへ作り替えられたのだ。
僕の名前はルカ。
かつてガルバディス王国で下級文官を務めていた。
半年前、故郷はガルダ城を拠点とする反乱軍によって滅ぼされた。
家族は散り散りになり、仲間も多くが命を落とした。
剣も魔法も使えない僕にできることは、生き延びることだけだった。
だから森を逃げ続けた。
追手に捕まれば奴隷鉱山送り。
運が悪ければその場で斬り殺される。
そんな絶望の中で、僕は彼と出会った。
ハルト様だ。
雨の降る森の中。
見たこともない服を着た青年が、巨大な鉄の箱の前で途方に暮れていた。
今思えば、あれが運命だったのだろう。
当時の僕は知らなかった。
目の前の青年が、この世界の歴史を書き換える存在だということを。
◇
追手が現れた時、僕は死を覚悟した。
二人の兵士。
どちらも戦い慣れた男たちだった。
武器を持たない僕たちに勝ち目などない。
だからせめて巻き込んでしまったことだけでも謝ろうと思った。
だが――。
ハルト様は逃げなかった。
確かに恐怖していた。
顔は青かったし、手も震えていた。
それでも逃げなかった。
巨大な鉄箱を開き、中から黒い球を取り出したのだ。
「耳を塞げ! 目を閉じろ!」
そう叫んだ直後。
世界が砕けた。
轟音。
閃光。
衝撃。
すべてが同時に襲ってきた。
僕は地面に伏せたまま悲鳴すら上げられなかった。
やがて静寂が戻る。
恐る恐る顔を上げた先には――。
倒れ伏す追手の姿があった。
剣は届いていない。
拳も振るっていない。
ただ黒い球を投げただけ。
それだけで戦いが終わった。
僕は理解できなかった。
理解できるはずもなかった。
だって、それは人間の力ではなかったからだ。
◇
「僕はハルト。ただのエンジニアだよ」
そう言って笑う姿を見ながら、僕は幼い頃に読んだ神話を思い出していた。
天の雷をその手に収める者あり。
その者現れし時、古き王座は崩れ落ちる。
神殿の古い羊皮紙に記されていた伝承だ。
その時の僕には確信があった。
ああ。
この人は神だ。
神が人の姿を借りて現れたのだ。
そうでもなければ説明できない。
「科学だからね」
「ただのサラリーマンなんだけど」
道中でハルト様は何度もそう言っていた。
しかし僕には分かっていた。
神というものは正体を隠したがる。
きっとそういうことなのだろう。
◇
僕たちは避難民の隠れ里へ辿り着いた。
そこには数十人の生存者がいた。
皆、疲れ切った顔をしている。
希望などどこにもなかった。
だから僕は叫んだ。
「みんな聞いてくれ! 僕たちは救われた!」
村人たちが怪訝そうな顔を向ける。
長老が前へ出た。
「ルカよ。ついに気が触れたか」
「違う!」
僕は全力で首を振った。
そしてハルト様を指差した。
「この方は天より遣わされた雷神だ!」
村人たちがざわめく。
当然だ。
僕だって数十分前なら信じなかった。
「追手が現れた時、この方は雷を落として敵を滅ぼしたんだ!」
「そんな馬鹿な」
「若者ではないか」
疑いの声が飛ぶ。
すると当の本人が困ったように頭を掻いた。
「いや、雷神じゃないんだけど……」
そう言いながら懐へ手を入れる。
そして。
あの黒い球を取り出した。
僕は息を呑んだ。
まさか。
また神罰を見せるつもりなのか。
「みんな、少し下がって」
ハルト様が言った。
「そこの枯れ木を使うから」
村人たちは慌てて距離を取る。
僕も後退した。
ハルト様は黒い球を構え――。
投げた。
数秒後。
森を揺るがす轟音が響いた。
大地が震える。
閃光が走る。
そして。
何十年も村を見守ってきた大樹が真っ二つに折れ、炎に包まれた。
誰も声を出せなかった。
あまりにも圧倒的だったからだ。
長老の杖が地面に落ちる。
乾いた音が響いた。
「か……神……」
その一言をきっかけに。
一人。
また一人。
村人たちが膝をついた。
やがて全員が地面に伏し、祈りを捧げ始める。
その中心でハルト様は慌てていた。
「いやいやいや! 違うから!」
「頭上げて!」
「お願いだから!」
しかし誰も聞いていない。
むしろその姿が、
「なんと慈悲深い神なのだ」
と解釈されていた。
僕も同じだった。
◇
僕はハルト様の前に跪いた。
「ハルト様」
彼は困った顔をしていた。
だが関係ない。
もう決めたのだ。
「僕の命も、この村の未来も、すべてあなたに捧げます」
深く頭を下げる。
雨上がりの土の匂いがした。
「どうかガルダ城を滅ぼしてください」
沈黙。
しばらくして。
「えぇ……」
という情けない声が聞こえた。
だが僕の決意は揺るがない。
この方こそ希望だ。
絶望の時代を終わらせる存在だ。
後に世界中から『雷の英雄』と呼ばれることになる男。
その伝説の始まりを、僕は誰よりも近くで見ていたのである。




