第二十一話 皇都突入
嘆きの壁は崩れた。
千年の歴史を誇った神聖ザルツ帝国最大の防壁は、わずか半日で瓦礫の山へと変わっていた。
立ち込める土煙。
崩落した巨石。
そして、その向こうに見える皇都。
誰もが言葉を失っていた。
帝国兵たちはもちろん、ガルバディス新帝国の兵士たちでさえ同じだった。
彼らは今、自分たちが歴史の転換点に立っていることを理解していた。
「全軍前進」
ハルトの命令が響く。
ただそれだけだった。
無駄な演説はない。
勝利を祝う言葉もない。
まだ戦いは終わっていないからだ。
「第一軍、突破口確保」
「第二軍、左右展開」
「砲兵隊は前進しつつ支援射撃」
命令が次々に飛ぶ。
兵士たちは即座に動いた。
かつての中世軍では考えられない統制だった。
一方。
皇都内部では混乱が広がっていた。
「壁が破られた!」
「西門方面へ敵軍侵入!」
「防衛線を再構築しろ!」
将軍たちが怒鳴り合う。
だが誰も冷静ではいられない。
嘆きの壁は絶対だった。
それが崩れた時点で、帝国軍の精神的支柱も崩壊していた。
玉座の間。
皇帝ヴァルドリックは静かに座っていた。
周囲の貴族たちは蒼白である。
「陛下!」
「避難を!」
「まだ東の港から脱出できます!」
しかし皇帝は首を振った。
「逃げぬ」
その声は不思議なほど落ち着いていた。
「千年の帝国の皇帝が、最後に民を捨てるわけにはいかん」
誰も反論できなかった。
皇都西門。
崩壊した防壁を越え、新帝国軍がなだれ込む。
だが帝国軍も必死だった。
騎士たちが剣を掲げる。
「帝国のために!」
「皇帝陛下のために!」
最後の突撃。
最後の意地。
彼らは勇敢だった。
間違いなく。
しかし。
時代が違った。
「銃兵隊、前へ」
ハルトが命じる。
整然と並ぶ数千の銃兵。
一列。
二列。
三列。
完璧な隊形。
騎士たちは剣を振り上げながら突撃する。
その距離、百メートル。
八十。
六十。
四十。
そして。
「撃て」
乾いた銃声が響いた。
パンッ!
パンッ!
パンッ!
無数の火花。
白煙。
鉛弾。
最前列の騎士たちが次々と倒れる。
鎧ごと貫かれる者。
馬ごと転倒する者。
地面に叩きつけられる者。
だが後続は止まらない。
勇気だけを武器に前進する。
「第二列、前へ」
再装填。
射撃。
再装填。
射撃。
規則正しく繰り返される火力。
まるで巨大な機械だった。
中世最強の重装騎士団は、一歩ずつ削られていく。
近づくことすらできない。
それが火器の時代だった。
やがて。
最後の騎士が倒れた。
皇都西門前に静寂が訪れる。
誰も立っていない。
残っているのは煙だけだった。
ルカが震える声で呟く。
「終わった……」
だがハルトは首を振った。
「まだだ」
皇宮へ続く大通り。
そこには帝国最後の防衛軍が集結していた。
近衛兵五千。
全員が精鋭。
全員が死を覚悟している。
隊列の先頭に立つ老将軍が叫んだ。
「皇帝陛下の御前へは通さん!」
兵士たちが剣を抜く。
最後の壁。
最後の忠誠。
それだけが彼らを支えていた。
ハルトはしばらく彼らを見つめていた。
そして前へ出る。
誰も武器を構えない。
ただ彼の言葉を待つ。
「投降しろ」
老将軍は笑った。
「断る」
即答だった。
「なら死ぬぞ」
「それでもだ」
将軍は剣を握る。
その目に恐怖はなかった。
誇りだけがあった。
数秒の沈黙。
やがてハルトは小さく頷いた。
「そうか」
その返事だけだった。
そして。
「銃兵隊」
命令が飛ぶ。
老将軍も理解した。
これが最後だと。
しかし。
その時だった。
皇宮の方向から鐘の音が響く。
ゴーン。
ゴーン。
ゴーン。
戦場が静まり返る。
全員が顔を上げた。
皇宮の塔。
そこに白旗が掲げられていた。
「な……」
老将軍が固まる。
伝令が駆け込んできた。
「皇帝陛下の勅命!」
息を切らしながら叫ぶ。
「これ以上の流血を禁ずる!」
「全軍、戦闘停止!」
将軍の手から剣が落ちた。
カラン、と乾いた音が響く。
その頃。
皇宮の玉座の間。
皇帝ヴァルドリックは玉座に座ったまま待っていた。
逃げなかった。
隠れなかった。
皇帝として最後までそこにいた。
扉が開く。
現れたのはハルトだった。
二人の支配者が向かい合う。
長い沈黙。
先に口を開いたのは皇帝だった。
「お前の勝ちだ」
その声に悔しさはあった。
だが憎しみはなかった。
「時代が変わったのだな」
ハルトは答えない。
ただ静かに見つめている。
皇帝はゆっくり立ち上がった。
そして。
頭上の王冠を外す。
千年帝国の象徴。
歴代皇帝が受け継いできた権威。
それを両手で持ち。
ハルトへ差し出した。
「受け取れ」
玉座の間にいる全員が息を呑む。
歴史が終わる瞬間だった。
ハルトは王冠を見つめる。
そして静かに受け取った。
重かった。
金属の重さではない。
歴史の重さだった。
その日。
神聖ザルツ帝国は降伏した。
最後の敵が消えた。
戦争は終わった。
大陸統一が成し遂げられたのである。
夕暮れ。
皇宮の最上階。
ハルトは一人で街を見下ろしていた。
遠くには無数の灯りが広がる。
戦火は消えつつあった。
ルカが隣へ来る。
「終わりましたね」
ハルトはしばらく黙っていた。
そして静かに答える。
「ああ」
短い言葉だった。
だが、その中には数年間の全てが詰まっていた。
一万発の手榴弾。
ガルダ城。
アルノ平原。
反ハルト連合。
蛇の顎。
十字砲火。
嘆きの壁。
全てを越えてここまで来た。
そして今。
彼の足元には一つの大陸があった。
しかしハルトの視線は、さらに遠くを見ていた。
地平線の向こう。
まだ見ぬ世界。
まだ知らぬ海。
まだ到達していない未来。
彼は小さく呟く。
「さて」
ルカが首を傾げる。
「どうしました?」
ハルトは微笑んだ。
「次は国づくりだ」
その言葉にルカは思わず笑った。
戦争が終わったばかりなのに。
この男はもう次を見ている。
こうして大陸統一戦争は終結した。
だがハルトの物語は終わらない。
覇王となった男が、今度は世界そのものを変えていく。
その新たな時代の幕が、静かに上がろうとしていた。




