第四話 帰還航路
平和な会話シーンをやっと入れることができました。
夕陽は血のように赤かった。戦場を覆っていた煙は風に引き裂かれ、崩壊した都市の輪郭だけが薄闇の中へ沈み始めている。四機のグレイヴァは基地への帰路についていた。誰もが疲れていた。戦闘そのものよりも、理解できない敵と向き合ったことによる疲労だった。まるで悪夢と格闘した後のような感覚が身体の奥に残っている。
「帰りは自動操縦にしようぜ!」
ノアの声が通信回線へ弾けた。
「流石に疲れた! 三機も相手にしたんだぞ! 寿命が縮んだ気がする!」
張り詰めていた空気へ石を投げ込んだように緊張が揺れる。レオンが小さく笑った。
「元々そんなに長くないだろ」
「ひでぇ!」
誰かが吹き出した。戦闘後とは思えない空気だった。それだけ生き残ったという実感があった。
「そういや少佐」
ノアの声が少し真面目になる。
「結局あいつら何だったんです?」
夕陽を背負ったType-Kはしばらく沈黙していた。その姿は空を飛んでいるというより、何かを考えながら漂っているように見える。
「量産機だ。ヴォイド2とでも呼ぶとするか」
数秒の静寂。
「は?」
ノアの間抜けな声が響いた。
「いや待て待て待て。量産機? どこの世界の量産機だよ。俺達死にかけたんだけど?」
レオンも眉をひそめる。
「根拠はありますか」
「あれは完成され過ぎている。無駄がない。試作機の動きじゃない」
イザベラが小さく息を呑んだ。
「確かに解析結果とも一致します。設計思想が極端に単純です。性能を突き詰めたというより、大量生産を前提にしているように見えます」
ノアが頭を抱える。
「勘弁してくれ……量産機であれかよ……」
誰も笑わなかった。もし本当に量産機なら、今日戦った敵は序章に過ぎない。夕陽がゆっくりと沈んでいく。赤い光が機体の装甲を染めていた。その色はどこかヴォイド2の発光ラインに似ていた。
「問題は性能じゃない」
カイの声に空気が変わる。
「あれは人間だった」
ノアが眉をひそめる。
「AIじゃなく?」
「少なくとも普通のAIじゃない。先を読んでいた。こちらの動きを。こちらの考えを」
思い出すだけで背筋が寒くなる。あの敵は強かった。だが恐ろしかったのは強さではない。理解していたことだ。人間を。戦術を。恐怖を。まるで長い年月を戦場で生き抜いた老兵のように。
「少佐に似ていました」
レオンの呟きに通信回線が静まり返る。
カイは否定しなかった。ただ遠くを見ていた。夕陽の向こう、誰にも見えない場所を。まるで忘れてしまった何かを探しているように。
「少佐」
イザベラが静かに口を開く。
「ブラックホールインパクトのことは覚えていますか」
その瞬間、カイの瞳が僅かに揺れた。
「少佐」
レオンの声が通信回線へ流れた。
「何だ」
「ブラックホールインパクトのことは、どこまで覚えていますか」
その言葉にノアが思わず息を呑んだ。誰もが知っている話だった。だが誰も本人へ踏み込まなかった。十五年前、人類史上最大の災厄。そして英雄カイ・マクレガーが生まれた日でもある。カイはしばらく答えなかった。夕暮れの空を見つめる。紫へ変わり始めた空の色は、どこか夢の中で見た景色に似ていた。
「断片だけだ」
「戦っていた気はする」
「何かを守ろうとしていた気もする」
「だが肝心な部分が抜け落ちている」
「思い出そうとすると霧がかかる」
レオンは小さく頷いた。
「アイリス・セレーネ中尉もですか」
その名前が出た瞬間、通信回線の空気が変わった。ノアもイザベラも黙る。アイリス・セレーネ。士官学校始まって以来の天才と呼ばれた女性であり、常に次席、常に二位、そして唯一カイの隣へ立ち続けた人間だった。ブラックホールインパクトの日に消息を絶ち、現在も行方不明。そしてカイ・マクレガーの婚約者でもある。
「顔は覚えている」
カイが静かに言う。
「声もな」
「だが、その先がない」
「笑っていた気がする」
「何かを約束した気もする」
「だが思い出せない」
記憶が失われているわけではない。その部分だけが鋭利な刃物で切り取られたように存在しない。手を伸ばせば届きそうなのに届かない。夢から覚めた直後のようなもどかしさだけが残っていた。
「アイリス中尉はブラックホールへ巻き込まれました」
レオンが続ける。
「現在も行方不明です」
「軍では戦死扱いになっています」
「でも遺体は見つかってないんだろ」
ノアが言った。
「見つかっていない」
「だから正式には今も行方不明だ」
十五年。人を諦めさせるには十分な時間だった。だが希望を殺し切るには少しだけ短かった。
「……そうか」
カイの声は小さかった。その短い言葉の奥に何があるのか誰にも分からない。ただノアには、その声がどこか遠くを見る人間のものに聞こえた。
「俺さ」
ノアがぽつりと呟く。
「少佐に憧れて軍へ入ったんだよな」
「急にどうした」
レオンが笑う。
「いや、改めて思っただけだ」
「ブラックホールインパクトの英雄だぞ」
「普通なら伝記の中にいる人だろ」
「それが今こうして隣で戦ってるんだからな」
「化物だよ」
「褒めているのか?」
カイが聞く。
「もちろん」
ノアは即答した。
「超褒めてる」
その時だった。
「私は尊敬しています」
イザベラが真面目な声で言った。
「ああ始まった」
ノアが額を押さえる。
「何がです」
「少佐崇拝タイム」
「事実を述べているだけです」
イザベラは平然としていた。
「私は十歳の時に少佐の記事を読みました」
「十五年を越えて帰還した英雄」
「その記事は今でも保存しています」
「関連資料は七百三十四件あります」
「増えてる!」
「先月三件追加されました」
「そこじゃねぇ!」
レオンが吹き出した。戦闘中には見せない笑いだった。
「戦闘記録も全て見ました」
「第四次月面防衛戦が好きです」
「グレイヴァ初期型も好きです」
「少佐の――」
「もういい!」
ノアが慌てて止める。
「情報量が多い!」
イザベラは不満そうに鼻を鳴らした。
「ふん」
そして何事もなかったように続ける。
「ちなみに私はいつでも恋人OKです」
数秒の沈黙。
「は?」
ノアの声が裏返る。
「何で今その話になるんだ!?」
「少佐が独身だからです」
「論理が飛躍してる!」
レオンが肩を震わせている。
「ですが少佐は少佐です」
イザベラは真顔だった。
「どういう意味だ」
「アイリス中尉を待っている人です」
今度は誰も笑わなかった。イザベラは静かに前を見ている。その声には冗談も打算もなかった。
「私はアイリス中尉は生きていると思います」
カイの視線が初めて動いた。
「根拠は」
「ありません」
即答だった。
「おい」
ノアが呆れる。
「ただの勘です」
「ですが私の勘はよく当たります」
「またそれか」
レオンが苦笑する。
「当たります」
イザベラは譲らない。
「ヴォイドを辿れば分かります」
「少佐の失われた記憶も」
「ブラックホールインパクトの真実も」
「アイリス中尉の行方も」
基地の灯りが遠くに見え始めていた。ようやく帰れる。誰もがそう思った。しかしその安堵は長く続かなかった。地平線の向こう、夜空の一角が不自然に歪んだのである。まるで巨大な何かが世界の裏側からこちらを覗き込もうとしているかのように。
夕陽は山脈の向こうへ沈みかけていた。戦闘を終えた四機のグレイヴァは帰投コースへ入り、赤く染まった空を静かに進んでいた。先ほどまで死線を越えていたとは思えないほど穏やかな時間だった。
「帰ったら飯だな」
ノアが言う。
「さっき食べていただろう」
レオンが呆れたように返す。
「戦闘は腹減るんだよ」
「お前は何もしてなくても腹が減る」
「否定できねぇな」
小さな笑いが通信回線を流れる。その空気を切り裂いたのはイザベラの声だった。
「待ってください」
一瞬で温度が変わった。コンソールへ流れ込むデータを見つめる彼女の顔から血の気が引いていく。
「重力反応急上昇」
レオンの表情が険しくなる。
「ヴォイドか」
「違います。こんな数値は見たことがありません」
その瞬間だった。空が裂けた。爆発はない。轟音もない。だが世界そのものへ巨大な爪が立てられたように空間が歪み、夕焼けの空へ黒い亀裂が走った。見ているだけで吐き気がする。人間の脳が理解を拒絶する光景だった。裂け目の奥から巨大な影が現れる。黒紫の装甲。胸部中央で脈動する紫色の重力コア。全高五十七メートル。高層ビルを見上げる時と同じ圧迫感が胸へ落ちてくる。だが本当に恐ろしいのは大きさではなかった。周囲の景色が歪んでいる。山肌が揺らぎ、遠くの建物の輪郭が波打つ。まるで世界そのものがそいつの存在を受け入れきれず軋んでいるようだった。
「……なんだよあれ」
ノアが呟く。
「未確認超大型重力兵器反応です」
イザベラは表示されたデータから目を離さない。
「観測記録上最大です。基地の全重力炉出力を合計しても届きません」
沈黙が落ちた。その沈黙の重さは鉛より重かった。
「三連戦かよ……しかも俺たち全員パイロットスーツ着てねぇぞ」
「お前だけだと思っていた」
レオンが言う。
「俺もだ」
「私もです」
「私もですね」
数秒の静寂。
「全員じゃねぇか!」
ノアの叫びに一瞬だけ笑いが生まれる。帰投途中だった。誰も再出撃など想定していない。だがその笑いはすぐに凍りついた。ヴェスターが動いたからだ。
ただ腕を持ち上げただけだった。それだけなのに山肌が崩れた。岩盤が砕ける。木々が根元から引き抜かれる。目には見えない何かが周囲の重力を書き換えていた。それは攻撃ではない。呼吸するような動作だった。人間が瞬きをする程度の行為で周囲の地形が破壊されている。その事実が何より恐ろしかった。
基地から緊急通信が飛び込む。
『全戦力出撃』
『全戦力出撃』
『基地防衛態勢へ移行』
格納庫が開く。警報が鳴り響く。第二小隊、第五小隊、第七小隊が次々と発進していく。夕焼けの空へ上胸部コアが脈打つ。紫色の光が広がる。世界が揺れる。景色が歪む。空気そのものが重くなる。まるで深海の底から巨大な捕食者に見つめられているような感覚だった。逃げ場など最初から存在しない。そう告げられている気がした。
カイは黙ってそれを見つめていた。胸の奥で何かが軋む。思い出せない。だが知っている。黒い空。崩壊した都市。終わりのない戦場。そして紫色の光。十五年前の悪夢の断片が記憶の底から浮かび上がる。
ヴェスターのコアが強く脈打った。
まるで再会を喜ぶように。
「……そうか」
カイ・マクレガーが小さく呟く。
誰にも聞こえなかった。
だが彼だけは理解していた。
ヴォイド2は前座だった。本当に現れるべき敵が、ようやく戦場へ姿を現したのだ。
次回もお楽しみにして頂けると幸いです。




