第十五話 死神
八機の機体が同時に加速した。海面が爆発したように白い飛沫を上げる。グレイヴァ四機。レイヴン四機。十五年の空白を挟んだ即席部隊だったが、その動きに迷いは無かった。目の前にいる敵が誰なのか全員知っていたからだ。
「全機散開!」
レオンの指示が飛ぶ。
「集中砲火は避けろ!」
スレイヴァーは依然として何も語らない。黒い機体は海上数百メートルで静止したまま八機を見下ろしていた。その姿は不気味なほど静かだった。
「動かねぇぞ」
ガレスが呟く。
「いや」
アッシュが即座に否定する。
「来る」
次の瞬間だった。スレイヴァーが消えた。ヴィクターの全身に悪寒が走る。
「消え――」
言葉は最後まで続かなかった。紫色の光が視界を横切る。轟音。衝撃波。海面が数キロに渡って吹き飛んだ。
「速い!」
ローガンが叫ぶ。
スレイヴァーは既に数キロ先へ移動していた。移動したというより空間そのものを飛び越えたような速度だった。アッシュが機体を反転させる。
「追うな!」
リアムも叫ぶ。
「包囲を維持しろ!」
しかしスレイヴァーは止まらない。再び消える。次の瞬間には別方向へ現れる。八機の機体が一斉に射撃する。重力弾。レールガン。ミサイル。無数の光が空を埋める。だが当たらない。スレイヴァーはその全てを紙一重で回避していた。
「冗談だろ」
ガレスが呻く。
「予測できん!」
セレナが狙撃照準を切り替える。
「未来予測レベルの回避性能よ!」
彼女の長距離射撃すら外れる。スレイヴァーは反撃する様子も無かった。ただ八機の攻撃を観察するように飛び続けている。レオンは違和感を覚えた。
「試されてるのか……?」
その時だった。スレイヴァーの機首がゆっくりと持ち上がる。紫色の光が収束する。全員の警報が一斉に鳴り響いた。
「重力砲!」
ローガンが叫ぶ。
発射。紫色の閃光が海上を貫いた。海そのものが割れる。巨大な谷が生まれたかのようだった。八機が散開する。直撃は無い。だが余波だけで機体が吹き飛ばされる。
「化け物かよ!」
カイルが笑う。恐怖ではない。興奮だった。十五年間戦い続けた男の笑いだった。アッシュは視線を離さない。
「油断するな」
その声は静かだった。
「こいつはまだ本気じゃない」
誰も反論しなかった。それは全員が感じていた。スレイヴァーはまだ様子を見ている。本気を出していない。それなのに攻撃は一発も当たらない。レオンはスレイヴァーを睨みつける。この敵はヴェスターとは違う。巨大な要塞ではない。純粋な戦闘機。殺すためだけに作られた機体だ。海上を黒い機影が駆け抜ける。紫色の軌跡が空へ刻まれる。八機の追撃。しかし距離は縮まらない。まるで蜃気楼を追っているようだった。戦いは始まったばかりだった。だが誰もが理解していた。この敵は今まで戦ったどんなヴォイドとも違う。ヴェスターを失った敵勢力が送り出した真の切り札。その名はスレイヴァー。空を支配する死神だった。
スレイヴァーは空を支配していた。八機の攻撃が空間を埋め尽くしているにもかかわらず、一発たりとも命中しない。重力弾は逸れ、レールガンは空を裂き、グラビトンミサイルは接近前に圧縮崩壊して消滅する。まるで未来が見えているかのようだった。
「クソッ!」
ガレスが舌打ちする。
「当たる気がしねぇ!」
グレイヴァType-Gがレーザーブレードを展開する。接近戦なら違う。そう考えた瞬間だった。スレイヴァーが正面へ現れる。
「取った!」
ガレスが斬りかかる。だが次の瞬間には消えていた。空振り。その直後、背後数百メートルへ出現する。
「なっ――」
ガレスの警報が鳴る。紫色の光。重力砲。発射。ガレス機が咄嗟にシールドを展開する。衝撃。機体が海面近くまで吹き飛ばされた。
「ぐあああっ!」
警報音が鳴り続ける。
「ガレス!」
ヴィクターが援護射撃を行う。スレイヴァーは再び消える。射撃は空を切った。レオンは歯を食いしばる。このままでは勝負にならない。相手は速すぎる。
「アッシュ!」
通信を開く。
「何か分かったか!」
アッシュはスレイヴァーの軌道を見つめていた。十五年間。何度も見てきた動きだった。
「分かった」
静かな声だった。
「奴は避けてるんじゃない」
レオンが眉をひそめる。
「何?」
スレイヴァーが再び消える。今度はローガンの真横へ現れた。ローガンが即座に反転する。しかし間に合わない。紫色の光。だが発射されない。スレイヴァーはただ見ていた。まるで観察するように。アッシュが続ける。
「戦っているんじゃない」
「分析している」
空気が変わった。ヴィクターが理解する。
「俺達をか」
「そうだ」
アッシュが答える。
「戦闘データを収集している」
レオンは舌打ちした。つまり全力ではない。試験運転。観察。研究。その程度の認識で八機を相手にしている。
「ふざけやがって」
ガレスが唸る。
その時だった。スレイヴァーの機体各所が紫色に発光する。警報。全員のモニターが赤く染まる。
「高エネルギー反応!」
ローガンが叫ぶ。
「来るぞ!」
海上数キロ。空間そのものが歪み始める。重力が集中していた。巨大な渦。海面が持ち上がる。雲が引き裂かれる。アッシュの顔色が変わった。
「全機離脱!」
レオンが叫ぶ。
「最大加速!」
八機が同時に散開する。その直後。世界が白く染まった。紫色の閃光が天から海へ落ちる。重力そのものが爆発した。海面が消える。数キロに渡って海水が吹き飛ばされ、巨大な空洞が出現する。海底が露出するほどの破壊だった。八機は辛うじて離脱していた。
「なんだよ……あれ」
カイルが呟く。
誰も答えられない。スレイヴァーは依然として無傷だった。黒い機体は空中で静止している。まるで人類の抵抗そのものを見下ろしているかのようだった。アッシュはその姿を見つめ続ける。
「なるほどな……」
レオンが聞く。
「何か分かったのか」
アッシュは視線を外さない。
「少しだけな」
黒い機体が再び加速する。紫色の軌跡が空へ走る。誰も追いつけない。だがアッシュだけはその軌道を目で追っていた。
「次で試してみる」
十五年間追い続けた死神。その攻略の糸口が、ようやく見え始めていた。海上を吹き抜ける風の中、アッシュのレイヴンだけが静かにレーザーブレードを展開する。次の瞬間から始まる戦いが、この死神との距離を決めることになるのだった。
海上を紫色の軌跡が走る。スレイヴァーは依然として八機を翻弄していた。誰も追いつけない。誰も捉えられない。その速度は常識を超えていた。だが一機だけ違った。アッシュのレイヴンだった。レイヴンの反重力エンジンが唸りを上げる。機体各部から青白い光が噴き出した。加速。さらに加速。海面が裂ける。空気が悲鳴を上げる。レオン達の視界からアッシュ機が消えた。
「アッシュ!」
レオンが叫ぶ。
「単独行動は――」
アッシュは答えない。視線はスレイヴァーだけを見ていた。十五年間。何度も見てきた軌道。何度も見失った背中。その全てが脳裏を駆け巡る。
「見えているぞ」
誰にも聞こえないほど小さな呟きだった。次の瞬間。スレイヴァーの進路上へレイヴンが飛び出した。
「そこだ!」
赤いレーザーブレードが振り下ろされる。スレイヴァーは瞬時に機体を捻る。完全な回避だった。だがアッシュは笑った。
「やっぱりな」
赤い刃が黒い装甲をかすめる。火花が散る。装甲片が一枚、紫色の光を引きながら海へ落下した。
「当たった!?」
ガレスが叫ぶ。
誰も信じられなかった。今まで誰一人として触れることすら出来なかった相手だ。そのスレイヴァーに初めて攻撃が届いた。
「馬鹿な……」
ローガンが目を見開く。
スレイヴァーは即座に距離を取る。だがアッシュは追わない。ただ静かに機体を停止させる。
「そういうことか」
スレイヴァーは沈黙を守る。紫色のセンサーだけが僅かに明滅していた。
「避けていたんじゃない」
レオンが通信を開く。
「何が見えた」
アッシュは視線を外さない。
「奴には癖がある」
スレイヴァーが再び消える。次の瞬間には数キロ先へ現れていた。
「完全無欠じゃない」
アッシュはそう呟く。
「反応している」
海上を黒い機体が駆け抜ける。だが今までとは違った。アッシュの視線だけはその動きを追い続けている。
「追えるのか」
ヴィクターが呟く。
「少しだけな」
アッシュが答える。
「だが十分だ」
スレイヴァーが機首を持ち上げる。紫色の光が集まり始める。重力砲。全員が警戒する。だがアッシュだけは違った。攻撃ではなく機体の動きを見ている。
「なるほど」
レオンが聞く。
「何か分かったのか」
アッシュは笑った。
「次で試してみる」
海上へ風が吹く。死神は依然として空を支配している。だが初めて傷を負った。そして十五年間追い続けた男だけが、その意味を理解していた。スレイヴァーを倒すための最初の一手が、ようやく姿を現そうとしていた。




