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第9話 証言5:侍女エリス

「カイ様のことですか? あの方は——不思議な方でした」


 エリス・ウォード。二十三歳。宮廷の侍女として、書記官棟の清掃と給仕を担当している。


 小柄で目立たない女性だった。話す声も小さい。だが、わたしの質問に対する答えは正確で、記憶力が良いことが窺えた。


 わたしたちは宮廷の中庭のベンチに座って話した。エリスは勤務時間外を指定してきた。業務に支障をきたしたくないのだと言う。真面目な性格のようだ。


──カイの日常について聞かせてください。


「毎朝、わたしが書記官棟の掃除に入るのは夜明け前です。でも、カイ様はいつもそれより先に来ていました。わたしが着いたときには、もう机に向かって何かを書いていらっしゃるんです」


──何時頃からいるのですか?


「わかりません。一度だけ、夜の見回りの衛兵に聞いたことがあります。深夜の二時頃にはもう灯りがついていた、と」


──夜は何時まで?


「わたしの勤務が終わるのは夜の八時ですが、その時間にもまだいらっしゃいました。以前、お帰りが遅いですね、と言ったことがあるのですが——」


──何と答えましたか?


「『もう少しだけ。あと一つ確認したら帰ります』とおっしゃいました。でも、次の朝に来ると、机の上の書類の位置が変わっていないんです。つまり、帰っていない。そのまま朝まで作業をして、わたしが来る前に顔を洗って、何事もなかったように仕事を始める」


──それが毎日?


「毎日ではありません。週に三日か四日くらい。残りの日は、ちゃんと帰っていました。——ちゃんと、と言っても、夜の十時頃だったようですが」


──食事は?


「昼食は食べていらっしゃいませんでした。わたしがお茶を持っていくと、ありがとう、とだけ言って受け取るのですが、お茶菓子はいつも手をつけずに残っています。夕食は宮廷の食堂で取ることもあったようですが、他の文官たちとは離れた席で、一人で黙々と食べていたそうです」


──他の書記官との関係は?


「ほとんどなかったと思います。カイ様の仕事は、他の書記官とは違っていましたから。他の方々は決まった文書の処理や保管をしていますが、カイ様は——何をしていたのか、他の書記官の方々もよくわかっていなかったようです」


「一度、別の書記官の方がカイ様の机を見て、『あの人は一体何をしているんだ? 書類がほとんどない。数字ばかり書いている』と言っていました」


──カイの机はどんな様子でしたか?


「とても整理されていました。書類は少なく、代わりに紙の束——計算用紙のようなもの——が積まれていました。あと、壁に大きな図が貼ってありました。王国の地図に色々な線が引かれたもので、頻繁に書き直されていました」


──カイとの個人的なやり取りで、印象に残っていることはありますか?


 エリスは少し考えた。


「あの方は、わたしの名前を覚えてくださいました」


──それは普通のことでは?


「いいえ。宮廷の文官で、侍女の名前を覚えている方はほとんどいません。わたしたちは透明な存在です。部屋にいても、いないのと同じ。でもカイ様は、わたしが部屋に入ると必ず顔を上げて、『エリスさん、おはようございます』と言ってくださいました」


「それと——ある冬の朝のことです。わたしが廊下で転んで、膝を擦りむいてしまったことがありました。誰も見ていなかったと思ったのですが、カイ様が通りかかって、黙って救急箱を持ってきてくださいました。手当てが終わると、『大丈夫ですか? 無理しないでください』とだけ言って、そのまま行ってしまいました」


──優しい方だったのですね。


「いいえ——いえ、はい、優しい方でした。でもそれだけじゃないんです。あの方は、見えない人の存在に気づく方でした。侍女や衛兵や掃除人のような、誰にも覚えられない人間のことを、ちゃんと見ている」


「それは多分——」


 エリスは言葉を選ぶように、視線を落とした。


「あの方自身が、誰にも覚えられない人間だったからだと思います」


──カイが消える前に、何か変わったことは?


「はい。消える三日前、カイ様が珍しく話しかけてきました。普段は挨拶以外、自分から話すことはない方なのに」


──何を話したのですか?


「『エリスさん。この部屋を、きれいにしてくれてありがとう。いつも、とても助かっていました』と」


「過去形だったんです。『助かっています』ではなくて、『助かっていました』。わたしはそのとき、少し不思議に思いました。でも、深く考えませんでした」


「翌々日、カイ様はいなくなりました。あの朝、いつも通り掃除に入ったら、机がきれいに片付けられていて——計算用紙も、壁の図もなくなっていて——お茶が一杯、机の上に置いてありました」


──お茶?


「はい。わたしがいつも出していたのと同じ銘柄の茶葉で、淹れたばかりでした。湯気が立っていました。つまり、わたしが来る少し前まで、カイ様はここにいた。わたしのためにお茶を淹れて、そしていなくなった」


 エリスの目に、薄く涙が滲んだ。


「あの方は最後まで、見えない人間のことを忘れなかったんです。自分が一番見えない人間だったのに」

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