第7話 証言4:宮廷魔術師長オルグレン
「カイ・ソーマについて話せと? あの男のことなら、いくらでも話してやる」
宮廷魔術師長エルヴィン・オルグレン。
六十代半ば。銀髪を後ろに撫でつけ、深い紫のローブを纏っている。背筋は真っ直ぐで、杖を持つ手には節くれだった力がある。魔術師としての威厳が全身から滲み出ていた。
宮廷魔術師の塔の最上階。彼の執務室は書棚に囲まれ、天井には星図の魔法陣が描かれている。美しい部屋だが、どこか近寄りがたい空気があった。
──カイとの最初の出会いは?
「五年ほど前だ。宰相から『優秀な文官をつけるから、魔術行政の効率化に協力してやってくれ』と言われた。わたしは断った。魔術行政は魔術師が管轄するものだ。文官の出る幕ではない」
──しかし、実際にはカイは魔術行政に関わるようになった。
「宰相が強引だったのだ。わたしが断っても、カイをわたしの管轄下に配属した。わたしはあの男を無視した。話しかけられても最低限しか答えなかった」
──カイはどう反応しましたか?
「何も言わなかった。ただ、わたしの部下たちに話を聞いて回っていた。通信塔の技師、魔法薬の調合師、結界の管理士——魔術に関わるあらゆる現場の人間に。わたしの許可も取らずに」
──それに対して、あなたは?
「激怒した。部下に命じて、カイへの協力を禁じた。魔術師の仕事は魔術師にしかわからない。素人に現場を荒らされてはたまらん」
──カイはどうしましたか?
「驚いたことに、引き下がらなかった。わたしの禁令の後も、昼休みや業務時間外に技師たちのところに通っていた。技師たちも——」
オルグレンは不快そうに眉をひそめた。
「技師たちも、カイに話すことをやめなかった。あの男は技師たちの愚痴を聞いていたのだ。現場の不満、非効率な慣行、改善したいが上に言えないこと。カイはそれを聞き、整理し、『こうすればいいのではないか』と提案した。技師たちにとっては、初めて自分たちの声を聞いてくれる人間だったのだろう」
──あなたにはその声は届いていなかった。
「届いていなかったのではない。聞く必要がなかったのだ。魔術の運用は長年の蓄積で最適化されている。現場の不満は、現場が未熟だから生じるものだ。——そう、当時のわたしは考えていた」
最後の一文を、オルグレンは自嘲するように付け加えた。
──カイが最初に出した提案は何でしたか?
「通信塔の魔力充填スケジュールの変更だ。それまで、全塔一律で朝と夕方に充填していた。カイの提案は、塔ごとに使用量を計測し、使用量に応じて充填のタイミングと量を変えるというものだった」
──合理的に聞こえますが。
「合理的だ。だからこそ腹が立った。なぜ魔法を使えない人間がそんなことを思いつき、わたしたち魔術師が思いつかなかったのか。答えは簡単だ。わたしたちは『一律に充填する』という慣行を疑ったことがなかった。それが当たり前だったからだ。カイは当たり前を知らないから、疑えた」
──提案は受け入れたのですか?
「拒否した。三度にわたって。理由は——」
オルグレンは少し間を置いた。
「理由は、正直に言えば、面子だ。魔法を使えない人間に魔術行政を改善されるということが、わたしには耐えられなかった。魔術師としての四十年が否定されるように感じた」
──そしてカイはどうしましたか?
「あの男はわたしの拒否を受け入れた。反論もしなかった。ただ、別の方法を探した。通信塔ではなく、軍の通信連携を改善し、商人ギルドの物流を改善し、徴税の仕組みを改善した。わたしの管轄を避けて、ひとつずつ成果を積み上げていった」
「そして——三年後にはどうなったか。軍の通信は三倍速くなり、物流コストは二割下がり、徴税の効率は五割改善された。すべて、カイの設計だ。わたしの管轄だけが旧態依然のまま残された」
──周囲の反応は?
「宰相は何も言わなかった。だが、宮廷の空気は変わっていた。『魔術師長の管轄だけが改善されていない』という目で見られるようになった。それは——屈辱だった」
──それで、あなたはカイを——
「追い出した」
オルグレンはその言葉を、躊躇なく口にした。
「正確には、カイの宮廷書記官としての職務範囲を厳格に限定するよう、人事に申し入れた。書記官は文書管理と連絡調整が本務であり、政策の設計や運用の改善は職務外であると。形式的にはまったく正しい指摘だ」
──カイは抵抗しましたか?
「しなかった。ただ一言、『わかりました』と言った。それだけだ」
──そして?
「カイは自分の職務範囲を厳守するようになった。文書管理と連絡調整だけを行い、提案は一切しなくなった。仕組みの調整も、やらなくなった——わけではない。表向きはやめたふりをしていた。実際には夜間や早朝に、個人の時間を使って続けていた。わたしはそれを知っていたが、黙認した」
──なぜ黙認を?
「カイの調整がなくなれば、通信網も物流も崩壊することは、わたしにもわかっていたからだ。つまり、わたしは自分の面子のためにカイを追い出しておきながら、カイの仕事に依存していた。……恥ずべきことだ」
──カイが消える直前、何かありましたか?
オルグレンの表情が初めて揺れた。
「あった。消える五日前だ。カイがわたしの執務室に来た。数年ぶりのことだった」
──何を話したのですか?
「提案書を持ってきた。通信塔の運用自動化の計画だ。カイが手動でやっていた調整を、魔法の仕組みに組み込んで、人の手を介さずに動くようにするという内容だった。必要な予算は——安くはなかったが、法外でもなかった」
──あなたの返答は?
「却下した」
沈黙が落ちた。
「わたしは言ったのだ。『今のままで問題なく動いている。なぜ変える必要がある?』と。
カイはそのとき初めて、わたしに言い返した。たった一言だけ」
──何と?
「『わたしがいなくなったら、止まります』」
「わたしはそれを、脅しだと受け取った。『自分がいなくなったら困るだろう』という、交渉だと。だからわたしは言った。『ならば勝手にいなくなればいい。代わりはいくらでもいる』と」
オルグレンは目を閉じた。
「五日後に、カイは本当にいなくなった。そして、代わりはいなかった」
──今、どう思いますか?
長い沈黙の後、宮廷魔術師長は答えた。
「わたしは四十年の経験をもって、この国の魔術行政を率いてきた。その経験は確かなものだった。だが、経験は時に、新しいものを見る目を曇らせる。カイの目は曇っていなかった。あの男には経験がなかったからだ」
「わたしが守ろうとしていたのは、この国の魔術ではなかった。わたし自身の正しさだ。そのために、この国に最も必要な人間を追い出した」
──最後に一つ。カイは怒っていたと思いますか?
「いや」
オルグレンは首を振った。
「あの男は怒らない人間だった。怒る代わりに、考える。拒絶されたら、別の道を探す。それを繰り返して、ここまで来た。だから——」
「最後の提案が拒否されたとき、あの男が出した結論は『怒り』ではなかった。『わたしがいる限り、仕組みは自立しない。だから、わたしが消える』——そういう結論だったのだと、今は思う」
「そして、それが正しかったかもしれないことが、一番つらい」




