第6話 証言3:商人ギルド長マーサ
「カイ? ああ、あの不思議な文官ね。あの人がいなくなってから、うちの物流コストが二割上がったわ」
商人ギルド長マーサ・レイク。
五十代の恰幅のいい女性で、王都の商業区を三十年仕切ってきた実力者だ。商売の話になると目が鋭くなるが、普段は人懐っこい笑顔を絶やさない。
ギルドの応接室は豪華だった。調度品のひとつひとつが商人の矜持を示している。
——カイとはどのような関わりがありましたか?
「最初に会ったのは四年くらい前かしら。宮廷から文官がひとり来て、『商人ギルドの物流について教えてほしい』と言うのよ。よくある話だと思ったわ。宮廷の役人が来て、偉そうに改善案を押しつけて帰っていくパターン」
——違ったのですか?
「全然違ったわ。あの人は改善案なんか持ってこなかった。ただ、聞くの。延々と。
『この街道はなぜ混雑するのですか?』『繁忙期の物流量はどれくらいですか?』『商人の方々は、どういう基準で経路を選んでいますか?』
最初は面倒だと思ったけど、途中で気づいたのよ。この人、本当に知りたくて聞いてるんだって。上から物を言うためじゃなくて、理解するために」
——それで、何が起きましたか?
「三回くらい通ってきた後に、一枚の紙を見せてくれたの。王国全体の物流の図。どの街道をいつ何が通るか、季節ごとの量の変化、混雑するポイント。全部がひと目でわかるようになっている」
「驚いたのはね、その図はわたしたち商人が教えた情報だけで作られていたこと。新しい情報なんかない。でも、バラバラだった情報が一枚の図になると、見えていなかったことが見えるのよ」
——たとえば?
「秋の収穫期に南街道が混むのは、みんな知っていたわ。でも、同じ時期に北街道がガラガラなのは、誰も気にしていなかった。カイはそれを指摘して、『南の荷物の一部を、北経由に迂回させれば全体としては速い』と言ったの」
「商人としては、北は遠回りだから使いたくない。でも、カイの計算では、混雑で南街道が遅延する時間を考慮すると、北回りの方が到着が早い。しかも南街道の混雑も緩和される」
「半信半疑で試してみたら、本当にその通りだった。物流全体のスピードが上がって、コストも下がった」
——それは大きな功績ですね。
「ええ。でもね、面白いのは——カイは決してギルドに何かを命令しなかったこと。あの人は情報を見せただけ。『こういう状況です。あとは皆さんの判断です』と」
「これがね、結果的に一番効いたのよ。押しつけられたらやりたくないけど、自分で判断した気になれば、人は動く。カイはそれをわかっていた」
——カイの人柄について、何か印象に残っていることはありますか?
「一度だけ、商人ギルドの宴席に呼んだことがあるの。お礼のつもりで。でも、あの人は隅っこでずっと黙っていた。話しかけても、世間話がまるでできない」
「わたしが『あなた、もう少し楽しめないの?』と聞いたら、こう言ったわ。
『すみません。人と話すのは苦手なんです。仕事の話なら大丈夫なんですが、何もない状態で人といると、何をすればいいかわからなくなります』」
「正直すぎるでしょう? でも、嫌な感じはしなかった。この人は嘘をつけないんだなと思った。嘘をつけない人間は、商売の世界では珍しいのよ。だから信用できた」
——カイが消えてからの影響は?
「物流の最適経路を示す掲示板が更新されなくなったのは知っているわね。あれ、カイが毎日手動で更新していたの。自動で動いているように見えて、実はカイが毎朝、各街道の状況を確認して、計算して、結果を掲示板に反映させていた」
——手動で?
「ええ。自動化したかったようだけど、予算がつかなかったらしいわ。カイが宮廷に予算申請を出したけど、却下された。『現状で問題なく動いているのに、なぜ追加の予算が必要なのか』って」
マーサは溜息をついた。
「問題なく動いているのは、カイが毎日やっているからなのよ。でも、それが見えていない人間には、『何もしなくても動いている仕組み』にしか見えない。予算をつける理由がない」
「これが一番残酷なことよ。仕事ができる人間ほど、仕事が見えなくなる。何もかも滑らかに回っていたら、それを回している人間の存在に気づかない。壊れて初めて、ああ、あの人がいたから回っていたんだ、と気づく」
——カイはそのことをわかっていたと思いますか?
「わかっていたでしょうね。あの人は頭がいいもの。自分の仕事が評価されないことも、自分の存在が見えていないことも、全部わかった上でやっていた」
「だからこそ——」
マーサは言葉を選ぶように、一呼吸置いた。
「だからこそ、限界が来たんでしょう。わかっていることと、耐えられることは別だもの」




